51話 蒼天のような者
「──マスター、すみませんでした!」
「フィオーレ」との試合を終えた「ザ・ジャスティス」の面々は、揃って控え室に戻った。
気絶していたスコット、シオン、グランの3名と戦意喪失して戦線を離脱したエスパーダの4人が一斉にナデシコにと頭を下げたのだ。
いきなりの謝罪に面を喰らうナデシコ。
だが、4人はナデシコの反応を見ることなく、各々に敗戦の弁を告げていく。
「まったく歯が立ちませんでした」
と言ったのはシオンと組んでレンと対峙していたスコット。相方であるシオンも悔しそうに顔を歪めていた。
対「フィオーレ」戦で、真っ先に戦闘不能においやられた負い目があるのだろう。
それはシオンがやられるのを見ていることしかできなかったスコットもまた同じであるようだ。いや、シオン以上にスコットは負い目を感じているようだった。
「レンさん、彼が速度特化の剣士であることはわかっていました。だから、対策として逃げられる空間を潰すことを前提とした攻撃を仕掛けました」
「だけど、彼は俺らの想定を超えていました。もっと大きく逃げると思っていたのに、彼は体をわずかに捻る程度で俺らの攻撃をすべて回避していました」
「そのせいで焦ってしまいました。焦ったせいで、雑な連携を取ってしまった。その隙を見事に突かれました。申し訳ないです!」
「すみませんでした、マスター!」
スコットとシオンが揃って頭を下げた。
タマモとの対峙で手一杯だったこともあり、他の戦線がどうなっているのかまではわからなかったナデシコだったが、スコットたちの話を聞いて、完全に手玉に取られてしまっていたのだというのがわかった。
「……エスパーダ」
「……はい」
「そちらは、どうだった、のです?」
レンにはスコットとシオン。そしてヒナギクには経験豊富なエスパーダとまだ新人から抜け出せていないグランのふたりで対峙してもらっていた。まだ経験の浅いグランのフォローをエスパーダには頼んでいた。
だからこそ、ナデシコはエスパーダに声を掛けたのだ。だが、エスパーダに声を掛けたところで、ナデシコは自身の目を疑うような光景を目にした。
なぜなら、エスパーダは泣いていたのだ。悔しそうに歯を噛み締めながら泣いていた。エスパーダが泣くところなんて初めて見たナデシコは、唖然となりながらも最後まで言葉を紡いだ。
その問いかけにエスパーダは、両拳を強く握りしめながら告げた。
「……グランは勇敢に立ち向かいました。あの化け物みてえな女を相手に、勇気を振り絞って戦い、そして負けました」
「エスパーダさん、それは俺だけじゃなくて、エスパーダさんも」
「いいや、おまえだけだ。おまえだけが勇敢に立ち向かった。だけど、俺は、俺はぁ!」
エスパーダの言葉にグランがフォローするように言うも、エスパーダは頭を掻きむしって、最終的には泣き崩れた。何度も何度も床を叩きながら泣きじゃくるエスパーダ。その姿を見て、ナデシコはエスパーダになにがあったのかと疑問を抱いた。
その疑問に答えたのは、エスパーダと組んでいたグランであった。
「……俺も詳しいことはわかりません。ただ、ログや掲示板を見ると、エスパーダさんは俺が気絶した後、その、場外にみずから降りたそうです」
グランは言葉を選びながら、収集した情報を口にする。その様子はあからさまなものだった。それでもグランなりにエスパーダをフォローしようとしているのが覗えた。
「……エスパーダ。もしかして、あなたは逃げた、のですか? オルタの一番弟子であるあなたが?」
エスパーダは同じ槍使いである「神槍」のオルタの一番弟子だった。オルタ曰く、リアルでも実の兄弟同然に育ち、お互いに切磋琢磨してきたということだった。そのエスパーダがみずから戦線を放棄する。ナデシコにとっては少なくない衝撃を受けることだった。
だからこそ、言葉を選ばずに事実を確認してしまった。その言葉にエスパーダは泣きじゃくりながら「はい」と頷いた。
