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69話 注意事項

「──ここは相変わらずですね」


 シュトロームに案内され、辿り着いたのは氷結王が寝床としている洞穴だった。


 見上げるほどに高く長い坂を登り切った先に存在する洞穴。御山の真の山頂であるそこは、以前訪れたときと変わりはなかった。


 見渡す限りで、この山頂よりも高い場所はなかった。アルトの名物である時計塔とて、ここよりもだいぶ低いのだ。


 その分見晴らしは絶景の一言。


 アルトの領域から出ていることもあり、この山頂からだと時間の移り変わりをはっきりと感じられる。いまであれば、昇ったばかりの太陽よりも感覚的には高い場所にいると思えるほど。


 まだ世界のすべてを明るく照らせるほどの位置には太陽はない。


 だが、世界に徐々に色が点っていく様は、アルト近郊であれば、ここからでしか見られない光景である。


 その様をタマモはエリセを抱きかかえたまま眺めていた。


 エリセもタマモに抱きつきながら、同じように世界を眺めている。


「早うあの子にも見したいどすなぁ」


 ぽつりとエリセが呟いた。


 エリセが口にしたあの子が誰のことなのかは考えるまでもない。


「……そうだね。アンリにも早く見せてあげたいな」


 そう、アンリのことだ。


 アンリはあの日、アオイからの襲撃を受けてタマモの目の前で死亡した。


 その亡骸は氷結王が専用に作ってくれた氷室にて保管している。


 分厚い氷の壁の向こう側で、アンリはいまもなお眠り続けている。


 その氷の壁を壊すのは、アンリを蘇らせるときだ。


 回生の青果。


 タマモたち「フィオーレ」が優勝を目指す理由。


 この山頂に向かう際、アンリには報告がてら挨拶をしている。


 アンリは相変わらず穏やかな顔のまま眠り続けていた。


 が、エリセと関係を持ったことを説明した際、その笑顔がほんのわずかに引きつったようにタマモには見えた。


 それからは笑顔であるはずなのに、笑っているようには見えなくなった。エリセに聞いても「気のせいでは?」と首を傾げられるだけだった。


 おそらくは、エリセの言う通り気のせいだろうとタマモも思っていた。その一方で、「浮気ですか、旦那様?」とアンリに凄まれているようにも思えてならず、タマモは自身の背筋に冷たい汗が伝っていくのをはっきりと感じていた。


 とはいえ、だ。


 エリセに関して言えば、浮気というわけではない。アンリが存命だった頃から、ふたりはお互いのことを認知していたので、エリセとそういう関係になったとしても、浮気ということにはならない。あくまでもエリセがアンリよりも数歩先に進んだというだけのこと。


 タマモを巡る恋愛というレースにおいて、エリセがトップを独走し、アンリはその独走を甘んじて見ていることしかできないというだけのことなのだ。


 それもエリセは反則行為に手を染めたわけではなく、正々堂々と戦い、トップの座を掴み取っている。


 ゆえにアンリが「ずるいです」とか「反則です」と嘯いたところで、エリセは勝者の笑みを浮かべるのみであろう。


 それでもタマモはアンリが泣きながら、「旦那様の浮気者ぉ~!」とタマモに駄々っ子パンチをお見舞いする姿がありありと思い浮かべてしまう。


「あれ、結構痛いんですよねぇ」と存命の頃、時折喰らっていた駄々っ子パンチの痛みを思い出し、タマモは遠くを眺めていた。


 その後、エリセとともにアンリの元を去り、氷室の外で待ってもらっていたシュトロームと白虎と合流し、タマモは山頂の氷結王の寝床である洞穴へと訪れたのだ。


 アンリの元に訪れて、いままでのことを話しただけだというのに、なぜか疲れてしまった気がするタマモ。逆にエリセはやけに元気である。タマモに姫抱きされているということも理由なのかもしれないが、アンリに対して、大幅にリードしているという現状を突き付けたことに優越感を憶えているのだろう。


 とはいえ、タマモにしてみれば、最終的には自分に返ってくることなので、「結局被害を受けるのはボクだけですか」と思わずにはいられないことであった。


 そんななんとも言えない気分に浸りつつ、タマモはエリセとともに色を取り戻していく世界をぼんやりと眺めていた。


 山頂ゆえのやや強めの風が、タマモたちを包み込み、その髪と尻尾を緩やかに揺らしていく。タマモもエリセも整った顔立ちであるため、非常に絵になる一幕である。惜しむらくは、少々どころか、圧倒的にタマモの背丈が足りないというところか。


