3話 回生の青果
1週間前──。
「……アンリ」
タマモは腕の中の亡骸を、アンリの遺骸を抱きしめていた。
NPCであるアンリは、プレイヤーたちとは違って、死亡しても蘇生することはない。薄々わかっていたことであるし、掲示板内でも想定されていたことだった。
そのNPCであるアンリは死亡しても、プレイヤーのようにリスタートすることなく、事切れたままタマモの腕の中にいた。その光景が意味することはひとつ。NPCは死亡したら、それっきりという事実である。
想定通りと言えば、その通りだ。
だが、そんな想定通りの光景を目の当たりになどしたくはなかった。身を以て体感したくなどなかった。
けれど、どんなに望んでいなかったとしても、結果は変わらない。アンリの死をなかったことにすることはできなかった。
タマモは歪んで見えるアンリの亡骸を見つめながら、ぬくもりを少しずつ失っていく体を抱きしめ続けることしかできなかった。
「旦那様」
そんなタマモをエリセは抱きしめてくれていた。エリセの表情はとても痛ましそうなもの。それが旅立ったアンリに対してなのか、それとも残されたタマモを想ってのことなのかは判断がつかなかった。
周囲からは嗚咽が聞こえていた。誰のものなのかは、やはり判断がつかなかった。それだけ当時のタマモたちの周囲には人が集っていた。多くはタマモたちの本拠地がある農業ギルド所属のファーマーたちのもの。
アンリのことは彼ら彼女らもよく知っていた。直接関わり合いがあったのは、せいぜいデントくらいだろうけれど、それでも遠目からでも、タマモとアンリがどれほどに想い合っているのかは理解してくれていた。
だからだろう、彼ら彼女らは誰もが大粒の涙をこぼしていた。アンリと直接言葉を交わした者なんてほとんどいないだろうに、それでもよき隣人の死を嘆いてくれていた。
アンリは誰からも愛されていた。その事実をこういう形で知ることができた。アンリが愛されていたという事実を喜ぶべきなのか、知ることがあまりにも遅すぎたことを悲しむべきなのか。いろんな感情がごちゃ混ぜになりすぎて、考えが纏まらなかった。
考えが纏まらないまま、時間だけが過ぎていき、ログイン限界が迫りつつ合った、そのときだった。
軽やかな音を立てて、目の前にポップアップが表示された。
それは運営からのメールだった。それもタマモだけではなく、すべてのプレイヤーに対してのメールである。
だが、メールを開く気力などタマモにはなく、腕の中のアンリを見下ろすことしかできなかった。
しかし、それもひとりの、居並んだファーマーのひとりが声を上げたことがきっかけとなった。
「え、これって」
そのファーマーの声はとても静かなものだった。嗚咽の合唱となっていた当時では、聞き取れないほどに小さなもの。タマモであってようやく聞き取れるほどのものだった。
だが、その声はたしかなきっかけを産んだ。その声を上げたファーマーは近くにいたファーマーに声を掛け、メールの内容を指差していた。声を掛けられたファーマーは「メールを読んでいる場合じゃ」と不満を示していたが、件のファーマーが「いいから読めって」と強引に押し切り、渋々と読み進め、そして「マジか」と目を見開いた。
「お、おい、みんな。メールを見てくれ。これならもしかして」
声を掛けられたファーマーは周囲のファーマーたちにメールを読むように言い始める。大部分のファーマーたちは「不謹慎だぞ」や「なにを考えているんだ」と件のファーマーと声を掛けられたファーマーを責めるような声を上げるも、ふたりのファーマーの様子からただ事ではないと感じたのか、さらに幾人かのファーマーがメールを読み進め、結果、ふたりのファーマー同様に目を輝かせたのだ。その目にはいくらかの期待の光が宿っていた。
いったいなにがと思っていたタマモの耳に、今度はレンの声が届いた。
「……これは、いや、これならもしかして」
レンは体を震わせていた。それまでのような悲しみゆえのものではなく、その震えは歓喜によるものだった。レンはその歓喜のまま、隣にいたヒナギクにメールの内容を読ませていた。ヒナギクもやはり大部分のファーマー同様に、批難するようなまなざしを向けていたが、その内容を読み、まず息を呑み、そして目を輝かせたのだ。
「タマちゃん! メール、メール読んでみて! これなら、これなら」
ヒナギクはそれ以上言葉を告げられなかった。明らかに興奮しすぎていたのだ。逆を言えば、それだけの文面だったということ。
