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63話 負けられないんだ!

 自身の両腕に纏った炎の刃を、タマモはぼんやりと眺めていた。


 炎の刃は焦炎王の刃と鎬を削っていた。ただ、焦炎王は片手だけに対して、タマモは両腕でという違いがある。


 両腕を交差させたうえに、踏み留まって防御に集中してようやくだ。そこまでやってようやく拮抗というところまで持って行けていた。なお、三尾は両腕に巻き付く2本と地面に楔を穿つ1本という形に分かれていた。タマモだけの力では、どうあっても拮抗にまではいけない。三尾の力を借りてようやくであった。


(……徹底的に手加減されたうえで、これですもんね。参ったもんですよ)


 三尾の力を借りてようやく拮抗できているが、焦炎王が全力を賭しているとはタマモには思えなかった。


 むしろ、加減に加減を重ねて貰っていると考えるのが妥当である。


 なにせ、焦炎王ほどの実力者であれば、タマモ程度がどれほどに力を振り絞ったところで敵うわけがない。たとえ三尾の力を借りたとしても、それで拮抗にまで持って行けるわけがないのだ。


 焦炎王が手加減をしてくれているからと考えるのが妥当である。それもタマモが怪我をしない、ギリギリのところまで抑えてくれているのは間違いない。


 焦炎王は氷結王以上に、タマモに甘い。それこそ溺愛していると言ってもいいほどにだ。そんな焦炎王であれば、タマモが怪我しないようにかつ、タマモが力を振り絞ってようやく拮抗できる程度にまで力加減をするというのはありえることだった。


 加えて、いまのタマモの状態も含めれば、余計に手加減されていると思うのも当然のことだ。


 タマモはいま両腕に炎の刃を纏っている。そうしなければならないと思ったからであるが、タマモができるのであれば、「炎焦剣」の深奥に行き着いた焦炎王にもできるはずだ。いやできないわけがない。


 なのに、焦炎王はいまだ片腕に纏ったままである。


 利き腕であろう右腕で、なんのアクションも起こしていないのだ。


 わかりきっていたことではあるが、やはり焦炎王は手加減をしてくれている。


 タマモを鍛えられるかつ、怪我をしない程度にまで手加減をしてくれている。


 それがどれほどまでに細心の注意を払ってのことであるのかは、タマモと焦炎王の実力差を考えれば、それがどれほどの行為であるのかは容易にうかがい知れた。


 吹けば飛ぶという言葉さえも超えている。例えれば、砂漠の砂をひとつまみずつ、それもほぼ誤差なく回収するようなもの。途方もないという言葉さえも凌駕して、もはや無謀としか言いようのない行動だ。それを焦炎王は平然と為していた。


(……それだけボクは弱いということなのです)


