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45話 浮き足立つふたり

「──ここが控え室ですか」


 クラン部門エキスパート級3回戦の日が訪れた。


 タマモたちはログインしてすぐに闘技場に訪れた。


 闘技場に訪れるといつものように控え室へと向かったのだが、控え室は2回戦までとは異なり、控え室の扉に触れると一瞬で控え室の中に入っていた。その控え室は2回戦までとは違って個室、つまりは「フィオーレ」専用の控え室となっていた。


 広さは20畳ほどはあるだろうか。テーブルと備え付けの椅子に加えて、小型の冷蔵庫が置かれている以外は、なにもなかった。小型の冷蔵庫にはウェルカムドリンクだろうか、いくらかの飲み物が入っており、無料で飲めるようだ。


 加えてテーブルの上には、色とりどりのお菓子が3人分置かれていた。作戦会議の合間に食べてくださいということだろうか。


「2回戦までと全然違う、ね」


「……俺たちだけってわけじゃないみたいだな。基本的に3回戦以降の出場選手とクランだけの扱いってらしいよ」


 2回戦までとはまるで違う扱いに、目を白黒とさせるヒナギクと、掲示板で集めた情報を口にするレン。


 調べる限りでは、前大会でも3回戦以降の出場選手ないし出場クランには、個室の控え室が与えられていたようである。


 前大会では、2回戦で敗退した「フィオーレ」にとっては、本当にこれは全選手対象なのかという疑いがどうしても拭えなかった。


 だからこそ、レンは率先して掲示板で情報収集していたが、たまたま「武闘大会の控え室がすごい」というピンポイントすぎる板を発見したのだ。その板で語られている内容を流し読みした結果、全選手対象のものであるのがわかったのだ。


 だが、恐ろしいことに、準々決勝からはよりすごい控え室になるとも語られていた。ウェルカムドリンクと備え付けのお菓子だけでも十分すぎるというのに、これ以上となるとどうなるのだろうかという期待と、そんな特別扱いをされていいのかという不安がよぎっていく。

 親戚筋に上流階級がいてもは感覚自体は庶民なヒナギク、小規模な会社とともに、道場を同時に経営するもやはり庶民感覚の持ち主であるレンにとっては、ウェルカムドリンクと備え付けのお菓子があるという時点で、十分すぎるほどに特別扱いだった。


 とはいえ、テーブルと備え付けの椅子自体はそこまで大したものじゃない。とはいえ、会議室にあるような折りたたみテーブルにパイプ椅子ほと粗末なものではない。


 テーブルは漆で塗られているが、実態は各ご家庭にあるダイニングテーブルと大差なく、備え付けの椅子も各ご家庭のものに肘掛けが追加された程度。


 さすがにどのご家庭にもあるとまでは言えないが、質自体はそこまで差があるわけでもない。せいぜい1泊7、8000円程度のビジネスホテルにあるようなテーブルと椅子というところだろう。


 もっとも、そのクラスのビジネスホテルでは、ウェルカムドリンクはおろか、備え付けのお菓子があるところはそこまで多くはない。


 いわば、3回戦からの控え室は、それなりのビジネスホテルの一室が少しリッチになったという程度のものだった。


 それでもホテルで宿泊したことがないヒナギクとレンにとっては、別世界のように映ってしまっていた。


 それゆえに若干萎縮するふたりだったが、そんなふたりとは違い、タマモはというと──。

「おふたりは、どれ飲みますか?」


 ──萎縮するどころか、慣れた様子で冷蔵庫を開けると、冷蔵庫の中身のドリンクから自身の分とふたりの分を選んでいた。


 忘れがちではあるものの、タマモ自身は超がつくお嬢様であるため、ウェルカムドリンクと備え付けのお菓子があるとはいえ、ビジネスホテル程度の一室を見ても萎縮することなどない。


 というか、この控え室では、タマモの自室にも及ばない程度でしかなく、タマモが萎縮する要素など皆無である。


 そのため、ふたりとは違い、タマモは普段通りに行動できていた。


「え? その、飲んでもいいの?」


「ウェルカムドリンクですし、問題ないですよ?」


「いや、それはわかるんだけど、本当に飲んでもいいのかなって。後でお金払わされるのかなぁって思うと」


「仮に払わされたとしても、そこまで高くはないですよ」


「そ、そうかなぁ?」


「そうですって。ほら、この紅茶とかいいんじゃないんですかね?」


 珍しく萎縮するヒナギクに痺れを切らしたタマモは、中に入っていたドリンクから適当に選んだ紅茶を人数分投げ渡すタマモ。ちなみに、紅茶はすべてペットボトルに入っており、明らかに世界観と合っていない。


 なお、ペットボトルにはラベルはない。それは紅茶だけではなく、中に入っているドリンクのうち、ペットボトルに入れられているものはすべてがそうだった。


 なお、すべてがペットボトルというわけではなく、瓶のジュースらしきものもあり、タマモはそのジュースの中から手近にあった1本を手に取ると、いまだに萎縮しているふたりの元へと戻り、そそくさと備え付けの椅子に腰掛ける。