メールを読む気力なんてなかった。アンリの死を蔑ろにしているように感じられたから。でも、同じクランのメンバーであるレンとヒナギクの反応から「もしかして」という思いが沸き起こったのだ。もしかしたら、アンリを蘇らせる方法があるのかもしれない、と。
そんなことあるわけがない。そう思いながらも、徐々に周囲を伝播していく興奮と期待を前にして、タマモの胸のうちに「もしかして、本当に」という思いが沸き起こり、その思いに背を押される形で、タマモはメールを開いた。
「第二回武闘大会のお知らせ?」
メールの内容は新しいイベントのお知らせだった。
それも二回目の武闘大会のお知らせである。
てっきり新しい機能か新しいスキルが実装されるという知らせでもあったのかと思っていただけに、肩すかしを食らった気分であったが、レンとヒナギクたちの反応を見るからにその内容こそが本題のようだった。
タマモはお知らせの内容に目を通していった。
「第二回武闘大会のお知らせ。
謹んで新年のご祝辞を申し上げます。
先んじまして、「お正月トライアスロン」にご参加いただき誠にありがとうございました。 皆様方のご参加のおかげで、当イベントは大盛況のもとで無事に終了させていただけましたことにお礼を申し上げます。
さて、今回の表題にあります通り、今回のお知らせは次なるイベント「第二回武闘大会」に関するものとなります。
前回の武闘大会も大盛況の後、無事に終了しました。その武闘大会をまた行うことが決定致しました。
前回の武闘大会での様々なご指摘や反省を含め、今回の武闘大会では前回の武闘大会をよりうブラシアップさせていただきます。
具体的には個人部門とクラン部門という形で開催しておりましたが、前回の武闘大会では個々人や個々のクランでの力量差が大きく開いていたことを受け、今回の武闘大会では、さらに部門分けをすることに致しました。
誰でも参加可能のビギナー級と腕の覚えがある方向けのエキスパート級をそれぞれの部門で開催致します。予選からビギナー級とエキスパート級で分けて行う関係上、一度参加申し込みをされますと、それぞれの部門でのクラス替えは行えませんので、参加されるクラスは事前にしっかりとお考えの上でのご参加をお願い致します。
なお、前回本戦出場されたクランや個人の方は、予選は免除となり、シード枠での参加となります。むろん、ビギナー級とエキスパート級どちらをお申し込みされても、シード枠とさせていただきます」
メールの内容を確認する限り、前回の武闘大会の反省点を活かすつもりのようである。たしかに前回の武闘大会では、個々人や個々のクラン間での力量差が大きな問題となっていた。具体的に初回組みとベータテスターでは力量差が大きく開いていた。
中にはベータテスターを何人も一撃で葬ったテンゼンという規格外もいたし、タマモたち「フィオーレ」のようなダークホースや組み合わせの妙によってベータテスターを撃破したクランもいたが、大抵の初期組はベータテスターの前に敗れていたのだ。
ベータテスターの祭典と掲示板内で謳われていた武闘大会だったが、いくつかの波乱はあったものの、概ねベータテスターたちの独壇場であったことは否めない。
その反省点を活かし、それぞれの部門で細分化するというのは悪くない発想である。これによって実力差が大きく開くことなく、より白熱した試合展開となるだろう。
だが、これだけでは、ヒナギクたちがなぜ興奮しているのかはわからなかった。皆が読むように進めた理由はまだ先だということ。タマモはメールをさらに読み進めていき、そしてそれを見つけた。
「……回生の、青果?」
タマモが口にしたのはとあるアイテムの名前。それはクラン部門のエキスパート級で優勝したクランへの贈呈アイテムであった。贈呈アイテムはクラン部門のビギナー級はもちろん、個人部門の両クラスにも書かれていたが、「回生の青果」はクラン部門のエキスパート級の優勝クランのみに贈られる特別なアイテムのようだった。
ちなみに個人部門でのエキスパート級の優勝者には「武人の誉れ」という、同名の特別スキルを取得できるスクロールが贈られる。効果は強敵に相対したときに、全ステータスを30パーセントアップさせるというパッシブスキルだった。
個人部門のビギナー級は「奮迅の心得」という「武人の誉れ」の下位互換となるスキルのスクロール。効果はやはり強敵相手に全ステータスを5パーセントアップさせるというものだ。