 せめてあと十数センチ、よくを言えば数十センチも背丈があれば、「英雄と恋人」などのタイトルが付けられる絵画の題材になれたことであろう。


 もっとも背丈があろうとなかろうと、エリセにとってタマモが最愛の人であることには変わりない。タマモのすべてを引っくるめてエリセはタマモを愛しているのだから。それはいまも氷室の厚い氷の壁の先で眠るアンリも同じことであろう。


 ふたりの他にもタマモに愛情を向ける女性はいる。だが、タマモにとって最上位に位置するのが、エリセとアンリのふたりということ。タマモにとってふたり以上の女性はいないと言ってもいい。


「……変われば変わるなぁ」


 ほんの半年ほど前であれば、エリセどころか、まだアンリとも出会っていなかった頃とは、自身の感性がまるで変わってしまっていることにタマモは、わずかな驚きを憶えていた。


 だが、それは嫌というわけではない。


 むしろ、いまの変化は好ましく感じられていた。


「旦那様?」


 腕の中からエリセが不思議そうに首を傾げていた。


 なんでもないよと言いながら、タマモはエリセとの距離を縮める。


 エリセは少し慌てたものの、すぐにタマモを受け入れてくれる。


 エリセの整った顔がすぐそばにある。まぶたを閉じ、タマモを完全に受け入れてくれているエリセを見て、タマモは心の奥底から愛おしさを募らせていた。


「ほっほっほ、見せつけてくれるものじゃのぅ」


 エリセとの一時を堪能していたタマモの耳に、聖風王の声が届く。見れば、いつのまにか聖風王と氷結王が並んで、洞穴の前に腰を下ろしている。


 名残惜しみつつ、タマモがエリセと距離を空けると、エリセは頬を真っ赤に染めながら聖風王を睨み付けていた。その視線はやけに鋭く、さしもの聖風王も表情がわずかに引きつるほど。


「ま、まぁ、落ち着け。落ちつくのじゃエリセよ。そんな剣呑なまなざしは、女子には似合わぬぞ? ほれ、女子であればもっと、こう、のぅ?」


「どなたのお陰やとお思いで?」


「……えー、まぁ、その、すまぬ。調子に乗った」


「よろしい」


 最終的に聖風王は平謝りをしていた。聖風王に平謝りするほどの威圧感をエリセは放っていた。「ボクのお嫁さん、剣呑すぎません?」と思うタマモであるが、どんな姿によせ、エリセであることには変わりないため、「まぁいいか」と思うタマモ。


 エリセがそうであるように、タマモもまたエリセの長所ばかりではなく、短所とも言える部分も引っくるめて受け入れているという証拠であった。


 そんなとてもお熱い空気を垂れ流すタマモとエリセに、聖風王どころか、氷結王も苦笑いを浮かべていた。苦笑いしているものの、ふたりを見やる目はとても穏やかなものであるのだが、そのことにタマモはもちろんエリセも気づくことはない。


「さて、それでは風のよ。始めるのであろう?」


「そうじゃな。そろそろ手解きを始めるとしようか」


 聖風王の言葉を聞き、タマモは名残惜しみながらエリセを下ろす。エリセもタマモの背中に回していた腕を解き、「……ご武運を」と告げながら距離を取った。


 離れていくエリセの背をしばらく眺めてから、タマモは正面を見やる。視線の先には地に降り立った聖風王がいた。その両手を背中に回してタマモを見つめる聖風王。その姿だけを見ると腰の曲がった老人という風にしか見えない。


 しかし、聖風王の前に立っているだけなのに、タマモの全身の毛は逆立っていた。それほどの威圧感を聖風王は放っている。それが聖風王の戦闘モードではなく、ただその気になって立っているだけというのも、タマモは薄々と感じ取っていた。

 

 現時点では、いや、現時点どころか、どれほど研鑽を積もうと追いつける気がしない。それほどの強者が目の前にいる。タマモは生唾を飲みながら、聖風王を見やる。その一挙手一投足さえ見逃すまいと全神経を集中させていた。