 焦炎王の絶妙な手加減は、もはや喝采に値する行為だが、それは逆に言えば、それだけタマモは弱いという証左でもある。


 そう、タマモは弱いのだ。


 弱すぎるくらいに弱い。


 三尾の力を用いてようやく人並みか、少し逸脱できるくらいだろうが、焦炎王から見ればそれは誤差程度のものでしかないはずだ。


 絶対強者から見れば、タマモの力は弱いという言葉では足りないほどのものだろう。


 そんなタマモが、守りたいものを守るというのは、焦炎王からしてみれば失笑ものでしかないだろう。


 それでも焦炎王は決して笑うことなく、タマモをじっと見つめていた。タマモの想いが成就できるようにと力を貸してくれている。


 それがどれほどまでに幸運なことなのか。


 自分がどれほどまでに恵まれているのか。


 わからないわけがなかった。


 だからこそ、タマモはその幸運に甘んじる気はない。いや、甘んじていいわけがない。焦炎王の優しさに甘えてばかりなどいられないのだ。


「……まさか、初見で「焦双刃」に至れるとは、な。わかっていたつもりではあったが、タマモの才は想像以上であるな」


 焦炎王は嬉しそうに笑っている。笑いながら、左腕に力を込めてくる。拮抗があっさりと覆される。焦炎王の炎の刃がじりじりと迫ってきていた。


「ゆえにだ。その程度で満足せぬように、きっちりと敗北を教えぬとならん。敗北を糧にもっと強くなれよ、タマモよ」


 焦炎王は笑う。笑いながら炎の刃を押し込んでくる。焦炎王なりの優しさであることは理解していた。


 だからと言って、致死の刃を向けてくるのはどうだろうかとは思う。


 もっともそんなことを口にできる余裕など、すでに皆無ではあるのだが。


 迫り来る炎の刃。


 防御に徹しているのに、もう押し返すことは叶わない。


 燦々と輝く刃の熱で、全身から汗が噴いていく。


 しかし焦炎王は止まらない。


 敗北を教える。


 それが焦炎王なりの優しさから来る言葉であるのはわかる。


 わかるが、こんな状況でなければ、いくらでも受けいられる。


 しかし、いまの状況では受け入れるのは難しい。


 いまタマモの背中には、エリセがいた。


 はっきりと言えば、タマモよりもエリセの方がはるかに強いだろう。


 そんなエリセをタマモが守る。


 むしろ、エリセに守ってもらうという方が正しい。


 エリセにしてみれば、タマモに守ってもらう必要などないのだ。


 逆にエリセがタマモを守った方が手っ取り早いだろう。


 それでも。それでも、タマモはエリセを守ると決めたのだ。


 そのエリセがすぐ後ろにいる。


 守りたい人がすぐそばにいる。


 データとか、現実とか、そんなのはどうでもいいのだ。


 ただ守りたい。


 守ってあげたい。


 その想いはなにも変わらない。


 データも現実もないのだ。


 だからこそ、ここで負けるにはいかない。


 たとえどうあっても敵わない存在であったとしても、簡単に負けるわけにはいかなかった。

 背中にいる者のために。守るべき人のために。だからタマモは──。


「──簡単に負けられないのです!」


 タマモは叫んだ。腹の底から叫びをあげた。


 そんなタマモを見て、焦炎王は「ほぅ?」と関心したように言う。だが、関心されたところで押し返せたわけじゃない。いくらか、ほんのわずかだけ押しとどめられただけである。その時間はわずかなもの。ほんの数秒。いや、一秒にも満たなかっただろう。それこそ目の錯覚と言われかねないほどのほんのわずかな時間だけ。


 それでも、わずかだけでも、たしかにタマモの牙は焦炎王に届いた。


 それをわかっているからか、焦炎王はどこか満足げに頷いている。


「ようやったの、タマモ。ゆえに褒美として一気に終わらせてやろう」


 焦炎王の髪がふわりと宙を舞う。風が吹いたわけではない。焦炎王の全身を赤い魔力が覆い、その魔力によって焦炎王の髪が舞ったのだ。


 それはとてもきれいな光景だった。


 だが、呆けている時間はなく、焦炎王の言葉通りにそれは一気に訪れた。それまでじりじりと迫っていた炎の刃が、ほんの一瞬で目の前に迫っていた。


 対応はできなかった。


 タマモの両腕が勢いよく弾かれた。


 無防備になったところへ、焦炎王の刃が迫る。


 タマモは目を見開きながら、迫る刃を見つめていた。


 刃はやけにゆっくりと迫ってくる。


 迫り来る刃を、ただタマモはじっと見つめていることしかできなかった。


 見つめたまま、ゆっくりと刃はタマモの体に吸い込まれていった。


 あ、と小さく言葉が漏れる。


 ぱきぃんという乾いた音が聞こえた。


 旦那様と慌てるエリセの声も聞こえた。


 それらを聞きながら、タマモはゆっくりと地面に崩れ落ちた。


「……見事だったぞ、タマモ」


 焦炎王は嬉しそうに言う。


 その言葉を聞きながら、タマモはまぶたをゆっくりと閉じていった。

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