クラン部門のビギナー級は「友との絆」というスキルスクロールである。その効果は戦闘中において、同スキルを取得している仲間がいる場合、それぞれのHPMPを徐々に回復させるという、長期戦向けの有用スキルである。
なお、それぞれのスキルは先行配布という形で得られ、決して武闘大会を優勝しないと取得できないわけではない。が、取得にはかなりの高いハードルが必要となるようである。それでも根気があれば、それぞれのスキルを誰でも取得できるそうだ。
そんな目玉となるスキルスクロールを得られる個人部門の両クラスとクラン部門のビギナー級とは違い、クラン部門のエキスパート級の贈呈アイテムはスキルスクロールではない。それだけを見れば、だいぶ型落ちのように見える。
だが、その効果は他の部門やクラスでのスキルスクロールが翳むほどのもので、これこそが最大の目玉となるものだった。その効果とは、死者蘇生である。それもプレイヤーだけではなく、NPCもその効果範囲にあたるのだ。
戦闘中において、クランの仲間が死亡判定を受けても「回生の青果」を使用すれば、デスペナルティーもなしに全快の状態で復活させられるようになるのだ。
だが、それ以上にNPCの死者を蘇生できるというのが特に有用な効果である。その効果を適用させる相手は特殊イベントにおけるNPCだった。
特殊イベントは「フィオーレ」のメンバーだけではなく、他のプレイヤーたちの中でも発見され進められているのだが、その中で途絶した流派や魔法などが散見されているのだ。
継承者が見つからなかったということもあれば、継承してすぐに継承者が死亡してしまったということもあるが、どの場合でも、現代まで様々な事情で継承することができずに途絶してしまった技術や魔法はたしかに存在し、それらの技術や魔法は現代のそれらよりも高い効果を発揮するようだった。
とはいえ、どんなに高い効果を発揮しようにも、伝承されていないのであれば、どうすることもできなかった。
だが、「回生の青果」があれば、その問題を解決することができる。死亡したNPCを蘇生できるのならば、継承者を復活させ、その技術や魔法を学ぶことができるようになるということだ。
しかし、欠点もあり、青果という名前の通り、熟した果実ではなく、まだなったばかりの果実であるため、その効果が作用させるには、亡骸が必要である。それも状態のいい亡骸でなければ、効果が適用されない。加えて効果が適用されても青果であるため、果実よりかは効果が落ちるようだ。
なお、「回生の青果」は苗としても利用できるため、ファーマーであれば一から育て、塾した実である「回生の果実」を手に入れることも可能となるようだった。
ファーマーでないプレイヤーはもちろん、本職のファーマーにとってもその価値が計り知れないものであるのは間違いなく、仮に「回生の果実」を安定供給できるようになれば、ゲーム内資産がうなぎ登りに増えていくことは想像に難くない。
言うなれば、誰もが喉から手が出るほどに欲しいアイテムだった。そのアイテムの概要を読み、タマモは体を震わせていた。
「これが、これがあれば、アンリを」
震えながらタマモはアンリを見やる。ぬくもりを失ったアンリ。もう目を開けてくれることもなかった彼女を取り戻せる。そんな事実を前に、タマモは体を大きく震わせた。その目には期待と興奮の色に染まっていた。
武闘大会開催は一ヶ月後となる二月初頭から始まり、時間加速はさせずにほぼ一ヶ月を掛けて行われるようだ。これも前回の武闘大会の開催中における「闘技場」を出られないという問題に対する答えのようだった。
だが、それに関してはタマモにはどうでもいいことだった。重要なのは「回生の青果」を手に入れるということだけであり、そのほかのことはどうでもいいことだった。
「レンさん、ヒナギクさん!」
タマモはレンとヒナギクを見やると、ふたりはそれぞれに頷いてくれた。
ふたりともタマモと想いは同じだった。そのことに感謝しつつ、タマモは拳を握りしめ叫んだ。
「クラン部門で優勝しましょう!」
クラン部門エキスパート級の参加と優勝をその場で誓ったのだ。それがいまから1週間前のこととなり、そして現在のタマモの状況へと繋がったのだった。
なお、青果の本来の意味は野菜と果物でありますが、今回は言葉尻のままの「青い果実」ということにしています。ご了承ください




