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6話 母娘 前編

「──到着したで」


 ほんの一瞬の独特の浮遊感が終わる。


 エリセの声に導かれるように、まぶたを開くと、そこは去年のクリスマス以来の「水の妖狐の里」だった。


 見た目は大ババ様の「風の妖狐の里」とさほど変わらない。違いがあるとすれば、それは住人である妖狐の見た目、主に頭髪ないし毛並みの色が青系統であるということだった。


 以前、誰かにそれぞれの妖狐の里は、冠である属性ごとに頭髪と毛並みの色が変わると言われたことがある。それが誰だったのかはいまいち憶えてはいないが、その言葉の通り、「水の妖狐の里」の住民である妖狐たちは、みな青系統の頭髪と毛並みをしている。


 実際、「火の妖狐の里」や「土の妖狐の里」の住民たちは、それぞれ赤と茶色の髪と毛並みの持ち主ばかりであり、いまのところ、タマモは自身の髪のような金色の持ち主とはまだ出会ってはいない。


「……なんだか、雰囲気がおかしいですね」


 ぼんやりとそれぞれの里の違いを感じつつ、タマモは以前来たときとは、里の雰囲気が異なることに気づいていた。とはいえ、前回はクリスマスというお祭り騒ぎのときだったのだ。雰囲気が異なるというのも当然の話である。


 だが、それを考慮しても里の雰囲気はいささか暗すぎる気がしてならない。その証拠に道行く妖狐たちは、以前のような快活さは見受けられない。挨拶をしてくれるが、その表情はなんとも落ち込んだものだった。


「……無理もあらへんどすえ。年明けて1ヶ月で連続で葬式になるかもしれへん思たら、明るい顔なんてできしまへん」


 暗い顔の理由について、エリセが答えたのは、なんともな内容だった。


 考えてみれば、エリセは里長の一族。その里長の一族から新年になって1ヶ月で死者が出たのだ。それだけでも十分すぎるというのに、もしかしたらもうひとり死者が出るかもしれないという状況下では、どうあっても明るい顔なんてできるわけがない。里全体の雰囲気が暗くなるのも当然と言ってもいい。


「……そうだね。でも、エリセは」


 里全体の雰囲気は暗い。だが、エリセはそこまでではなかった。


 むしろ、口調からは「せいせいする」と言わんばかりの様子である。


「……あまり人前で言うこっちゃあらしまへん」


 タマモの問いかけにエリセはそう答えた。その言葉の意味がどういうことなのかは考えるまでもない。


「……遅なりすぎるとシオンが心配するさかい、急ぎまひょか、旦那様」


「そうだね」


 これ以上この場で話すことでもない。タマモはエリセとともに里の一番奥にある里長の屋敷であるエリセの実家へと向かうことにした。


 その道中でも、住民の妖狐たちからの挨拶を受けたが、誰もがその表情を曇らせていた。やはり、里の代表である里長の一族からの死者が二人目となるかもしれないという状況下では、妖狐たちも思うことがあるようだった。


 そんななんとも言えない道中を進み、ふたりはほどなくして里長の屋敷にとたどり着いた。

 その里長の屋敷の前には、見覚えのある少年が、やや俯きがちにこちらへと視線を向けていたが、ふたりの姿を捉えたとたん、飛び出すようにしてこちらへと駆けてくる。そして──。


「姉様!」


 感無量と言うように、エリセの胸に飛び込んできたのだ。


「……シオン、遅なってかんにんえ」


 少年ことシオンをそっと抱きしめながら、エリセは遅くなったことを詫びる。シオンは無言でエリセの腕の中で首を振る。わずかに見えたシオンの横顔は、美少年のそれが台無しになるほどだったが、無理もないことではある。


 シオンにとっては実母が危篤状態なのだ。ナチュラルなヒューマン換算で言えば、いまのシオンはまだ10歳にも満たない幼子。その幼子が母親を喪う瀬戸際に立たされているのだ。むしろ、この程度で済んでいる時点でシオンの精神力がどれほどに強いのかが覗えた。立派とさえ言える。だが、シオンにとってそんなことを言われても嬉しくはないだろう。