「……初めて、だった。アッシリアの姐さんやあの銀髪の悪魔と対峙したときも怖じ気づいてしまった。でも、あんなに怖いと思ったのは初めてだった。だって、攻撃を避けているのに、風が体を打つんだ。それも素手での攻撃でだ。当たったらヤバいとわかっていたけれど、グランが攻撃を喰らって倒れたのを見たら、思っていた以上だってわかってしまった」
「……それで?」
エスパーダの語りを聞きながら、「なんだ、それは」と愕然とするナデシコ。攻撃によって生じる風というものはある。それは現実世界でも起こることだし、この世界であればより顕著に表れる。
だが、それでも素手での攻撃によって生じる風が体を打つなんて言われても、すぐには信じられない。だが、エスパーダの姿を見る限りは真実であることは間違いない。だが、それでも信じられないとどうしても思ってしまった。
「……自分でも初めてでした。グランがやられるのを見て、いままで味わったことのない恐怖が全身を駆け巡ったんです。気づいたときには、背を向けて逃げていました」
淡々と自身の末路を口にするエスパーダ。エスパーダはこのチームにおける切り込み隊長のような存在だったし、PKKクランの「ザ・ジャスティス」全体を通してみても、兄貴分であるオルタとともに切り込み役の双璧を担っている。
そのエスパーダが恐怖に支配され、我を忘れて敵前逃亡する。事実を聞いてもなお、ナデシコには「まさか」としか思えない。エスパーダがどれほど勇敢であるのかは、オルタとともに戦場を駆ける姿を見てよく知っているのだ。
そのエスパーダの心を折った。
いったいどんな戦闘だったのだろうと、ナデシコが思った、そのとき。
「……うわぁ。これは」
「……いや、無理ねえよ。これは」
先に報告を終えていたスコットとシオンが、動画を見ていた。どうやら掲示板で動画を探して確認したようだった。その感想は「無理もない」というもの。
ふたりからどの掲示板のものなのかを教えて貰い、ナデシコも確認してみることにした。そうして確認した動画を見た感想は、スコットたちと同じものである。
「拳風が離れた場所からでも届く、か。なんですか、このチートじみた光景は」
動画を見て、真っ先に思ったのは、「ありえない」というものだった。
いくらゲーム内世界とはいえ、こんなチートじみた攻撃を延々と放たれ続けていたうえに、相方のやられ方を見てしまえば、どれほど勇敢な者であろうと逃げ出してしまうのも当然と言える。
実際、動画の投稿者も「……気の毒すぎ」と言っているし、その投稿者相手にレスする者もほぼ全員がエスパーダの擁護に回っていた。中にはエスパーダに狩られたであろうPKもいたが、「……いくら因縁の相手とは言え、あれは同情する」と苦渋に満ちたコメントをしてもいた。
結果だけを見れば、エスパーダは臆病者の誹りを受けても仕方がない行動を取った。だが、過程を含めると「……よく頑張ったよ」としか言えなくなる。
ナデシコも「むしろ、よく耐えた」としか思えない。エスパーダを罵ろうなんて欠片も思えない。
むしろ、エスパーダだからこそ、あれほど耐えられたのだと誇らしく思うほどだ。
だが、当のエスパーダにとっては敵前逃亡した臆病者としか思えないことだろう。
フォローすることもケアすることもできるが、いますぐには効果は現れないだろう。酷な言い方だが、当分の間、エスパーダは使い物にならないことは間違いなさそうだ。
いや、エスパーダだけじゃない。
ほかの3人もそれぞれに心に傷を負わされてしまっている。エスパーダは特に深く、トラウマになる可能性さえあるほどだ。
だが、それも無理もない。
前回「三空」相手に完膚なきほどに叩きのめされてしまったが、今回はそれ以上の衝撃だった。
エスパーダのようにトラウマとなることまではないだろうが、それでも浅くない傷を心に負わされたことは間違いない。
