69話 比翼の翼
走る。
走る。走る。
走る。走る。走る。
呼吸が乱れてもなお走っていく。
鬱蒼とした雑木林の中を、タマモは必死に走り続けていた。
肉塊こと沼クジラの言った、「アンリが連れて行かれた」という一言。いったい誰にと思うし、どうしてとも思う。
だが、それらの疑問はあえて頭の隅に追いやって、タマモはただ走っていた。
「アンリ、アンリ!」
脳裏に浮かぶのは、もう疑問ではない。
大切な人になったひとりの少女の笑顔。
プロデューサーのエルからは、「欲張り」と言われてしまった。
アンリとエリセ。
ひとりの少女とひとりの女性。
どちらをも手放さなそうとしないタマモに対して、エルははっきりと告げた。
たしかに、言われた通りだとは思う。
どちらをも手放さない。
誰がどう考えても、欲張りだろう。
どちらをも欲し、どちらをも手元に置こうとする。
普通に考えれば、ありえないことだ。
もっと言えば、誠実ではないと後ろ指を指されることだ。
タマモ自身、不誠実だと問われたら、反論はできなかった。
現にタマモ自身、不誠実であろうなとは思っているのだ。
それでもだ。
それでも、タマモはふたりを手放す気はなかった。
いや、違う。
手放さないという覚悟ができたのだ。
政治家などの地位と富を持った者が、妻子持ちであるのにも関わらず、別の女性に懸想をするというのはわりとよく聞く話であった。
なんで守るべき家庭があるというのにも関わらず、その家庭を壊すようなことを平然と行えるのか。
その気持ちをタマモはちっとも理解できなかったし、理解する気もなかった。
だが、いまは少しだけ違う。
あぁ、こういうことなのかな、と。
実際には違うのかもしれないけれど、欲張りだと、不誠実だと言われてしまうだろうけれど、それでもタマモは手放したくない、と思ってしまったのだ。
アンリとエリセを手放したくないと。ふたり揃って幸せにしてあげたいと思ったのだ。
わがままと言うにはささやかな願いの果てに、両親を喪ったアンリ。
強大な力を持って生まれたというだけで、両親から迫害されてきたエリセ。
異なる環境で産まれ育ったふたりだが、心に闇を抱えていた。闇を抱えながらも、その笑顔はとても眩かった。
心に抱える闇を理解しつつも、決してその闇に呑まれない姿が尊く、愛おしかった。
だから守りたいと思った。
その笑顔を、そのあり方を、そしてそのすべてを。
ただ守りたいと思ったのだ。
ふたりを守り、幸せにできるのであれば、誰になにを言われようと構うものか。
後ろ指を指したいのであれば、いくらでも指せばいい。
不誠実だと宣いのであれば、いくらでも宣えばいい。
タマモの姿勢に反感を憶え、やりたいことがあるのであれば、どんなことでも好きにすればいい。
だが、ふたりの笑顔を曇らせることは許さない。
たとえ、その相手が誰であろうと、ふたりから笑顔を奪った時点で、タマモにとっては敵なのだ。
敵相手に躊躇はしない。
手心を加える気もない。
タマモの身がどうなろうと、ふたりだけは守ってみせる。
この身のすべてを使って、相手の喉元へと突き立てる牙となろう。
だから。
だから、お願いだ。
お願いだから──。
「……無事でいて」
──絶対に守るから。
今度は絶対に守るから。
だから無事でいて。
無事でいて、アンリ。
そうタマモは願った。
心臓がいまにも張り裂けそうに高鳴っていた。
口から出る息は、途切れ途切れのもので、呼吸をするだけでひどく辛い。
それでもなお、タマモは走っていた。
いや、走らずにはいられなかった。
この道の先に彼女はいる。
どういう状況にあるのかはわからない。
なぜ巻き込まれたのかもわからない。
ただひとつわかるのは、いまのままではアンリが危ないということだけ。
その理由だけで、タマモが必死になるには十分すぎた。
冷静に考えれば、ヒナギクとレンにも付き合って貰った方がいい。
どんなに守りたいと思ったところで、タマモが弱いことには変わらない。
弱くては守りたいものを守ることはできない。
そんなことは言われずとも理解していた。
弱いくせに、一丁前に守ろうとするのかと笑われたとしても、反論なんてできない。
事実、タマモは弱い。
先日も守れなかった。
エリセを守り切ることができなかった。
