50話 花と正義その5~終演~
小神箭──。
ナデシコが口にしたクラスチェンジ先。
その言葉の意味をタマモはなんとなく理解していた。
(……「箭」はたしか矢を意味するものでしたね。つまりは未熟なれど神の一矢を放つものってところですかね?)
言葉の意味をなんとなく理解するタマモ。同時に元ネタとなったであろうものもまた。
(「小李広」花栄ですか。あまりメジャーどころではない作品の登場人物を選ぶとか、このゲームの運営は本当にオタクですねぇ)
神箭と言われて、タマモが真っ先に思いついたのは、「水滸伝」の登場人物である「小李広」花栄だった。
梁山泊序列第九位に位置する「天英星」の生まれ変わりと称され、弓の名手とも謳われる人物。
その花栄の渾名には「小李広」──前漢の弓の名手である李広に由来するものの他に、優れた槍の使い手でもあったから「銀槍手」とそして「神箭将軍」というものもあった。
おそらくは、ナデシコが名乗ったクラスチェンジ先の「小神箭」は、花栄から由来するものなのだろう。
ナデシコと花栄はそれなりに共通点がある。
花を連想させる名前、弓の名手、そして美しい顔立ちなど。他にも、叛乱軍とPKKという違いはあるものの、ひとつの軍の指揮官であるということもまた共通点と言える。
(最初は、その「小神箭」の腕前を披露させられると思っていたんですけどねぇ)
神の一矢とも謳われる技をこれでもかと見せられると思っていただけに、ナデシコとの一騎討ちが接近戦になるとは、タマモも予想はしていなかった。
むしろ、接近戦を挑むしかないとタマモは考えていたのだ。
ナデシコは弓の名手。
つまりは中・遠距離攻撃の達人だ。
その達人相手に打ち勝つに矢を番える余裕を与えないほどの接近戦を挑む以外に方法はない。
タマモ自身も遠距離攻撃の手札は揃っている。氷結、焦炎、土轟の各種禁術とともに取得した三流派の技の中には、遠距離への攻撃も可能なものがある。たとえば、1回戦で「鮮嘲」相手に使った「結氷拳」の武術「氷嵐破」や、ヨルムとの模擬戦で使った「大震撃」などがある。
ただし、それらの禁術ないし流派の武術はすべて広範囲攻撃でもある。
ナデシコ相手に放っても、その余波がヒナギクとレンに及ぶ可能性は十分にある。
それどころか、観客さえも巻き込みかねないほどの、広範囲に被害が及んでしまう。
それはタマモが望むところではない。
ゆえにそれらの遠距離攻撃は、すべて封印せざるをえない。
仮に封印しなかったとしても、ナデシコの弓は特別な武術も魔法も使っていない、通常攻撃でしかない。
武術であればまだしも、詠唱が必要となる禁術との相性は非常に悪い。
詠唱途中でキャンセルさせられる可能性が高いからだ。
もっとも、一度発動すればそれで終わりになるも、周囲への甚大な被害が及んでしまうのは避けられない。そもそも、ナデシコが発動するまで待ってくれるはずもない。
三流派の武術であれば、キャンセルさせられることはないだろうが、今度はクーリングタイムという問題が生じてしまう。
広範囲攻撃が可能な三流派の武術は、初期クーリングタイムはないものの、一度放ってしまうと次に放つまでに6時間ほどのクーリングタイムが必要となる。つまり試合中に一度しか放てないのだ。
対してナデシコの弓は、通常攻撃であるがゆえにいくらでも放つことはできる。もちろん、矢の数という絶対数は存在するものの、タマモのように一発だけというわけではない。
それでも放てば、まず間違いなく命中させられるだろうが、どうしても「外してしまったら」という可能性が脳裏をよぎってしまい、うまく命中させられる自信がタマモにはなかった。
結果、ナデシコとの戦いは五尾やフライパンとおたま、そして「炎焦剣」でどうにか接近戦を挑み続けるしかないという結論に至ったのだ。
ある意味、誰もが考えうるであろう結論ではあるものの、他のプレイヤーとは違い、タマモの場合はある意味強制縛りプレイのようなものであるため、他のプレイヤー以上に選択肢は存在していなかった。
