20話 天国かと思いきや地獄だった件
「ひ、ヒナギクさんが相手」
「うん。よろしくね」
ヒナギクは穏やかに笑っていた。
だが、当のタマモは硬直していた。硬直しながらも静かに生唾を飲んだ。
しかしそのことにヒナギクは気づくことなく、ニコニコと笑うだけだった。
「ち、ちなみにですが、勝利条件は?」
「レンのときと同じでいいよ? タマちゃんも私もタッチされたら負けね」
「タッチできたら」
「うん。どこでもいいから」
「ど、どこでもいい」
ヒナギクの言葉をオウム返ししながらタマモは再び喉を鳴らした。
喉を鳴らしながら見やるのは、ヒナギクの一点のみ。
具体的にはヒナギクが笑うたびに「ふるり」と震える一か所だった。
(ど、どこでもいいということは、当然お胸もその範囲に入りますよね?)
タマモの視線はヒナギクの胸をロックしている。が、ヒナギクはそのことには気づいていない。しかしレンは気づいていた。
「……なぁ、タマちゃん。視線の位置がおかしいように思えるのだけど?」
レンはタマモの視線のおかしさに気付いていた。タマモは舌打ちをしそうになったが、どうにか抑えこみ、にっこりと笑った。
「気のせいですよ?」
「……そうかなぁ?」
「ええ、そうですよ」
ふふふと怪しさ満点に笑うタマモ。そんなタマモをレンはあからさまに怪しんでいた。
「もう、レン。レンは負けたんだから、早く退いて。ほらクーちゃんを預かっていてね」
しかし当のヒナギクがレンを追い出してしまった。その際抱きかかえていたクーをレンに預けた。レンはヒナギクから預かったクーを納得していない表情で渋々と預かった。
「……きゅう」
抱きかかえられるのがヒナギクからレンに代わったことでクーが鳴いた。若干、というか、思いっきり不満げな鳴き方である。
(……本当にいい性格をしているよな、この芋虫)
(……ヒナギクさんのお胸を堪能しやがっていたのに、まだ足らないと)
クーの鳴き声からいろいろと察したレンとタマモは、ほんのわずかに殺気立った。
しかし当のクーは知らん顏である。それどころか「最高の時間だったぜ」と言わんばかりに盛大なドヤ顔をレンとタマモに向けてくれた。
ドヤ顔をする芋虫とはこれいかにではあるが、レンとタマモにとってはNTRをされたような気分になっていた。間男ならぬ間芋虫である。
「ん~。少し手狭かなぁ?」
だが、そんな二人と一匹のやり取りを知らぬヒナギクはマイペースに周囲を見渡していた。
レンとタマモが特訓をしていたのは、畑とログハウスの脇のスペースだった。
インベントリから出してある丸太を木材に加工している段階のものが置かれているが、それでも特訓をするには十分すぎるほどのスペースはある。
具体的に言えば、10メートルほどのスペースはある。よほどの大規模な戦闘でもしない限りは十分なスペースだが、それでもヒナギクにとっては手狭だった。
「タマちゃん。ちょっとスペースを広げてもいいかな?」
「はい、構わないですよ。ちょうどキャベベは植えていない部分がありますので」
特訓用のスペースのすぐ脇にはタマモのキャベベ畑があった。しかしキャベベ畑には明日収穫用のキャベベが実っているが、それは一角だけだ。
今日収穫した部分にはまだ苗を植えていないため、いまは空いていた。あとで苗を植える予定ではあるが、それまではそのスペースは空いていた。
(畝が乱れることになりますけれど、少しくらいならまたやりなおせばいいだけです)
さすがに収穫するキャベベを踏み荒らされるのは勘弁してほしいが、まだ苗を植えていない畝であれば、手間はかかるがもう一度整えればいいだけだ。
だからスペースを広げることは別に問題ではないのだ。
「……やりすぎるなよ、ヒナギク」
「大丈夫、大丈夫。手加減するから」
「……手加減? 手加減って言葉の意味を知らない奴が手加減?」
