20話 叔父ちゃんは辛いです
──1週間後。
「──ありがとうございました~」
最後の客が支払いを終えて、店を後にした。
その背中に恒例の挨拶を行ってから、タマモは店の囲いの前の「Open」の札を裏返して、「Closed」を表にした。
店内としているスペースには、いまのところスタッフはほとんど残っていない。
現実の飲食店ではありえないだろうが、ラストオーダーの時間になったら、一部のスタッフ──閉店後作業を行う者以外は、みな退勤させている。それは現実時間で言う昼の営業のときも同じだ。
店長であり、料理長でもあるタマモはどちらでも最後まで店内に残っているが、他のスタッフはそれぞれのローテーションによって退勤時間が違う。
エリセも基本的には最後まで店内に残ってくれているが、日によっては他のスタッフ同様にラストオーダー後に退勤して、ヒナギクとレンの元に向かったり、場合によっては実家でシオンの教育をしたりとしている。
基本的に最後まで残ってくれているスタッフは、主にデントとユキナのふたりだった。ただし、ユキナは昼は学校があるため、昼の営業時間はデントが、夜の営業時間はデントとユキナのふたりが残ってくれる。
いまは夜の営業が終わったところである。当初は昼も夜も同じ3時間ずつという営業形態にしていたが、昼と夜ではプレイヤーのログイン人口に違いがあり、それぞれ営業時間を30分ずつ減らしていた。
昼はやはりだいたいの人が仕事だったり、学校だったりとログインしている人数が、夜に比べると少なかった。
かといって、夜は夜でログインする人数は増えるが、増えた分だけいろいろと齟齬が出てしまう。主にスタッフそれぞれの人間関係的な問題がだ。
スタッフそれぞれに好嫌があるというわけではなく、単純にそれぞれのスタッフのフレンドないし同じクランのメンバーと関係によるものだ。
スタッフ全員がソロプレイヤーというわけではない。中には完全なソロプレイヤーもいるが、その数はそこまで多くはない。だいたいがどこかのクランに所属しているか、中にはひとつのクラン全員がスタッフとして参加してくれているということもある。
タマモとしてはスタッフとして参加してくれていることは非常にありがたい。だが、それぞれのログイン時間をすべて「タマモのごはんやさん」だけで消費させるにはためらいがあった。
夜の営業は現実でもそうだが、ゲーム内でもやはり稼ぎ時になる。だが、それは「タマモのごはんやさん」だけに限らない。プレイヤーひとりひとりでも、経験値や資金の稼ぎ時なのだ。
そのことを考慮し、「タマモのごはんやさん」の営業時間そのものに手を入れた結果が、昼と夜それぞれの営業時間の30分の短縮であり、ラストオーダー後にスタッフを退勤させるというものだった。
正確にはラストオーダーを提供後、ほとんどのスタッフには退勤して貰っていた。
開店して2週間近く経っているが、いまだに「タマモのごはんやさん」は人気店として数えられている。
ラストオーダー後も店内には客がそれなりに残っている。談笑している客もいれば、提供した定食を食べている客もいる。共通しているのは、全員が支払いを終えていないということくらい。
ラストオーダーを提供すれば、残りの仕事はそこまで人数を必要としない。
それまでは忙しさのあまり悲鳴を上げたくなるレベルではあるが、ラストオーダーの提供後であれば、そこまで忙しいというわけではない。
退店はそれぞれのグループ毎ではあるものの、その間はタマモはタマモで閉店後の準備などに勤しんでいる。
支払いはデントかユキナが主に行ってくれるので、タマモは空いたテーブルの食器等の片づけなどを行っているうちに、基本的に営業時間は終わりを告げる。
今日も片づけに勤しんでいるうちに、営業時間は終わり、ラストオーダーをしたグループがそれぞれ満足そうな顔で店を去って行った。
いま店に残っているのはタマモとデント、ユキナの3人だった。
エリセは今日シオンの教育のために、他のスタッフたち同様にラストオーダー後に退勤していた。
