Ex-30 牙を持つ獣
「──ぇ」
親族一堂が集まっての新年の会合の最中のことだった。
会合と言っても、話し合うことなんてなにもなく、ただ老人連中が豪華なお節料理を突っつきながら、好き勝手に酒を飲んで騒ぐだけのことだった。
それでも連中にとってはこれが会合という認識なのだろう。父が死んで代理の里長になってから毎年のように繰り返されている光景を見て、エリセはいつも冷めた目で老人たちが織りなすどんちゃん騒ぎを見つめていた。
それは今年が初参加であるシオンも同じなのだろう。ひどくつまらそうに連中のバカ騒ぎを見つめている。去年までは最初に顔見せしたら、すぐに私室へと引かせていたため、新年の会合がどのようなものであるのかをシオンは知らなかった。
老人たちは誰もが口々に会合の重要性を幼いシオンに語っていたが、その実態を目の当たりにしたシオンは、「あれのどこに重要性があるのか」と問うてきた。もっともその問いかけは会合の最中ではなく、タマモたちの元へと向かうときにぽつりと漏らしたものだった。
会合の最中で口にしなかったのは、幼くても分別があるからだろう。もし実際に口にしていたら、老人たちは口々に指南役であるエリセへの批難を口にしたことだろう。
曰く、会合の重要性を理解できないということは、指南役であるおまえの怠慢だとかなんとか言い募る姿がありありと思い浮かべることができた。
それはシオンも同じだったのだろう。老人たちがいる場所ではなく、老人たちから離れた場所で、どうあっても老人たちの耳には届かない場所で言ったのは、姉であるエリセに害を被らせないためだった。
そんなシオンに、エリセは本当に優しい子に育ってくれたと思った。優しいだけではなく、しかるべき場所でしかるべきことを言うという分別も持ち合わせてくれていることにも感慨に似た感情を覚えた。
幼いシオンと比べて老人連中は、と思わずにはいられなかった。これではどちらが子供でどちらが大人なのかわかったものではない。
もっともそれを実際に口にしたところで、連中に響くわけもない。どうせ言ったところで「妾の子が」と口々に言うだけである。そんな連中の返事すらも簡単に予想できる。重鎮ぶってはいるけれど、しょせん老人たちはその程度の存在でしかない。
一言で老害と切って捨てることはできる。連中はそれなりの地位を得てはいるけれど、その実態は新年の会合と同様だった。
エリセから見て、父は有能とは言い切れない人ではあったが、老人たちに名だけの地位を与えていたところを見る限り、父にとって老人たちがどのような存在であったのかは窺いしれた。
いや、もしかしたら父は老人たちから少しずつ権力を奪い、名だけの地位に押し込めていったのかもしれない。
もし、そうであれば、父は思っていたよりかは有能な里長だったのだろう。
実際のところは父にしかわからないので、エリセとしては評価を改めることはできないけれど。
とにかく、そんな無意味な会合が二日目となった。最初はタマモたちに付き合って、焦炎王の居城へと向かっていたエリセだったが、その用事が終わり、実家に戻ってきてみれば、相変わらずの騒ぎが大広間では行われていた。
新年の会合は三が日を通して行われる。つまり三が日すべてで飲んで騒げやな宴が行われるということ。
この三日間で掛かる費用はすべて宗家持ちになる。老人連中はびた一文とて払うことはせず、無駄に飲んで食べてを行うだけ。建設的な話などは一切行われない。無駄な費用が三日間で掛かる。
その費用は一般的な家庭の一ヶ月の食費と同じだ。年末年始にはなにかと入り用になるのはわかるが、それでも一ヶ月の食費と同額をたった三日間で浪費するのはいかがなものかとエリセは常々思っている。
だが、そのことを老人たちは肯んじない。曰く、恒例行事なのだと。曰く、みみっちいことを言うなとも。自分たちでは一切金を払うこともなく、それどころか、食糧を持ち込むこともしないくせに、ずいぶんと自分勝手なことを言うのだ。
それでも地位だけはある連中なので、エリセとて強くは言えなかった。それがより連中を増長させていることはわかるが、妾腹であるエリセにしてみれば、強く言うことはできなかった。それは正妻の子であるシオンもまた同じである。