あのとき感じた悔しさは、まだこの胸に残っている。
いや、いまだけじゃない。
これから先もずっと、ずっと残り続けていくだろう。
あのとき、胸に宿った紅蓮の炎とともに、いつまでも点り続けていくだろう。
いつか「タマモ」ではなくなったとしても、この炎が消えることはありえない。
タマモが、いや、玉森まりもが玉森まりもであり続ける限り、燃ゆる炎は決して鎮まることはないのだ。
あぁ、そうだ。
もう認めよう。
いや、とっくに認めていた。
ただ、気恥ずかしさと常識に縛られていた。
実際に口にすることへの気恥ずかしさ。
同性であるという常識。
加えて、実在しないという現実。
それらに縛りに縛られていた。
だが、あのとき、目の前でエリセを守れなかったことで、きっかけを得た。
それでもなお、踏み切れなかった。
踏み出す勇気が足りなかった。
『──ありのままの気持ちに従いなさい。行動して初めて勇気は宿るものよ』
それは「武闘大会」のときに、GMのソラが口にした言葉だった。
ソラは言っていた。
「勇者」と呼ばれる存在は、数多くいるものの、みな最初はすべからく普通の人間だったのだと。誰もが最初から「勇者」と呼ばれる存在ではなかったのだ、と。
わずかな勇気を秘めて立ち上がった者こそが、「勇者」なのだと。
そしてソラは言った。
タマモにはもうわずかな勇気があると。
足りないのは、自信だけだと。
その自信はちっぽけなものだっていいのだとも。
ちっぽけな自信がタマモには足りていなかった。
それはいまだって同じだった。
タマモには足りていなかった。
自信が足りていなかったのだ。
気恥ずかしさと向き合えていなかったのも。
常識を乗り越えられなかったことも。
現実の前に膝を屈していたのも。
すべては同じ理由だ。
自信が足りなかった。
ちっぽけでもいい自信が、なにもなかったからだ。
だから目を逸らしていた。
向き合おうとしていなかった。
実際に踏み出すことができなかった。
でも、それももう終わりだ。
自信なんて持つことはできていない。
自分を信じることなんて、もうできないでいる。
それでも。
それでも信じられるものはある。
それは──。
『──たとえ旦那様からのご寵愛をいただけなくても、あなたのために動きたいのです』
『──ちゃんとお言葉を守ってくださいね?』
──ふたりから向けられるたしかな想い。ふたりがタマモを心の底から慕ってくれているということだ。
自信なんてかけらもない。
それでも、ふたりに慕われているという事実が、背中を押してくれる。
跳び立つための翼を与えてくれた。
比翼の鳥。
本来の意味合いは異なるものの、アンリとエリセの存在はタマモにとってはまさにそれだ。
それぞれにひとつの翼しかない。
だが、ふたりがいて初めて一対の翼となる。
青と緑の左右で異なる色の翼。
その翼をタマモはいま得たのだ。
左右異なる色の翼を持ったいま、飛び立つことに不安などあるものか。
「アンリ!」と叫びながら、タマモは駆け出す。いままでよりも、速く強く一歩を踏み締めた。
『おめでとうございます。特殊称号「連理へと至りし者」を獲得致しました。この効果により、特殊条件を満たしました。「白金の狐」へのクラスチェンジが可能となります。クラスチェンジをしますか? Yes No』
踏み締めたと同時に、不可思議なポップアップが表示されるが、タマモは内容をスルーして、「Yes」を選んでいた。
同時に眩い光がタマモを包み込むも、一切気に留めることなく、タマモは走り続けた。
やがて光が収まると同時に、目の前が一気に拓けた。
そしてそこには──。
「む、そなた、タマモ、かの?」
──目を見開きタマモを注視するアオイと、傷だらけになったクーを守ろうとその身を丸めて蹲ったアンリがいたのだった。
連理へと至りし者……想いを重ね合わせた者へと贈られし特別な称号。そのありようはただただ美しい。効果、取得方法は不明。
白金の狐……「金毛の妖狐」の進化した姿のひとつ。その姿はより陽光に煌めき、その煌めきは魔を祓う光とならん。クラスチェンジ時の「金毛の妖狐」から全ステータス倍増に加え、ステータス割り振りポイント1点追加、さらに上級魔眼を自動取得する。




