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64話 エルとの再会

 光だった。


 眩い光がタマモの視界一杯に広がっていた。


 目が眩みそうになりながら、タマモは目を細めた。


 それでもすでに残光があり、視界の中で大きく広がった黒い影がなくなるのをタマモは待ち続けることしかできなかった。


 やがて、光にもどうにか慣れて、残光も落ちついたところで、ようやくタマモは目の前の光景を見渡すことができた。


「……は?」


 目の前に広がっていたのは、見覚えのない部屋だった。


 エリセの実家の一室とは違う。かといって、現実の私室とも違う、四畳半くらいの和室。


 その和室の中央には小さなこたつとその天板の上にはミカンが置かれていた。そしてなによりもタマモを困惑させているのは──。


「……祝タマモさん童貞卒業」


 ──なんとも言えないことをでかでかと大きく書かれた横断幕の存在だった。


 あまりにもぶっ飛びすぎた内容に、タマモの目は点となっていた。


「……とりあえず、これ捨てますか」


 目を点としながらも、タマモはとりあえず目の前にある忌々しい横断幕を処分することに決めた。


 突っ込みたいところもあるが、わざわざ「祝」と書かれていることや色とりどりな飾りが施されているのがなんとも腹立たしいのだ。……内容としては決して間違いではないのも、また腹立たしいとタマモは手を伸ばしつつ、いつものように「五尾」を操作した。


「五尾」はいつものようにタマモの意思通りに動いた。横断幕をそれぞれの尾が掴み、引きずり下ろしていく。


 その光景を眺めながら、「やっぱりかぁ」とため息を吐くのと背後に人の気配がしたのは同時だった。


「あー、外しちゃうんですか、それ?」


 聞き覚えのある声を耳にして、また「やっぱりかぁ」と呟いてタマモが振り返ると、そこには見覚えのある女性が、急須と湯飲みを乗せたおぼんを手にした燕尾服の女性が立っていた。


 ご丁寧なことにおぼんは片手で持ち、逆側の腕にはトーション、いわゆるアームタオルを掛けているという、完璧な執事スタイルである。


 惜しむらくは、四畳半の部屋には燕尾服も執事も致命的なほどに合っていないということであろうか。


 だが、当の彼女はまるで気にしておらず、それどころか、タマモが外し終えた横断幕を見て「せっかく作ったのになぁ」と唇を尖らせていた。


 作ったということは手作りということ。悪いことをしたかなぁと一瞬思ってしまったタマモではあるが、よくよく考えてそれはないと思い至っていた。


「いや、せっかく作ったって言っても、データを流用すればいいだけですよね?」


「いやいや、デザインなどは私が手ずから考えましたよ?」


「それでもものの数分で終わる作業ですよね? たしかにあなたが作ったものだから手作りと言えなくもないでしょうけど、実際は片手間程度の作業ですよね?」


「……」


「そもそも、この内容自体どうかと思います。ボクが女性であることをちゃんと認識されています?」


「……」


「……おい、コラ。顔を背けるな」


「てへ」


 女性はウインクしながら、舌をぺろりと出した。それはこれ以上ないほどのテヘペロっぷりであった。そのあまりのテへペロっぷりにタマモの眉間に皺が寄っていく。


「まぁまぁまぁ、短気は損気とも言いますし、あまり怒るのはよくないですよ、タマモさん」


「それはやらかした側が言うセリフではないと思いますけど? エルプロデューサー」


 タマモを落ちつかせようと、どの口が言うのかというセリフをぶちまける女性ことプロデューサーのエル。そんなエルにタマモは大きなため息を吐いた。ため息を吐きながらも、「やらかしたのはボクも同じか」とも思っていた。


「それで、こんななんとも言えない横断幕は、ボクの最期の瞬間を少しでも華やかにしたいとか、そういうことですか?」


 言いながらも、「これを華やかと言っていいのか」と思ったタマモではあるが、エルの行動の理由はどう考えてもそれしかない。


 後はエルの裁定を待つしかタマモにはできることはない。


「はて? 最期とは?」


 だが、エルはなぜかとぼけたことを言った。


 なぜもなにも、タマモがやらかしたことは事実である。


 ゆえに、これ以上のこのゲームをプレイすることはできない。


 どう考えても垢バン案件であるのだ。


 よくても長期間のアカウント凍結処理がせいぜいであろう。


 それはつまり、武闘大会に参加できないということ。


 ようやく3回戦を超えて4回戦まで来られたというのに、優勝がようやく見えてきたというのに、道半ばで終わりを告げられた。


 いや、終わらせてしまったのだ。ほかならぬタマモがである。


「……エルさん」


「はい?」


「ボクはやっぱり垢バンですか? それとも長期間のアカウント凍結処理ですかね?」


 可能性が高いのは垢バン。次いでアカウント凍結処理。


 どちらにしろ、「フィオーレ」の快進撃はここで終了ということだ。


 だが、それでも、それでもあのエリセを放っておくことはタマモにはできなかった。


 まだほんの数ヶ月の付き合いでしかないが、それでもあんなに弱々しいエリセを見たことがタマモにはなかった。タマモの小さな腕の中でひとり泣きじゃくっていたエリセ。あのエリセを放っておくことはタマモにはどうしてもできなかったのだ。


