66話 英雄
「異世界」──。
聖風王が口にしたもの。
その言葉自体はなんら問題はない。
設定上はこの世界も異世界ではあるのだ。
その異世界に召喚された存在がタマモたちプレイヤーたちだ。
つまりは、この世界の住人にとっては、タマモたちも異世界の住人ということになる。
ゆえに、聖風王が「異世界」と口にしたところで問題はない。
だが、現状においては問題となっている。
いままでの設定はすべてゲームであればの話だ。
そう、タマモたちは「エターナルカイザーオンライン」というゲームのプレイヤーでしかない。実際に異世界に訪れているわけではなかった。
その前提がいまタマモの中では崩れ去っていた。
ただ、これが本当に現実であるのかどうかという確証がない状態でもある。確証はないのだが状況証拠はこれ以上とないほどに揃ってもいる。
タマモの隣で眠っているエリセという実例もいるし、本来ならログインできないはずの状態でログインしているという現状もそうであるし、なによりも目の前にいる聖風王が言い放った一言が、「VRMMO」という単語がより前提の崩壊の加速を招いていた。
そう、聖風王は「異世界」という単語のほかに、「VRMMO」という単語を口にしたのだ。
この世界において、プレイヤー以外が口にしないはずの言葉を、NPCである聖風王がはっきりと口にした。
「……いくつか聞きたいことがあります」
「なにかな?」
「……「VRMMO」という単語の意味を理解されておられるのですか?」
「うむ。「仮想現実大規模多人数同時参加型オランインゲーム」のことであろう?」
「正式名称を知っているんですね」
すらすらと「VRMMO」の正式名称を諳んじる聖風王。これに関してさしものタマモも諳んじえる自信はあまりない。むしろ、愛好者といえど、正式名称を間違えることなく諳んじることができる人はどれほどいるのだろうか、とまで考えて軸からずれているとタマモは思考の軌道修正を行った。
「一応、知っているというだけのことじゃがな。なにせ、具体的というか、現実に触ったことのないものじゃ。あくまでも名称を知っているだけであり、識っているというわけではない」
「……それは、そうですね」
この世界の技術を踏まえれば、仮想現実なんてものを実現できるわけがない。仮にできたとしても、何十、何百世代先のことであろう。それだけタマモたちの世界とは科学技術に差がある。
だが、この世界には魔法というものがある。タマモたちの世界にはない技術体系が存在しているのだ。
とはいえ、高度に発達した科学は魔法と変わらないという言葉もある。その言葉を踏まえれば、タマモたちの世界の科学もこの世界の住人から見れば、魔法そのものと言われるであろうことは間違いないかとタマモは思った。
「それで聞きたいこととはそれだけなのかの?」
「あ、いや、そういうわけではないです」
「そうか。では、なにかな?」
聖風王はしきりに頷きつつ、続きを促してくる。
とっさにまだあるとは言ったものの、タマモが一番聞きたかったことが先の質問であった。考えればというか、頭の中を整理すれば次の質問も出てくるだろうが、すぐには難しい。だが、促されている以上、聞きたいことを捻り出さねばなるまい。
だが、あまりにも衝撃的だったため、どうにも思考が鈍っているので、捻り出そうにもなにを聞くべきかがすぐには思い浮かばない。
が、まだあると言った手前、「やっぱりありません」ではさすがにカッコ悪い。
とはいえ、なにを聞けばいいのかもわからない。
どうしたものかと視線を彷徨わせた結果──。
「……根本的なことになってしまうんですけど」
「うむ」
「……エリセは、実在しているってことでいいんですよね?」
──すぐ隣で眠る愛おしい人のことを尋ねていた。
いままではデータだけの存在だと。
サービス終了すれば、もう二度と会うことの叶わない存在だと思っていた。
だが、もし本当にこの世界が現実であれば、本当に異世界であれば、仮にサービス終了となってもいつかはまた会えるかもしれない。
いや、いつかどころか、エリセと現実の姿で再会し、本当に結ばれることだってできるかもしれないのだ。
だからこそ、タマモは尋ねていた。
エリセは本当に実在する存在であるのかを。
聖風王はあごひげを撫でながら答えてくれた。
「うむ。相違ない。婿殿がこの世界を現実に存在すると思えば、我らは実在し続ける」
「ボクが?」
答えてくれたが、それはタマモが思っていたようなものではなかった。
タマモ次第だと聖風王には言われたのだ。
言われた意味がいまいち理解できず、タマモは自身を指差しながら再び尋ねる。聖風王は「うむ」と頷いた。
「我らはたしかに存在する。だが、婿殿たちから見れば、我らはゲーム内のキャラクターだったのであろう? 我が君からのお言葉がなければ、婿殿たちはこの世界をゲーム内世界としか思っておらんかったのであろう? つまりは我らが実在する存在がどうかの確たる証拠はいままでなにもなかったわけであるし、その確たる証拠もまだなにもないというわけだ」
「……それは」
否定できないことだった。
現にいまのいままでタマモはエリセや聖風王たちはNPCだと思っていた。虚構の世界の造られた存在だったとしか思っていなかったし、いまだってまだ半信半疑ではある。聖風王とのいまの会話も、イベントのひとつという可能性を否定することはまだできないのだ。
