33話 熱意と特訓と
一時間遅れてしまった←汗
正面にレンが立っていた。その隣にはヒナギクもいる、はずだ。
レンと距離を取って立っているからか、ヒナギクの姿を確認することができない。レンは構えたまま動かない。しかし視線を逸らすわけにはいかない。
視線を逸らせればすぐにレンが踏み込んでくる。だが視線で動きを制したままでは、ヒナギクに裏を掛かれてしまう。
(ヒナギクさんは、いまどこにいるんでしょう?)
いまだにヒナギクがレンのそばにいるとは限らない。走れば音は聞こえる。しかしゆっくりと距離を取られるとタマモにはどうすることもできなくなってしまう。
普段のままであれば、動き出しの音くらいは聞こえるし、視界の端でもその動きをわずかに捉えることはできる。
だが、現状ではそれができない。なにせ視界がほとんど塞がれていた。
まともに見えるのは正面だけであり、上下は首を上か下かに傾ければ見える。
しかしそうすると傾けなかった側は見えなくなるし、もともと見えていた正面もだいぶ塞がれる。左右に至っては絶望的だ。
それでもタマモは必死になって視界の確保に勤しんでいた。
(うぅ、せめて耳がまともに聞こえればいいのにぃ)
「金毛の妖狐」がタマモの種族であるが、獣人の一種であることには変わりない。そのため通常のヒューマンよりもはるかに聴覚は優れていた。その聴覚もフルフェイスの兜を装着していることでまともに機能してくれていない。それどころか地味に痛い。
(せめて、耳を出させてほしいのですよ。そうすればいまよりかはだいぶましに)
「はい、タッチ」
「あ」
不満を内心でこぼしていると、兜の上部から軽やかな音が聞こえた。次いで覗き込むような体勢になっているヒナギクと目が合った。
「ふふふ、タマちゃんの負けだねぇ」
ニコニコと笑うヒナギクと同じように笑うレン。今回もふたりの手玉に取られる形で負けてしまったようだった。
「あぅ、やっぱり負けたのですぅ」
その場に両足を開く形、いわゆる女の子座りをしながらため息を吐くタマモ。そんなタマモにヒナギクとレンは苦笑いしていた。
「いやいや、わりと悪くなかったと思うよ? なぁ、ヒナギク」
「うん。私とレンが単独で相手をしていたときのことがしっかりと活かされているのがわかったもの」
「ボクはただ動きを確認しようとしていただけで」
「それが大事なんだよ、タマちゃん」
「どんなに強い人でも相手の動きがわからなかったら、対処しかねることもあるからね。完全に格下相手だったとしても、相手の動きを見切っていなかったら怪我を負うことだってある。どんなに強くても人間だからね。人間であれば、絶対に痛みはあるし、打たれ続けていたら倒れるんだ。それはどんな人間でも変わらない。超人なんてものは早々いないものだよ」
「だから相手の動きを確認しようとするのは大事なこと。できれば相手の動きを見切れればそれが一番いいんだけど、さすがにそこまではまだ無理だから、相手の動きを確認できるようになれればいいよ」
「ならこれを外したいのですよ」
タマモは頭に装備している兜に触れた。
ふたりの言う通りであれば、この兜は完全にふたりの言う「相手の動きを確認する」という行為の妨げにしかならない。
なにせ視界どころか聴覚さえもほぼ封じられているようなものだった。聞こえないわけではないが、聞きとるまでにわずかなラグがあるし、兜の中で音が反響しているようで、ひどくわかりづらくなっていた。
「それはダメだな」
「うん。せめて一週間は付けていてほしいな」
「一週間って」
この兜を装備するようになってすでに三日が経っていた。
初日は目も見えなければ耳も聞こえない状況においやられたばかりだったため、まともに歩くこともままならなかった。
いまはわずかな距離であれば走ることはできるし、まともに歩くこともできるようにはなった。とはいえ、まだ装備している状況に慣れてはいないのだが。
「おーい、タマモちゃーん」
不意にデントの声が聞こえてきた。体を大きく動かして声の聞こえてきた方を見やると、いつものように手を振るデントの姿があった。
「あ、デントさん。おはようございます」
「おう、おはよう。ヒナギクちゃんとレンくんもおはような」
「おはようございます、デントさん」
「おはよう、デントさん」
小川を渡ってくるデントにヒナギクとレンもいつものように挨拶を交わしていた。
当初は債権者ないしその取り巻きと思いデントに対して攻撃的だったヒナギクたちも、いまやすっかりとデントと挨拶を交わし合う仲になっていた。
傍から見ると早くに子供を作った若夫婦とその近所に住む気のいいおじさんという風に見えると言うのが、農業ギルドに所属するファーマーたちの総意であることを四人は知らない。
「今日も性が出ていたなぁ。タマモちゃんの兜姿は最初ワ○オかと思ったけれど、いまは別に普通になったなぁ」
あはははと笑うデントになんと言っていいのかわからないタマモ。
思い当たる節がないため、よくわからないのだ。それは一緒に笑うヒナギクとレンも同じである。
微妙なところでのジェネレーションギャップを感じる瞬間であった。
「まぁ、それはいいか。じゃタマモちゃん。いつものを」
「あ、はい。こちらです。お納めくださいです」
「はいよ。ふんふん。うん、問題ないなぁ。今日もありがとうな、タマモちゃん」
「いえいえ、こちらこそです。姐さんにはよろしくお伝えください」
「あいよ。あ、そうだ」
「はい?」
「姐さんからの伝言があったんだ」
「姐さんから?」
「んだ。内容は「例の装備の件だけど、「武闘大会」までには間に合いそうにない。ごめんなさい」だそうだよ」
「そうですか。承知しましたとお伝えください」
「例の装備」というのは「生産板」でお祝いされたときに言っていた「装備を作ってあげる」ということだろう。
「武闘大会」までに間に合わせてほしいとは頼んでいないし、そもそも依頼として出してもいないのだ。あくまでも口約束のようなものであり、証文もなければ言質も取ったわけでもない。
だから作ってくれていなくてもタマモとしては問題ないのだが、タマモに関しては異様なほどの熱意を傾ける姐さんこと「通りすがりの紡績職人」としては看過できないことだったのだろう。
(本当に律儀ですね、姐さんは)
会ったことがないのでどういう人なのかはわからない。しかしとても優しい人であることはわかっているし、会ったことがなくてもタマモは「通りすがりの紡績職人」を好意的に思っている。
「ん。了解だ。ちゃんと姐さんに伝えておくだよ」
「あ、あと無理してボクの装備を作らなくてもいいともお伝えください」
「あー、それは言っても無駄だと思うけれど、まぁ、一応了解だよ」
デントは苦笑いしながら受け取った絹糸をインベントリにしまうと来た道を戻って行った。その後ろ姿が見えなくなるまで手を振った。
「さて、続きと行こうか」
「あと四日頑張ってね」
「は、はいぃ」
ヒナギクとレンのひと言により現実に戻らされてしまうタマモ。
いじめを受けているわけではないし、意地悪をされているわけでもない。
どういう意図があるのかはいまいちわからないが、ふたりの特訓をあと四日この状態で耐えてみようと思うタマモだった。




