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8話 親子・後編

「──そうして、うちの半生は決まった。エリセを殺そうとした種なしの一族を根絶やしにする。そのためならなんでもやろう、ってね」


 エリスは笑っていた。


 笑いながら、事情を話してくれた。


 その内容は、産まれたばかりのエリセが殺され掛かったというもの。しかも相手はエリセの実の父親だという。


 実の父親から迫害を受けたというのはタマモも知っていたが、まさか産まれてすぐに殺されそうになっていたとは。だが、話を聞いたエリセは腕の中で小さく「アレならやりかねへん」と呟いていた。


 曲がりなりにも実の父親であるのに、アレ扱いだ。どうやら相当難儀な人物だったようだが、一族の老人どもを見ると、そういう扱いをされてしまうのも無理もないだろう。むしろ、妥当だとさえタマモでも思ってしまった。


「でも、あの人たちを族滅することとエリセに嘘を吐いていたことは繋がりませんよ」


 エリスの事情は理解できた。だが、納得はできない。エリセに実の母親であることを名乗らなかったということと、エリセとシオンの父親の一族を根絶やしにすることは=として繋がることはないからだ。なぜエリスは事実を話さなかったのか。その理由がわからなかった。

「……その前にタマモ様、とお呼びしてもよろしいどすか? 眷属様とお呼びするべきなのやろうが、エリセの花婿どすさかい」


「え? ええ、構いませんけど」


「おおきに」


 エリスは小さく頭を下げると、表情を和らげた。その顔は事情を語っていたときとは違い、とても穏やかだった。さきほどまでは憎悪に満ちあふれたものであり、まるで鬼のようだとさえタマモには思えていた。それがいまは慈母という言葉が似合うほどに優しいものになっている。その変化にタマモは「鬼子母神」という言葉が浮かんだ。


 いまとさきほどの顔の変化は、まさに「鬼子母神」という言葉を体現しているようであった。


「……それで、その」


 ただ、それはそれだ。いきなり名前呼びの許可を受けたのはいい。なにせ、エリスの言う通り、タマモはエリセの婿である。となれば母であるエリスから名前呼びを許可されるのは当然と言えば当然である。


 だが、いきなりすぎた。


 それも話の流れを切るようにしての言葉だった。話の流れを切ってまで言うことかと考えると、どうにも頷けない。


「あぁ、すんまへん。いきなりすぎたなぁ」


 エリスは苦笑いしていた。どうやらエリス自身も、唐突すぎたと思ったのだろう。申し訳なさそうに苦笑いする姿は、やはりエリセと重なって見える。


「眷属様、眷属様と他人行儀なのはどうか思たのどすえ。これからはタマモ様にその子をお任せするんやさかい、あまり他人行儀なのも思いましてな」


 エリスは笑っている。笑っているが、その顔には影がある。その影の意味はと思ったとき、エリスは言った。


「先ほどの問いかけの答えどすけど、簡単なこっとすえ。……どないその子を大切に想うとっても、血に汚れた手でその子を抱きしめられるわけがあらへんやろう?」


 その言葉はあっさりとしていた。あまりにもあっさりとエリスは言った。その言葉にタマモも腕の中にいたエリセも息を呑んだ。そんなタマモたちを見つめながら、エリスは続ける。

「種なしとその弟どもが死んだのはなんでや思う? 簡単なこっとす。うちが殺したさかいどすえ。服毒させてな」


「服毒ですか?」


「ええ。あれらは優秀な後継ぎを作り、自分らの一族を繁栄させることが第一の目的どすからからね。ただ、子供を作らす相手は誰でもいわけやなしに、見目麗しい相手だけなんどすえ。その相手がすり寄ってきたら、犬みたいに盛り始めるんどすえ。たとえ毒袋になっとってもね?」


 そう言って微笑みを浮かべるエリス。言葉とその表情に「まさか」とタマモは口にした。するとエリスは静かに頷いた。


「うちの体は毒壺と化してます。抱いたら毒ほど、その毒は蓄積していくんどす。うちの容姿はあれらにはツボやったみたいどすさかい。……自分で見目麗しい言うのんはどうかとは思うけども」


 エリスはまたもや笑った。その笑みはひどく妖しく、魔性と言ってもいい。そして実際にその身は魔性だったわけだ。その魔性ゆえにエリセの実父とその弟たちは命を落としたということだった。


「ただ、その弊害で、うちもまたその毒に侵されてます。毒袋になったはええけども、その毒に脅かされてるんどす。滑稽やろう?」


「もしかして」


「……はい。うちが倒れたのは毒の影響どす。あと半年は保つ思うとったんどすけど、どうやらもう限界みたいどす」


「それって」


「……たぶん、あと1週間保つかどうか思いますえ」


 エリスはまた笑った。とても晴れやかな笑顔だ。なんの悔いもない笑顔だった。エリスの目的は成就した。それゆえの笑顔なのだろう。


 しかし、当の本人はともかく、言われた側としては堪ったものじゃない。特にエリスにとっては。エリセがいまの話でエリスに好意を抱くことはない。それでもよく知った相手が自分のためにその身を文字通りに削りきってしまったと聞いて、平然としていられるわけがなかった。エリセの体は大きく震えていた。その身をそっと抱きしめながらタマモはエリスを見遣った。