 タマモが腰掛けるとようやく、ふたりも恐る恐るという具合で椅子に腰掛けて、揃って「うわぁ」という声を漏らす。


「すごく座り心地がいいんだけど」


「これ、本当に座っていいの? お金取られない?」


 いままで座ったことのない座り心地の良さに、「この椅子は高級品では?」と思い、再び萎縮するふたり。そんなふたりにタマモは若干呆れ顔になった。


「座るだけでお金取られたら、ただのぼったくりですから」


「で、でも、これ、高級品そうだし」


「高級品に座るっていうのは、ちょっと」


「お高い家具のお店でも、試しに使えるものですよ。もちろん、壊したら弁償しますけど」


「べ、弁償?」


「じ、じゃあ、座らない方が」


「だから、壊さなければいいだけです。そもそもお店の備品が壊れるような使い方なんて普通しないでしょう?」


「それは、そうだけど」


「でも、もしかしたらの場合もあるし」


 別世界の光景だからか、どうにも萎縮をやめないふたりに、タマモはどうしたものかと頭を悩ませつつ、テーブルに置かれているお菓子、焼き菓子の盛り合わせの中からフィナンシェを無造作に手に取るが──


「た、タマちゃん! ダメだよ」


「そんな明らかに高そうなの食べたら」


「いや、だから、これは食べてもいいものですって」


 ──即座に「食べたらダメだ」と言い募られてしまう。


 焼き菓子までもが高そうと言うふたりに、「そんなわけないでしょうが」とタマモはげんなりとした。


 たしかに、焼き菓子とはいえ、作り手によってはそれなりの値段がするものもあると言えばある。とはいえ、部屋の様子からしてそこまで高くはないというのはタマモにはすぐにわかった。


 せいぜいデパ地下に売っている、ご褒美スイーツ程度の値段であることははっきりとわかっていた。それでもそれなりの値段はするものの、萎縮するほどではない。


 萎縮するほどのものではないというのをわからせるために、手に取ったフィナンシェをそのまま口の中に放り込み咀嚼するタマモ。ふたりが「あ、あー!」と大声をあげるも、タマモは気にすることなく、次のお菓子、きつね色のマドレーヌを放り込んだ。


「た、タマちゃん、そんなに食べたら、お金が」


「そ、そうだよ。かなり高そうに見えるし」


「……フィナンシェとマドレーヌが高級品とか、おふたりともいつの時代出身ですか。どう考えても、このゲームの月額の方が高いですよ?」


「で、でも、もしかしたら同じくらいの値段って可能性も」


「ありません。絶対に」


「だ、だけどさ、もしかしたらって可能性が」


「だから、ないですってば。せいぜいデパ地下のご褒美スイーツ程度ですよ。1000円もしないですよ」


「や、焼き菓子ふたつで1000円!?」


「た、たけえ」


「いや、だから、せいぜい高くてもそれくらいってだけですよ。たぶん、5、600円もしないんじゃないですかねぇ?」


「……それでも高いよ」


「……ブルジョワすぎる」


 愕然とした様子でタマモを見やるヒナギクとレン。


 そんなふたりにかえってタマモが愕然としていた。


 もっとも、お菓子で5、600円というのはリアル年齢で中学生のふたりにとっては十分高級品である。アルバイト経験もない年齢にとって、5、600円という値段はぽんと出せるものではないのだ。


 加えて、数十個単位が封入されている大袋のものを複数というわけではなく、単品ふたつでの値段と言われれば萎縮しても致し方がない。そればかりは環境の違いであり、ふたりの意見がおかしいとは決して言い切れないところである。


「……まぁ、とにかくですよ。いまは少しでもリラックスするとしましょう。相手は強敵ですから」


「そ、それはそうなんだけど」


「なんだか、落ち着かない」


 初めての経験ゆえか、どうにも浮き足立つふたりに「どうしたものか」と頭を悩ませるタマモ。とはいえ、こればかりは時間が解決するとしか言いようがないことである。


 まぁ、どうにかなるかと若干投げやりになりそうになったところで──。



「試合の準備が整いました。舞台へと移動をお願い致します」



 ──控え室の中でアナウンスが流れた。


 そのアナウンスに「待っていました」とばかりにそそくさと立ち上がるヒナギクとレン。なお、そそくさと立ち上がっているものの、椅子を壊さないように丁寧に立ち上がっていた。

 そこまで気にしなくてもと思いながらも、タマモは苦笑しつつ、同じように立ち上がった。

 同時に、それまで壁しかなかった空間に扉が突然現れた。


 扉に手を掛けると、舞台へと繋がる通路が姿を現す。


「行きましょうか」


 タマモが言うと、ふたりは前のめり気味に頷いた。


 控え室からさっさと出たいようである。


(……勝ち進んだら控え室のグレードが上がるみたいなのに、いまからこの調子で大丈夫ですかねぇ?)


 目指すは優勝だというのに、いまからこの浮き足立っていたら、この先大丈夫なのだろうか。


 一抹の不安を抱きつつも、タマモは舞台前の通路をふたりとともに進んでいく。


 やがて通路の終わりである門へとたどり着いた。門の先からは歓声が聞こえている。


 ちらりとふたりを見やると、さきほどまでの浮き足立った様子は見えない。


 これなら大丈夫だと思い、タマモは小さく息を吐くと改めて「行きましょう」と告げた。


 ふたりからは短い返事が届く。その返事を聞きながらタマモは門に手を掛け、決戦の幕を開いた。

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