「仮に声高に我らが実在すると叫んだところで、婿殿以外は「よく造り込まれたイベントだなぁ」としか思わんであろう。仮に我が婿殿側であれば、おそらくは同じことを思ったであろうな」
「……」
「ゆえに我らが実在するという確証はなにもない。我が君──主神エルドの言葉がなければ、婿殿とて我らが実在するという考え自体持たなかったであろうしのぅ」
「……そう、ですね」
「しかし、それは逆に言えばじゃ。誰かが実在すると思えば、仮に虚構だったとしても、よくある作り話の中の存在だったとしても、実在しえる。信じる者の中では実在する存在となりうる」
「だから、ボク次第ですか?」
「うむ。婿殿がそう想い続けてくれれば、いつかはこの世界と婿殿の世界が繋がることもありうるであろう。人の情熱というものは、時にとんでもないことをしでかすからのぅ。なにせ、婿殿の世界では、魔法もなしに空を飛ぶ方法があるのであろう? それも数百人という規模で」
「飛行機のことですね」
「うむ。我が君に教えて戴いたことではあるが、飽くなき情熱により、人は空を飛び交うことができるようになったということではないか。であればじゃ。この世界と婿殿の世界を行き来できる方法とて、その飽くなき情熱があれば見つけられるのではないかの? まぁ、空を飛ぶこと以上にありえぬことと切り捨てられてしまうかも知れぬがのぅ」
あごひげを撫でながら聖風王は笑っていた。
いまの言葉を答えとしていいのかはよくわからなかった。
だが、聖風王の言葉はタマモにとって、ひとつの指針とはなってくれた。
「……もう怖がらなくてもいいんですかね」
「うむ。怖がらなくてもよい。いまのは例え話ではあったが、我やエリセたちは実在しておる。この世界もまた実在する世界じゃ。決して虚構の世界ではないと断言しよう」
聖風王ははっきりと頷いてくれた。
その言葉にタマモは「そう、ですか」と頷いた。
「さて、ほかに聞きたいことはあるのぅ?」
「……では、もうひとつ」
「おや? まだあるのか? もうそろそろ品切れかと思うておったが」
「……いまのお話を聞くまでは、思いつかなかったことですから」
「ふむ。そうなると、「なぜ、この世界と婿殿の世界がゲームという媒体を通して繋がっているのか」というところかの?」
「……ええ。いまのお話を聞いて、この世界が実在するのであれば、なんでゲーム内世界としてなのかなと思ったんです。ボクらの世界では、異世界転移っていうジャンルの物語が昔からあります。それらの物語では主人公となる人物が異世界に召喚されるか、偶発的な事故によって迷い込んでしまうというのが大筋なんです」
「ふむ。まぁ、この世界でもそういう存在は、時折現れていたゆえ理解できる」
「……御理解いただけているようなので、結論から言いますと、どうしてゲームという媒体なのかと思うんです。偶発的な事故で異世界人が召喚されるというのはまだわかるんですが、なんでそれをゲームという媒体を通して、それも数万人単位で呼び込む必要があるのか。それがボクにはわからないんです。普通に考えれば、ボクら異世界人の存在というのは、この世界にとっては劇薬そのものでしょうから」
この世界が本当に異世界であるのであれば、タマモたちプレイヤーを呼び込むということは、この世界の運営を考えれば劇薬となるのは当然のことであった。
古今東西の異世界転移の物語においても、たったひとりの異世界人の台頭により、それまでの世界の常識やあり方が一変するということは度々起こっていた。
もっとも、台頭せずに埋没するということもありえるが、分母が大きくなればなるほど、そのたったひとりが現れる可能性は飛躍的に高まることになる。
そのたったひとりの台頭で、それまでの常識やありようがすべて大きく変わってしまうというのは、よくある話ではあるのだ。
例えるなら、ひとつの池に外来生物が侵入したことにより、元の生態系が狂わされることというのは、自然界においてはよくある話であるのだ。
池と異世界ではスケールの差がありすぎることではあるが、イレギュラーの台頭という意味合いでは同じことである。
イレギュラーの存在というのは、それほどの影響力を持つものだ。
そのイレギュラーが数万単位、それも日に日に増加していくとなれば、この世界の運営という意味合いにおいては、劇薬どころの騒ぎでなくなるというのは当たり前のことだった。それでもなお、タマモたち異世界人という劇薬を、あえて数万単位呼び込む。その意図はなんなのか。
「理由は単純じゃよ、婿殿」
「単純、ですか?」
「うむ。たしかに婿殿たちの存在は劇薬である。それでもあえて呼び込むのは、分母が増えれば増えるほど、「英雄」になりうる存在を見つけやすいからである」
「英雄、ですか?」
「そうじゃ。我が君は、英雄を求めておられる。それも戦で活躍した局地的な英雄ではなく、本当の意味での英雄をな。一言で言えば、その身ひとつで世界を救える英雄を我が君は求められておるのじゃ」
「……なんで英雄を?」
「……とある世界を救って欲しいと思っておられるからじゃよ」
「とある、世界? こことは違う世界ってことですか?」
「うむ。「スカイスト」という世界でのぅ。我が君と盟友様が監督して創られた世界にして、滅びの運命にある世界でもある。その世界を救える存在を我が君は求めておいでなのじゃ」
聖風王はじっとタマモを見つめながら、「そして」と含むような言い方で告げた。
「──その英雄に一番近いのが婿殿、そなたなのじゃよ」
聖風王が告げた言葉に、タマモは唖然となったのだった。




