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Ex-36 そよ風とともに

 アルトから遠く離れた東の第三都市ガスト。


 西の第三都市であるガウェスとは違い、そこはとても緑豊かな土地だった。


 正確には、緑が豊かすぎるという方が正しいか。


 ガスト周辺の土地は、あまりにも背が高すぎる木々に覆われた密林だった。


 その密林はガストから先のエリアまで続いているというのは、ガストに住まうNPCから聞ける情報であるが、同時に密林の大部分は未踏であった。


 NPCの話で聞けるのは、あくまでも人類が踏破できているのは一部分にしかすぎず、その踏破済みの場所に第三エリア以降の村や街は点在している。


 未踏の地にはエリア的に見ると不釣り合いな貴重な植物素材が入手できる可能性もあるらしいが、詳しいことはわかっていない。あくまでもNPCの話は先祖代々伝わってきたものであり、誰かが確認したわけではない。


 いや、確認しようとした者は歴史の中で多くいたが、そのほとんどが二度と戻ることもなかった。それゆえに未踏の地には人智を超えたなにかがいるというのが通説であり、ガストに住まうNPCは未踏の地には踏み込むなと最後に教えてくれる。


 その未踏の地。ガストへと続く街道から大きくそれた獣道の中に「紅華」の面々はいた。


 街道から離れること数百メートル。街道からそこまで大きく離れたわけでもないし、本来なら遠目からでも街道を眺めることもできるはずの距離だった。


 だが、「紅華」の面々には、もう街道の影も見ることさえ叶わなかった。


 それは、獣道の中が暗闇に支配されているからだ。


 ガスト周辺の地域は、もともと背の高い木々が生い茂る密林、いや、樹海であった。


 樹海を形成する木々は非常に背が高く、そして密集しているがため、木漏れ日さえも届かないほどに獣道は暗く鬱蒼としており、見えるのはすべて木々の太い幹くらい。その太さゆえに街道の姿は幹に完全に隠されてしまい、街道を確認することさえできなくなっていた。


 加えて、周囲の景色が変わらないことと日の光さえ届かない暗闇の相乗効果ゆえにか、樹海内部を少し進むだけで方向感覚に狂いが生じてしまい、現在地の確認さえも困難になってしまっていた。


 ただ、それだけであれば、時間を掛ければ樹海からの脱出自体は難しいことではない。


 問題なのは、木々の幹を、元の地肌さえもわからないほどに赤黒く塗り固められていること。その赤黒いものがなんの色であるのかは語るまでもない。


「……地獄絵図、かな?」


 目の前の木々の幹に触れてからすぐ、自身の手を見遣りながらローズは苦笑いを浮かべていた。


 ローズの手には赤黒い乾燥したものが付着している。鼻を近づけると、ひどく生臭かった。それこそ吐き気を催すほどの悪臭だった。


 その悪臭に顔を顰めつつ、ローズが振り返るとリップとヒガンの後衛コンビとリップの実妹であるサクラがリップの背中に縋り付くようにして体を震わせていた。


「あ、姐さん。やっぱりここは危ないってばぁ」


 サクラは涙目になりながら自身の背後を、これまで進んできた道を見遣る。その反応が示すものはひとつ。いますぐに帰りたいということだ。


 だが、ローズは「ダメ」と切り捨てた。そんなローズの返答に「そんなぁ」と不満半分恐怖半分で答えるサクラ。


 そんなふたりのやり取りにリップとヒガンは苦笑いしつつも、その顔はとても真剣なものだった。


「うちの愚妹じゃないけど、先輩ちょっとここは危険すぎません?」


「先輩が気合い入っているのはわかるんですけど、さすがにリスクが大きすぎるかもです」


 リップとヒガンは樹海内部を進むのは危険が大きすぎるとローズに進言する。その言葉にローズは少し考える素振りをするも、「いや、進みたい」と答えた。


 武闘大会はもうわずかという時期。結局「紅華」内でクラスチェンジができたのは、マスターであるローズひとりだけ。それでも特殊職である「疾風剣士」にと至っていた。


 リップたち三人もクラスチェンジはまだしも、レベル自体は揃って25を超えている。ローズに至っては30に達していた。


 残り時間を考えれば、これ以上のレベル上げはもちろん、三人のクラスチェンジは狙えないだろう。


 となれば、残る時間はチームワークの向上というのが大抵のプレイヤーの結論だろう。

 

