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5話 水の妖狐の里へ

 予選二日目の夜。


 その日も無事に営業を終了したタマモは、疲れ切った表情を浮かべながらも、昨日からの参戦組と今日からの参戦組の援軍たちの前に立って静かにお辞儀をした。


「今日もありがとうございました。おかげで、今日の営業も無事に乗り切ることができましたよ」


 タマモは深々と頭を下げた。その礼を受けて、ガルドやローズを始めた初日組たちは「気にしなくてもいい」と高らかに、だが、満足げに頷いていた。


 一方ナデシコたちPKK組の反応は二通りだった。


「いえ、気にしないでください、タマモさん。お詫びも兼ねていますから、我らのことは思う存分にこき使ってください」


 そう真っ先に口にしたのは盾士からクラスチェンジし、盾術闘士になったアレン。PKKたちの中で最も大柄で体格のいいプレイヤーだが、現在の彼はその大きな体をこれでもかと縮ませながら、タマモの一礼に対して返礼を行っていた。


 アレンほどではないが、バルドスやクルス、アントン、そしてオルタたちもそれぞれにタマモへの返礼を行っていた。なお、お辞儀の角度はバルドスたちは60度。アレンに至っては90度である。


 PKKの一大クランである「ザ・ジャスティス」の幹部たちがそれほどに深々とお辞儀をする理由。それは──。


「そろそろいい加減にしてくださいね? 行き遅れさん」


「それはこちらのセリフですが? 小娘ちゃん」


 ──ユキナといまなお激しい女の戦いを繰り広げるナデシコが原因である。


 ユキナとナデシコはタマモの左右を陣取りながら、お互いに睨み合っていた。ただし、その表情は満面の笑顔のままだ。


 その笑顔は非常に迫力があった。


 その迫力溢れる笑顔を浮かべながら、ふたりはタマモの腕をそれぞれに取っての睨み合いをしていた。笑顔を浮かべながら。


 そう、ふたりは笑顔である。


 笑顔なのだが、その笑顔は第三者が見れば、悲鳴を上げて即時撤退を決め込むほどの恐ろしいものだった。


 そんなふたりに挟まれながらタマモは、諦めきった表情を浮かべている。アレンたちが深々とお辞儀をするのも無理もない状況なのだ。


「……あ、あの、タマモさん」


「はい?」


「明日もお手伝いしたいのですが、よろしいでしょうか?」


 アレンは恐る恐ると尋ねる。その言葉にタマモは疲れ切った表情のまま、「もちろんですよ」と頷いた。その言葉と表情にアレンは「ぐぅ!」とお腹を痛そうに擦りながら、「みんなも大丈夫だよな?」とバルドスたちを見やると、彼らも「もちろんだ」と力強く頷いた。……同じようにお腹を痛そうに擦りながら。


 PKKの幹部たちの心をひとつにさせている中、ナデシコはユキナとの女の戦いを継続させていた。


「だいたい、あなたはなんなんですか? そんな貧相な体を擦りつけるなど、お姉様に対して無礼だとは思わないのですか?」


「それはこちらのセリフですが? どこのどなたかは知りませんけど、私の目から見たらただの痴女にしか思えません。そういうお店にでも就職されたらいかがですか?」


 ニコニコと笑い合いながら、殴り合いを行い合うふたり。笑い合っているものの、こめかみには薄らと血管が浮き出ており、お互いを見遣る目はとてもではないが、穏やかとは言えない。まるで不倶戴天の敵を見るかのような目である。


 そんなふたりのやり取りをその場にいる誰もがあえて見えない振りをしていた。


 というよりも、いまのふたりを止めることはおろか、巻き込まれたくもないからである。それはふたりに挟まれているタマモも同意見であろう。


 だが、どれほどに巻き込まれたくもないし、できればやめてほしいとも思っているタマモではあるが、どれほどに望んでもその望みが叶うことはなかった。……その一報が届くまでは。


 ~♪


「ん?」


 それは唐突に流れた。


 その場にいた全員がそれぞれにメニューを開くも、首を傾げていた。


 女の戦いを繰り広げていたナデシコとユキナも同様にメニューを開いたが、やはり同じように首を傾げている。


 その音の正体は着信。フレンドからのメールないしチャットの発信があったことを知らせるものだった。


 ただ、その場にいた全員がそれぞれのメニューを開くも、誰ひとりとて着信はなく、いったいどこからと首を傾げていた。


 その確認はほぼ全員が行っていたものの、いまだに着信音は鳴り続けている。残るのはタマモただひとり。タマモはユキナとナデシコに両腕を解放するように頼み、ふたりは渋々と頷いた。それからタマモがメニューを開くと、そこには「エリセ」の名前が表示されていた。

