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62話 逆鱗と寵愛

 貴賓室に訪れたのは、家人だった。


 老人連中は、おもてなしの会場で待っているということで、会場までの案内を申しつけられた女性の妖狐だった。


 茶のおかわりをするために、お湯を沸かしている最中ではあったが、準備ができた以上は仕方がないとエリセはフブキに火を止めるようにと伝え、フブキはすぐに火を止めてエリセたちの元へと駆けてきた。


「では、案内を頼もうか」


「は、はい」


 フブキが合流してから、聖風王は家人の女性に案内を改めて頼むと、女性はひどく緊張した様子で頷くと、先頭を歩いて行く。その後をタマモたちはゆっくりと追い掛けた。


 会場までは成金趣味全開の廊下を再び歩くことになった。今回で二度目となるが、相変わらずのご立派な様相にタマモは大いに呆れた。それはタマモだけではなく、今回初訪問となるフブキでさえも同じだった。


 最初は唖然としながら、飾られている高級品に目を奪われていたものの、そのあまりにもな様相に疲れを見せ始め、最終的には呆れてしまっていた。


 当然、この屋敷が実家であるエリセや、おそらくは何度か足を運んだことがある聖風王はその呆れにも慣れてしまっているようで、これと言ったリアクションは見せていない。見せていないが、その目はとても冷たく、どうしようもないものを見ているかのようであった。


 そんな呆れるしかない廊下を進んでいると、エリセの表情が徐々に変化していることにタマモは気づいた。


「どうしたの?」


 タマモが尋ねると、エリセは「……嫌な予感がしたさかい」と呟くように言った。見れば、その顔はやけに強ばっていたし、手を握りしめていた。


 嫌な予感。


 エリセが口にした言葉の意味を、タマモが考えようとした。そのとき。案内役の家人の足が止まったのだ。


 その部屋は両開きの襖で仕切られていた。相応の広さがある部屋であることは間違いないだろう。


「会場はこちらに──」


 案内役の家人が襖に手を掛けようとした。だが、それよりも早くエリセは動いた。


「待って。ここが会場なん?」


 エリセは信じられないという顔で、家人に声を掛けた。家人は複雑そうな顔で「……はい、こちらにまりますえ」と言って顔を背けてしまう。


 その返答にエリセの髪が逆立っていく。


「なにを言うてるん? ここは母様の会場やろう?」


 髪を逆立てながらも、エリセは冷静さを保ちながら告げた。


 その一言に、タマモとフブキは言葉を失い、聖風王に至っては──。


「……我は来ない方がよかったかもしれぬのぅ」


 ──かえって自身を責めるように呟いていた。


 聖風王の言葉に、エリセは「そんなことは」と言うも、聖風王は「いいや、間違いではなかろうて」と深いため息を吐いた。


 とはいえ、聖風王の気持ちもわからないわけでもない。


 目の前の部屋はエリセの母の葬式が行われているはずの部屋だった。


 だが、あろうことかその部屋を老人連中は、聖風王のもてなしのための会場に仕立ててしまったのだ。


 葬式を行えるほどの広さの部屋がそういくつもあるわけでもない。ももとも冠婚葬祭用にあしらえた部屋なのだろう。そういう部屋であれば、聖風王のもてなしをするには相応しいというのもわかる。わかるのだが、葬式を行おうとしているのに、それをいきなり中止して、聖風王をもてなそうとするという思考そのものをタマモは理解することができない。


 これがエリセの母の葬式が終わり、まだその片付けがすべて済んでいないというのであれば、まだ理解できる。だが、今日はその葬式が行われる日。まだ葬式は終わっていないどころか、これから始まろうとしていたときなのだ。


 それを聖風王をもてなすためだけに、勝手に変えてしまったのだ。


 エリセの怒りも、聖風王の嘆きも当然である。故人を蔑ろにしているとしか言えない所業だった。それをなしたのが、赤の他人ではなく、同じ一族のものというのがよりタマモたちの感情を逆撫でする。