エリセは非常に名残惜しそうにしていたが、どうも実家の方でいろいろと面倒があるようだった。
退勤するまでの間、エリセは本当に申し訳なさそうに何度も何度もタマモに頭を下げていた。
そのたびに、「気にしないで」とタマモは言ったが、それでもエリセは申し訳なく頭を下げるばかりだった。
そんなエリセにとタマモは発憤の意味を込めて、「気にしないでいいんだよ」と囁きながら、エリセを抱きしめた。
するとエリセはみるみるうちに、顔どころか頭のてっぺんの立ち耳まで真っ赤に染め上げた。そんなエリセを見て「かわいいなぁ」とタマモが思ったのは言うまでもない。
当のエリセにしてみれば、いきなりのご褒美に戸惑いもあっただろうが、時間が押していたということもあり、非常に名残惜しみながらも実家にと向かっていった。
なお、そのときのやり取りを見ていた客やスタッフが非常に盛り上がっていたが、ごく一部というか、ユキナだけはそのやり取りを見て、まるで極寒のようなまなざしを向けていたのだが、そのことに気づいたのは叔父であるデントだけだった。
なにせ、そのときのユキナは笑顔を浮かべていた。もともと営業スマイルを浮かべていたし、ユキナ自身が美少女であったこともあり、その変化に気づけるものは皆無と言ってもよかった。
身内であり、幼少時どころか、産まれたばかりの頃からユキナを知っているデントにしてみれば、そのときの笑顔がユキナがぶち切れる寸前、いや、完全にぶち切れているものであることに気づけたのだ。否、気づいてしまったのだ。
加えて、ユキナが密かにメールを送ってきたこともユキナの感情の変化に気づいた要因でもある。メールには本文はなく、ただ件名だけが書かれたものだった。その件名はただ一言の「今日いいよね?」というものであった。
その件名だけのメールでは、ユキナの言う意味など理解できない。しかしデントにはわかった。
ゆえにデントは震える手で、やはり同じように件名だけのメールを送った。それは「問題ないです」というもの。
もし、その手の震えがメールにも及んでいたとしたら、その件名が震えた字であったことは間違いない。そのくらいデントにとって、そのときのユキナは恐ろしかった。それ以上にタマモも恐ろしかった。ユキナとは別のベクトルで。
後にデントはこのときのことをこう語った。
「あのときほど、タマモちゃんを魔性の女だと思ったことはないね。無自覚に周囲を撃墜するのは勘弁してくれと言いたくなったよ、マジで。まぁ、あの後もなんだかんだで、ねぇ」
当時のことを語るデントの顔は悟りを開いたかのように、とても清々しい顔をしていたが、口を開いた内容は非常に苦々しいものとなるのだが、このときのデントは後に自分がそのようなことを語るとは考えてもいない。
それどころか、理想の嫁像を体現していたはずの姪が変わっていく姿に、内心涙を流してさえいた。
しかし、内面を吐露することはできず、デントにできたのはただユキナを落ちつかせるために保護者権限を用いることだけだった。
なお、このときのユキナの「今日いいよね?」というメールの意味は、「今日の残りのログイン時間ぜんぶタマモさんと一緒に過ごしてもいいよね?」というもの。むろん、デントはなしでである。
本来なら保護者代わりであるデントは、ユキナのそばにいることが必須なのだが、例外としてデントの目の見える範囲であれば、ユキナと行動をともにしなくてもいいというルールがあった。
このルールの適用は保護者代わりであるデントの許可はもちろん、ユキナの母でありデントの実姉の許可も必要になるが、デントは当たり障りのない範囲で実姉に事情をあらかじめ説明していた。
その結果、「公序良俗がデントの目から見ても守られているのであれば、問題はない」というお達しを受けていた。つまりは、デントがOKと言えば問題はないということ。逆に言えば、デントが頷かなかったらすべてアウトということだが、このときのデントはユキナの訴えを呑んだ。