正妻の子であると言っても、まだ百年も生きていないシオンでは、無駄に年月を生きてきた連中たちと渡り合うことは難しい。
そのことを理解しているからか、シオンは正妻のそばでとても冷め切った目で、老人たちの自分勝手な宴を見守っていた。
「急に席を空けて申し訳あらしまへん」
「構しまへん。名ばっかりのもんどすさかい」
エリセは帰ってきた挨拶を正妻とシオンにすると、正妻はちらりと一瞥して言ったのは、なんとも皮肉が効いたものだった。まるでエリセ自体が名ばかりの宗家の者だからという風に聞こえるが、この会合自体が名ばかりのものだとも取れるような発言でもあるのだ。
実際のところは、どちらなのかはわからないが、正妻のつまらそうなものを見るような目を見る限りは、半々の意味合いなのだろう。
「お帰りなさい、姉様」
正妻とは違い、シオンはそれまでの鉄面皮が嘘のように嬉しそうに笑ってくれた。わりと大きめな声でシオンは言ったが、その言葉は老人たちの耳には届いていない。そもそもエリセの不在にも気付いておらず、それぞれに勝手に騒いでいただけなのかもしれないが。
「とりあえず、お座り。まだ続くさかいね」
「はい、奥様」
正妻は空いているシオンの隣を、自身の逆側を見やる。座布団を敷かれている辺り、一応はエリセの席を用意してくれていたようだった。
もっとも、こんな会合の席を用意されたところで、嬉しくもなんともないが、これも役割だと自分に言い聞かせてエリセは用意された席に腰を下ろした。
「……姉様、まだなんどすか?」
エリセが腰を下ろしてすぐに、シオンが耳打ちをした。主語がない一言ではあるが、その意味することがなんであるのかは聞くまでもないことである。
「……まだやなぁ」
「……そうどすか」
シオンの問いかけにエリセが答えると、シオンは小さくため息を吐いた。
「そないなものや思たらええのに」
ため息を吐くシオンに、正妻が呟く。その呟きに「はい、母様」とシオンは頷いた。頷いたシオンの頭をエリセは優しく撫でながら「偉いで」と褒めてあげると、シオンは嬉しそうに尻尾を振った。
「……あんたはシオンに甘おすなぁ」
「そうでっしゃろか?」
「ええ、甘々どすえ。……今後もシオンと仲良うね」
「え、あ、はい」
正妻の言葉に珍しいなとエリセは思った。普段の正妻であれば、自分の立場を考えて行動しろとか言いそうなものなのに、今日はなぜか今後もシオンと仲良くしろと言ったのだ。
いきなりな言葉に唖然としつつも、エリセは頷いた。すると正妻はにやこかに笑ったのだ。普段エリセはもちろん、シオンにもあまり笑いかけない正妻がだ。珍しいことは続けて起きるものなんだなぁとエリセは思った。
もっともその笑顔はすぐに引っ込んで、いつものようにしかめっ面になってしまったが。シオンは正妻に「もっと笑えばいいのに」と無邪気なことを言う。正妻は「笑いたくても笑えないことがあるから」とシオンの言葉をばっさりと切り捨てた。
なしのつぶてと言うべき会話だが、その会話はとても穏やかなものだった。その穏やかな会話に自分も参加していることにエリセは、なんとも言えない気分になりながら、無意味極まりない会合に参加していった。
そうしてもはや宴会となっている会合に参加して、しばらく経ったそのときだった。
『……エリセ様」
不意にアンリの声が聞こえたのだ。
思わず、周囲を確かめたが、いるのはずいぶんと顔を真っ赤にした老人たちと不思議そうに首を傾げたシオン、そして怪訝そうにエリセを見やる正妻だけだった。
「どうかしたんどすか、姉様?」
いきなりのエリセの行動に、シオンは心配そうにエリセを見やる。エリセは「なんでもない」とシオンの頭を撫でた。
『あとは、お願いします、エリセ様』
すると、今度ははっきりとアンリの声が聞こえた。さきほどはアンリの声のようなものが聞こえただけだったが、今度ははっきりと聞こえたのだ。それも内容がなんとも不穏なものである。虫の知らせとでもいうべきものなのか、やけに不安が押し寄せてきた。
「……あの、奥様。少し席を外してもよろしいでっしゃろか?」
「構わへんけど、なんかあってん?」
不安が押し寄せてきたエリセは、確認をするべく、一時的に席を外そうとした。ただ、いきなり席を外すのも問題なので、正妻に許可を貰うべく声を掛けた。