 しかし、ローズは異なる結論を出した。


 それがここガスト周辺地域の未踏の樹海でのキャンプだった。


 正確にはキャンプというよりかは、とある目的のために未踏の樹海を練り歩くつもりなのだが、その目的達成がどれほどの難易度であるのかを徐々にローズたちは実感させられていた。


「ガストの人たちが樹海内に入るなっていうのもわかるね」


 ローズは触れていた幹を再び見遣る。幹にはローズの手の痕がくっきりと残っていた。それでもまだ元の地肌は見えない。いったいどれほどに赤黒く塗り固められたのかもわからないほどに、何重にも染まってしまっている。


「生存競争がずいぶんと激しいみたいですね」


「現実だったら腐乱した死骸とか白骨化したものとか、ゴロゴロ転がっていそう」


「や、やめてよぉ、姉ちゃん。そーゆーのを言うのなしだってばぁ!」


 リップの言葉にサクラは涙目どころか、完全に泣きじゃくりながらリップの背中を叩く。そんなサクラにリップは「ごめんごめん」と笑いながら謝っていた。


 そう、木々の幹を赤黒く染めているものは、生存競争に敗れた者の返り血である。それが樹海内部の木々のほとんどすべてを染め尽くしている。あくまでも「紅華」たちが進んだ距離までは。


 だが、街道から見れば入り口付近がそうなっているのだから、そのさらに奥地がどうなっているのかは想像に難くない。


 ヒガンが口にした通り、激しい生存競争の痕が至る所で見かけられる。ただ、リップの言うように現実ではないため、モザイク必須の光景はいまのところ見かけてはいない。もっとも木々に付着する何重もの返り血も、考えようによってはモザイク必須というべきなのかもしれないが。


「それでも進むんですよね、先輩?」


「あの子たちに負けないために?」


 リップとヒガンが問いかけると、ローズは笑みを消して真剣な様子で頷いた。


「いまのところ一勝一敗。となれば勝ち越しのために次は勝たなきゃかっこ悪いじゃん?」


 再び笑みを浮かべるローズ。だが、笑みを浮かべるもその目までは笑っていなかった。


「……まぁ、前回は先輩の専売特許で負けちゃったからね」


「こぉら、気にしていること言わないの、ヒガン」


 ヒガンの言葉に「痛いところを衝かれた」と言わんばかりに、腰に手を当てて注意を促すローズ。そこにリップが追撃とばかりに「でも事実じゃないですか」と告げた。その言葉にローズは言葉を詰まらせる。


「まぁ、負けたと言っても前回はレンくん相手だったし、タマモちゃん相手じゃないから」


「いいや、違うよ、ヒガン。前回もその前も個人個人じゃない。「フィオーレ」と私たちは戦ったんだ。最初は勝てたけれど、この前は負けた。だから次は勝ちたい。じゃないと、姉貴分としては格好がつかないじゃんか」


 以前の武闘大会も直近のお正月トライアスロンも、ローズは個人個人でぶつかったとは考えていなかった。


 クラン同士のぶつかり合い。


 成績上、武闘大会では勝てたが、トライアスロンでは負けたのだ。


 ローズにとって「フィオーレ」は妹分的なクランというイメージを抱いている。


 その妹分に成績上ではイーブンの戦績。姉貴分としては少し情けないとローズは思っていた。姉貴分であれば勝って当然だと思っている。


 もっと言えば、「フィオーレ」にとっての壁としてありたいのである。


「フィオーレ」の面々は、ローズから見ても才能の塊だった。


 将来的には、クランとしてぶつかり合うどころか、ローズ個人で戦ったとしても、勝てる見込みはないとさえ感じていた。


 だが、それはまだいまではない。もっと先のこと、将来的にはという意味だ。


 将来的には負けることになっても、いまはまだ勝てる。そうローズは思っているし、まだまだ壁のひとつとしてあり続けたいと思っているのだ。


 だからこそ、前回のトライアスロンで惜敗したことは、ローズにとっては痛恨事だった。


 なにせ、ヒガンの言う通り、自身の専売特許とも言える速さにおいてでの負けだった。いくらか特殊な形ではあったが、それでもあの戦いでは速さが求められていた。その速さにおいて、ローズは絶対の自信を持っていた。その速さで惜敗を喫してしまった。