デント的にはアウト判定にしたいところだったが、あまりにもユキナが怖かったのである。それこそ実姉のように。
デントにとってのユキナは、実姉と書いて鬼と読む女が産んだ実子なのかと疑いたくなるほどに、デントにとっての理想の嫁像を体現した子であった。
だが、このときのユキナの姿を見て、デントは心の底からしみじみと思ったのだ。
「あ、この子、やっぱり姉ちゃんの娘だわ」と。
蛙の子は蛙。その言葉を今日ほど痛感したことはデントにはなかった。
そのため、デントにできるのはユキナの機嫌をこれ以上損ねないための行動のみであった。
そうしてメールを送り返した後、再びユキナからのメールが届いた。その内容は、「閉店後作業は任せてもいいよね?」というものだった。
さすがにそれは目の届く範囲外だと思ったものの、薄らと目を開いて笑うユキナと目が合ってしまった。その瞬間、デントは背筋をピンと伸ばした敬礼を送っていた。その敬礼は事情を知らない者が見ても、それはそれは見事な敬礼だったと後に掲示板で語られるほどだった。
敬礼をしながらも、デントは「できれば、問題がない程度でお願いします」とメールをした。
ユキナのメールの内容は、つまるところ「タマモさんとデートするけれど、邪魔しないでね」というものだったのだ。
デントからしてみれば、「問題しかないんですけど」としか言えないことだった。だが、ユキナの迫力溢れる笑顔の前に、デントは声を噤んだのである。誰しも馬には蹴られたくないものなのだ。
ゆえにデントは店内で客が残っていないことを確認した後、スムーズにユキナが行動に出れるようにアシストを開始した。
「あ、そうだ。タマモちゃん。さっき確認したら、食材の一部やら細々としたものが足りなくなっていたよ」
「え? そうでしたか?」
「うん。ちなみにこれがリストね」
そう言って、デントはタマモにメール形式で足りないものを纏めたリストを送った。これはでっち上げたものではなく、実際に足りないものであるため、業務上必要な行為であった。
そうして送られてきたリストを見遣り、タマモはわかりましたと頷いた。
「作業が終わったらちょっと買い出ししてきますね」
「あー、いや、さすがに量がちょっとあるから、作業後だと時間足らなくなるかもしれんし、いまのうち行って来たらいいと思うよ? 荷物持ちとしてユキナを連れて行ってよ」
「でも、それだと」
「さすがにお金関係のことはタマモちゃんに任せるけれど、それ以外の作業であれば俺ひとりで大丈夫だよ。ついでにここ最近忙しかったし、息抜き程度に行ってくればいいさ」
「ですが」
リストに載っている量は、作業後にひとりで買い出しできるものではなかった。いますぐに行けば、ログイン限界までにはどうにかなる。それもひとりよりもふたりで行えばより効果的だった。
デントの発言は事情を知らなければ、とても自然なものではあった。
そう、デントの事情を知らなければ、だ。
そんなデントからの絶好のアシストを受けたユキナは、確実に決めるべく行動に出た。
「タマモさん。おじちゃんもこう言っていますから、私もお手伝いさせてください。それとも私だと役に立ちませんか?」
ユキナは若干肩を落としながら、タマモを上目遣いで見あげた。
その姿にデントは「……恋する乙女ってすごいな」と思った。
当のタマモにしても、美少女であるユキナのそのアプローチには為す術はなかった。
「……わかりました。じゃあ、これから一緒に買い出しに行ってくれますか、ユキナちゃん」
「はい、もちろんです!」
タマモが頷くと、ユキナは満面の笑みを浮かべた。屈託のない、とても澄んだ笑顔だったが、その笑顔の下が恐ろしいことになっているという現状に気づいているのはデントだけだった。
そうしてデントはタマモとユキナを見送り、まだ清掃が済んでいない店内を見回して、「やりますか」とひとり大きなため息を吐きながら、奮闘を開始するのだった。
デントさんがどんどんと哀愁を漂わせる苦労人になっていく←