正妻は頷いてくれたが、なにかあったのかと聞いてきた。妾腹であるエリセがいてもいなくても別に問題はないが、席を外す理由はあるのかと尋ねてきたのだ。
正妻の問いかけにどう答えるべきか、エリセは一瞬悩んだ。だが、ありのままに答えるしかなく、「胸騒ぎがする」とだけ答えたのだ。ただ理由にしては曖昧すぎる内容ではあったが、その理由を聞いても正妻は切り捨てることはせず、少し考え込んだ。
「……あんたがそないなちゅうことは眷属様関係やろか?」
「はい。おそらくは」
「わかった。行ってきたらええ。くれぐれも失礼のあらへんようにね」
「はい。それでは──」
──行ってきますと答えようとした、そのときだった。老人のひとりが耳ざとくエリセたちの会話を聞いていたのか、大声を上げ始めた。
「新年の会合を抜け出そうとは、偉なったものやな、妾腹の分際で」
吐き捨てるように老人が言う。その言葉にそれぞれに騒いでいた老人たちが一斉にエリセを見やる。その視線にあるのは侮蔑の色だけだった。だが、エリセにしてみれば慣れ親しんだものであるため、どうとも思わなかった。
「申し訳あらしまへん。気のせいかとは思うんどすけど、気掛かりがありまして」
「気がかり? なんや、そら?」
「手前の良人であるタマモ様のことでございます」
「タマモぉ~? 誰や、そら?」
老人は怪訝そうに顔を顰めると、別の老人が「あぁ、眷属様やらいうガキのことか」と言う。その言葉にエリセは一瞬反応しかけたが、どうにか自分を抑え込んだ。
「はい、そのお方どす」
三つ指を突きながらエリセは頷いた。すると、老人たちはなにがおかしかったのか、挙って笑い出す。その笑い声は誰が聞いても嘲笑としか思えないものだった。
「いきなりなにを抜かすかと思たら、眷属様だと? 笑い話も大概にせえ」
「そうや、そや。おまえのような下賎の者を彼の方々が嫁にするものかいな」
「まぁ、おまえは体つきと顔だけはええけど、その程度で彼の方々が寵愛を示すわけがあらへん」
「どうせ、そのタマモやら言うガキも眷属様を名乗る下賎の者やろうに。そないなガキのために会合を抜け出すやらと許すわけがあらへんやろう」
「わかったら、おまえはお酌でもしていろ。もしくはその体でも使うて我らを楽しませろ」
「おいおい、一応は一族のものやで?」
「そんなんわかってる。下賎の血が流れてるとはいえ、こら見てくれだけはよいさかいな。催しにはちょうどよかろう」
「なるほどな。なら早速やってもらおう。例のガキにもその体を使うて見初められたんやろうし。下賎の者同士でお似合いやな」
老人連中はそれぞれに笑いながらそんなことを抜かしていく。その言葉の数々にエリセは自分を抑えることができなくなった。
「……ほな、僭越ながら。とびっきりの舞いをさせてもらいまひょ」
エリセは笑った。だが、その笑みを見て、隣にいたシオンが真っ青な顔をしていた。エリセの次の行動を理解したがゆえにだろう。その先にいる正妻は、慌てることもなく静かに頷いていた。むしろ、その目ははっきりと「灸を据えてやれ」と言っていた。
エリセは笑いながら頷き、おもむろに腕を一振りした。すると、嘲笑していた老人たちの顔が水の膜で覆われていく。老人たちは一斉に慌ててもがき出すが、膜は決して破れることはなく、老人たちは水の膜の中で大量の泡を吐きながら、もがき苦しむ。その様は不格好な舞いのようだった。
命懸けの舞いを踊る老人たち。それまでのどんちゃん騒ぎが一転し、阿鼻叫喚の地獄絵図にへと変わっていた。そんな老人たちに向かってエリセは笑みを崩すことなく言った。
「お気に召したか? 命懸けの舞いどす。こないな席には相応しいかと」
笑いながらエリセは水の泡を膨張させた。老人たちはより泡を吐きながらもがき苦しんでいく。そんな老人たちの有様に別の老人がエリセに詰め寄ってきた。
「貴様、なにをしたのか、わかってるんか!? 下賎の血ぃ流れてる貴様を、我らが高貴な血筋の者として扱うたっているちゅうのに、その恩を仇で返すとは──っ!?」
怒り心頭という様子の老人だったが、その言葉は最後まで続けることはできず、同じように水の膜に顔を覆われ、同じように舞いを始めた。そんな老人を見下ろしながら、エリセは言う。
