52話 家族の時間
「──だ、大丈夫?」
日が高く昇り、そろそろログイン限界が近付いてきた頃、レンは目の前にいるテンゼンの介抱に勤しんでいた。
「……なんとか、な」
真っ青な顔をして、短く返事をするテンゼン。
その返事だけで精一杯だというのは明らかであり、ゲーム内のこととはいえ、遺恨があるテンゼン相手であっても介抱しないという選択肢はレンにはなかった。
「あー、その、なんか、ごめん?」
正直言って謝る理由はレンにはなかった。
というか、レン自身理解不能な状況だったのだ。
泣いてしまったことは事実であるが、それだけでなぜ運営が介入してくるのかが理解できない。
アバターだけを見れば、無駄のない筋肉に覆われたレンが、小柄な、どう見ても少女としか見えないテンゼンの前で泣いただけ。
それだけのことで運営が介入するというのは、どうにも頷けないものがある。
(さっきのGMって、たしかソラさんだったよな?)
介入してきたGMはソラだったが、そのソラがなぜ介入してきたのかがレンにはさっぱりと理解できなかった。
(昨日、いろいろと話はしたけれど)
昨日、ソラとひょんなことで話をする機会はあった。
ソラ曰く、急に指名の呼び出しを受けたらしい。普段はそんな呼び出しは受けることはないらしいのだが、昨日はスケジュールに問題もなく、ちょうど暇をしていたので呼び出しを受けたらしい。
だが、そうして訪れた氷結王の御山には、呼び出ししたプレイヤーはおらず、「騙された」と思った矢先に、力なく倒れていたレンがいたそうだ。
そこからなんやかんやとソラの時間が許す限りの話をしたのだ。
ソラ曰く暇だったからであり、本来ならしないことだったらしい。
最後には「楽しませて貰えましたよ」と笑ってソラは見送ってくれた。
ソラの時間いっぱいとは言うものの、実際にはレンのログイン限界の方が先だったため、ソラに見送られる形でレンはログアウトをしたのだ。
ソラとは時間が許す限り、いろんな話をした。
さすがに家族などのプライベートな話まではしなかった。
だが、それ以外のことであれば多少はした。
その多少の中には、テンゼンのことも含まれていた。
テンゼンが実の兄であること。
その実の兄に嫌われているということ。
その兄に稽古を付けて貰っていること。
なのに、一向に成長ができないこと。
それらすべてをレンはソラに話していた。
確実にソラの業務とはなんの関係もないことだ。
それでも、ソラはすべて聞いてくれた。
お互いに大木の幹に寄りかかりながら、夜空を見上げながら話をしたのだ。
その最中でソラがとんでもない美人さんであることはわかった。
なのに、どうにも芋臭いジャージと瓶底眼鏡という、芋臭さを二重三重にさせてしまっているのが、なんとももったいなかった。
曰く現実でも同じ格好をしていて、下手に着飾るよりも楽でいいらしい。現実でもゲームでも着飾ることは、これからもないということだった。
そんなソラの頑なさにレンはつい笑ってしまい、そんなレンにつられてソラも笑っていた。
色気のある内容ではないけれど、レン自身ソラとの時間は楽しめたし、アドバイスも貰っていた。
(ソラさんは、「焦らなくてもいいですよ。いまのままで行けばあなたの目標にたどり着けますからね」って言ってくれたんだよな)
レンが憶えている限り、ソラはたしかにそう言ったのだ。
「本当は業務上、こういうことは言っちゃいけないんですが、今回は特別のヒントです」と内緒話という体で教えてくれたのだ。
たぶん、それでも本来ならタブーに近い行為だろう。
さすがにアカウントを凍結させられることまではないだろうが、注意を受ける程度はあることだった。
だが、いまのところレンに注意勧告はない。
運営も多目に見てくれたのかもしれない。
それもすべては「フィオーレ」に所属しているからだろうとレンは思った。
「フィオーレ」はゲームのHPを見る限りは、運営の推しのクランだ。
なにせ、「フィオーレ」の存在が、現時点でゲームを盛り上げていることは事実なのだ。