「む、知っているよ、それくらい」
「どうだかなぁ」
レンが訝しみながらヒナギクを見やる。そんなレンの言葉にヒナギクは遺憾そうに頬を膨らましている。
とてもかわいらしい。かわいらしいのだが、なぜか妙な胸騒ぎを感じるタマモ。そしてその胸騒ぎは現実のものとなった。
「とりあえず、これ借りるね」
おもむろにヒナギクは置いてあった丸太をひょいと肩に担いだ。
「……うん?」
いま起きた光景をタマモは理解できなかった。
それはタマモだけではなく、レンの腕の中にいるクーやログハウス建設に携わっていた昆虫系モンスターたちも同じように首を傾げていた。
ただレンだけは「やりすぎるなよ」とだけ言って頭を抱えている。
「はいはい、手加減するから」
ヒナギクはお小言をうるさがっているかのようにひらひらと手を振りながら雑木林へと向かって行く。
肩に丸太を担いだままで、だ。
「そーれ!」
肩に担いだ丸太をヒナギクは下段に構えるとそのままくるりと回転した。その瞬間ヒナギクの前にあった木々が音を立てて折れていく。
「よいしょっと!」
掛け声とともにヒナギクがまた丸太を振るう。そして音を立てて再び木々が折れていく。それが何度も繰り返されていく。
「……なんですか、これ」
「……きゅー」
なんの冗談だろうと思うような光景が延々と繰り返されていた。
そしてその光景を繰り返しているのはほかならぬヒナギクである。
筋骨隆々の大男ではなく、華奢なスタイルの女性であるヒナギクが雑木林という自然を掛け声とともに破壊していく。その光景は一種の悪夢だった。
「……はぁ、やっぱりやらかしたかぁ」
レンは頭を抱えた。レンはこうなることを予想していたようだった。
いったいなにがあってこんなことになっているのか、タマモにはわからなかった。
「え、えっと、ヒナギクさんって「対植物攻撃」を?」
「いや、そんなスキルは使っていないよ。あれは単純に力技なだけ。もっと言えばSTRの数値の高さで薙ぎ払っているだけだから。あいつSTRとINTの二点集中だから」
「……ヒナギクさんの職業ってなんでしたっけ?」
「後衛のヒーラーだよ」
「……後衛、ですか」
「うん、信じられないだろうけれど」
レンが苦笑いしている。だがタマモには笑えないことだった。
INTに集中してポイントを振ると言うのであればまだわかる。
しかしSTRにもポイントを振るうのはどうなのだろうか?
それも治療師が、物理火力など必要のない治療師がなぜSTRにもポイントを振るのだろうか?
それとも治療師とはSTRの高さで敵を殲滅する職業だっただろうか?
常識が崩れ去る音が聞こえてくるタマモだった。
「うん、このくらいかなぁ? さて、やろうか、タマちゃん」
自然破壊を繰り広げていたヒナギクが振り返った。
少し前まで雑木林だった場所がいまや開けた空き地と化していた。
見れば丸太がいくつも転がっているし、まだヒナギクの手には破壊の象徴であった丸太も握られたままである。
「ひゃ、ひゃい」
思わず声を裏返しながらタマモは頷いた。
少し前まではヒナギクの体に触れられることを喜んでいたが、いまやその喜びはない。あるわけがなかった。
「……まぁ、頑張ってね」
「きゅ、きゅー!」
レンは顏を反らし、クーは「おまえならできる!」と触覚で敬礼をしながら見送ってくれた。
変わってくださいと言いたくなりつつも、タマモはゆっくりとヒナギクの待つ空地へと向かって行った。
その後、タマモの畑から悲鳴が途絶えることがなかったのは言うまでもない。そしてその悲鳴が誰のものであったのかもまた言うまでもない。
治療師だからと言ってSTRを上げちゃいけないという法律はありませんので←
まぁ、実際にそんなプレイヤーがいたらタマモみたく唖然とするでしょうが。




