6話 信頼と信用
エリセが口にした言葉に、ヒナギクとレンは怪訝そうに顔を歪めた。
「タマちゃんが、怖がりすぎている?」
「そんなのいまさらでは?」
エリセが口にした問題。それはタマモが怖がりすぎているというもの。だが、そんなことはとっくにわかっていることであった。
「EKO」がリリースされて半年ほど。リリースされて間もない頃に3人は知り合り、クランを組んだのだ。知り合ってからまだ半年ではあるものの、タマモが怖がりであることはヒナギクもレンも重々承知している。
なにせ、前回の武闘大会が開催される直前までタマモを鍛えていたのだ。その訓練を通してタマモが怖がりであることをふたりは知っているのだ。それがいまの問題と言われても、正直いまさらすぎることであった。なにせ怖がりであることを踏まえたうえで戦闘を組み立てているのだから、その件はすでに問題と言える問題ではなくなっているという認識だった。
だからこそ、エリセの指摘はふたりにとっては的外れとしか思えないことだった。
だが、エリセは静かに首を振った。
「おふたりが考えてるのとは、ちゃうんどす」
「違う?」
「どういうことですか?」
タマモが怖がりすぎていると言われても、そんなことはすでにわかっているとヒナギクとレンは思っていた。しかしエリセは違うと返した。だが、違うと言われてもなにが違うのかがふたりにはわからなかった。
そんなふたりにエリセは若干のためらいを見せながらも、「その前に約束してほしいんどす」と言った。
「これを聞いても旦那様を嫌ったり、怒ったりしいひんでください。旦那様に悪気はあらへんのどす。おふたりを貶してるわけでもなかったら、下に見てるわけでもあらへんのどすさかい」
エリセは縋るような目でふたりを見つめていた。だが、ふたりにとってみれば、エリセが言っている意味がいまひとつ理解できなかった。ただ、言葉尻を踏まえる限り、タマモの問題というのは、ヒナギクとレンの自尊心を傷付けかねないデリケートな問題であるということまでは理解できた。
タマモを見やれば、あえてなにも言わずに俯いている。エリセの言葉を聞いて、より形になってしまっているのか、それとも自覚させられてしまったのかまでは定かではないが、エリセの言葉で自身の問題を突きつけられたことは確かなのだとふたりは思った。
そこまで考えて、エリセが言わんとしていることが、なんとなくふたりには理解できてしまった。そもそも、いまこうして戦闘訓練を行っている事情を踏まえれば、その答えに行き着くなんて当たり前のことだった。
むしろ、なんで言われるまで気づけなかったのかと思えるほどに、タマモの抱える問題が大きなものだった。そしてそれは同時にヒナギクとレンがそれぞれをふがいなく思ってしまうほどのことでもあった。
「……ステータス上では俺とヒナギクの方がまだ上であることは事実です」
「でも、総合的な戦闘能力で言えば、タマちゃんの方が上になっちゃっているのも自覚しています」
「……おわかりになられたのどすなぁ」
「……はっきりとわかったとまでは言えませんけどね」
「ただ、こういうことだろうなぁと言うのはわかったつもりです」
「せやったら、はっきりと言わしていただきますなぁ」
エリセが言わんとしていることを理解したふたりに、エリセはあえてはっきりと突きつけようとする。そんなエリセにタマモは「待ってください」と止めようとするも、エリセは首を振り、タマモの意思を無視する形でタマモが抱える問題をあえて突きつけた。
「旦那様が怖がってるのんは、おふたりまで喪うことどす」
エリセが口にしたタマモの問題である「怖がりすぎている」の意味、それはタマモが戦闘を怖がっているのではなく、その戦闘を通してふたりまでをも喪うこと。その答えを聞いて、ヒナギクもレンも苦々しい顔を浮かべた。
しかし、それも無理からぬことである。プレイヤーであるヒナギクとレンはたとえ死亡したところで復活できる。それでも死亡することは変わらない。目の前で命を失うことには変わりないのだ。それをタマモは嫌がっている。アンリとクーを喪って間もないのだから死亡というものを嫌がるのも当然のことではあった。
それを踏まえたうえで、スライムたちとの模擬戦を思い出すと、エリセたちが問題だとあえて言う理由もはっきりとする。その理由に行き着いたからこそ、ヒナギクとレンは苦々しい顔を浮かべていた。
タマモに対する嫌悪感はない。あるのはただただ自分たちのふがいなさだけ。そう、ふたりが自分たちをふがいなく思うのは、タマモが抱いている想い。いや、いまのタマモから見たふたりの認識のせい。その認識とは──。
「いまの旦那様には、おふたりは供に戦う存在やなしに、自身の後ろにおるべき存在、守るべき存在でしかあらへんのどす」
──いまのタマモからしてみれば、ヒナギクとレンは庇護の対象下にあるべき存在でしかないということだった。共に戦うべき存在ではない。背を安心して預けられる存在ではなくなってしまっているということだった。
