70話 おまえはボクの敵だ
タマモ LV10
種族 Unknown(鑑定に失敗しました)
職業 Unknown(鑑定に失敗しました)
HP 238
MP 238
STR 10
VIT 10
DEX 10
AGI 12
INT 10
MEN 10
LUC 6
SKILL Unknown(鑑定に失敗しました)
アオイは、目の前にいるタマモらしきプレイヤーを「鑑定」した。
たしかに、目の前にいるのはタマモらしい。レベルは「武闘大会」のときからほぼ倍増しているようだが、クリスマスのときとレベルは変わっていない。ステータスも軒並み10を超えて、初期のプレイヤーとだいたい互角くらいにはなっていたが、クリスマスのときはたしかこの数値の半分ほどだったはずだ。それでも全ステータスは既存のプレイヤーと比べるとまだ低めである。特にLUCの数値は低いが、いまのところLUCはそこまで重要視はされていない。
ほかのゲームであれば、クリティカルの発生率だったり、アイテムドロップ率だったりとわりと重要なステータスだが、いまのところ解析班──この手のゲームでは当たり前になっている面々が言うには、LUCの数値によってクリティカルの発生率やアイテムドロップ率にさほどの変化はなかったようだった。
解析班全員でセカンドアバターとサードアバターを作り、それぞれLUC特化とLUC初期値と両極端のスタータスで検証したが、結果はまったく変わらなかったそうだ。数人であれば、まだわからなくもないかもしれないが、有志を募って100人単位で検証したうえでなのだ。
その結果、「EKO」においてLUCの数値は、いまのところなんの意味もない数値、いわゆる「いらない子」扱いされている。
そのため、どのプレイヤーも初期はLUCにそれなりに割り振りをしていたが、いまでは誰もLUCには目を向けていないため、大抵のプレイヤーのLUCの数値は10を超えない者が多い。中にはひとつの数値だけ低いのはというプレイヤーもいて、平均的にステータスを上げているそうだ。
アオイ自身においては、LUCの数値などには目もくれずに、他のステータスを重視しており、現在のアオイのLUCの数値はタマモとさほど変わらない7であるが、ラッキーセブンと思うと、いまのところ手を入れる予定はない。なによりもラッキーセブンであったがゆえに、タマモと出会えたのだ。なおさらLUCに手を入れる気はなかった。
ただ、そのタマモがいま目の前にいるのだが、どうにも以前会ったときと様相が異なっていた。
まずはその見た目である。陽光に煌めいていた金糸の髪と同じ色の毛並みだった立ち耳と三本の尻尾という非常に目につくものだったのだが、それがより強調された外見に変わっている。
一瞬銀色と思ったが、よく見ると銀よりも美しく輝き、金よりも陽光に煌めいていた。それはその両方を重ね合わせた色──白金色へと変化している。それは立ち耳と尻尾もまた同じである。
その尻尾にしても、以前は、クリスマスのときには3本だったのだが、いまは5本とほぼ倍増していた。その5つの尻尾はゆらゆらと揺らめきつつも、アオイへと向けられている。
服装もクリスマスのときと変化はない。不死鳥(劣)シリーズというものを身に纏っている。
ただ、ぱっと見ただけでも変化は大きいが、それ以上に中身の変化があるようだ。
アオイはいままで「鑑定」に失敗したという表示を見たことはなかった。
どのプレイヤーやどのモンスターに「鑑定」を行っても、「鑑定失敗しました」という表示を見たことがなかったのだ。
なのに、今日に限っては二度も続いていた。
一度目はいますぐそばで雌狐に抱きしめられて、ボロボロになって転がる謎のクロウラー。
結果から見れば、完勝したというのにも関わらず、いまだに「鑑定」は失敗するという有様である。
そこに来てタマモにも「鑑定」を失敗したのだ。
まさかの事態にアオイは若干戸惑っていた。
目の前には想い人兼極上の獲物であるタマモがいる。
タマモ自身はアオイの本心を知ることもなく、全幅の信頼を置いてくれていた。そんなタマモを見るたびに、アオイは薄暗い欲求との戦いに身を置いていた。身も心もボロボロになるまで、タマモを狩り尽くしたいという欲求とだ。
それはいまも同じだが、いまはそれを知られるわけにはいかない。
だからいままで通りに振る舞う必要があるのだが、どういうわけか、タマモの目はひどく鋭く冷たかった。
いままでのタマモからは考えられないような目をしているではないか。
