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72話 サヨウナラ

 もうすぐ息絶える。


 クーから告げられた言葉の意味を、タマモはすぐに飲み込めなかった。いや、飲み込みたくなかった。


「嘘だよね、クー」


『……嘘、か。であれば、よかったのだろうが、ね』


 クーは笑っていた。


 あまりにも晴れやかにクーは笑っている。一点の曇りもなく笑っている。その笑顔がタマモの胸を騒がせていく。


「嫌だ。嫌だよ、クー」


 涙がこぼれ落ちる。止めどなくこぼれ落ち続ける涙。その涙を拭うこともできず、タマモはクーの体を抱きかかえた。いつもなら温かいクーの体がとても冷たかった。畑の前を、クーたちと一緒に耕した畑の前を流れる小川の水のように、ひどく冷たくなっていた。


『……憶えているか、友よ』


「なにを?」


『私と君が初めて出会ったときのことを。まだ君がひとりだったときの頃。ヒナギクもレンも、アンリもエリセもいなかった頃だ。私と君が友誼を交わす前だったときだよ』


「……忘れるもんか、まだ半年前だよ。いや、何年経っていても君と出会ったときのことを忘れるものか」


『そうか。あれからまだ半年ほどだったな。産まれてから君と出会うまでの日々よりも、はるかに濃密で刺激的で、それでいて楽しかったなぁ』


 クーは思い出に浸っているかのように、笑っている。笑っているのに、どうしてだろう。その笑顔を見るだけで、タマモの胸は苦しくてたまらなかった。


 否定したいのに、否定できなかった。


 それではまるで、クーが死んでしまうことを認めているようなものではないか。そんな弱気なことを考える自分自身を叱責したいのに、それができない自分がひどく情けなかった。


『初めて会った日、君は本当に驚いていたなぁ。私が草むらから顔を出しただけで、「ひゃっ!?」と素っ頓狂な声を上げて、飛び跳ねていたものな』


「……そりゃ、それまで君のように大きな芋虫を見るのは初めてだったもの。だからだよ」


 おかしそうに笑うクーを見て、わずかに唇を尖らせるタマモ。そんなタマモの反応にクーは気をよくして笑っている。いつものクーらしい笑い方だ。


『だが、すぐに君は気にしなくなったな。まぁ、私自身が君が伐採していた木の葉を食べることに集中していたというのもあるだろうがな』


「ボクのことを無視して、むしゃむしゃと食べていたもんね、クーは」


『そう見えていただけだよ。実際には君を見つめていた。もっとも木の葉を食べながらだったが』


 今度は苦笑いをするクー。見られていたという意識がなかったタマモにとって、クーの一言には驚かされてしまう。そんなタマモを見て、クーはしてやったりとにやりと口元を怪しく歪ませていた。


「ボクのことを見ていたの?」


『なにせ、私自身は初めて会った「金毛の妖狐」だったものでな。妖狐族とクロウラーはわりと親しく付き合うことが多い。妖狐族は農耕民族であるから、クロウラーは害虫でもあり、益虫でもあるという存在だ。そんな関係からか、「金毛の妖狐」とエンシェントクロウラーもまた縁を結ぶことが多かった。いわば共存共栄の関係だったのだよ』


「そうだったんだ」


 初めて聞く話だったが、ありえる話だともタマモは思った。


 実際、アンリとエリセの話では、クロウラーというモンスターは隠れ里において、害虫でもあるが益虫ともされている存在だということだった。


 その理由は友誼を結べば、日に1回だが最高品質の絹糸をくれるというのが一番大きな理由だった。絹糸はアルトのような上界で売れば、月の農作物の売り上げを優に超えるほどの貴重品だ。それを日に1回とはいえ、農作物とのトレードで貰えるのだから、益虫という扱いをされるのは当然だった。


 現にタマモもクーやほかのクロウラーたちのおかげで日に10個は貴重品である絹糸を得られているのだ。それはタマモだけではなく、アルトの農業ギルドに所属しているファーマーたちも知っているため、彼らもタマモの情報から絹糸を日に数個は得ていた。