 だが、それでもやりようはあったとタマモは思っていた。


 別に行き着くところまで行き着かなくても、方法はあったはずだ。


 場の雰囲気や普段の凛とした佇まいとのギャップがある姿にやられてしまったとはいえ、それでもエリセを慰める方法は他にもあったはずなのだ。


 だが、それらを選ばず、一番まずい方法を選んでしまった。


 あれではエリセを慰めるということにはならず、ただ辛い現実をわずかな時間だけ忘れさせるにしかならない。


 なによりも、もうゲームをプレイすることができないということは、エリセを悲しませてしまうということ。


 その場の流れに身を任せてしまったがゆえに、結局エリセを不幸にしてしまう選択をしてしまったのだ。


 行き着くところまで行き着いたことに関しては後悔はない。


 たとえ、データだけの存在だったとしても、タマモはエリセを愛している。


 ゆえにそうなったことに後悔はない。


 後悔はないが、未練はある。


 他に方法があったと。


 そうなってしまえば、いままでのすべてが台無しになるだけだとわかっていた。


 どう考えても、タマモの行動は浅慮としか言いようがない。そのことをタマモ自身痛いほどに理解していた。


 そう、理解しているが、それでもあの場はああするしかなかったとも思っている。


 時間を掛ければ別に方法はあったかもしれない。


 それでもタマモはああすることを選んだ。


 選んだことに後悔はない。


 ヒナギクとレンという仲間たちへの申し訳なさはある。


 ガルドたちとの再戦の約束を果たすことができなかった申し訳なさもある。


 だが、それ以上にエリセを放っておくことがタマモにはできなかった。だから、未練は様々にあれど、後悔はないのだ。


 後悔はないけれど、心苦しさはある。その一番の理由は、アンリを蘇らせてあげることができなかったということ。


 結局、タマモはエリセを選んだ。


 ひどい言い方をすれば、アンリを捨てたのだ。


 そのことは否定することはできない。後ろ指を差されても否定はできない。


 エリセを求めてしまった時点で、否定なんてできるわけがなかった。


 だが、結果的にエリセをより傷付けることになってしまった。


 そうなったことへの後悔はないけれど、もう二度とエリセと触れ合えない。それがタマモには堪らなく辛かった。


「……いろいろとご迷惑をおかけしましたね。本当に」


「いや、だから、なに言っているんですか?」


「……はい?」


 せめて最後くらいは誠心誠意込めて謝ろうとしたタマモだったが、エルの一言に呆気にとられてしまった。


 なにせエルは「なに言っているんだ、こいつ?」と言わんばかりの怪訝な顔でタマモを見やっていた。その表情からは、タマモの発言の意図が理解できていないというのがありありと読み取れた。


「……え、だって、ボクやらかしましたけど?」


「やらかし?」


「いや、だから、コレ! コレですよ、コレ!」


 タマモは自身が手にしている横断幕の卒業の部分を指差す。それを見て、エルは顎に手を当ててひとしきり考えた後、「あぁ」と手をぽんと叩くと──。


「いやぁ、すっかりと忘れていました。タマモさん、ご卒業おめでとうございます。いやぁ、なかなかのねっとり具合で──」


「そういうことじゃねぇぇぇぇぇ!」


 ──なんともずれたことを述べてくれた。


 その言葉にタマモは頭を抱えた。


 だが、エルは「はて?」と首を傾げるだけである。


「いや、だから、ボクはエリセに手を出したんですよ!? そんなことをすれば」


「ええ、そうですね。さすがに今回のことで彼女が身ごもることはないとは思いますが」


「だから、そうじゃないんだよぉ!?」


「はて?」


 エルはまたもや首を傾げた。


「こいつ、わざとやっているのか?」と言いたくなったタマモだが、あえてぐっと自分を抑え込んでタマモは続けた。


「……ゲームの規約にもあると思いますが、ボクがしたのはこの手のゲームにおいては禁止事項にあたることであって」


「そんな規約ありませんけど?」


「……は?」


「ですから、そんな規約はありません」


 ニコニコと笑いながらエルは言い切った。


 その言葉にタマモは唖然となった。


「いや、ちょっと待ってください。だって、この手の禁止事項はつきものでしょう? そもそも前回のときだって、あなたが」


「ええ。あのときはそう言いましたねぇ。ですが、実際にはそんな規約なんてないですよ? というか、あるわけないじゃん」


「……え?」


 いきなりエルの口調が崩れた。それまでの丁寧なものから、かなり気安いものにと代わったのだ。


 いきなりの変化に戸惑いを隠せないタマモ。だが、エルは大して気にすることもなく、タマモの横を通って、部屋の中央のこたつに手にしていたおぼんを置くと、こたつ布団をめくり、こたつの中に足を入れた。