それは前回の武闘大会とは見事に真逆であった。当時はタマモがふたりの庇護下にあった。当時のタマモはステータスにしろ、スキルにしろ、目を見張るものはなにひとつとてなかった。まだ当時は三尾の存在にも気付いていなかったうえに、幻術さえも参加当初は所持していなかったのだ。
そんな当時のタマモを、ふたりは共に戦う存在とは見ていなかった。同じクランのメンバーであるから信頼はしていた。それでも自分たちよりも圧倒的に劣る相手に背中を安心して預けられるかと言われたら、是と答えることはできなかった。
どれほど仲がいいとしても、全プレイヤー中最弱と言える相手に、安心して背中を預けることなどできるわけもない。それは人柄や性格などは関係ない。過去の実績の有無の差。要は信頼していても信用はできなかったのだ。
そんな当時の武闘大会とは違い、今回はタマモが前回のヒナギクとレンの立場にあった。ただ、前回とは異なるのはひとつ。そのひとつが大きな差を生じていた。
「……俺とヒナギクは信頼されていないってこと、ですか」
「信用はしているけれど、信頼するには頼りなさすぎるってことですよね?」
ヒナギクとレンの言葉にエリセは静かに頷いた。
信用と信頼。同じ「信じる」という文字がある言葉ではあるが、使い道は若干異なる。
信用とは過去の実績を踏まえてのもの。その実績を信じるということ。
信頼はその逆。過去ではなく、これからの未来を踏まえて頼るということである。
ヒナギクとレンは過去の実績からタマモから信用はされている。過去の実績を踏まえれば、このくらいまではふたりでも問題はないと考えられている。
しかし、ある一定のラインを超えた場合、そのラインを超えたものをふたりに任せることはできないとも考えられてもいる。
信用はしても信頼はされていない。それが現状でタマモから見た、ふたりの評価だった。
ステータスの差はある。
だが、その差を覆すほどの能力差がいまのタマモとふたりの間には広がっている。一回のクラスチェンジ。その際に得た称号やスキルと三尾から進化した五尾の能力。それらすべてを踏まえた総合能力において、ヒナギクとレンはタマモから見たら、もはや背中を預けられる存在ではなくなってしまっていたのだ。
それを踏まえたうえで、ふたりは先ほどの模擬戦の内容を思い出していた。
位階が3段階目にあたるスライムたち。レベル差で言えば、軽く30は違う相手。そんなスライムたちを相手に、タマモは八面六臂の活躍を見せていた。
攻めるときはタマモがまず「幻影の邪眼」でもって相手の隙を作り、その隙にヒナギクとレンが攻撃を仕掛け、最後にタマモが五尾との連携で攻撃を行い、守るときもタマモが五尾を用いて迎撃する。
それが最も勝率が高く、最も損耗が少ない作戦であった。
それはいま思えば、前回の武闘大会でヒナギクとレンが率先して敵対するクランを早々に葬るというのとほぼ同じことだった。
違うのはふたりにも見せ場を用意するということと、主軸がタマモに置き換わったという程度。
しかし、その違いがあるからこそ、いや、違いを突きつけられたからこそふたりの表情は苦々しくなっている。
それを理解していたからこそ、相手取っていたスライムたちはあえて、その問題を突きつけなかった。ヒナギクとレンの気持ち、そしてそうしなければならなくなったタマモの気持ちを汲んだからこそ。
だが、気持ちを汲んだところで、この問題が解決するわけではないし、スライムたちの行動はいわば問題の先送りでしかないのだ。
問題を先送りにしても、今回の3人の目的が武闘大会で入賞することという程度であればさしたる問題はなかっただろう。
だが、今回の3人の目的はエキスパートクラスでの優勝である。
そのためには、今回の問題を放置していいわけがない。
これが個人戦であれば、問題はなかった。
だが、3人が出場するのはクラン部門。仲間同士の連携こそが鍵となるもの。
仲良しこよしであれ、と言うわけではない。
連携が取れれば、関係が最悪なものであったとしても問題はない。
そして連携を取るためには、信用と信頼こそが重要である。
現在、「フィオーレ」には信用はあるものの、信頼が欠如してしまっていた。
それをエリセたちは指摘したのだ。
アンリとクーという犠牲とタマモだけがクラスチェンジを果たしたということ。
そのふたつから生じたことが、タマモが怖がりすぎているということ。一言で言えば、信頼の欠如という問題に繋がってしまっていた。
そのことを突きつけられるまで理解していなかったヒナギクとレンは苦々しく顔を歪めていた。
いわば、ふたりはタマモから戦力外通告されかかっているのである。タマモにはそんなつもりがないことはふたりもわかっている。それでも俯瞰的に見れば、現状がどうであるのかなんて考えるまでもないことであった。
「……この問題にうちから言えることがあるとしたら、ひとつだけどす」
タマモの問題、ひいては「フィオーレ」全体の問題。それを突きつけたエリセは、問題解決のための一手を口にするのだった。