「すみません。ボクみたいです」


 タマモはそう一言告げてからエリセの名前をタップし、一拍おいてからエリセの声が聞こえてきた。


『あ、ようやく繋がったわ。いきなりでかんにんえ、旦那様』


「ううん、いいよ。どうしたの? エリセ」


 普段のタマモらしからぬ口調で話し始めるタマモ。そのやり取りを見て、その場にいたほぼ全員が、「あぁ、これが噂の嫁さんか」と納得したようだった。全員ではないのは、事情を知る「フィオーレ」の面々と勘違いをしていたローズやそもそもの噂を知らなかったナデシコである。


「あれ? タマモちゃんのお嫁さんってユキナちゃんじゃないの?」


 ローズは怪訝そうな顔で首を傾げると、その言葉を聞いたユキナは顔を真っ赤にして、「そんな、私がお嫁さんだなんて」と慌てつつも、ちらちらとタマモを見つめていた。その姿はあからさまな期待に満ちあふれている。


 その一方で噂をまるで知らなかったナデシコは「嫁、ですって?」と愕然とした顔でわなわなと体を震わせていた。その姿にアレンの顔から血の気が引いていく。彼の目には後ほどリアルで折檻を喰らうという未来がありありと想像できてしまったのだ。


 理由はひとつ。噂をナデシコに知らせなかったということ。姉を蔑ろにするとは何事かと筆舌しがたい目に遭うことが確定したがゆえである。


 なお、アレンの名誉のためにも言うが、アレンは決してナデシコに噂のことを知らせなかったわけではない。むしろ、何度も言っていたのだが、ナデシコは「タマモ」の名前を聞いた瞬間にトリップしてしまうため、何度言っても聞いて貰えなかった。ゆえに、アレンが緘口令を敷いたわけではない。単純にナデシコが聞き逃していただけということ。


 しかし、その事実をナデシコに言ったところで、アレンの折檻が取りやめになることはない。


 古今東西、弟というものは姉にとっては奴隷ないし玩具以外の何者でもないのだ。


 ギャルゲーのような展開というものは現実的にはありえない。その事実をこれでもかと現しているのが、ナデシコとアレンの関係である。弟にとって姉とは暴君でしかなく、攻略対象ではないのだ。


 確定した未来を感じ取り、アレンはその顔から血の気を引かせていた。そんなアレンの姿にバルドスたちはそっと手を組み、祈りを捧げた。アレンから顔を背けながら。「おまえら」と仲間たちの姿にアレンは静かに涙を流す。だが、その涙を仲間たちが見ることはない。

 そうしてアレンの未来が確定した中、タマモはエリセの声に頬を綻ばせていた。


「ひさしぶりにエリセの声を聞けて嬉しいよ」


『……恥ずかしいこと言うのんは禁止どすえ」


「え? でも、事実だし」


『……旦那様のあほ。禁止どすえって言うていりますやん』


「恥ずかしがっているの? かわいいね」


『そ、そやさかい、もう!』


 アレンの未来がなんのその、タマモは久しぶりのエリセのやり取りを楽しんでいた。普段を知っているレンたち見てもそのやり取りは非常に熱々である。聞き慣れない面々にとっては普段のタマモとのギャップに愕然としている。


「え? なに、この女たらしなイケメン?」と漏らしたのはいったい誰だろうか。思わず、そう漏らしてしまうほどにいまのタマモと普段の姿とはあまりにも乖離していた。


 とはいえ、そうなるのも無理もなく、タマモたちがいる「闘技場」は、今大会からは自由に出入りができるようになっている。


 そのため、エリセが待つ本拠地に戻ることはいつでも可能である。可能であるのだが、現在本拠地にはエリセはいないのだ。


 かといって、「闘技場」にいるわけでもない。


 エリセは現在実家に戻っているのだ。


 エリセの父の弟である叔父の訃報が届いたからである。


 タマモたちが「闘技場」へと向かう直前になって、叔父の訃報を知ったエリセ。本来ならすぐにでも実家に戻るところだったが、タマモたちを見送ってからでも遅くはないということで、タマモたちが旅立った後にエリセもすぐに実家へと戻ったのである。