「……もしかしたら、一部を利用しているだけ、かもしれない」


 逆撫でされるも、「もしかしたら」という淡い希望をタマモは口にした。いくらなんでも同じ一族の葬式を、故人を蔑ろにすることはさすがにありえないだろうと思ったのだ。


 その言葉にエリセは「……そうやといおすけど」と表情を強ばらせたまま頷いた。表情を強ばらせつつも、エリセは自分自身を落ちつかせようとしているようだった。


 亡き母の前で暴挙に出るわけにはいかないという理性が、エリセを留めているのだろう。


「……なんか焦げ臭おす」


 すると、フブキが鼻を抑えて言った。


 フブキの言葉を聞いて、試しに嗅いでみると、タマモの鼻はなにかの焦げる臭いを感じ取った。それも肉の焼けるような臭いである。


「……まさか」


 その臭いはタマモとフブキだけではなく、エリセと聖風王も嗅ぎ取れたようだ。その臭いに聖風王は襖の向こうへと目を向けた。その視線にタマモは「まさか」と呟いた。


 いくらなんでもありえない。


 そう思いつつ、タマモは家人の代わりに襖を開いた。


 襖を開いた先は、色とりどりに装飾された部屋が、とてもではないが葬式を行おうとしているとは思えないほどに、浮かれきった部屋だった。


 その部屋の中では、老人連中が一斉に平伏し、聖風王という貴人への敬意を全身から現していた。


「ようこそ、おいでなさいました。聖風王様」


 老人たちのひとりが言うと、他の老人たちが声を揃えて同じことを口にする。完全に揃った声は、まるで前々から練習していたかと思うほどに息の揃ったものだった。


「突然のご来訪ゆえ、できる限りのものをお揃えしました。山海の珍味とまでは申しませぬが、それなりのものをご用意いたしましたゆえ、どうかごゆるりとご滞在くださいませ」


 再び件の老人が告げると、他の老人たちも復唱していく。聖風王の地位を考えれば、相応の対応と言えなくもない。


 だが、問題なのはここがもともとは聖風王をもてなすための部屋ではなかったということ。そしてなによりも、もともとのこの部屋が使われるはずだった主役とも言える存在がどこを見てもないということだった。


 それでも、それでもタマモは「まさかな」と思った。さすがにそこまではしないと思いたかった。


 だが、その思いを否定するように、さきほど感じ取った焦げ臭さがより強くなった。正確には部屋の中よりも、部屋の外から、タマモたちの対面側の襖の先からその臭いは嗅ぎ取れた。


 エリセは呆然としながら、部屋の中を眺め回す。


 だが、どれだけ眺めてもエリセの探すものはない。エリセの母であるエリスの遺体が納められた棺がどこにもないのだ。


「……その方」


「は、なにかございましたか?」


「なにかではない。この部屋はもともとエリセの母君を弔うために使われるはずだったと聞く。その部屋がこのような状況になっていることは、一万歩譲ってよしとしよう。だが、肝心の棺はどこにある?」


 聖風王の雰囲気が徐々に剣呑なものへと変化していく。


 だが、そのことに老人たちは気づいていないようだった。相変わらず平伏したままであり、聖風王の表情がどういうものになっているのかを見ていないのだ。


 だからこそなのだろう。老人たちは、みずから逆鱗に触れてしまった。


「ああ。あの棺でしたらすでに処分しました」


「……なに?」


「もともとは、あれの葬式のために仕方なしに使う予定でございましたが、聖風王様のご来訪とあれば、予定変更はやむなしでありましょう。しかし、亡骸なぞを保管しては聖風王様のご不興を買うだけと思いましたゆえ、処分は当然かと──」


 つらつらと老人は告げる。まるで聖風王のためにと言わんばかりの内容であった。その言葉を聞いて、エリセはすぐさま対面の襖へと駆け寄り、勢いよく開いた。襖の先の庭では火に掛けられた棺が置かれていた。その棺の中身がなんであるのかなんて考えるまでもない。


「母様ぁ!」


 エリセが叫ぶ。叫びながら、棺に向かおうとするエリセ。だが、棺は轟々とした炎に包まれており、エリセの力でもすぐに鎮火はできそうにない。


「エリセ、退いて!」


 タマモは叫びながら、右手に「五尾」を巻き付かせた。全力で振るえば、鎮火どころか棺を破壊しかねない。タマモはギリギリまで加減しながら「氷嵐破」を放ち、燃え盛っていた炎を消す。


 同時にタマモはフブキを連れてエリセの元へと向かった。エリセは鎮火した棺へと向かい、その封を解いた。


「……ははさま」


 棺の中は体の半分が焼けただれたエリスの亡骸があった。エリセと同じ美しい顔は、その半分が火傷に覆われてしまっていて、生前の面影はほぼ失われている。だが、わずかに火傷から逃れた部分は、いまだ美しい。どれほどまでに焼けただれてもなおエリスはエリセと同じく美しかった。


 そんな亡き母をエリセは泣きながら抱きしめた。フブキはどうすればいいのかわからないのか、それでもどうにかエリセに縋るようにして抱きついていた。それでもエリセの涙は止まらないでいる。


 その姿にタマモの理性は消し飛んでいた。


「……貴様ら」


 低く唸るタマモ。

 

 唸るとともに、周囲の小石が宙を舞い始めた。


 怒りがタマモを包み込んでいた。


 その怒りを老人たちにぶつけるために、タマモが振り返ると──。


「……え?」


 ──老人たちは全員が顔を真っ赤にして喉を掻きむしらせながら、部屋の中で転がっていた。


 想像すらしていなかった光景に、タマモは唖然となった。


「……そなたが手を汚すことはない。この愚者どもの血でその手を穢すことは我が許さぬ」


 そんなタマモの耳に届いたのは、聖風王の声だった。


 聖風王はさきほどとなんら変わらない場所で佇んでいた。


 だが、その雰囲気も、その顔もまるで異なっていた。


 好々爺とした顔は、憤怒に染まり、穏やかな光を灯していた瞳は、縦に裂けて一切の熱を感じさせない。そしてその雰囲気は、少し前までエリセと行っていた漫才のようなやり取りは幻だったのではないかと思うほどに冷徹なものだった。