その視線を一身に浴びて、びりびりと背筋を震わす快感に浸るアオイ。
(あぁ、まずい。まずいのぅ。いますぐに喰らいたいのぅ。骨の髄までしゃぶり尽くすくらいに、いまのタマモを喰らいたくてたまらぬ)
鎮まれ、鎮まれと自分に言い聞かせるも、一度目を覚ました獣が、アオイの理性を蝕み、本能のままに行動させようとする。
それだけアオイにとって、いまのタマモは舌なめずりをしたくなるほどに魅力的だった。
もう我慢なんてせずに、喰らってしまおうか。ちょうど喰い時ではないかとアオイの中にいる獣が、心を揺らしてくれる。心を揺らされながら、アオイは「それもそうかもしれないなぁ」と思わずにはいられなかった。
だが、まずは。喰らうまえにタマモを懐に誘わねばならない。そうでなければ、喰らえるものも喰らえはしない。
アオイはいつも通りの笑みを浮かべようと、表情を和らげようとした。だが──。
「大丈夫、アンリ」
──目の前にいたはずのタマモが忽然と姿を消したのだ。
突然のことに目を見開くアオイだったが、すぐそばからタマモの声が聞こえてきた。振り返ると、そこには雌狐を抱きかかえたタマモがいるではないか。
「なん、じゃと?」
思いもしなかった光景に、二重の意味で予想外の光景にアオイの戸惑いは加速する。
だが、そんなアオイを無視するかのように、予想外の光景は続いた。
すぐ目の前にいたタマモが、再びふっと姿を消したのだ。
慌てて周囲を見渡すも、タマモの姿は見えない。
(なんじゃ、これは? 魔力の余波さえも見えぬ。魔法ではないのか? しかし、そんな魔法など聞いたこともない。ならばスキルか? だが、そんなスキルなど聞いたことも──)
アオイの中の戸惑いは徐々に増幅していき、いまや混乱の極みの中にいた。
あまりもに不可解。
「鑑定」を失敗したこともあるが、タマモの変化が理解できないのだ。
(LVはクリスマスのときと変わらぬ。あれからまだ1週間ほど。レンたちが言うにはタマモのレベルは非常に上がりづらいとのことだったしの。LV10など、普通に戦闘していれば、適正の狩り場であれば、数時間もあれば問題ないが、それがまだということを踏まえれば、レンたちの言葉は真実であろう)
タマモのレベルが上がりづらいということを、アオイは知っている。
クリスマスの準備期間のときに、レンとヒナギクからそれなく話を聞いていたからだ。
そのときはまさかとは思ったが、リリースしてから半年近く経ってもなお、まだレベルが10という時点で、タマモのレベルが非常に上がりづらいという予想はできる。そこにタマモと同じクランのメンバーであるふたりの証言が加われば、もはや確定である。
だが、逆に言えばだ。タマモは短期間でのレベルアップを望めないということでもある。そう、1週間という短期間では劇的な変化など期待できないはずなのだ。なのに、現にいまタマモは劇的な変化を起こしていた。
それもアオイを混乱へと至らせるほどに。
いったい、この1週間ほどの間に、タマモになにがあったというのか。
アオイにはわからなかった。
1週間前であれば、「鑑定」すれば、ステータスはもちろん、そのスキル構成さえもわかっていたというのに、いまやわかるのはレベルとステータスだけ。種族も、職業もスキル構成さえもわからなくなっていた。
アオイのレベルはいま30。レベルにして20も差があるというのにも関わらず、完全に格下であるはずなのに、その格下であるタマモの「鑑定」を失敗するという異常事態が、アオイの冷静さを奪い取っていた。
いままでのアオイにとって、タマモはかわいらしい子狐でしかなかった。その気になれば、いついかなるときであろうと、容易く狩れる獲物でしかなかった。それがいまのタマモは子狐の皮を被った見知らぬ獣になっていた。
未知の存在。
アオイほどの強者にとっても、見知らぬ存在に対しての恐怖というものはある。それでも自分の力であれば、即応はできなくてもそれなりに対処できるという自信はあった。
だが、その自信がいま少しずつ崩れ始めていた。築き上げてきたものが、根底から崩れていく音をアオイははっきりと耳にしていた。
(いや、まだじゃ。まだわずかなものよ)
たしかに自信は少し崩れ始めている。だが、崩れはしているが、それはまだバランスを崩したというだけのこと。根底事態が崩壊したわけではない。
であれば、いまであれば、いくらでも修正できるのだ。
それはタマモの関係も同じだ。