 ゆえに現在のタマモたち「フィオーレ」の本拠地は無人である。が、いくらなんでも無人で放置するのはということで、タマモは農業ギルドの受付チーフであるリィンに頼み、不在の間の管理をお願いしている。不在と言ってもその気になればいつでも戻れるため、あまり意味はないかもしれないが、それでも無人よりかはましというのが「フィオーレ」全員の総意である。


 すでに告別式も終わり、あとは諸々の片づけ等を行っている頃のはずだが、急の連絡をエリセは行ったのだ。いったい何事かと心の奥底で思いつつも、タマモはエリセとのやり取りを楽しんでいたが、当のエリセも楽しみつつも、若干の焦っているようでもあった。


 その焦りを感じ取り、タマモは改めて「どうかしたの?」と尋ねた。その問いかけにエリセは──。


『……奥様がいきなり倒れられたんどす。いまシオンと一緒に看病しとったら、急に旦那様を呼べって言うさかい』


 ──事情を説明してくれたのだ。その内容を聞いて、タマモは「ボクを?」と首傾げるも、エリセは「ええ」とだけ頷いた。


 あまりにも急すぎることではあるが、エリセの言う奥様、つまりエリセにとっては義理の母となる先代当主の正妻からの呼び出し。大会の真っ最中ではあるが、「フィオーレ」の出番はまだまだ先である。


 エリセの実家のある「水の妖狐の里」へと赴くことは可能だった。可能ではあるが、場合によっては、三日目の営業に間に合わない可能性もある。


 どうしたものかとタマモが悩んでいると──。


「行ってきなよ、タマちゃん」


 ──ヒナギクが背中を押してくれた。


「そうだよ、ここは俺たちだけでいいから、エリセさんのところに行ってきて」


 ヒナギクの一言に続いてレンも背中を押してくれた。それはふたりだけに留まらず、ガルド、ローズ、バルドたちも各々に「行ってこい」と背中を押してくれたのだ。ガルドたちには事情はまったくわからないことだろう。


 それでも察することがあったのか、誰もが笑顔を浮かべて「後は任せろ」と言ってくれていた。


「タマモさん、エリセさんのところに向かってあげてください」


 それはユキナも同じで、タマモの腕にそっと触れながらも、強い意志の籠もった目を向けてくれた。その場にいるほぼ全員からの後押しを受けて、タマモは「……わかりました」と頷いた。


 なお、その場にいた面々の中で、後押しをしなかったのはほかならぬナデシコである。彼女はいまだに「嫁? え? 嫁ってなに?」と愕然としたままであり、エリセとタマモのやり取りを完全に聞いていなかったのだ。


 そんなナデシコをスルーし、タマモは「わかった。それじゃエリセのところに行くよ」と返事をした。


『……ほなすぐに迎えに参るなぁ』


 エリセはタマモの返事を聞いて、ほっと一息を吐くやいなや、チャットを閉じた。それからすぐにエリセはタマモの目の前にと現れたのだ。


「ほんまに急でかんにんえ」


 エリセは申し訳なさそうな顔をしていた。タマモは「気にしないでいいよ」と笑いかけると、エリセは「……旦那様」と頬を紅く染めた。


 急に姿を現したエリセとやり取りを行うタマモの姿に、「フィオーレ」の面々を除く全員が驚いた顔をしていた。


 それは明らかにNPCであるエリセがいきなり現れたことでもあるが、その美貌に目を奪われていたがゆえである。だが、どれほど目を奪われたところでエリセの心が誰に向いているのかは一目瞭然であるため、数人はがくりと肩を落としていた。


「それじゃ、行こうか、エリセ」


「はい、旦那様」


 タマモはエリセにと手を差し伸べる。その手をエリセはしっかりと掴んでから、レンやヒナギク、そしてユキナに目配せをし一礼をする。3人はそれぞれに笑って頷いていた。


「では、行ってきますね」


 タマモは頼もしい仲間たちに一言告げた。それからすぐにタマモとエリセの姿はふっと消えた。


 そうしてタマモは去年のクリスマスぶりとなる「水の妖狐の里」へと赴くことになったのだった。

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