「さて。手解きの前にひとつ言っておくことがある」


「なんでしょうか?」


「この世界の真実のことよ。婿殿、そなたの友人たちにこの世界の真実を話してはならぬ」


「え?」


「この世界の真実を知るのはそなただけでよい。いや、そなた以外には知ってはなら。少なくとも現時点において、この世界が現実であることはそなたの口から他の者に語ることは許されておらぬ」


「……ということは、いままで通りに振る舞えと?」


「そういうことじゃの。具体的に言えば、そなたの友人たちの前では、エリセといまのように振る舞うことは控えてもらうし、いままで通りに「ログイン」という形でこの世界に訪れてもらう」


 聖風王の言葉はすぐには頷けないものではあったものの、少し考えてみれば妥当であることは、すぐにタマモにもわかった。


 ヒナギクとレンたちにとってみれば、この世界はあくまでも「エターナルカイザーオンライン」というゲームの世界でしかない。


 そのゲーム内世界が、本当の異世界であり現実であるなんて言っても信じてもらうことはできないだろう。むしろ、「ゲームをしすぎだよ」と心配されるだけなのは目に見えている。

 もっとも、それも現実であるという証拠を見せればいいだけの話なのだが、聖風王はそれをいま禁じた。


 世界の真実というものは、元来誰にも知らせるものではない。知る存在は少なければ少ないほどいいに決まっている。


 言うなれば、この世界の真実は禁忌と言うべき事柄。その禁忌が広く知れ渡れば、大きな混乱が生じるであろうし、いままでの平穏が完全に破壊され、混沌とした世界になりかねない。


 むろん、そうなる前に聖風王たち、四竜王を始めとした上位存在たちにより、鎮圧されるだろうが、それが最終手段であることは明らかだ。


 最終手段はそうたやすく切っていいものではない。使わないのであれば、使わないことに越したことはない。


 ゆえに最終手段を切る状況にならないように、無用な混乱を招くような言動は差し控えるというのは、当たり前のことだった。


 今回の場合で言えば、現実の異世界ではなく、あくまでもゲーム内世界と思わせるように行動を取ればいいということだった。


「理解してもらえたようじゃな。いまも言ったが、控えてもらうのはあくまでもそなたの友人たちの前ではじゃ。そなたの友人たちの目が届かぬ場所であれば、いくらでもこの世界に滞在してもよいし、エリセと触れ合ってもらっても構わぬ。むしろ、我としてはじゃなぁ。エリセに早く己が子を抱かせてやって欲しいと思うておる」


 あげ髭を撫でつけながら、最後にとんでもないことをぶちまける聖風王。その言葉に離れていたエリセの顔が、いままで以上に真っ赤に染まった。


「……エリセの件に関しては善処しますとだけ」


「他のことは、承知したというところかの?」


「ええ。言われてみれば、仰る通りですから」


「左様か。では、その様に頼むぞ」


「はい。承知しました」


「うむ。それでは、手解きを始める。まずは「風聖道」の鍛錬からじゃな」


 そう言って、聖風王は背中に回していた手を、ゆっくりと正面に戻した。そのときには、聖風王の両手には可視化した風の塊が球状となって存在していた。


「よいか、「風聖道」とは、その名が示す通り、風を操る武術──ではない。風を操るのではなく、そなた自身が風となるじゃ。時に吹き抜け、時に暴れ狂う。大いなる風そのものになること。それが「風聖道」の理じゃ」


「風になる」


「そう、風になるのじゃ。そのすべてをこれからそなたに伝えよう」


 聖風王が両手の風の球を握りつぶす。握りつぶされた風は聖風王の体に巻き付き、その身をふわりと浮かせていた。


 体を宙に舞わせると、聖風王の目つきが鋭く変化する。底知れぬ恐怖がタマモに襲いかかるも、タマモは歯を食いしばって耐えた。


「ほっほっほ、いまのを耐えるか。さすがじゃ。それでこそ、神獣様の継嗣となる者よ。では、行くぞ、婿殿!」


 聖風王が前傾姿勢を取った。猛獣が飛び掛かってくるような体勢だった。その体勢のまま、聖風王は文字通りタマモに飛び掛かった。


 迫り来る風がまるで咆哮のように聞こえた。


 脚が震えそうになるも、タマモはあえてみずから飛び出した。


 その様に迫る聖風王は嬉しそうに笑っていた。


 こうしてタマモは聖風王による手解きを受けながら、試合までの日々を過ごすことになるのだった。

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