36話 下山
複数の進化ルートを再び突き付けられたヒナギク。
現在の職業である「聖拳士」にクラスチェンジする前であれば、長い時間を掛けていたことだっただろうが、クラスチェンジを果たした現在、悩むこと自体はしたものの、その時間はごく短いものだった。
「これで──よし」
表示された選択肢の内のひとつを選ぶと、それまでなかった眩い光がセミラミスから放たれていく。
眩んでしまいそうなほどの強い光。
掲示板で聞いていたのよりもはるかに強い光だった。
タマモが「掲示板で載っていた話とは違って、目が開けられないくらいに光が強かった」と言っていたが、どうやらセミラミスもまた眩んでしまうほどの強さだったようだ。
(もしかしたら、ランクによって光の強さが違う、とか?)
掲示板の話を思い出す限り、掲示板で載っていたのはRランクだった。つまりRランクであれば、少し眩しいという程度で済むということ。
ヒナギクのセミラミスはSSRランク。
Rランクよりも2ランク上であり、タマモのURランクよりも1ランク下がる。
それでも稀少性の高いEKであることには変わりない。
その希少性の高さゆえに、進化の際の光も強くなるということなのだろうとヒナギクは思った。
そうして眩い光に包まれていたセミラミスだったが、ほどなくしてその光は消え、新しい姿となったセミラミスが、いや新しい姿となったヒナギクのEKが露わとなった。
「天杖ヴィヴィアンへと進化しました」
ヒナギクが選んだのは、有力視していた天杖ルートこと「天杖ヴィヴィアン」だった。
ヴィヴィアンの見た目は、単純に長い杖という印象だったセミラミスとは大きく異なっていた。長さ自体は変わらないが、色は銀へと変化していた。石突きから先端まですべてが美しい白銀にと変化したのだ。
唯一銀ではないのは、先端に埋め込まれた触媒らしき大振りの宝石。ルビーを思わせるほどの真っ赤な色のものだ。
「……きれい」
ほぅと感嘆の息を漏らすヒナギク。
ただでさえ一切の汚れのない白銀でほぼ統一されているところに、唯一のアクセントとして真っ赤な大振りの宝石が埋め込まれた姿は、どこか神秘的な美しさをかもち出していた。
いや、神秘的というよりかは、一種の神聖ささえヒナギクには感じられていた。
「……まさか、ヒナギク殿もか」
新しい姿になったセミラミス改め、ヴィヴィアンの姿にヒナギクが見とれていると、シュトロームが唖然となっていた。落書きフェイスでわかりづらいが、この半月ほどでどうにかシュトロームの顔付きの変化をヒナギクは理解できるようになった。
その理解力で踏まえると、現在のシュトロームは唖然、いや、愕然というべき表情になっている。
「どうされましたか、シュトロームさん」
ヴィヴィアンを片手に近付くヒナギク。あまりにも平常すぎる姿にシュトロームが若干戦慄するも、そのことに気づくことなくヒナギクはシュトロームのそばに寄っていった。
「いや、その、唖然となっていたのでな」
「それは見ていてわかりましたけど」
「え? わかった、のか?」
「はい、そうですけど?」
ヒナギクの返答に再度シュトロームは戦慄した。
というのも、シュトロームの表情の変化は、同じ眷属である部下のスライムたちでさえもわからないというほど。
理解してくれるのは、主である氷結王のみだった。
なのに、まさかヒナギクが表情の変化を理解して貰えたのである。
その衝撃はとてつもなく、嬉しいを通り越しすぎて、もはや戦慄にまで至っていた。
その計り知れない衝撃に戦きながらも、シュトロームはヒナギクに返答した。
「そ、そうか。ヒナギク殿は、なんというか、すごい、な」
「そうですか?」
「あぁ。すごい。うん、本当にすごい」
あまりの衝撃に、シュトロームの語彙は臨終した。
ヒナギクもシュトロームの語彙が急に乏しくなったことを訝しむも、「そういうときもあるのかなぁ」と思うことにした。
そうしてあっさりとシュトロームの変化を受け流してから、ヒナギクは本題に移った。
「それで、どうかされたんですか?」
「あ、あぁ、そうだったな。まぁ、なんというか、だな。……妖狐の周りにいる者は、いったいどうなっているのかと思ったものでな」
「タマちゃんの周りにいる人ですか?」
「あぁ。どうして誰も彼も神器持ちなのかと、つい頭を抱えたくなったのだよ」
「神器?」
オウム返しすると、シュトロームは「うむ」と深く頷き、その体から触手を伸ばした。
「ヒナギク殿の持つその杖は主神エルドの武具のひとつ、のはずだ」
「はず?」
「うむ。我が見たときの形状とだいぶ異なる。まるで本来の力を削げ落とされたようだよ」
「削げ落とされた?」
「そういう風に我には見えるな。形状もそうだが、杖自体から感じる力もそのときよりもだいぶ劣っているしな」
触手をまっすぐに伸ばし、ぺしぺしと叩くシュトローム。それから触手を見やり、「やはりな」と納得したように頷いた。
「もし、主神の武具のままであれば、近付いただけで我の体は崩壊するはずだ。実際、以前も崩壊し、危なく消滅するところであった。だが、いまこうして触れたところで崩壊はしておらん。そのときよりも進化しているというのもあるが、それでも主の母君が言うには、「自分以外が下手に近付くのは危険」と仰っていたので、おそらくはいまの我でも崩壊は免れぬはずなのだ」