 壁としてあり続けたいと思っていた矢先の敗北。二回の対戦において、イーブンに持って行かれてしまったのだ。


 それに最初の勝利とて、薄氷の上の勝利だった。


(……あのとき勝てたのは、タマモちゃんが私の体を最後まで離さなかったから。もし途中で離していたら、私を地面に叩きつけるようにして放り投げていたら、勝敗は逆だった)


 途中まではローズの思惑通りの展開だった。


 低ステータスというタマモの最大の弱点を衝いて、場外へと押しだそうとした。下手な搦め手を使うのはかえって危険であることはバルドたち「フルメタルボディズ」戦で明らかだった。


 だからこそ、真っ正面から全力でタマモを押し出すことにしたのだ。結果は途中まではうまく行った。だが、途中から逆襲に遭い、消耗戦に持って行かれてしまった。それでも最後の最後で勝利を得た。


 しかし、それもタマモがローズの体を離さなかったからこその勝利だ。もし、途中でタマモがローズを離していれば、勝敗は逆になった可能性が高い。


 そもそも、相手は当時始めたばかりの初期組のプレイヤーだった。初期組の相手と侮る気はなかったけれど、それでもベータテスターであるローズとは経験に大きな差があった。そんな相手に薄氷の勝利を掴んだ。個人戦の試合に乱入したプレイヤーのように最強の一角なんだと嘯くつもりはないが、思うことがなにもないわけではない。


 それでも勝ちは勝ちだ。ただ、ローズの中では勝ちではあるものの、引き分けに近いレベルの勝ちというイメージがどうしても拭えなかった。


 リップたちには言っていないが、「フィオーレ」の対戦においては、一敗一引き分けというのがローズの本心であり、勝ち越しどころか、すでに負け越していると思っていた。


 このまま負け越しなのは我慢ならなかった。


「フィオーレ」の面々は嫌っていないどころか、かわいく思っているくらいだ。それでもかわいい妹分たちにこのまま負け越しているというのは、姉貴分として情けなさすぎる。せめてイーブンに持ち越すためにも、今回の武闘大会では絶対に勝ちたい。それこそはっきりと誰もが勝利だと思うようにして勝ちたいのだ。


 そのためには残りわずかな時間しかなくても、成長を望むためにこの樹海にやってきたのだ。


 その理由は発信者はわからないが、ある噂を信じたがゆえにだ。


 その噂とは、樹海内に住まう謎の老師に会うためだ。


 掲示板内でここ最近で語れるようになった謎の老師。


 誰が発信したのかも、具体的にいつからなのかもわからない。


 だが、誠しなやかに噂されるようになったのが謎の老師だった。


 それは西のガウェス近郊の岩山に現れる少年のものとほぼ同じもの。異なるのは西のガウェスではなく、東のガストの樹海内に現れることと、少年ではなく老師と言うべき風情の老人だということ。


 その老師に教えを授かるためにこうして樹海内を進んでいるのだ。


 だが、思っていた以上に、樹海内は地獄のような場所だった。


 いまのところ、モンスターと出会ってはいないため断言はできないが、「紅き古塔」のような高難易度ダンジョンを思わせる雰囲気はあった。最低でも「古塔」クラスのモンスターが現れてもおかしくはないとローズは感じている。


(虎穴に入らずんば、かな?)


 だが、それでも求めるものがある。そのためには危険に身を晒そう。そう決意を新たにしながら、ローズは目の前の大木の幹を迂回するべく一歩踏み出した、そのとき。


「それ以上先はやめておいた方がいいぞ、お嬢ちゃんや」


 不意にどこからともなく声が聞こえてきた。


 嗄れているが、力のある声だった。


 だが、出所はわからない。


 ローズは振り返って、リップたちを見遣るが、リップたちは首を振るだけ。ローズの場所から見えないところにいるわけではないようだった。


「あなたが老師、ですか?」


 ローズはどこにいるかもわからない声の主に向かって尋ねた。


「老師。まぁ、そうさな。お嬢ちゃんたちから見れば、老師と言われてしまうかの?」


 ほっほっほとテンプレートな笑い方をする声の主。嗄れた声といい、笑い方といい。典型的な老人の特徴をこれでもかと踏襲しているようだ。


「しかし、この樹海に迷い込む者はいても、みずから進んで入り込んでくる者など、ずいぶんと久しぶりじゃなぁ。それもひとりどころか4人もとはのぅ。しかも全員べっびんさんと来ているし、体つきもなかなか。いろんな意味で目の保養になるのぅ。ほっほっほっほ」


