40話 姉妹
暮れなずむ街中にある、オープンテラスを構える一軒の喫茶店。
そのオープンテラスの一角にヒナギクとユキナの姿があった。
非常に落ちついた様子のヒナギクと、若干目元が紅く腫れているユキナ。
ふたりの様子からして、なにかしらの修羅場でもあったのかと思われなくもない光景。
しかし、実態は修羅場などはなく、ヒナギクの様子と同じく、その雰囲気はとても落ちついたものだった。
「──落ちついた?」
「……はい」
紅茶を片手に対面のユキナへと声を掛けるヒナギク。
対するユキナは、両手でティーカップを包み込みながら、静かに頷いていた。
紅く腫れたユキナの目元はとても痛々しかった。
その目元を目にして、ヒナギクの表情がほんのわずかに強ばる。
強ばるものの、その感情がどこへと向いているのかなんて言うまでもない。
「……ごめんね。もっと早く止めておけばよかったよ」
「いえ、ヒナギクさんのせいじゃないです」
「ううん、私が悪い。唐突すぎて反応できなかった。そのせいでユキナちゃんを傷付けちゃった。本当にごめん」
「そんなことは」
「あるよ。少なくとも私なら最初から守ってあげられたもの。なのに最終手段を用いてようやくだからね。本当に情けないよ」
「……ヒナギクさん」
ヒナギクの言葉にユキナの表情が和らいでいく。
それでもなお、ヒナギクの表情は強ばってしまっていた。
ふたりが話しているのは、ほんの少し前に起きたこと。
タマモの店へと向かっている途中で、ユキナが通行人の男性プレイヤーとぶつかり、一方的に絡まれてしまった件についてである。
本来であれば、ユキナも件の男性プレイヤーも双方ともによそ見をしていた。
その結果の衝突であるため、本来なら双方ともに謝罪をして終わりという、とても単純な事件だった。いや、事件にもなりもしない、日常のちょっとした失敗談で終わる程度の話だったのだ。
それが、ちょっとした事件にまで発展したのだ。
結果から言うと、ヒナギクを含めた三人はそれぞれ別個の通称「お話ルーム」にまで連行されることになった。そこで件の男性プレイヤーは運営から厳重注意処分、ユキナは軽いお叱り程度、そしてヒナギクは男性プレイヤーほどではないが注意を受けることになった。
男性プレイヤーが三人の中でもっとも重たい処分を受けたのは、ユキナとともに問題があったのに、一方的に言い募ったためである。恫喝と言ってもいいレベルだったが、初犯であるため今回は厳重注意という形だが、次はないと思えというのが男性プレイヤーへの運営からのお達しであった。その内容に男性プレイヤーの顔が真っ青になったのは言うまでもない。
ユキナに対しては、「憧れている人と一緒に行動して、はしゃいでしまうのもわかりますが、もう少しだけ落ちついて行動してくださいね?」とまだ涙目であったユキナを宥めつつも、しっかりと釘を刺す形で終わらせていた。その言葉にユキナは小さく「ごめんなさい」と謝っていた。そんなユキナに担当していたGMは笑いながらユキナの頭を撫でていた。
そしてヒナギクにはと言うと、今回は相手が相手だからと言って、即座に手を出すというのは褒められたものではない。実力行使以外にもやり方はあるのだから、もう少し落ちついて行動するようにとそれなりに強めの言葉で注意を受けた。その一方で「まぁ、個人的にはスカッとしましたけどね?」と担当していたGMがにやりと笑っていたのが印象的だった。
三者三様のお達しを受けて、三人は開放されることになった。
件の男性プレイヤーは逃げるようにそそくさといなくなり、残されたヒナギクとユキナはと言うと、現在いる喫茶店で一休みすることにしたのである。理由はユキナがまだ涙目であったことが理由である。
開放されたとき、ユキナが涙目であったのを見て、ユキナもお話ルームで絞られたのだろうかと思ったのだ。
実際には男性プレイヤーに詰られたことをまだ気にしていただけだったのだが、ヒナギクには、ユキナが絞られてしまったがゆえにという風に捉えてしまった。
このまま、タマモの店に行くのは憚れたし、ヒナギク個人的にユキナに謝りたかったこともあり、ちょうど近くで軒を構えていたこの喫茶店で一休みすることにしたのだった。
そうして入店した喫茶店で、対面に座ってユキナが落ちつくのを待つことをしばらく。ユキナが泣き止んだのを見計らってヒナギクが声を掛けた。
ユキナはヒナギクからの謝罪に慌てていた。
ユキナとしては担当していたGMから言われた通り、自身がはしゃぎすぎていたのが原因のひとつであることを自覚していた。無論、ユキナだけのせいではなく、あの男性プレイヤーにも非があるわけだが、双方ともにではなく、どちらかがちゃんと周囲の確認をしていたのであれば、こんな事件にまで発展していなかったのだ。