「あー、いいねぇ。こたつってやっぱりいいなぁ」


 湯飲みのひとつを取り、急須の中身であるお茶を静かに注ぐエル。注ぎ終わった湯飲みを手にして、「あちち」とお約束のリアクションを取りながら、音を立ててお茶を啜っている。

「ん? いつまでも立っていないで掛けたら?」


「え? あ、はい」


 あまりにも想定しなかったエルの行動に、タマモは唖然としつつも言われるがままにこたつの一角に腰を下ろした。


 タマモが腰を下ろしたときには、エルはすでにミカンの山からひとつを手に取り、皮をきれいに剥いている最中だった。


「やっぱり、こたつにはミカンでしょう。空くんは、アイス一択って言うけどさぁ。悪かないけれど、物によってはこたつを汚すじゃん。洗濯する身にもなってよって言う話ですよ」


「まぁ、そう、ですね」


「でしょう? まったく、あの箱入り娘はこれだから。あの子のお母さんもなかなかの箱入りっぷりだったけれど、やっぱり血は争わないねぇ」


 しみじみと呟きつつ、エルはミカンの一房を口に放り込む。文句を言っているように見えるが、その表情はとても穏やかなものだった。


「……あの、エルさん」


「うん? ミカン欲しい?」


「いや、別にいらないです」


「そう? じゃあ、なにかな?」


「あの、ボクは本当に垢バンじゃないんですか?」


「あぁ、そのこと? うん、垢バンしないよ? というか、そもそもアカウントなんて存在しないし」


「……は?」


 またもや、とんでもないことをエルがぶちまけた。


 VRMMO、いや、ネット社会においてアカウントが存在しないなんてことはありえないことだ。


 そのありえないことを、エルは口にしたのだ。


 タマモが唖然となるのも無理からぬことである。


「いや、ちょっと待ってください。だって、ゲームですよ? なのにアカウントが存在しないなんて」


「うん。そうだね、ゲームであればアカウントは存在するね」


 エルは頷きながら、ミカンの一房を口に放り込む。あまりにも自然な一言に一瞬聞き間違いかと思ってしまったタマモだが、頭の中で反芻し、再び唖然となった。


「……ゲームであれば?」


「うん。ゲームであれば、アカウントは必要だね。そこは君の言うとおりだよ、タマモ、いや、玉森まりもさん」


 エルが頷くと同時に、「五尾」の感覚がなくなった。慌てて振り返ると、いつもすぐそばにあった「五尾」が消えてなくなっていた。いや、それどころか、装備が普段の寝間着にと代わっていた。


「これは、いったい」


 どういうことだとタマモが愕然としていると、目の前から含むような笑い声が聞こえてきた。エルのものであることは明らかなので、なにがおかしいのだろうと言い返そうとして、再びタマモは言葉を失った。


「……ぇ?」


 出たのは消え入るような小さな声だけだった。


 タマモの目の前にはエルがいた。エルがいるのだが、その姿はさきほどとは違っていた。


 燕尾服ではなく、白を基調にしたドレスを、ところどころに青の模様が入った白いドレスと金色のティアラを身につけたエルがその場にいたのだ。


「……エルさん?」


「うん、そうだよ。そしてようこそ、我が居城へ」


 エルが笑う。


 同時に、タマモの視界は一変する。


 四畳半の部屋はそのままだった。だが、その四畳半の部屋にそれまでなかった窓が現れ、その窓からは見慣れたアルトの街並みが見えた。それもアルトの代名詞とも言うべき時計塔よりもはるかに高い視点からである。


「……ここは」


「私のお城。普段はここから君たちがどういう風に過ごしているのかを確認しているんだ」


「運営部屋ってことですか?」


「まぁ、君たち風に言えばそうなるね。もっとも、ちょっと事情が異なるけど」


 ニコニコと笑うエル。


 その笑みがひどく怖かった。

 

 得体の知れないナニカがそこにいるようにタマモには感じられたのだ。


 そして、その直感は正しかった。


「改めまして。私はエル。君たちから見ればプロデューサーだけど、この世界においては創造神。主神のエルド。それが私だよ」


 エルはそう言って笑った。その笑みと言葉にタマモは頭の中が真っ白になるのを感じたのだった。

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