 またもテンプレートな笑い方をする声の主。しかし、言っていることはやや問題である。サクラが露骨に顔を顰めて、「エロじじぃかぁ」とげんなりとしている。


「こ、こら、サクラ!」


 リップが慌ててサクラを叱るも、サクラは「だってぇ」と唇を尖らせる。サクラの言い分もわかる。それくらいに不躾かつセクハラ発言だったのだ。ローズとてこんな状況でなければ、サクラと同じ反応をしていた自信があるほどだ。


 それでも、いまは状況が状況だった。たとえセクハラエロじじぃだとしても、その力が本物なのであれば、教えを受けたいのだ。すべては──。


「うちの子が不躾なことを言い、申し訳ございません」


「気にしなくてよいぞ? エリセにもよく言われておったからのぅ。お戯れが過ぎるとな」


「……エリセ?」


「我が輩が、目を掛けておる女子のことじゃ。愚者の一族の出ではあるが、あれはとても優れておる。歴代の当主の中で見ても、最優と言ってもいいじゃろう。まさに鳶が鷹を産むというところか。あれの弟もまだ幼くはあるし、姉と比べようもないが、あの一族から出るとは思えぬほどに秀でておる。本来なら姉を支えるのが一番望ましいところではあるが、嫁入りしてしまったからのぅ。まぁ、あれはあれで一族を率いることはできるじゃろうなぁ」


 声の主は聞いてもいないことをつらつらと話していく。お家事情があることはわかるのだが、詳細がわかっていないため、どう反応するべきなのかがわからなかった。


「おっと、すまんの。そなたらには関係ないことであったな。まぁ、直接関係はなさそうじゃが、間接的には関わるのかの?」


「間接的に?」


 どういう意味か、ローズにはわからない。リップたちを見るもやはりわからないようで首を振るだけである。


「なにせ、そなたたからはわずかにだが、狐の匂いがする。それもこれは「金毛の妖狐」か。となると、そなたらは「タマモ」という女子を知っておるな?」


「え? あ、はい。知っています。というか、私たちがここにいるのは、そのタマモちゃんに勝つためです」


「ほぅ? 婿殿に勝つためか」


「婿殿、ですか?」


 なんのことだろうと首を傾げるローズに、声の主はおかしそうに笑った。


「うん? 婿殿というのは、そのタマモとやらのことじゃよ。エリセの良人であるからのぅ」


「え? タマモちゃん、お嫁さんがまたできたんですか?」


 声の主の言葉にローズは固まった。


 掲示板でタマモに嫁ができたということは知っていたが、まさかもうひとりできていたとは思っていなかったのだ。


 というか、ここ最近は掲示板を眺めても攻略系のものばかり見ていたため、雑談系のものは一切見ていなかったローズは、タマモの現状をまるで把握していなかった。


 それはローズだけじゃなく、「紅華」の面々全員がである。声の主からのまさかの情報に全員が唖然となっていた。


「ふむ。どうやらなにかしら事情があると見える。痴情のもつれというわけでもなさそうじゃし、どれ、少し話を聞くとするかの」


 そう声の主が言うやいなや、不意にその場に風が吹いた。


 その風は荒々しいものではない。


 どちらかと言えば、そよ風のように柔らかな風だった。


 だが、そよ風でありつつも、たしかに全身を包み込んでいった。


 その風がやんだとき、ローズとリップたちを分断するように、4人のちょうど中央に位置する場所に老人が立っていた。


 老人はいわゆる漢服と呼ばれる中国の伝統衣裳に似たものを身に付けていた。黒を基調としたものだが、ところどころに竜の刺繍が入っていた。


 ただ着ている老人自身は、温厚そうな腰の曲がった人物で、若干のギャップを感じられた。


 だが、どういうわけか、ローズは全身に鳥肌が立っていた。老人を見ているだけなのに、寒気が収まらない。それはローズだけじゃなく、リップたちも同じようだった。そんなローズの様子を見ても、老人はテンプレートな笑い声を上げるのみ。そうしてひとしきり笑い終わった後、老人はみずから名乗り出た。


「さて、お嬢ちゃんたちから話を聞く前に、まずは名乗らせて貰うおうかの。我が輩は聖風王。古代竜にして、四竜王の長の聖風王じゃ。どれだけの付き合いになるのかはわからぬが、まぁ、よろしくのぅ?」


 老人こと聖風王はローズたちにとそう名乗り出るのだった。

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