20話 正式契約
「──おう、いらっしゃ、い?」
北の第二都市「ベルス」の大通り。
その外れの方にある一軒の鍛冶屋。
その鍛冶屋の店主の巨人族の男性。
快活そうな見た目の男性主人は、それがいつも通りなのか、威勢のいい声で接客をしようとしていた。
だが、その接客は途中で萎んだように尻つぼみになってしまう。普段であれば、豪快な笑い声が聞こえてきそうな笑顔を浮かべていただろうが、いまの彼の表情は困惑の色に染まっている。
口元は大きく引きつり、その目はありえないものを見ているかのように見開かれている。頬には冷や汗だろうか、一筋の汗が流れ落ちていた。それは誰が見てもはっきりとわかるほどの困惑顔であった。
もっとも、それは彼の巨人店主だけではなく、その店主の店までに向かうまでの順路のほかの店の店主や店員たちもまた彼の男性店主と同じような困惑の極みのような表情を浮かべながら、身を乗り出すようにして店の軒先から顔を出して男性店主の店を見つめていた。
彼の男性店主の名前はトロル。
「フィオーレ」の面々の防具「不死鳥」シリーズを鍛えた、焦炎王曰く「ベルス」の街で有数の腕前の持ち主。
その腕は大通りに軒を連ねるほかの鍛冶屋の間でも有名だった。加えて商売があまりにも下手すぎるということもまた。そのためか、ほかの鍛冶屋でもトロルの店はわりと悩みの種だった。
「ベルス」の街でも有数の腕前だというのにも関わらず、あまりにも商売が下手すぎるため、本来ライバルという立場でありながらも心配せざるをえないほど。
そんなトロルの店の前が困惑せざるをえない状況下にある。そうなるとライバル店の店主ないし店員たちも心配そうにトロルの店を見つめていた。
そんな滅多にないほどに注目される状況下の中で、トロルは長い生涯の間でも一、二を争うほどに困惑していた。
むしろ、トロルでなくても困惑するだろう。
なにせ、トロルの目の前にはまるで星の色のような輝く髪と毛並みの妖狐族の少女と同じく妖狐族であるが青い髪と毛並みの少女と見目麗しい女性がいる。そこまでであれば、別嬪さん揃いだなぁと思うだけだっただろう。
問題なのは女性の手の中には、顔を掴まれてぐったりとした男性がいるということ。それも女性に引きずられながら連行されている男性の存在だった。
その男性はトロルには見覚えがあるというか、見知った相手であった。それがよりトロルを困惑させることになっていた。
だが、そんなトロルの困惑に気づいていないのか、件の女性3人組(With引きずられる男性)はトロルの困惑をよそに、穏やかな表情でトロルに声を掛けた。
「あの、トロルさんですか?」
「え? あ、あぁ、そうですが」
「……この度はうちの馬鹿たれが失礼をしました」
「え?」
「口約束だったとはいえ、ここまでお待たせすることになってしまい、本当に申し訳ないです」
真っ先に声を掛けてきたのは、男性を引きずっている女性である。十人中十人が振り返りそうなほどに整った見目の持ち主である女性。
その女性がいまトロルの前で深々とお辞儀をしていた。それはほかのふたりの少女もまた同じである。
男性はあいかわらずぐったりとしているが、小声で「ごめんなさい」と謝っているのがなんとも言えない哀愁を感じさせてくれる。
知人のあまりの姿にトロルの頬がより引きつっていく。
だが、女性はトロルの引きつりを見て、勘違いしたのだろうか、「おまえのせいだぞ、この馬鹿野郎」と冷たい目で手の中の男性を見やり、男性の顔を掴む手に力を籠めた。その瞬間、男性の口から悲鳴があがるも女性は手を緩める様子はなかった。
「も、もう大丈夫なんで! だから、その、そろそろやめたほうが」
「いえ、甘いことを言うと、こいつはすぐに調子に乗るんで、徹底的にオシオキしないといけないんです」
「いや、もうお仕置きってレベルじゃ」
「え?」
「……ナンデモナイデス」
トロルは女性を止めようとした。だが、その際に女性と目が合い、そっと顔を背けた。女性の目の中にある深淵に恐怖したためである。
