14話 衝動と提案
「──いやぁ~、申し訳ないことをしてしまった。ごめんよ、おふたりさん」
姪っ子であるユキナにハグされて気絶してしまったデント。
ユキナに続いて連続で介抱することを余儀なくされてしまったタマモたちだったが、目の前でいきなり知り合いが倒れてしまったのであれば、介抱するのは当然のことであろう。
むしろ、知り合いが倒れたというのにも関わらず、見て見ぬふりを通せるほど、タマモたちは人として終わってはいない。さすがに見ず知らずの相手だったら、介抱するかどうかはわからなかったが、少なくとも動揺していたユキナを落ちつかせることくらいはしていた。
「す、すみません。私だけではなく、おじちゃんまで」
「いえ、気にしなくていいですよ」
「で、でも」
「大丈夫ですよ。それほど大変だったわけでもないですし」
申し訳なさそうに頭を下げるデントの隣で、ユキナもまた頭を下げていた。デントが気絶すると、ユキナはユキナで気を動転させてしまっていたのだ。ユキナにしてみれば、幼い頃のように叔父であるデントを頼っただけだったのが、なぜかその当の叔父が気絶してしまったのだ。
デントの趣味嗜好を知るよしもないユキナにしてみれば、保護者代わりであるデントがいきなり気絶したという事実は、頭の中を真っ白に染め上げるには十分すぎる出来事であり、慌てふためくのも無理からぬことだ。
ユキナの年齢はちょうど10歳。まだ恋だ愛だと言うにはいささか早すぎるが、そういったものに興味を持ち始める頃ではある。それにそのくらいの年齢から反抗期というものは始まるものである。
いまのところ、ユキナには反抗期の影は見えない。ただ恋愛という意味であれば、多少の傾向というか、そういったものが若干見え隠れはしている。でなければ、いくら憧れの相手とはいえ、同性であるタマモに額を合わせられただけで気絶することはない。
そのことをタマモは理解していないが、エリセはユキナがいずれ厄介な相手になるであろうことを理解している。理解しているのだが、以前一度会っただけであるのに、ユキナからの信頼をなぜか受けてしまっているので、邪険にすることができないでいた。
そもそもの話、ユキナを邪険にすること自体が、エリセには心苦しいのである。見た目で言えば、タマモと同年代くらいで、実弟であるシオンよりかはいくらか年上にも見えるし、人柄もかなり好ましい子である。
そんなユキナを将来的に危険な相手になるかもしれないからと、邪険にするほどエリセは攻撃的ではないし、躊躇いなく攻撃できるくらいに冷徹でもない。
それだけエリセにとってユキナは扱いづらい子だった。
加えて、良人であるタマモに憎からず思われているので、余計に手を出しづらい。厄介でありつつも、嫌いになれない。そんな対象にとなってしまっているのだ。
言うなれば、ユキナは無自覚の人誑しである。もっともそれ以上の人誑しがエリセの良人であるタマモなのだが、やはりタマモもそのことを自覚していなかった。無自覚な人誑しに囲まれてしまうのはそういう星の下でも産まれたのかと内心でエリセは悩んでいた。
エリセが悩んでいることに気付くことなく、タマモとユキナの会話は続いていた。会話と言っても、その内容はユキナが謝り、タマモが気にしなくていいと言い合うだけのものであり、進展は一切ないものであったが、ユキナは見た目とは違い頑固であるようで、謝罪をやめようとはしていなかった。
これが我を通そうとするだけであれば、タマモ自身早々に切り捨てているが、ユキナのそれは我を通そうとするのではなく、自身の失態を悔やんでのものであるため、タマモ自身切り捨てることができず、結果延々と付き合わされることになってしまっていた。
そんなユキナとタマモのやり取りをデントは眺めながら、参ったなぁと言わんばかりに後頭部を搔いていたが、これ以上続けても一切進展がないと判断したのか、デントは意を決して口を開いた。
「ユキナ。その辺でな」
「で、でも」
