54話 神鳴剣士
冷たい小川に身を晒し、レンは呆然となりながら、テンゼンの介抱をしていた。
テンゼンはレンが叩き込んだ一撃で、左脇に叩き込んだ一撃により、噎せ込みながら脇を押さえている。
いくらゲーム内とはいえ、急所のひとつに鉄の塊をぶつけたのだ。
とっさにテンゼンが鞘を差し込み、衝撃の大部分を逃していたとはいえ、それでも痛みがないわけじゃない。
どんな弱い衝撃でも急所に入れば、たとえテンゼンほどの強者でも膝を着くのも無理もない。
そんな兄をレンは介抱していた。介抱しつつも、視線はどうしても目の前に表示されたポップアップに向いてしまうが、その度にテンゼンへと視線を向け直す。
兄がこうなったのは、すべてレンの模擬戦に今日まで付き合ってくれたからだ。その兄の介抱の最中に自分のことに気を向けてしまうなど、どう考えても人としてダメだろう。そう自身を叱責しながら、レンは兄の介抱に集中しようとしていた。
「……気になるんだろう? ならそっちからやればいい。僕のことはあまりに気にしなくてもいい」
「だけど」
「いいさ。そもそもおまえのためにやったわけじゃない。あくまでも暇つぶし兼獲物が弱すぎるとつまらないっていう、僕個人のためにおまえの特訓に付き合ってやっていただけのことなんだ。その結果、獲物の逆襲を喰らってこうなった。ただそれだけのことだ」
悪ぶりながらテンゼンは言い放つ。口元にニヒルな笑みを浮かべているものの、その言葉がすべて本気で言い放ったものでないことなんて、レンにはとっくにわかっていた。
これもすべてレンが自身のことに集中できるように、テンゼンなりの気遣いをしてくれているだけだ。
「……兄ちゃんは変わらないね」
「……やめろ。僕は変わったぞ。おまえなんて大っ嫌いだ。このゲームをしているのだって、この中だったら、おまえを殺し放題だからしているだけだ。現実だったら、妹殺しなんかしたら塀の中に叩き込まれるだけなのに、この中であれば合法でできるからしているだけだ」
テンゼンはぶっきらぼうに言い切った。
どうしてここまで悪ぶるのかはわからない。その理由まではレンには理解できない。それでも兄なりの理由があることはわかる。そうでもなければ、テンゼンは、レンの大好きな兄はこんなことをする人じゃない。
レンに嫌われ、恨まれようとも為さなければならない理由がある。レンの知っている兄は、どうしても為さなければならないとならば、自分を悪者にすることだって平然とできる人だった。その裏でひとり涙を流す。誰にも気づかれないようにひとり静かに泣く。兄はそんな強くて弱くて、そして優しい人なのだから。
「……俺は好きだよ。宏明兄ちゃんのこと、大好きだ」
「……っ」
レンは悪ぶるテンゼンを後ろから抱きしめた。現実であれば真逆の姿。そう、いまのレンとテンゼンの見た目はちょうど真逆なのだ。レンの姿は兄をどことなく意識したものだったが、テンゼンのそれは現実のレンそのものの姿だった。
いわば現在のふたりの姿は、現実の光景そのものでもある。ただ、中身が違うだけ。中身が入れ違っているような状況だった。
「……やめてくれ。実妹にそんなことを言われても嬉しくもなんともない。気持ち悪いだけだ」
テンゼンは顔を背けていた。背けたまま、静かに体を震わせている。
寒さではない。小川の水は冷たいけれど、もう気にならない。それはテンゼンも同じはず。そのテンゼンが体を震わせている。それがどういうことなのかなんて、考えるまでもないが、それを指摘する気はレンにはなかった。テンゼンもされたくないだろう。
「……いい加減離れろ、愚妹。暑苦しいんだよ」
「そう? 俺は寒いからさ。少しだけこうしていい?」
「どうせ、おまえのことだ。なにを言ったってやめてくれないんだろう? 好きにしろ」
「うん。好きにする。ついでに、このまま確認してもいいかな? 兄ちゃんが付き合ってくれた成果を」
「……勝手にしろ」
テンゼンは相変わらずぶっきらぼうだった。
だが、それでも兄であることは変わらない。
大好きな兄はなにも変わっていないのだ。
かつてとはぬくもりは違う。
それでも目の前にいるのは大好きな兄だった。
レンは兄を強く抱きしめながら、表示されていたステータスを見遣る。ヒナギクは複数の選択肢があったようだが、レンの場合は選択肢はなく、表示されているのはひとつの職業のみだが、その能力は破格なものだった。
レン
レベル25
剣士→神鳴剣士
HP1091→1309
MP600→660
STR 20→24
VIT 15→18
AGI 20→26
DEX 22→33
INT 13→14
MEN 11→12
LUC 7→8
SKILL 神鳴剣(NEW)、狙い打ち(NEW)、致命発生率上昇(小)(NEW)、致命威力上昇(小)(NEW)
レンの新しい職業は「神鳴剣士」とあった。
「かみなり」なのか「しんめい」なのかはわからないが、運営の趣味を考えれば、おそらくは「しんめい」だろう。
その「神鳴剣士」はステータスや追加スキルを踏まえる限り、スピードで攪乱させてからの致命の一撃、クリティカル攻撃を狙う、いわゆるクリティカルアタッカーのようだ。レンの現在の戦闘スタイルと非常に噛み合う、まさにレンのためだけに用意されたような特殊職だった。
追加スキルの内、後半ふたつは見たままのものなので確認する必要はなかったが、前半二つは聞いたことのないスキルだった。
確認すると、「狙い打ち」はDEXの数値換算で致命発生率と致命威力をそれぞれ上昇させる効果があり「致命発生率上昇」と「致命威力上昇」の両スキルとそれぞれ相乗効果があり、実質「致命発生率上昇」と「致命威力上昇」の強化スキルだった。
そして「神鳴剣」は、雷を纏った一撃を放つ、というわけではなく、AGIの数値換算で致命関係のスキルの効果を上昇させる効果があるパッシブスキルだった。やはりこれも「致命発生率上昇」と「致命威力上昇」の両スキルと相乗効果があった。
今回追加されたすべてのスキルは、致命関係、クリティカル関係のパッシブスキルであり、それぞれ現在のレンのステータスだと、単独では小の効果しかない。だが、すべてが相乗した場合、その効果は大に匹敵するだろう。
「さすがに毎回クリティカルというわけじゃないだろうけれど、これはこれでありだなぁ」
「……やりすぎだな、これは」
表示されたクラスチェンジ先の情報を確認し、上機嫌になるレンとその内容に頬を引きつらせるテンゼン。
レンの言うとおり、毎回クリティカルになるわけではないが、通常よりも高確率で一撃がクリティカルになるというのに、そこにレンの戦闘スタイルとなると、もはやクリティカルの嵐とでもいうべき対峙者にとっては「勘弁してくれ」と言いたくなる状況と化すだろう。
現状レンと対峙することが多いテンゼンにとって、クラスチェンジしたレンの相手は骨を折ることになるだろう。
確定した未来に頬の引きつりが止まらないテンゼンと対照的にほくほく顔で喜ぶレン。
そんな対照的な姿を見せる兄妹ではあったが、その体勢はさきほどとなにも変わらない。
冷たい小川の水に身を晒しながらも、その距離はゼロだった。その光景はまるで兄におぶられる妹のようにも見える、とても微笑ましく、そして穏やかなものだった。
その姿をひっそりと影から見守る者がいた。
だが、その人物にふたりは気づくこともなく、しばらくの間、そんな穏やかな姿をさらしていたのだった。