現に掲示板を見る限りは、「フィオーレ」の活躍を見て、ゲームを始めたというプレイヤーが一定層おり、そのプレイヤーは今後も増加していくだろうと掲示板では語られていた。それが事実であれば、その「フィオーレ」所属のレンに少しばかりのアドバイスをしたとしても、拡大解釈になるだろうが、業務上に必要なことと判断される可能性はある。
あくまでも拡大解釈という名の、半ば言い訳のような内容ではあるが、現時点での「フィオーレ」の活躍を踏まえれば、その手助けをしても結果的に運営としてはプラスに繋がる可能性は高くなる。
以前に、クリスマス直前に面会したエルというプロデューサーであれば、拡大解釈込みで今回のソラの行動を不問とすることは十分に考えられる。多少のおとがめはあっただろうけれど、先ほどテンゼンを連行したように今日もソラがGMとして活動しているところを見る限りは、そこまでのおとがめはなかったようだ。
ソラがその程度であれば、レンにも注意勧告がないというのもなんとなくは理解できる。理解できるが、「本当にいいのかな」とレンは思う。ソラには多少のおとがめはあったのであれば、自身にもなにかしらのマイナスがあって当然だとレンは思っていた。
(ソラさんが聞けば、「本当に真面目さんですねぇ」と苦笑いするんだろうなぁ)
レンがいま思ったことを聞けば、確実にソラはそう言うだろう。その程度の関係は昨日の一時で構築できたという自負がレンにはある。
あるにはあるが、それを悪用するつもりはレンにはないし、ソラも悪用されるくらいであれば、あっさりと見切りを付けるだろう。ビジネスライク的な関係とまでは行かないが、近い関係性ではあることはたしかだった。
現状のレンにとってソラというのはその程度の関係としか思えなかった。そのレンの言葉を聞いて、ソラがどう思うのかは現在のレンにはわかっていなかったし、想像もついていない。が、現状レンがどう思っているのかまではソラさえもわかっていなかった。
ほぼすれ違いの形で再会したという程度の現状で、関係性の向上を望めるわけもなく、ふたりの関係は変わらない。
その余波を受けたテンゼンは、完全にとばっちりでグロッキー状態になっていた。
テンゼンにとっては「勘弁してくれよ」と言いたくなる状況だった。テンゼンとしてはできる限りのフォローをしたつもりだったが、ソラは聞く耳持たず、曰く「問答無用」だったのだ。
テンゼンにとっては「虐めた」つもりはないのだ。
だが、ソラにとってはそう見えたということ。
それが運の尽きだったのだ。
そんなテンゼンの内面を知る由もなく、レンはテンゼンへの気遣いをしていた。そんなレンの気配りを受け、「あぁ、こういうところがこいつのモテる理由なんだろうなぁ」と何気なく思ったテンゼン。
もっとも気配りをする=モテるというのは若干異なるわけだが、その点は女性とそういう関係になったことがない=年齢であるテンゼンにはわからぬことであった。
「……僕のことは気にしなくていい」
「だけど」
「いいさ。こういうのには慣れている。じいちゃんの稽古に比べればどうってことはない」
そう言って、重い腰を上げるテンゼン。まだその顔は若干青い。
だが、テンゼンは気にするなというだけなので、レンとしてはそれ以上声を掛けることはできないし、どのみちログイン限界が近付いてきている事は変わりない。気がかりであることはたしかだが、これ以上はどうしようもない。
ただ、それでも言えることはあった。
「あの、さ」
「うん?」
「……たまには帰ってくれば? 兄貴たちや親父も会いたがっているし」
プレイヤーであるテンゼンにではなく、実の兄に対しての言葉を掛けるレン。その言葉にテンゼンは少しの間考えた素振りをすると一言言った。
「……考えておくよ」
「うん。待っている」
「……そういうところだぞ、おまえは」
やれやれと肩を竦めるテンゼン。
そんなテンゼンにレンは心の底からの笑みを浮かべた。
その笑みにテンゼンは目をほんのわずかに細めるが、深くフードを被っているため、その変化にレンが気づくことはなかった。
だが、そのときのふたりのやり取りは、どこまでも穏やかなものだった。その穏やかな雰囲気のまま、ふたりはログイン限界を迎え、それぞれに別れた。そのふたりの姿を密かに見守っていた存在がいたのだが、そのことにふたりは揃って気づくことはなかった。