そう言って触手をヒナギクに見せるシュトローム。突き付けられた触手は、崩壊どころか、なんの損傷もなく、きれいな半透明のままであった。
「よって、これは主神の武具ではない。正確には主神の武具のままというわけではなく、権能などを削ぎ落とされたのが、いまの姿だと思う」
「権能というと?」
「そこまでは知らぬ。だが、少なくともなにかしらの結界ないし領域のようなものを展開することだとは思う。そしてそれは所有者の意思で適応者が変化するのだろうな。でなければ、主の母君だけは近づけるということにはならぬと思う」
シュトロームの見解に「なるほど」と頷くヒナギク。
氷結王の母親に関して言えば、初耳であるため、どういう人なのかはわからないが、主神のそばにいられるほどに、主神からの覚えがあったということは間違いないだろう。
「最初、ヒナギク殿の持つ杖を見て「おや?」とは思っていたのだ。主神のそれに似てはいたが、あくまでも面影があるという程度だったので、あえて気に留めていなかったのだが、まさか、ヒナギク殿もかと思うと、もはや笑うしかないな」
やれやれとシュトロームがため息を吐いた。そんなシュトロームの様子に「そうだったんですか」と頷きつつ、「私も?」といまさらな疑問を抱くヒナギク。そんなヒナギクにシュトロームは破顔し、「ああ」と頷いた。……余人には変化が見えない落書き顔でだが。
「レン殿の持つミカヅチもやはり神器だ。そしてテンゼンの持つムラクモもまた、な。見事なほどに妖狐の周りにいる者ばかり、神器を持っている。偶然にしてはできすぎだと思うよ」
今度は呆れを多分に含ませたため息を吐くシュトローム。他にどういう神器があるのかはわからないが、少なくともレンとテンゼンのEKが神器であることは確定のようである。そしてヴィヴィアンとなったヒナギクのEKもまた神器。
たしかに見事と言わんばかりにタマモの周囲にいる者ばかりだ。それも全員がSSRというほぼ頂点に位置するランクの持ち主だ。
その上のURランクの持ち主であり、ある意味中心にいるタマモのそれが調理器具というのはなんとも締まらないが。そこまで考えてふとヒナギクは思った。
「あの、シュトロームさん」
「うん?」
「タマちゃんのも、神器なんですか?」
そう、タマモの周囲にいる、ヒナギクを含めた3人のEKはそれぞれSSRランク。仮にSSRランク以上が神器だったとすれば、タマモのURランクもまた神器という括りになるはずだ。調理器具が神器というのは、前代未聞すぎるものの、SSRランクであるヴィヴィアンとほかふたつが神器であれば、URランクである調理器具もまた神器でないとおかしいだろう。
「妖狐のもたしかに神器ではある。だが、あれは本来の神器を我が主の母君が変化させたものだ。あまりにも強大すぎたがゆえに、使い勝手をよくするためにな」
シュトロームの返答に今度はヒナギクが愕然とした。
「……調理器具なのに?」
「……うむ」
愕然としながら尋ねると、シュトロームもヒナギクの言わんとすることを理解しているのか、なんとも言えない顔で頷いていた。
タマモのEKはどうやら調理器具であるはずなのに、かなり特殊な背景を持っているようだった。
ヒナギクとしては「嘘でしょう?」と言いたくなることだったが、シュトロームはヒナギクの言いたいことを理解しつつも、深々と頷いた。
信じられないことではあるが、タマモのEKはかなり特殊なものであることは間違いない。本当に信じられないことではあるのだが。
「すごい、ですねぇ」
「うむ」
少し前のシュトロームのように、ヒナギクの語彙も崩壊してしまった。言いたいことはあるが、もはや「すごい」としかいいようがないのだ。
「まぁ、とにかく。ヒナギク殿の目的は一段落したのであろう? であれば、そろそろ下山するのもありではないかな? あ、決していてほしくないというわけではなくてだな」
シュトロームが慌てて言いつくろった。言っている通り、いてほしくないというわけではないのだろう。単純に目的を果たしたのであれば、これ以上の特訓は必要ないだろうと言ってくれているのだ。
それにそろそろ改めてタマモと顔合わせをしておくべきでもある。
「そうですね。一度下山します」
「その言い方だと戻ってこられるのか?」
「ええ。タマちゃんの様子を見たら、戻ってきます。進化したはいいけれど、まだ特性とか見極めていないですから」
「なるほど」
「それに、あのバカが無茶をしていないか確認しておかないとね」
「そういうことか。委細承知した。では戻られるときはまた連絡をしてほしい。そのときは迎えに出よう」
「ありがとうございます、シュトロームさん」
「いや、気になさるな」
シュトロームは笑っていた。さすがに笑顔はわかりやすいために、誰でも笑っているということくらいはわかる。
そんなわかりやすい笑顔を浮かべるシュトロームと笑い合いながら、ヒナギクは約半月ぶりとなる下山することを決めたのだった。