 だが、ファーマーの中にはクロウラーをモンスターとして狩ってしまい、絹糸を得てしまったプレイヤーもいるため、全員が全員絹糸を得ているわけではない。しかし絹糸を得られているプレイヤーたちにとって、クロウラーは益虫という扱いになっていた。


 そんなクロウラーと妖狐にとって、最上位に値するエンシェントクロウラーとタマモの前種族である「金毛の妖狐」が誼を通じていたというのは実にありえることだった。


 とはいえ、タマモはそれを聞くべく相手がいなかった。せいぜい大ババ様くらいだろうが、大ババ様はあくまでも通常の妖狐であり、「金毛の妖狐」ではないのだ。おそらく「金毛の妖狐」とエンシェントクロウラーが誼を通じていたということ事態知らない可能性が高い。


 タマモが知らないのは当然のこと。そもそもタマモにとって「金毛の妖狐」が特別な種族であることを知ったのは、大ババ様を始めとした妖狐族に出会ってから初めて知ったことだ。それまではただ単に髪と毛並みの色が金色の派手な姿だなと思う程度だったのだ。


 加えてエンシェントクロウラーという存在事態をいま初めて知った。余計にふたつの種族が友誼を結んでいたなんて知るよしもない。


 唯一可能性があったのが、目の前にいるクーだけ。そのクーとて、いまのいままでただのクロウラーであるように振る舞っていたのだから、タマモがふたつの種族の関係を知る余地などなかったのだ。


『ああ、でも、それもだいたい千年くらい前までだったそうだが。それを境目に、妖狐族は表舞台から消え、その長とされていた「金毛の妖狐」はこの世界から存在そのものがいなくなってしまった。私が物心がついた頃には、もう「金毛の妖狐」はいなかった。初めて見たのが君だったのだ』


 初めて見た「金毛の妖狐」がタマモだった。そんなクーの言葉を受けて、たしかにそれでは見るのも当然かとタマモは思った。


 かつて友好関係にあったエンシェントクロウラーと「金毛の妖狐」たち。それぞれにおそらく最後の一頭とひとりであるクーとタマモ。だが、そのことを知らないタマモはクーを見て、「大きな芋虫だな」としか思わなかったが、当のクーにとっては興味をそそられる相手としてタマモを見つめていたというのは十分に納得できることだった。


 ただ、それならそれではっきりと言ってくれればいいのにとも思う。いまならば水くさいと言えるが、当時だったら動揺していたかもしれないので、あまり強くは言えないなと苦笑いするタマモ。その様子を見て、クーは喉の奥を鳴らすようにして笑っていた。


『正直なことを言うとだな。最初君を見て思ったのは、「こんなにも弱くて、泣き虫なのが「金毛の妖狐」なのか」と少し落胆したのだ』


「はっきり言いすぎじゃない?」


『言っただろう? 正直なことを言えば、とね。それに君自身同じ事を思うだろう? 君は虚勢を張るタイプではない。だから君は君自身のことを誰よりも理解しているはずだ』


「……否定はしない」


『だろうね。する意味もないものな』


 おかしそうにクーが笑う。だが、それは侮蔑の感情が込められたものではない。本当に、ただ単純におかしくて笑っているだけ。その笑顔につられてタマモも笑っている。笑いながらも気づいていた。クーの体がより冷たくなっていくことに。その目にある光が少しずつ消えていることに。


 だが、タマモはあえて指摘はしなかった。そんなことに費やす時間などないのだ。そんなことにクーに残された時間を、いや、クーと過ごせる最後のひとときを費やしたくなかった。


『タマモ。我が愛する友よ』


「なんだい、急に」


『楽しかった』


「……ボクも楽しかったよ」


『いいや、私の方が楽しかった。なにせ、こんなにも楽しかった日々なんて初めてだった。産まれて物心がついてからは、日々生きることに精一杯だった。死に物狂いで生き抜いてきた。そこに楽しさなどなかった。ただ生き延びることしか考えていなかった。楽しいなんて感情を知る余地もなかった。言葉としては知っていても体感することなどなかったんだ』