 タマモはあえてそのことには触れず、「お待たせしましたね、シオンくん」とシオンに遅くなったことを詫びる。


「構しまへん。僕はいける。それよりも、早う母様に」


 シオンはエリセの胸から顔を上げると、顔をくしゃくしゃにしながらも気丈に振る舞う。その姿に胸の奥が痛くなるのを感じながらも、「では、上がらせてもらいます」とお辞儀をして、里長の屋敷へと踏み込んだ。


「……これはまた」


 門を潜ってまず見えたのは、外からも見えていた屋敷だった。真っ白な漆喰の壁と金の鯱ならぬ金でできた狐象が飾られる瓦細工の屋根の屋敷だった。その屋敷を中心に離れがいくつか見える。だが、正面からは見えない場所にも離れはある。その離れこそがエリセの暮らしていた東屋よりかはましな小屋だ。


 その小屋は正面の屋敷──本邸に隠れていて見えない。むしろ、小屋を隠すように本邸があるようにさえ見える。


 その本邸の脇には立派な倉と枯山水を思わせる石庭となかなかの大きさの池がある。リアルであれば、それこそ入館料を取ってもいいのではと思わせるものだ。反対側には立派な幹を持った松の木がところどころに植えられており、「これぞ武家屋敷」という出で立ちの全体的に見事な屋敷だっだ。


 ただ、見事ではあるものの、タマモには「なんだか成金みたい」という感想を真っ先に抱いた。


「風の妖狐の里」の里長の屋敷も里の中で一番大きかったが、ここまで成金感はなかった。というか、大ババ様の屋敷は屋敷でも、武家屋敷というよりかは、代々続く地主の屋敷というか、地主みずから鍬を振るっていそうな、飾り立てる物がほとんどないという風情のものだった。


 対して、エリセの実家は「一代で成り上がり、徹底的に贅をこらして作りました」と言わんばかりの屋敷である。タマモの実家も立派な屋敷ではあるものの、代々感性が質素であるため、贅をこらしたというものはほとんどない。その辺りは大ババ様の屋敷と同じであろう。

 だからか、エリセの実家をこうして改めて見てみると、妙に落ち着かなかった。むしろ、この屋敷で暮らしていると肩肘張って仕方がないんじゃないかとさえ思えてならない。


「いかにもな造りやろう? それこそ成り上がりが建てたような屋敷で、里の雰囲気とまるで合ってへんやろう? 「目立ちたい」って言うてるみたいで、ほんまに頭悪いどすなぁ」


 エリセは目に見える屋敷を見て、そう吐き捨てた。ひとつひとつ見事ではあるものの、それは同時に顕示欲の強さを象徴している。それを指摘しながらエリセはその整った顔を歪めている。その顔にあるのは憎悪。エリセの心をいまだに覆っているものである。


「……エリセ」


「申し訳あらしまへん。こないなうちなんて、見したないんどすけどなぁ」


 エリセは破顔する。だが、その笑みはどこまでも悲しそうなものだった。なんて言えばいいのか。なにを言ってあげればいいのか。タマモにはわからなかった。


 悩んでいるうちに「……行きまひょか」とエリセは本邸へと脚を進める。その後をタマモは追いかけた。シオンが殿で続き、3人は本邸の中に入り込む。


 本邸の中も「成り上がり」趣味というか、様々な調度品で溢れていた。廊下の角には必ずと言っていいほど、壺などの工芸品が置かれていた。時には金色の派手な甲冑やら、飾る場所を間違えているだろうと思えるような水墨画なども飾られている。


 進めば進むほど、「顕示欲の塊」という言葉しか思いつかなかった。


 あまりの顕示欲にタマモも途中からげんなりとしてしまう。こんな屋敷に住んでいたら、それこそ精神的におかしくなりそうだとも思えるほどに。なによりもタマモをげんなりとさせているのは、時折廊下ですれ違う老人たちだ。


 里長の屋敷にいるということは、彼らもまた里長の一族ということなのだろうが、その振る舞いは一言で言えば傍若無人である。


 いままで妖狐たちと出会うと、誰もがタマモに対して恭しく接していた。だが、彼らはタマモを見ても鼻を鳴らすだけで、挨拶ひとつもしなかった。タマモとしては別に恭しく接しろと言わないし、思う気もない。