そのことを当事者であるユキナはきちんと受け止めていた。だからこそ、ヒナギクに謝られる筋合いはないのだ。むしろ、ユキナとしてはヒナギクを巻き込んでしまったことに負い目を感じてさえいる。
そのヒナギクに謝られてしまった。ユキナとしてはどうすればいいのかはまるでわからなくなってしまう。だからこそユキナは慌ててしまっていた。
そんなユキナにヒナギクは淡々と自身の行いを謝罪した。特にあの男性プレイヤーに詰られる前に守れなかったことに対してをだ。
ヒナギクの言うとおり、ヒナギクであれば、男性プレイヤーに詰られるよりも早く動くことはできた。
男性プレイヤーが第一声を放ったと同時に、いつもであれば即座に噛みつけた。
しかし、ヒナギクは男性プレイヤーの発言に唖然となってしまったのだ。
あまりにも一方的すぎる言い分に、噛みつく気力が損なわれた。というか、不意を突かれすぎて動くに動けなかったのである。
結果、男性プレイヤーを調子に乗らせてしまい、ユキナを傷付けさせてしまった。そのうえでの最終手段に出てしまった。
どう好意的に解釈したとしても、ヒナギクの行動は褒められたものではない。少なくともヒナギクは自身の行いを心から反省していた。
ヒナギクを担当していたGMにも「ほかにもやり方はあっただろうに」と言われていたが、ヒナギクもその通りだったと思っている。もっとやり方はあった。あったはずなのに、手を拱いているうちに、ユキナに被害が及んだのを見て、ついカッとなってしまった。
これがPvPの最中であればまだいい。PvP自体は武闘大会があるように、運営的にはなんの問題もない。
しかし、今回はPvPの最中ではなく、街中でのちょっとした失敗談が事件へと発展してしまったのだ。
これが現実であれば、男性は恫喝、ヒナギクは暴行とそれぞれに罪を問われることになりかねない。
それゆえに、運営は男性を厳重注意、ヒナギクも注意とそれぞれに勧告したのだ。
その背景を理解しているがゆえに、ヒナギクはひどく落ち込んでいた。
だが、どれだけ落ち込んだところで、ユキナへの贖罪に繋がるわけでもない。
ヒナギクにできるのは、いや、ヒナギクが考えついたのはユキナへの謝罪。それだけだった。
そうして謝罪をしたヒナギクだったが、ユキナからの反応が芳しくないのを見て、謝罪は逆効果だったなと改めて反省した。
だが、謝罪がダメなのであれば、もっと別の方法で贖罪するしかないと思い、ヒナギクはいろいろと考え、そして──。
「あの、ユキナちゃん」
「は、はい?」
「……なにかしてほしいこと、あるかな?}
「え?」
「いや、その、謝ってもユキナちゃんがかえって気にしちゃうみたいだからさ。なら、謝るんじゃなくて、なにか別の形でと思ったんだけど、思いつかなかったから、ユキナちゃんが私にしてほしいことがあったらそれでどうかなぁと思ったり、思わなかったり」
やや早口で言い訳めいたことを口にするヒナギク。若干、いや、だいぶ苦しいかなぁと思いつつも、実際にそれ以外で思いつくことがなにもないのだ。どれだけ苦しい言い訳であろうとも謝罪ではどうにもならないのであれば、もはや取れる手段はひとつだけなのだ。
(なにを言われるかなぁ。大変なことでも、いまならある程度までは付き合えるけれど……本当になにを言われるかなぁ)
自分から言い出してなんではあるが、ユキナからの返答が若干怖いヒナギク。
どういう返答があろうとも、すでに身を委ねているが同然のヒナギクにとっては、ユキナの返答を受けざるを得ないわけだが、その内容ができればささやかであればいいなぁ、と少し身勝手なことを考えていた。
そうしてしばらくユキナの反応を見守っていると、ユキナが恐る恐ると、しかしはっきりと答えを口にした。
「じ、じゃあ、その」
「う、うん」
「できればでいいんですけど」
「な、なにかな?}
ごくりと生唾を飲みながら、ヒナギクはユキナの返答を待つと、ユキナがついにそれを口にする。
「お」
「お?」
「お姉ちゃんって、呼んでもいいですか!?」
「……へ?」
ユキナは顔を真っ赤にしていた。
想像にもしていなかった返答に、唖然とするヒナギク。そんなヒナギクにユキナは自身の気持ちを吐露した。
「あの、その、私、前の武闘大会からタマモさんたちのファンだったんです。このゲームを始めたのも、おじちゃんがタマモさんたちの知り合いだったからで」
「おじちゃん?」
「あ。はい。えっと、ファーマーのデントさんのことです」
「……え?」
またも思いも寄らない内容に再び唖然となるヒナギク。おじちゃんという言葉の意味からして、ユキナがデントの姪であることはわかる。そう、あのデントの姪である。あのデントのである。
(……え? ヤバくない? この子、いろんな意味で大丈夫?)