 クーは語る。その内容をタマモはただじっと耳を澄ましながら聞いていた。言葉を差し込む余地などない。差し込みたくもない。いまはただクーの言葉だけを聞いていたかったのだ。


『だから、君と過ごした半年ほどの日々は、いままで生きてきた、千年間よりも、ずっとずっと濃密で、楽しくて、面白かった。そんな日々を最後にプレゼントしてくれて、本当にありがとう』


 クーの隻眼から涙がこぼれ落ちる。こぼれ落ちた涙をタマモはそっと拭った。だが、拭ってもクーの涙はこぼれ落ちていく。いや、こぼれ落ちているのはクーの涙だけじゃない。タマモの涙もまたともにこぼれ落ちていた。


 だが、クーとは違い、タマモの涙を拭うものはいない。クーはもう体を動かすこともできないようで、徐々に呼気を乱していた。すぐに止まったとしても不思議ではないほどに、その息づかいは激しく、それでいて苦しそうだった。


 タマモはそんなクーの体を強く抱きしめた。せめて。せめて最期のときばかりはぬくもりを与えたかった。冷たいままでクーを旅立たせたくなかった。


『あぁ。温かいなぁ。君はとても温かい』


「クーが冷たいだけだよ」


『そうか。そんなに冷たいのか。そんな体を抱きしめてくれてありがとう』


「気にしなくていいよ。友達、なんだから」


『そう、だなぁ。私と君は友達だな。私にとって初めての友達』


 乱れていたクーの呼吸が不意に止む。まさか、と思ったが、体を離すことはできなかった。最期の最期までクーの体を温めてあげたかった。


「クー」


『……あぁ、見える。見えるぞ、タマモ』


「え?」


『君を背中に乗せて、大空を行く変態した私の姿が。ありえない未来であるとわかっているのに、なぜか見えた。もう、ここで私は終わりだというのに、おかしいなぁ』


 クーは笑っていた。力を振り絞るようにして笑っている。その顔を見ることはできないけれど、タマモはできる限り笑みを作った。自分でもひどい顔をしていると理解しながらも笑っていた。


「きっと、いつか、そんな未来が、来るんだよ」


『そうか。そう、だな。きっとそうなんだろうなぁ。君がそう言うのであれば』


「うん、きっとそうなんだよ」


 タマモは震えていた。震えながらもクーを抱きしめる。抱きしめることしかできなかった。その冷たい体をわずかでも温めることしかっできなかった。


『タマモ。もういいよ。もう温めなくていい。それよりも、顔を見せておくれ。君の笑顔を見たい』


 クーが告げる。その言葉にタマモは頷き、そっと体を離し、クーを見つめた。クーは笑っていた。そこにはもう苦しみはない。悲しみもない。清々しいほどにきれいな笑顔を浮かべている。ずっと見てきたクーの笑顔。それがそこにはあった。


「クー」


『……うん、やっぱり、君は泣き顔よりも笑顔の方がいいな。私はもうこれっきり見ることはできないけれど、これからも笑顔を浮かべていて欲しい。君らしい笑顔を浮かべ続けてくれ』


「……うん」


 クーはそう言って隻眼を閉じた。終わりが訪れた。そう思ったとき、クーのまぶたがまた開かれた。いつもとは違って、半分にも満たないほどだったが。それでもクーの目は開かれたのだ。


『最期にひとつだけ』


「改まって、なんだい? 言ってごらん」


 タマモは精一杯の笑顔を浮かべる。クーに泣き顔を見せたくなかった。だから笑ったのだ。クーが続けやすいように。しかし、なぜかクーはそれ以上言葉を続けなかった。なにか言おうとしているのだろうが、どうにも言葉にならないようだ。もしくはなにを言うべきか迷っているのだろうか。そうタマモが思っていた、そのとき。