「でももなにもない。それ以上は付き合ってくれているタマモちゃんに悪いだろう? タマモちゃんは気にしていないって言っているんだから、おまえの気持ちを何度も何度も押しつけるのはかえって失礼だぞ」
デントの言葉にユキナは言葉を詰まらせた。対してタマモは苦笑いするだけである。失礼とまでは思ってはいなかったものの、平行線を辿るばかりの会話をどう切り上げればいいのかわからなかったことは事実であった。
事実ではあったが、嫌になっていたわけでもない。ただ、これ以上話をどう進展させればいいのかがわからなかっただけであったが、デントの一言がユキナとの平行線な会話を終わらせてくれたのはありがたかった。
その反面、デントの一言でユキナが気落ちしてしまっているのが、少々申し訳なくもあった。進展しようもない会話ではあったから、デントの一言はたしかに助かるものだった。だからと言って気落ちさせたいわけでもなかった。
目の前にいるユキナは気落ちしている、どころか、完全に落ち込んでしまっている。その証拠に目尻に光るものが浮かんでいたのだ。
終わらせたいやり取りではあったものの、泣かせたいわけではなかった。タマモの辞書には「美人さんは笑顔が一番」という格言がある。ユキナはまだ美人さんというには幼すぎるけれど、十分に美少女である。それこそ実家がなにかしらの店を経営しているのであれば、看板娘と言えるほどにだ。
そんな美少女に涙など似合わない。いや、浮かべさせてはいけないし、浮かべさせているのになにもしない奴は全員馬鹿野郎だとタマモは自身を発憤させ、行動に出てしまった。
「……ユキナ、ちゃんでしたよね?」
「え、は、はい」
肩を落とすユキナにタマモは声を掛ける。声を掛けられるとは思っていなかったのか、それとも自己嫌悪に陥っていったのか、ユキナは声を掛けられても唖然としていたが、すぐに慌てて頷き返すと、タマモはすっとユキナの頬に手を伸ばした。
そのいきなりな行動にユキナは「え?」と身を硬直させる。事態を見守っていたエリセとデントもまた硬直してしまう。大ババ様だけはおかしそうに笑うだけである。笑っているものの、その目はどこか遠くを眺めるように若干細められていた。
しかし、大ババ様の変化には誰も気づくことなく、同時に誰もタマモの行動を止めることもなかったがゆえに、ぞれは必然となってしまった。
「君には涙は似合わない。似合うのは満面の花のような笑顔ですよ。だから、もう泣かないで。笑顔を見せてくれませんか? ボクは君のそんな笑顔が見たいのです」
タマモは穏やかに、そして優しくユキナに笑いかけながら、ユキナの頬を一撫でし、そのまま目尻に浮かんでいた涙を拭ったのだ。
あまりにも自然かつあまりにも慣れた行動であった。
デントは思いもしなかったタマモの行動に、「タマモちゃんってまさかタチなのか」と大いに慌てた。
一方エリセは「ライバルがやっぱり増えた」と肩を落としつつも、「あれ喰らったら、無理もないか」と自身も被害者であったがゆえに、ユキナの心中を察していた。
そして当のユキナはと言うと、いままでの人生で感じたことはおろか、生じたこともない大きな波のような衝動に晒されていた。
ユキナにとって、タマモはまさにアイドルともヒーローとも言える存在だった。
元来引っ込み思案なユキナは、みずから進んで行動を起こすということはあまりなかった。
それは日常生活でも、実家の手伝いでも同じだ。
だいたいは状況に流されてのものであり、自分から行動を起こすということはいままでしたことがなかった。
そのユキナが唯一みずから行動を起こしたのが、「EKO」をプレイするということだった。
もともと「EKO」はおろか、ゲーム自体に興味がなかったユキナだったが、ある日、叔父であるデントが「おすすめ」と言われた動画を見ることになった。
それはデントがプレイしている「EKO」というゲームにおけつ初のイベントだった武闘大会の公式動画だった。