だからこそ、タマモにとってナデシコが真っ正面からの接近戦を仕掛けてくるというのは、想定外すぎることだった。
そのうえ、ナデシコが現実で武術を嗜んでいるうえに、ヒナギクとレン、そしてテンゼンと同じ流派であるなんてことは、それ以上の想定外だった。
「タマモ選手、防戦一方! ナデシコ選手は弓の使い手とは思えないほどの猛攻を仕掛けるぅぅぅ! タマモ選手危うしかぁぁぁぁ!?」
実況の叫びを聞きながら、タマモはフライパンとおたまを交差させながら、ナデシコの猛攻に耐えていた。
ナデシコは余裕の表情を浮かべながら、手にある刀を振り、ときにはその長い脚や女性にしては大きめな拳での攻撃を放ってくる。
それらの攻撃はたしかにテンゼンたちのそれに酷似していた。
違いがあるとすれば、3人とは若干攻撃のリズムが異なることくらいだろうか。
3人もたしかにいまのナデシコのような猛攻を仕掛けることはある。
だが、3人の猛攻には共通したリズムがある。
それは猛攻の最中に不自然な切れ目があるということ。
まるで「カウンターをしてください」と言わんばかりの、ある意味では露骨すぎる隙である。
だが、対戦相手にしてみれば、猛攻のわずかな切れ間に活路を見出そうとするだろう。
それは対戦相手との力量差があればあるほど、その切れ間を活路とする。それがテンゼンたちの誘いであることに気づきもせずにだ。
その誘いに乗り、全力のカウンターを放ったところを狙い打ちにされる。対戦相手にしてみれば悪辣そのものである。起死回生の一撃をそのまま利用されてしまうのだから、悪辣と言うほかにない。
(……いまのところ、ナデシコさんの攻撃は、素直ですね。悪辣さ、いえ、老練さが感じられません。太刀筋や拳筋とかの似通った部分はありますけど……正直怖くないです)
ナデシコの攻撃は、見事なものだった。
攻撃に隙はなく、その攻撃もすべて連綿と繋がっている。
まるで芸術のような華麗さである。
だからこそ、タマモは「怖くない」と思った。
ナデシコの攻撃は、きれいすぎる。
速さもある。一撃の重さもある。攻撃に切れもある。
だが、それだけなのだ。
こうして猛攻を仕掛けてこられても、「次になにを仕掛けてくるのかがわからない」というものがないし、「こちらから攻撃を仕掛けても、どんな反撃が飛んでくるのかがわからない」というものもないのだ。
「相手を圧倒せしめん」という強烈な意思以外に感じるものがなにもないのだ。もっとも、その意思だけでも十分すぎるということでもあるのだろうが。
それでもテンゼンたちと対峙するときのような、底知れなさをナデシコからはまったくと言っていいほどに感じることはなかった。
(……テンゼンさんたちを宗家、ご自身は分派の分派と仰っていましたが、なるほど、これが宗家とそれ以外の差ってことなんでしょうね)
ナデシコの底が見えたとは言わない。まだ見せていないものも多いだろう。だが、だいたいは窺い知れた。
油断はするつもりもないし、ナデシコを低く見積もるつもりもない。
だが、それでもタマモはナデシコを見ても「怖い」という感情を抱くことはなかった。
唯一「怖い」と思ったのは、テンゼンたちと同流派であると伝えられたときだけ。それもすでになくなった。
であれば。
そうとなれば。
やるべきことはただひとつだけだった。
「どうされました? タマモさん。このままでは押し切ってしまいますよ?」
にこやかに笑うナデシコ。
表面上はたしかに笑っている。
だが、その笑みはわずかに引きつっていた。
(……見た目ほどの余裕はないですね)
ナデシコの笑みを見て、見た目ほどの余裕など皆無であることは覗えた。
その証拠にナデシコの肩が徐々に上気しつつある。
連綿となく放たれる続ける猛攻。
おそらくは、ナデシコの流派における極意とも言えるものなのだろう。
たしかにこの猛攻を防ぎ続けることは普通はできない。
途中まではできたとしても、最後までは保たず、どこかで捕まりそして打倒されるだろう。
だが、逆に言えば防がれ続けることを想定していないということでもある。
となれば、防がれ続けられればどうなるのか。その答えが目の前にあった。