「……さすがは、としか言いようがないですね」
燦々たる結果にナデシコはため息を吐いた。
4人を責めるつもりはまったくない。
むしろ、責められるべきであるのは自分自身だろうとナデシコは思っていた。だからこそ、ナデシコは静かに4人に向かって頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。皆がそれぞれに奮闘してくれたというのに、その奮闘に勝利という花を添えることができませんでした」
ナデシコの謝罪に4人は弾かれたように顔を上げると、それぞれに「そんなことはない」と言ってくれた。
だが、どれほどに言葉を重ねられてもナデシコの自尊心は大いに傷ついていた。
格下と侮っていたつもりはない。
だが、ゲームシステムへの慣れと戦闘における経験の差。一日の長を握っているという自負があっただけに、その自負をあっさりと乗り越えられてしまった。その事実がナデシコの自尊心を傷付けていた。
たしかに全力を出し尽くすことはできた。
だが、それでもまるで通用していなかった。
すべてを見切られてしまっていた。
幼い頃から磨き続けてきたすべてが、まるで通じなかった。
その事実がナデシコを打ち据えていた。
(これが、神威流宗家に敗れるということですか)
神威流。
古くから伝わる古流武術だが、ひとりの天才──天下無双とまで謳われた鈴木剛毅が現れたことにより、最盛期と言われるほどに流派は拡大した。
その際に勃興したのがナデシコの流派であり、宗家から見れば分派の分派筋となる神威弓馬流兵法術だった。神威流は分かれるたびに、流派名が長くなっていくという特徴があり、ナデシコの流派は神威弓馬流からさらに分かれた流派であり、初代である祖父から数え、ナデシコでもまだ3代目と比較的に若い流派だった。
それでも神威流の一派であるという自負がナデシコの流派にはある。だが、同じ一派でも宗家と分派の分派では大きな差があったという、忸怩たる思いが沸き起こる。
神威流宗家。本来なら宗家も付けずに神威流だけで、宗家の者であることは関係者にはわかる。だが、対外的にもわかりやすくするためにあえて「宗家」と名乗ることも少なくはない。
そんな宗家だが、その実力は分派とは比べようもない。特に差があるのは戦い敗れた者の心境にある。
宗家に敗れた者は、ほぼ間違いなく打ち据えられる。自尊心をこれ以上となく傷付けられた結果、武術家として二度と立てなくなるものも過去には何人も出たほど。
その傾向は、武術家として鍛えた者ほど顕著となる。ナデシコもまた「いままでの鍛錬はなんだったのか」と思わずにはいられないほどに傷ついていた。
タマモには「これでまた強くなれる」と言ったが、それでも心に負った傷の深さは目を覆いたくなるほどだ。
(おじいさまには「宗家の者とは決して戦うな」と言われていましたが、こういうことでしたか。これはたしかに、戦わないほうが賢明でしたね)
自身とチームメンバーのありようを見れば、祖父の言葉の真意にようやく気づけた。
だが、もう遅い。
遅すぎる自覚だった。
チームメンバーのほとんどが心が折れそうになっている。それはナデシコもまた同じであり、このままゲームを引退してもいいのではないかと思えるほどだった。そう思うほどの敗戦だった。
(あとはオルタたちに任せて、私は)
このまま引退するべきだろうとナデシコが思った、そのとき。
「入室許可の申請が届きました」
不意にポップアップがあった。見れば、控え室への入室許可の申請だった。申請者はタマモとある。
いきなりのことに唖然となりつつも、ナデシコはつい許可を選んでしまう。それからすぐに控え室内にタマモが入室してきた。
敗戦の弁を述べている際に、件の相手が入室してくる。想像だにしていなかった状況にナデシコ以外の4人が目を丸くする中、当のタマモは「失礼します」と頭を下げながら入室すると──。