雌狐と謎のクロウラーを狩ろうとしているのを見られてしまったがゆえに、いままでの関係からは大きく離れてしまっているが、誤解であることを伝えれば、誠心誠意になって事情を話せば、いままで築き上げてきたタマモとの関係性であれば、どうとでも信頼を回復させることはできる。ただいくらか時間は掛かるだろうが、こればかりは致し方がない。
急いては事をし損じるとも言う。
ここは腰を据えてじっくりと事に当たればいいだけである。
そう、アオイは方針を転換することに決めた。
そのためにはまずタマモを見つけることから始めなければならない。
タマモを見つけて、落ちつかせることが重要である。
いまのタマモはたしかに魅力的な獲物になったが、まだ喰らうにはいくらか早い。そう、喰らうにはまだ下処理がいるし、なによりもその味わいを極上にするソースが足りないのだ。そのソースの下処理さえも終わっていないいまは、喰らうには時期尚早である。
だからこそ、落ちつかせなければならない。
せっかくの極上の獲物を、つまみ食いなどしたらもったいなさすぎる。
だからこそいまは我慢するべきだと、アオイは自分自身を落ちつかせながら、タマモを探そうとしたとき。
「ひとつだけ聞きます、アオイさん」
不意に背後から声が聞こえてきた。
同時にいままで感じたことのない寒気が背筋を襲う。
慌てて振り返ると、そこにタマモはいた。
本当にすぐそばに彼女はいた。その背後に雌狐と謎のクロウラーもいる。
二匹を守るようにして、タマモは立っていた。
だが、その姿はいままで見たことがないほどに迫力に満ちていた。
瞳だけはいままでと変わらず金色だったが、その瞳孔は縦に大きく裂けて、無機質な光を宿してアオイを見つめていた。
「な、なんじゃ?」
アオイは聞き返す。いままであれば、いままでのタマモであれば、常に生唾を飲み込まされていたが、いまは違う。背筋を断続的に遅い続ける寒気から、アオイは若干呼吸が乱れていくのを感じていた。それは興奮とは違う。もっと別種のもの。快楽ゆえのものではなく、その真逆──未知のナニカへの恐怖を覚えているからこそのものだった。
「アンリとクーに手を出したのか?」
目を細めながらタマモが問う。その視線はとても鋭く、口調もいままでとはまるで違う。それでもアオイは「だとしたら?」と聞き返した。するとタマモははっきりとした口調で告げた。
「なら、おまえはボクの敵だ」
そう、タマモは告げた瞬間、再び姿を消した。ほぼ間を置くことなく、アオイは10メートルほど後方に飛んでいた。いままで味わったことない強い衝撃とともに雑木林の木を自身の体でなぎ倒し、ごろごろと無様に地面に転がっていく。自慢の銀髪が泥に塗れ、吐血しながらアオイは体をどうにか起こしていた。
(なにが、なにが起こったのじゃ!? いま我になにが起こったというのじゃ!?)
鎮まっていた混乱が再びアオイを支配する。そんなアオイに向けて無機質な声が響く。
「あえて聞く。おまえはボクの敵になるのか? いまならまだ許してもいい。だが、敵になるとおまえ自身が言うのであれば、容赦はしない。答えろ、アオイ」
タマモは鋭くアオイを睨み付けながら近づいてくる。ゆっくりと音を立てて近づく姿に、アオイはたまらず小さな悲鳴をあげる。だが、すぐに自分を奮い立たせた。
「……調子に、調子に乗るでないぞ、小娘がぁぁぁぁぁぁ!」
いままでタマモに対してはしなかった怒りを向けるアオイ。しかし当のタマモはアオイの怒りの声を聞いても涼しい顔をしていた。若干、その目を悲しげに歪ませながら。その目にアオイの怒りは膨れ上がった。
「喰ろうてやる。まだ時期尚早かと思うたが、もうよい! この場で貴様を喰らい尽くしてやろう! 覚悟せよ、タマモぉぉぉぉぉぉ!」
アオイは一気に駆け出した。予備用に持っていた、謎のクロウラーを切り刻んだブロードソードを構えながら、タマモに向かって突進していく。
「旦那様!」
雌狐の声が響く。生意気なと思いつつも、その旦那様を目の前で喰らってやる。仄暗い喜びを想像しながら、アオイは駆け抜け、タマモに肉薄し、そのブロードソードを掲げた。
次に見るのはタマモの血まみれの姿。その姿を幻視していたアオイだったが、次にアオイが見たのは鬱蒼とした木々の間から見える赤い夕焼け空だった。
(なにが、なにがあった?)
自身が目にした光景を理解できないまま、アオイは体が崩れていくのを感じていた。どさりという音とともに土の臭いを嗅ぎながら、しばらくアオイは呆然と夕焼け空を眺めるのだった。