ユキナの身の安全に気を揉み始めるヒナギク。ユキナが前の武闘大会のことから「フィオーレ」のファンだったということは聞いて嬉しくはあるが、その嬉しさ以上の衝撃がヒナギクに走っていた。
そんなヒナギクの動揺を知ることなく、ユキナは続けた。
「ずっと、ずっと憧れていて、それで実際にタマモさんと出会えて、一緒にお店もやれていて、そしたらヒナギクさんとも会えて。私舞い上がっていました。そのせいでヒナギクさんに迷惑を掛けちゃって」
肩を落としながらも気持ちを吐露し続けるユキナ。再びその目に涙が宿るのを見て、ヒナギクはなんとも言えない感情が胸に込み上がってくるのを感じていた。
「GMさんにもそのことで怒られちゃいました。「憧れの人と一緒にいられて、はしゃいでしまうのもわかるけれど」って。言う通りだなぁと思いました。はしゃいだせいで、ヒナギクさんに迷惑を掛けちゃって、本当に申し訳ないです」
「ユキナちゃん」
ユキナの言葉にヒナギクはなんて答えればいいのかわからなくなってしまった。そんなヒナギクにユキナは続けた。
「だから、ヒナギクさんに謝ってもらう筋合いというか、立場じゃないんです。でも、ヒナギクさんがそれじゃ気が済まないと仰るのであれば、その、本当に図々しいと思うんですけど、「お姉ちゃん」って呼ばせて欲しい、です」
「……えっと、どうして私に?」
「さっきも言いましたけど、憧れというのもありますけど、その、私お姉ちゃんっていないんです。私自身がお姉ちゃんなので、言われ慣れているんですが、言ったことないし、それに、その、ヒナギクさんがお姉ちゃんだったら嬉しいな、って思って、だから、えっと」
言葉が詰まり、どんどんと身を縮ませていくユキナ。そんなユキナにヒナギクは強い衝動に駆られていた。
(か、かわいい)
そう、ヒナギクはいまユキナに悶えていた。
ヒナギク自身、妹はいない。
近所に住まう年下の子たちからは「お姉ちゃん」と呼ばれはしているけれど、それだけである。
ユキナが持ちかけている内容は、言うなればその年下の子たちと同じように扱って欲しいというもの。
そうしてほしいのであれば、そういう扱いをすることにヒナギクも嫌ではないのだ。
ただ、その子たちとユキナとでは明確に違うものがある。
近所の子たちは昔から知っているということもあり、ある主の気安さとも言うべき親しみがあった。
だが、ユキナにはまだそこまでのものはない。その代わりにユキナからの視線には憧れというものが含まれていた。
その憧れの視線をいまのいままでは理解できなかった。
だが、理解したいま、その視線を浴びたことでヒナギクの中で開花したのが、庇護欲である。
要は、ユキナがかわいすぎて守ってあげなきゃいけないという使命感に目ざめたのである。
そうなれば、もはや言葉は不要であった。
「……わかった」
「え? じゃあ」
「うん。私がユキナちゃんのお姉ちゃんになってあげるよ!」
机を叩きながら立ち上がるヒナギク。
そこまで前のめりになる必要はあるのだろうかとふと思いつつも、ヒナギクからの許可を受けて喜色満面となるユキナ。
こうしていまここにひとつの姉妹が誕生することになった。後に最強姉妹と言われるヒナギクとユキナのふたりの関係が結ばれたのだった。