 だが、それでも言葉のひとつも掛けずに、鼻を鳴らすだけの老人たちの態度にはなんとも言えない気分にさせられてしまう。そんな老人たちとすれ違うたびに、エリセとシオンは申し訳なさそうにタマモに謝っていた。


 曰く、「あれでもまともになった方」というのだから、以前はどれほどだったのかと戦慄しそうになった。ただ、なによりも戦慄したのは、そのまともになった理由が、エリセが見せしめとばかりに数人の老人たちの息の根を止めようとしたのだとのほほんとした顔で言ったことである。


 さすがに冗談かと思ったが、エリセは「ふふふ」と薄く笑うだけだった。その笑みを見て「やっぱりエリセは怒らせちゃいけない」と改めて確信するタマモであった。なお、その背後でシオンは「姉様」と頬をほんのりと赤らめていたのだが、余談である。


 そうして成り上がり趣味をこれでもかと見せつけられながら、タマモは屋敷内を進み、そして──。


「母様、義兄様をお連れ致した」


 ──先代の正妻の元へとたどり着いたのだ。


 シオンが襖越しに話し掛けると、正妻は「……はばかりさんどす」と言うと、タマモに「入ってきてくれるはるのん?」と言う。はんなりすぎて、いまいちわからなかったが、おそらくは入ってくださいと言われたのだと思い、タマモは「失礼いたします」と一声掛けて襖を開く。


 そこにはどうにかという具合で上半身だけ起き上がらせている女性がいた。女性の顔はひどくやつれており、いまにも呼吸が止まってもおかしくはないと思うほどに弱々しい。


 だが、タマモを見つめる目には強い感情を宿らせていた。その感情がどういうものなのかをタマモは測ることはできなかった。ただわかったのは、悲しいほどに必死であるということだけだった。


「……こうしてお会いするのんは、初めてどすなぁ」


 正妻はやつれた顔で笑っていた。その笑顔は不思議とエリセによく似ている気がした。


 ただ、エリセの話では、エリセは使用人に先代がお手つきした際にできた子であるため、目の前の女性との血縁はないそうだ。ないはずなのに、笑顔を見てからは不思議と所作の一つ一つがエリセと重なって見えた。どういうことだろうと思いつつも、タマモは正妻のそばまで行き、正座をして挨拶をした。


「初めまして。タマモと申します。ご挨拶が非常に遅れて申し訳ありません」


「お気になさらんと。こちらこそ、エリセを貰うてもろたのに、挨拶ひとつしいひんで申し訳あらしまへんどした」


「いえ、あのような不躾な振る舞いをしてしまったのです。むしろ、当然の帰結かと」


「なんの、なんの。むしろ喝采したなるほどどしたで」


 正妻は笑っている。やはりエリセと重なって見えてしまう笑顔だった。その笑顔を見ているうちに、エリセとシオンも入室し、それぞれに控えていた。ただそれぞれの表情は正反対と言ってもいいほど。


 シオンはいまにも泣きじゃくりそうなほどに弱々しい。対してエリセは思うこともないのか、まるで彫像のように無表情で座っているだけだ。


 いくら義母とはいえ、それはどうなんだろうと思い、エリセを見遣るタマモだったが、当の正妻が「構しまへん」と言う。その言葉に「わかりました」と引き下がるタマモ。そんなタマモを見て、正妻は「ほんまにええ良人どすなぁ。仲良うなさいね」とエリセに語りかけた。エリセは「はい」とだけ頷いた。その顔には「言われるまでもない」と書かれている。


 あまりにも頑ななエリセに、タマモは「エリセ」と声を掛けようとした。そのとき。


「ええんどす。眷属様」


 正妻がそっとタマモの手に触れて、緩やかに頭を振った。


「それらしいことはなにもしいひんかったんどす。そやさかい、その子の態度は無理もあらへんどすえ」


 正妻はそう言って笑ったのだ。その言葉に「どういうことですか?」とタマモは尋ねた。正妻の言葉にエリセも不思議そうに首を傾げている。すると、正妻は大きく息を吐いてから、どうにか佇まいを直し、そして──。


「改めまして、ご挨拶を。うちの名はエリス。そちらにおるエリセの実の母どす」


 正妻改めエリスははっきりと告げたのである。

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