ただでさえゲームには興味もなかったうえに、武闘大会というどう考えても血みどろの展開しか待っていないだろうものなど見たくもなかったユキナは最初見ること自体を嫌がった。
だが、デントは「この一戦だけでもいいから」と、普段であればユキナの嫌がることをしないことをあえて強行していた。
なんでだろうと思いつつも、あまりにデントが推すため、嫌々ながらにもユキナはその動画を見た。それはちょうど「フィオーレ」と「紅華」の一戦だった。
最初は完全に押されていたタマモ。だが、徐々に盛り返していき、最後は惜しくも敗れてしまった。
その最初から最後までをユキナは夢中になって視聴していた。
それどころか、叔父に頼み込み、公式動画にはなかったタマモの全試合を見させて貰ったのだ。
普段のユキナにしては珍しすぎる行動にデントは驚きつつも、ねだられるままに自身でも録画していたタマモの試合をすべてユキナに見せていた。
その結果、ユキナはタマモに憧れを抱くようになった。
ユキナはタマモが自分と同年代くらいの子が、傷つきながらも戦い続けるその姿に、強烈な憧れを抱いた。
その憧れは普段わがままを言わない、大人しいユキナを突き動かした。
小学生が買うには高価であるVR機器を親にねだったのだ。お小遣いやお年玉などの貯金をしていたユキナでも、自身が買うにはあまりにも値段がしたからである。
両親は普段わがままを言わないユキナの言動に、目を白黒とさせたものの、「今後もちゃんと家の手伝いすること」を条件にユキナにVR機器を買い与えた。ソフトに関しては貯金を切り崩し手に入れ、月額のプレイ料金もやはり貯金を切り崩すことにした。
そして小学生からプレイはできるものの、保護者の許可プラス保護者ないし保護者相当の同伴という条件をもデントを巻き込む形でクリアして、晴れて憧れのタマモがいる「EKO」の世界にと飛び込んだのである。
ユキナにとってタマモは憧れの存在。TVで見るようなアイドルや、アニメなどのヒロインやヒーローのような存在だった。言うなれば身近ではない憧れの存在だった。そう憧れるだけの存在でしかなかった。
だが、そのとき憧れるだけの存在だったタマモが、ユキナの中で大きく変化してしまった。いままでどおりの憧れは胸の中にあるけれど、別の意味の憧れがユキナの中で膨れ上がった。いや、ユキナの中で生じてしまった。
そのことを当然タマモは知るよしもない。というか、そんな事態に陥ったことを理解してもいない。単純に美少女の涙を見たくなかったがゆえの行動だった。それ以上でもそれ以下でもなかった。
だが、それは現状の打破と将来的な板挟みに繋がる結果を生み出すことになった。
「私、タマモさんのお手伝いをします!」
ユキナは自身の中に生じた衝動に突き動かされる形ではっきりと告げた。だが、言われたタマモにしてみれば青天の霹靂すぎることであった。
「お手伝いと言われても」
「なんでも構いません! レベル上げでも、お金を稼ぐのでもなんでもやります。タマモさんのためならなんだってします!」
「ゆ、ユキナ。なんでもはさすがに」
「おじちゃんは黙ってて!」
「は、はい」
ユキナのなんでもするという言葉は、さすがにまずいと思ったデントは諫めようとしたものの、ユキナの剣幕の前に黙らされることになってしまった。黙らされつつもデントは「……姉ちゃんになんて言えばいいんだろう」とユキナの変化に内心で悩まされることになってしまうが、そのことをユキナは理解することなく、自身の衝動のままに行動を続けていた。
「なんでも仰ってください。私なんでもしますから!」
目を輝かせるユキナ。そんなユキナにどうしようとか悩むタマモ。そんなタマモにそれまで黙っていた大ババ様が重たい口を開いた。
「ちょうどいいじゃないか。ユキちゃんや。あんたでもお手伝いできることがあるよ」
そう言って大ババ様は怪しく笑いかけた。だが、それが「タマモのごはんやさん」の開店のための大きなきっかけを産むことになるのだった。