「ごちゃごちゃとやかましいで、老害ども。あんたらみたいな老害どもの相手なんかしていられるか。そもそも下賎、下賎言うてるけど、あんたらの言うてることは下賎どころか、下品どすけど? それとも高貴やら言うのんは下品なことしか言えへん人たちのこと言うんどすか? やったらうちは下賎でええどす。品性を失うよりもはるかにましどすさかい」
はっきりと言い捨ててエリセは立ち上がる。老人たちの一部がこれをどうにかしろと騒ぎ出すも、エリセは相手をすることなく一言告げた。
「下賎の者の術なんてどうとでもできるやろう? まさか高貴な御方たちが下賎の者の術を解除できひんなんてありまさへんのやろう?」
老人たちを見下しながらエリセは言う。その言葉に老人たちは口を閉ざした。誰もがわかっていたことだ。エリセは水の里長の一族で歴代屈指の才の持ち主。その天才の術を老人たちがどうにかできるわけがないということは。
「せやったらうちはこれで失礼するなぁ。あとはどうぞごゆっくり」
エリセは恭しく一礼をし、大広間を後にする。エリセの背に向けて、老人たちの罵倒が飛び交うもエリセは振り返ることはしなかった。
大広間の襖が閉じられても水の膜に囚われた老人たちは、舞い続ける。そんな老人たちを見やりながら、囚われることはなかった老人たちはどうするべきかと頭を悩ませていた。その間も囚われた老人たちは舞い続けていたが、その動きは徐々に精細さがなくなっていく。
あわやこれまでかと誰もが思ったとき、不意に水の膜が弾けて消えた。囚われていた老人たちは一斉に喘ぐように大きく呼吸を繰り返しながら、その身を恐怖で震わせていた。そんな老人たちに向かって正妻が呟いた。
「……ほんまに愚かどすなぁ。あんた方はあの子に首枷をはめてるつもりやろうが、あんた方の首枷やらあの子にとっては、枷にもなりえあらへんちゅうのにね」
正妻は呆れた様子で荒い呼吸を繰り返す老人たちとその介護をする老人たちを見やり続けた。
「あの子は枷にはめられた愛玩動物ちゃう。あんた方の喉笛をその気になったら、いつでも噛みちぎれる牙を持った獣やのに。あんた方はそのことに気付いてへんなんてね」
おかしそうに正妻は笑っていた。その言動に老人たちは静まりかえっていた。正妻の言葉を否定することができなかったからだ。今回は運良く生き残れたが、もし運が悪けれどどうなっていたのかなんて言われるまでもないことだったからだ。
しかし、その認識さえもまだ甘いものであった。
「ちなみに運良う助かったわけじゃあらしまへんよ? 単純に姉様は正月早々に死人を作りとうなかっただけどす。よかったどすなぁ? いまが正月で。正月でなかったら、いまごろはお通夜の準備をするところどした」
シオンは正妻の言葉を継ぐように、それでいて老人たちの甘い認識をたたき直すかのように現実を突きつけた。
老人たちが生き残れたのは、運が良かったわけではなく、単純に正月だったからである。正月早々にお通夜を開くなどしたくなかった。ただそれだけの理由であった。それを幼いシオンに突きつけられた老人たちは、より一層その顔を青ざめていく。
シオンが言ったのは、エリセの気まぐれで助かったのだということである。気まぐれが起きなかったら、老人たちは誰ひとり助からなかったのだと。そう突きつけたのである。
その言葉に老人たちは自分たちの認識の甘さを自覚していった。実際に命の瀬戸際に立たされたのだ。認識を改めるのも無理からぬことである。
「まぁ、そないわけどすさかい、今後は言動に気ぃ付けられることをおすすめいたしますえ。まだ長生きされたいんやったら、な?」
正妻が口角を上げて笑う。その笑顔はエリセの浮かべた笑顔にうり二つであった。その笑みに老人たちは誰もが背筋を震わせるのだった。
とはいえ、それは当のエリセのあずかり知らぬことではある。当のエリセは大広間を出て行くと、中庭に出てすぐさま転移の準備を行っていた。
刻一刻と増長する胸騒ぎに急かされるかのように、あっという間に術式を完成させ、エリセは魔法陣の中にと飛び込んだ。
「アンリちゃん、旦那様。いま行きますえ」
いまだに沸き起こる胸騒ぎ。その胸騒ぎに従ってエリセはタマモたちの元へと向かうのだった。