「……っ! まだ、耐えますかぁっ!」
ナデシコが喘ぐように叫ぶ。
すでにナデシコの顔は汗に塗れていた。
ナデシコの足下には幾重もの汗の滴で生じた水たまりがあった。
いくら鍛えたとしても、限界がないわけではなかった。
鍛えた分だけ、限界を先延ばしにできるが、それでも限度はある。
加えて猛攻ということは、全力での攻撃を仕掛け続けているということ。
いくら鍛えたとしても、いつまでも全力での攻撃を仕掛けられるわけではない。
どんなに鍛えても、いや、どれほどに鍛えても全力を出し続けられる限界は決まっているのだ。
ナデシコはその限界をとうに超えてしまっていた。
それゆえにナデシコの動きからは徐々に翳りが見えていく。
タマモはただ耐えるだけ。
いや、攻撃を受け続ける。
それだけしかしなかった。
1回戦での「鮮嘲」との試合の焼き直しとも言える光景。
どれほどに攻撃を仕掛けてもタマモに届くこともなかったファウストと同じ末路を辿りつつあるナデシコ。
その表情にはもう笑みはなく、ただ焦りのみ。
それでもナデシコは攻撃を仕掛けるしかなかった。
「ザ・ジャスティス」の他のメンバーはすべて戦闘不能ないし失格処分となっている。
残るはマスターであるナデシコのみ。
「ザ・ジャスティス」が勝ち残る唯一の手段は、「フィオーレ」のマスターであるタマモの打倒のみ。
だが、その打倒があまりにも遠い。
それでも、ナデシコは諦めることなく、刀を振るい、蹴りを放ち、拳を穿つ。
だが、そのすべてはタマモには届かなかった。
届かないまま、やがて、ナデシコはその動きをぴたりと止めた。
ナデシコは天を仰ぐことしかできずにいる。
そんなナデシコの前でタマモはただ立ち尽くしていた。
ナデシコもタマモもなにも言わない。
それはそばに控えているヒナギクとレン。そして観客たちもまたなにも言わない。
ナデシコの荒く激しい呼吸だけが、会場内にこだましていった。
「……ふふふ」
ナデシコの呼吸がこだまし始めて、しばらく経ったとき。ナデシコが不意に笑い声をあげた。
「……まるで歯が立ちません、か。前回とは見違えるようです」
「恐れ入ります」
「……ふふふ、ここで「恐れ入ります」とは。まったく、本当にとんでもないお方だこと。途中から攻めることもできたでしょう? あなたは私の底をとっくに見抜いていたのだから」
「……あくまでも、一部だけですよ」
「ふふふ、その一部だけであっても、底を見られてしまったのです。その時点で勝負ありです。それでも、あえて全力を出し尽くさせていただいたこと、感謝いたします。これで私はもっと強くなれますから」
ナデシコはそう言って一礼する。同時に、握りしめられていた刀がナデシコの手からゆっくりとこぼれ落ちた。
カランカランという甲高いが、乾いた音が周囲に響く。
「精も根も尽き果てました。もう指一本動かせませぬ」
そう告げたナデシコの体ががくりと沈み込む。タマモはそっとその体を抱き留めた。
ナデシコの頬が朱色に染まるが、普段のような暴走を見せることはなく、どこかやりきった顔を浮かべると──。
「降参いたします」
──はっきりと敗北宣言を口にした。
その宣言とともに、アナウンスが響き渡った。
「ナデシコ選手の降参宣言を確認。マスターないしリーダーの敗北により「ザ・ジャスティス」対「フィオーレ」の試合は、「フィオーレ」の勝利といたします」
アナウンスがこだましてすぐ、観客席からは惜しみない拍手が送られていく。
その拍手とともに歓声もまた響く。
だが、その歓声のほとんどはナデシコへの称賛だった。
その称賛をナデシコは、タマモの胸に顔を埋めながら聞いていた。
そんなナデシコをタマモはそっと撫でながら抱き留めていく。
ナデシコはタマモのぬくもりに頬を赤らめつつも、そっとまぶたを閉じた。
その表情は「やりきった」という清々しさに満ちたものだった。
こうして「フィオーレ」と「ザ・ジャスティス」の試合は、完全なワンサイドゲームの様相を示しながらも、和やかに終了するのだった。