 絶対強者。いまの聖風王を見てタマモが抱いたのはその言葉だけだった。


「エリセとシオン以外は、エリスの血を引かぬ者以外はすべて自身が愚者であるということに気づいておらぬどころか、自分たちの行いこそが一族の繁栄を阻んでいるということにも気づいていない。わかりきっているがゆえに、あえて言ってはこなかったが、もうよい。はっきりと言ってやろう」


 聖風王は淡々とした様子で、老人たちを見下していた。熱を感じられない瞳のまま、転がり続ける老人たちを見下ろしながら、はっきりと告げた。


「貴様ら一族は存在する意味がない。なにが里長の一族よ。笑わせるでない。年々不出来になっていく能無しどもがなにを思い上がっている? 里長の一族で認められるのはそこにいるエリセとその弟のシオンのみよ。……先日まではそこのエリスも認めることはできたが、すでにこの世になし。一族の中で我が寵愛を授けられるのはエリセとシオンふたりだけぞ。ゆえに貴様らに歓待などされても不愉快なだけだ」


 聖風王がその身を宙に浮かし、老人たちの頭上を通って、エリセの元へと降り立った。エリセの腕の中で変わり果てた姿になったエリスの姿に、聖風王は悲しげに表情を歪ませていく。


「……やはり、こうなる前にエリセとシオン、そしてエリスを除いた一族すべてを滅ぼしておくべきだったかのぅ。死してもなお輝かしい美貌を損なわせるなど、万死に値する。とはいえ、もう数分というところであろうがのう?」


 聖風王の口元が妖しく歪んだ。その変化にタマモは背筋が逆立つのを感じ取った。


「貴様らには慈悲など掛けぬ。かといって穢らわしい絶命の声を上げさせもせぬ。声なきまま死せよ。それでもって許しとしよう」


 聖風王が笑う。かんらかんら、といままで通りの笑い声を上げる。だが、その笑い声は少し前までとはまるで違っていた。なにもかもが異なっていた。


 そんな聖風王の笑い声と共に、老人たちの顔色が紫色にと変化した、そのとき。


「……もうええどす」


 エリセがぽつりと呟いた。


 その言葉に聖風王は反応を見せる。


「なぜだ?」


「……そいつらを殺したところで意味はあらへんどす。そないな奴らの血で母様の墓前を汚したないんどす」


「……道理ではある。だが、よいのか?」


「……はい。ただし」


「なんだ?」


「里長の母の亡骸を蔑ろにしたうえに、勝手に処分しようとした。その責は取らせる」


「そうだな。で、どうする?」


「永久追放でいかがどすか? それも知り人はおらんと、その連中ではどうあっても抗えん魔物の住処の近くに」


「ふむ。悪くないのぅ。だが、どうせならば」


 にやりと口元を歪めて聖風王が手をあげる。すると、たちまち老人たちの顔や手足に的のような痣らしきものが浮かび上がっていく。その痣がその場の老人たち全員に刻み込まれたのを確認すると、聖風王は告げた。


「魔物寄せの刻印を刻んでやった。その刻印は我が許しがなければ、決して消えぬ。その刻印を刻み込んだまま、再び我が前に現れることができたのであれば、その罪は許してやろう。では、達者でのぅ」


 聖風王が指を鳴らすと、老人たちの足元に魔法陣が浮かび上がり、その魔法陣に吸い込まれるようにして、老人たちの姿はひとりまたひとりと消え去り、タマモたちと聖風王以外の全員がその場から消え去った。


「処分完了じゃ。連中は相性最悪の雷系の魔竜の素の近くに送ってやった。近くの街までは七日七晩歩き通せばたどり着けるじゃろう。まぁ、その前に襲撃を受けるであろうがのぅ」


 にやりと笑う聖風王。


 その表情とその所業に、かつて焦炎王が言っていたことをタマモは思いだした。


「最強の竜王、ですか」


 焦炎王ですら足元にも及ばぬ実力者。


 その片鱗ですら、いまのタマモでは抗いようはない。


 その聖風王の逆鱗に触れてしまった老人たち。


 生きて戻ることはないだろう。


 同情心は多少芽生えはすれど、大半は自業自得としか思えなかった。


「……さて、エリスの治療をしよう。そのままではあまりにも哀れすぎる」


 老人たちへの所業とは違い、炎に焼かれたエリスの亡骸に聖風王は心を痛めているようだった。


 聖風王の申し出にエリセは「お願いします」と泣きながら頼んでいた。その願いに聖風王はふたつ返事で頷いていた。


 亡骸を治療。


 普通に考えれば意味はない。


 それでも、いまこの場においては意味はあった。


 暖かな風が場を包み込んでいくのを感じながら、タマモはそっとエリセの肩を抱いた。それくらしかできることのない自身に憤りと悔しさを感じながらも、泣きじゃくるエリセを抱きしめ続けた。

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