「エリスさん、どうしてそこまで」


「タマモ様は、意外とおアホはんどすなぁ。子供のため。それ以上の理由なんていらへんどっしゃろ?」


 子供のため。エリスの答えに、タマモはいまいち実感がわかなかった。タマモ自身、子供がいないため、エリスの言葉を聞いてもよくわからなかったのだ。ただ、父や母の様子を見る限り、おそらくは同じようなことを言うだろうなというのはわかった。


 だが、エリスのようなことをするかどうかはまた別だ。ただ、その心情はこの場に両親がいれば、理解したかもしれないとタマモは思った。


「……そんなん頼んでへん」


 だが、この場にその心情を理解できる者はいなかった。ゆえにその言葉はある意味当然であった。


「私がアレに殺されかけた。そやさかいってそんなんしてほしいなんて、うちは一言も言うてへん。あんたが言うてるのんは、ただの自己満足でしかあらへん。人殺しをした理由をうちのせいにしているだけや」


 エリセは震えながら言った。その言葉にエリスは「そうやな。うちはただの人殺しやさかい」と笑った。どこか寂しそうに笑っていた。


「……そやさかい、言わへんかってん。どないな理由があろうとも、うちが人殺しやいうのは事実やさかいね。ほんで実の母親が人殺しやなんて知ったら、あんたがどう思うのかもわかっとったさかい」


「当たり前やで。人殺しの母親なんて……いらへん」


 エリセの声が涙声にと変わっていく。その涙の理由がどういうものかなんて、タマモでさえもわかった。エリセはそういう女性だった。だからその涙の理由もよくわかる。そしてそれは実母であるエリスであれば、特にわかることだっただろう。


「……かんにんえ。そうなるのがわかっとってん。あんたはえらい優しい子やさかい。本来やったら疎ましいだけのシオンに、あないにも愛情を注ぐあんたなら、うちとのほんまの関係を知ったら、きっと胸を痛めるやろうってわかっとったさかい」


 エリスは言う。ただ少しずつその息が上がり始めた。その顔にも玉のような汗が浮かび始めた。


「エリスさん、もうそのあたりで」


「……ええんどす、タマモ様。いま言わへんと、もう言えへんかもしれへんどすさかい。そさやかい、この身がどうなろうとも言わなあかんのどすえ」


「ですが」


「これが最後どすさかい」


 エリスは笑う。だが、その笑みはひどく儚げで、力のすべてを注ぎ込んでようやくという風に見えてならない。止めるべきだと思った。だが、その止めるべき言葉がタマモには出てこなかった。エリスは「……おおきに」と言うと、タマモの腕の中にいるエリセにと声を掛ける。


「……いまさらだってわかってる。ほんでも言わしてちょうだい。愛してるわ、エリセ。うちの大切な、愛娘……っ」


 そう告げたと同時に、エリスは咳き込み始めた。口元を押さえる手から紅い血が零れていく。タマモは「エリスさん!」とエリセを解放して、そばに駆け寄ろうとした。だが、それよりも早くエリスの元へと駆け抜ける影があった。


「母様!」


 それはシオンだった。


 退室して貰っていたシオン。だが、エリスが咳き込みを聞き、部屋に飛び込んできたようだ。


「……シオン。お姉ちゃんと仲良うするんやで。あんたらはふたりだけの家族やねんさかい」


 エリスは血を吐きながら、シオンを見遣る。シオンは泣きながら「はい」とだけ頷いた。「ええ子や」とエリスはシオンの頭を撫でてから、エリセへと視線を向けていた。エリセはどうしていいのかわからないのか、戸惑っていた。戸惑いながらも、その口はなにかを紡ごうとしていた。だが、紡ごうとするたびに口を噤んでいる。


 エリセがどうしたいのか。タマモにはよくわかった。だから、タマモはそっとエリセの背中を押した。


「……素直になっていいと思うよ」


 それだけ言って、エリセをエリスの方にそっと押し出す。エリセは最初躊躇っていた。だが、最初に一歩踏み出すと、その脚は次々に出て行き、そしてあっという間にエリスの側へと駆け寄ると──。


「……遅すぎんで。なんでもっと早う言うてくれへんかったん? こないなギリギリになって言わんといて」


「かんにんな」


「……もうええ。もうええの。そやさかい、もうなんも言わんといて。ただ」


「ただ?」


「……うちの名前、呼んで」


 そう言ってエリセはエリスに抱きついた。エリスは口元の血を拭ってから、「エリセ」と優しくその名を呼ぶ。するとエリセは──。


「なぁに、母様」


「……ただ呼んだだけやで」


「……なんやそれ」


 ふたりは笑った。その言葉にシオンは首を傾げる。首を傾げながらも、シオンはふたりとともにぎこちなく笑っていた。


 遠回りしていた。


 あまりにも遠回りだったが、そこにはたしかな絆を育んだ家族がいた。


 その家族をタマモは眺めてから、そっと部屋を後にする。もうわずかな時間しかいられない家族の時間。その時間を奪わないために。タマモはその場を後にするのだった。

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