「今回はありがとうございました」
──ナデシコたちに向かって頭を下げたのだ。
思いもしなかったタマモの行動に「え?」と言葉を失うナデシコたち。
だが、タマモはその様子に気づくことなく、淡々と言葉を続ける。
「全力でこちらもぶつからせていただきました。おかげでボクらもまた強くなれた気がします。これでまた目標に近づけたのです」
「……目標、ですか?」
「ええ。優勝する。それがボクらの目標ですから」
タマモははっきりと優勝すると告げた。
つまり、あの「三空」相手にも勝つと言い切ったのだ。
そのあまりにもまっすぐすぎる言葉に、言葉を失うナデシコたち。
だが、誰かが「相手には「三空」もいますけど」と告げると、タマモは「それでもです」と言ったのだ。
「ボクらには勝たなきゃいけない理由があります。だから、勝ちます。最後まで勝ち続ける。そのためにボクらはいまここにいる」
タマモは告げた。その目に強い意志を宿らせながら。
その瞳を見て、いや、その姿を見て、ナデシコは眩しいと思った。
同時に、「これでいいのだろうか」ともナデシコは思った。
たしかに負けた。
すべてを出し切ったが、なにも通用しないという形でだ。
このままなにも通用しなかったままで終わっていいのかと思ったのだ。
それはナデシコだけではなく、ほかの4人も同じだったのか、まるで抜け殻のようだった表情に、がらんどうとした瞳に、表情と光が点っていく。
「今後もまた皆さんと戦うことはあるでしょう。ボクらは今回はどうしても優勝したいですけど、次はそうとは限りません。でも、うちにはバトルジャンキーな人がいるので、また武闘大会には出ると思います。そのとき、また皆さんとぶつかることもあるでしょう」
「……そう、ですか。では、次も」
「ええ。次も負けるつもりはないです。でも、それは皆さんも同じですよね?」
タマモのまっすぐな問いかけ。
折れかけていたはずのナデシコは、なぜか「当たり前です」と答えていた。
みずからの発した言葉に愕然となりつつも、ナデシコは続けた。続けていた。
「今回は勝ちを譲りました。ですが、次は勝たせていただきます。同じ相手に連敗を喫するなどPKKとして名折れですからね」
「そうですか。そう来なくちゃです。でも、そのときは簡単に負けません」
「……ふふふ、そうですか。では、次はこちらが圧勝させていただきますよ」
「これは怖いですねぇ。でも、そのときは」
「ええ。よろしくお願いしますね」
タマモがすっと手を伸ばしてくる。その手を握りながらナデシコは笑った。
折れかけていたはずだったのに、その折れかけていた心はいつのまにか、元に戻っていた。いや、元以上に強靱となっている。
不思議だと思っていたとき、ふいにかつての祖父が告げた言葉が蘇る。
「宗家の者と戦うな」という言葉のさらに先の言葉を。
「矛盾することを言うが、いつかは宗家の者と戦うといい。そのとき、頭を垂れて死するか、それとも顔をあげて立ち上がるかはおまえたち次第になるが、それでもいつかは戦ってみよ。そして知るのだ。あの蒼天のような者たちをな」
祖父は遠くを見つめながら、どこか懐かしそうに語っていた。
その言葉の意味は当時はわからなかった。
だが、いまならわかる気がした。
「……こういうこと、ですか。おじいさま」
「え?」
「なんでもありません。さぁ、そろそろ観客席に参りましょうか。次の試合もとうに始まっていますし」
「そうですね。まだまだ勉強不足ですから、いろいろと教えてくださいますか?」
「ええ、もちろんです」
握っていた手を離しながら、ナデシコは笑う。
蒼天のような者たち。
その言葉をまさに体現したようなタマモ。
その姿を見つめながら、潰えたはずの炎が、再び心の中で点ったことを感じながらナデシコは心の底から笑ったのだった。