「サヨウナラ」


 不意に聞き覚えのない声が聞こえた。


 え、と顔をあげるも誰もいない。そばにいるのはクーと、ふたりの会話を聞いているアンリだけだ。そのアンリにしても驚いた顔をしてクーを見つめている。その視線を追うと、クーはしてやったりと口元を歪ませている。意地悪な笑顔を浮かべるクーがいる。


「いまのは」


 君なのと尋ねようとするよりも早く、クーの口から動いた。


「サヨウナラ、タマモ。ゲンキデネ」


 意地悪そうな笑顔から、今度はとても穏やかな笑顔にと変わった。そんなクーを見つめながら、タマモも同じように笑みを作り言った。


「……さようなら、クー。またいつか会おうね」


「さようなら、クー様。ありがとうございました」


 タマモに続いてアンリも惜別の言葉を口にした。ふたりの言葉を聞いて、クーは満足したのだろう。わずかに開かせていたまぶたをそっと閉じる。同時にその体は光に包まれていく。暖かな白い光。その光に飲み込まれるように、クーの体は消えていった。腕の中が軽くなっていくのをタマモをただ見つめることしかできなかった。


 やがて、ひときわ強い輝きが視界を埋め尽くした後、そこにはもうなにもなかった。クーがいたという痕跡はどこにもなかった。



「特殊称号「鱗翅王の盟友」を獲得致しました。これにより、特殊条件を満たしましたことで、上級魔眼である「先見の魔眼」を取得しました。すでに取得している「幻影の魔眼」とのリンク効果により、特殊称号「夢幻の支配者」を獲得致しました。その効果により、両魔眼は上位の「邪眼」へとランクアップしました。()()()()()()()()()()


 

 無粋にもほどがあるアナウンスが聞こえてきたが、タマモはあえて聞かないことにした。そうでもしないと怒り狂ってしまいそうだった。


 クーが死んでしまったのに、なにがおめでとうなんだとそう叫びたかった。喉が嗄れるほどに叫びたかった。


 それでもタマモは叫ぶことはせず、怒る狂うこともなく、木々の間から見える空を見上げた。いつもと変わらない夕焼け空。その空を眺めながら、タマモはただ一言呟いた。


「……さようなら、クー」


 万感の思いを込めて、旅立っていた友への別れを改めて告げる。


 その言葉に応えるものはいない。


 鬱蒼とした木々の枝葉をわずかに揺らす風が吹いた程度。


 だが、その風に乗って、タマモの耳には「サヨウナラ」というクーの声がたしかに聞こえた気がした。


 その声をたしかに反芻しつつも、タマモはもう一度だけ「さようなら」と告げた。こぼれ落ちる涙を拭うことなく、ただ空を見上げ続けた。

鱗翅王の盟友……エンシェントバタフライないし、その幼体であるエンシェントクロウラーと友誼を通じたものに贈られる特殊称号。我が友よ、ともに大空を行こう。特殊効果で上級魔眼である「先見の魔眼」を自動取得する。


夢幻の支配者……未来視系の魔眼と幻覚系の魔眼のうち、上級に位置する魔眼を取得した者に贈られる特殊称号。我が眼光からは夢幻の中とて逃げらぬ。未来視系と幻覚系の魔眼の力を増幅させる。特殊効果は両系統の魔眼が上級の場合、魔眼の上位である邪眼へのランクアップ。


先見の魔眼……未来視系の魔眼の最上位。特殊能力である未来視と予知能力のいいところ取りかつより先鋭化させた力を持つ。取得方法は現状不明。


幻影の魔眼……幻覚系の魔眼の最上位。幻術を極めたもののみが得られるとされる。取得方法は幻術のスキルレベルをカンストし、その際に得られる幻覚系の魔眼をカンストすること。なお()()()()()が進化し、クラスチェンジすることでも取得可能となる。


邪眼……魔眼の上位能力。上級魔眼をランクアップさせることでのみ、取得できる。

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