「……ダレカ、タスケテェ」
その女性の手の中で男性が呟く。その声は呟きに相応しいほどに小さなものだったのだが、その小ささのわりに誰の耳にも届いていた。届いたのだが、誰も男性を助けようとする者はいなかった。誰もが見て見ぬ振りをしている。
それはまさに阿鼻叫喚といっていいほどの惨事だった。
しかし、その惨事が店先で行われてるトロルにとっては「勘弁してくれない?」である。
女性の言うとおり、たしかに口約束ではあったうえに、だいぶ時間も経ってしまっているが、閑古鳥が啼くような経営状態であるが、持ち家で経営していることもあり困窮するほどではないのだ。
さすがに年単位で放っておかれたら、言いたいことはあっただろうが、そこまで放置されたわけでもないので、トロルとしては怒ってはいない。
むしろ、口約束程度だったというのにも関わらず、こうしてちゃんと来てくれた時点で逆にありがたいくらいだった。
だったというのに、目の前の惨事はトロルの抱く感情すべてを塗りつぶすほどのものだった。
トロルは恐る恐るとしながら、女性の手の中にいる男性に向かって声を掛ける。
「……えっと、レンさん、だよな?」
「……ハイ、ゴメンナサイ」
「いや、謝らなくてもいいから」
「……ハイ、ゴメンナサイ」
「……あー、えー」
「……ハイ、ゴメンナサイ」
同じ言葉を呟き続ける男性ことレンの姿に「あ、これヤバい奴だ」と思うトロル。焦炎王からレンには熱を上げている相手がいるという話は聞いていた。その相手が目の前にいる女性であることは間違いないだろう。
「相手、悪すぎじゃない?」と正直な感想が出そうになるトロル。その感想をぐっと胸の奥にしまいこむのと同時に、星の光のような妖狐族の少女がすっと顔をあげた。
「順序が逆になってしまいましたけど、初めましてトロルさん。ボクはタマモと言います。「フィオーレ」というクランのマスターをさせて貰っています。メンバーはレンさんとレンさんをお仕置き中のヒナギクさん、そしてそっちのユキナちゃんの4人です」
「こ、これはご丁寧にどうも」
「いえいえ、すっかりとご挨拶が遅れてしまい、申し訳ないのです」
「い、いえ、こちらとしても問題はないですから」
「そうですか? そう言っていただけると助かります。正直なことを言いますと、ご挨拶が遅れたのも、今日になってレンさんから教えて貰ったので、それまで知らなかったと言いますか」
「あー、なるほど。ですが、いま言ったばかりですが、こちらとしても問題なかったので気にされなくても」
「いえ、それでもこういうことはきっちりとしておくべきですし」
「まぁ、それはそうですが」
「あと、専属のお話なんですが」
「あぁ、そちらは色好いお返事をお聞きできますかね?」
「もちろんです。トロルさんの「不死鳥シリーズ」はとても素晴らしいのです。今後もお世話になりたいと思っています。なので、まだほかに専属のお話をお受けされていないのであれば、ぜひと思っているのですが、いかがでしょうか?」
「無論、こちらこそです」
そう言ってトロルが手を差し伸べると、タマモはその手を力強く握りしめた。タマモの表情が綻んでいく。トロルの表情もいくらか和らいだが、その視線はどうしてもタマモの隣でレンをお仕置きしているヒナギクに向いてしまう。
「……まぁ、専属契約もしたことですし、上がってくださいな」
「そう、ですね。ではお言葉に甘えさせていただきます」
タマモがお辞儀をする。タマモに合わせてヒナギクとユキナもまたお辞儀をしている。レンはいまだに同じ言葉を繰り返しているが、いまはそっとしておくしかなかった。
「では、こちらに」
トロルは踵を返して店の中に案内していく。その後をタマモたちが続いた。それを確認しながらトロルは「さぁて、これから楽しくなりそうだなぁ」と胸をときめかせていた。……レンの謝罪をあえて聞かぬふりをしながらも。
こうしてこの日、トロルは正式に「フィオーレ」の専属鍛治師として契約を行ったのだった。




