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62話 焦双刃

 汗が止まらなかった。


 エリセのおかげで、いくらかマシになったとはいえ、それでも暑いものは暑かった。


 エリセが教えてくれた氷魔法は、練習するまでもなく、すぐに使えた。最上位であろう禁術の「氷結魔法」を使えるからこそなのかもしれないが、それでも一見しただけで使えるようになったことにタマモは自分で驚きを隠せなかった。


 しかし、そんなタマモとは違い、エリセや焦炎王は「さすが」と褒めてくれた。どうやらふたりにとっては、タマモが氷魔法を一見しただけで使えるのは、不思議でもなんでもなく当たり前のようなものらしい。


 それでも、ちゃんと褒めてくれるあたり、エリセと焦炎王がどれほどまでにタマモにベタ甘であるのかがわかる。


 そんなふたりとは違い、ヒナギクとレンはまさかの一発成功にあんぐりと口を開けて驚いていた。「いまのどうやったの?」や「どうして使えるの?」とあれこれと尋ねてくる始末である。


 それでも基本的に、ヒナギクとレンもタマモを褒めてはいるのだ。ただ、絶賛ではなく、驚愕の色が強いためにそう取られないだけ。エリセと焦炎王ほどにベタ甘ではないだけで、ヒナギクとレンもエリセと焦炎王と同じ立ち位置であることには変わりない。


「さすがは禁術持ちだねぇ」


「暑い日や暑い場所では、タマちゃん頼りになるかなぁ」


 タマモの恩恵を預かり、しみじみとうなずき合うヒナギクとレン。そんなふたりにタマモは表情を緩ませながら、「そのときには頑張りますよ」と喜んでいた。


「さて、それでは手解きを始めようか」


 タマモたちのやり取りを、穏やかな表情で眺めていた焦炎王だったが、一息吐いてからその表情を一転させた。その表情は研ぎ澄まされた刃を思わせるほどに、真剣なものへと変わっていた。


 焦炎王の変化に、普段はおっとりとしているエリセも、尻尾を逆立てて警戒の色を強くする。エリセに向いているわけではないとはいえ、焦炎王の変化にはエリセもいつも通りを貫くことはできなかった。


 焦炎王の変化とエリセの様子に、ただ事ではないと感じ取ったタマモたち。それまでのどこかのほほんとした雰囲気はなくなり、それぞれに真剣な評定を浮かべて背筋を伸ばしていた。


 そんな3人の姿に焦炎王は「うむ」とどこか満足そうに頷くと、水平に左腕をおもむろに伸ばすと──。


「タマモよ。その目でしかと見よ。その心にまで焼き付けるようにな」


 ──にこやかに微笑みながら、左手の先から紅蓮の炎を吹かせた。


 紅蓮の炎は焦炎王の左手から勢いよく吹き上がりながら、轟々と燃えさかる。


 ただそれだけであれば、火系統の魔法を使えば、魔術師系のプレイヤーであれば誰でもできること。


 しかし、焦炎王はそれだけでは終わらなかった。


「「焦刃」」


 ぽつりと言葉を漏らすと、その言葉に反応したかのように吹き上がっていた炎が姿を変えていく。


 左手から吹き上がっていた炎。その炎がゆっくりとひとつの形を為していく。焦炎王の左手、いや、肘から先を覆っていき、やがて一振りの刃にと、揺らめく炎の刃にとその身を変えた。


「焦炎王様、それは」


 思ってもいなかった光景にタマモは、何度も目を瞬かせて、焦炎王の左手を指差す。焦炎王の左手を覆う炎の刃は、見ようによっては馬上槍を思わせるほどの長大なものだった。


 馬上槍と違うのは柄がないということ。いや、腕を柄の代わりにして、穂先を手甲代わりに装着したという方が正しいだろうか。


 しかも鉄製の穂先よりもはるかに質量が軽いであろう炎の穂先は、タマモでも平然と扱えるのは明らかである。


「これが「炎焦剣」だ。あらゆるものを悉く炎断する一振りを生み出すこと。それが「炎焦剣」の始まりにして深奥となる」


「始まりにして深奥」


「うむ。やってみよ、タマモ」


「え?」


「え? ではない。やってみせよ、と言っている。「炎焦剣」をその身に宿したのであろう? であればどのような形であろうと、同じ事がそなたにもできるはずだ。ゆえにやってみせよ」


 焦炎王はそれまでの穏やかさは掻き消えて、どこまでも冷たい目をタマモに向けていた。その身に宿す炎とは違い、その目にはなんの熱もない。まるで氷のような冷たい目。その目に背筋が震えるタマモ。


 しかし、焦炎王は止まらない。


「やれぬのか? であれば、そうさのぅ」


 焦炎王は辺りを見回すと、エリセに視線を向ける。すると、焦炎王は不意ににやりと口元を歪ませ、そしてエリセに向けて炎の刃を振り上げた。


「エリセっ!」


 タマモはとっさに動き、エリセと焦炎王の前にその身を躍らせた。が、焦炎王は止まることなく、振り上げた刃をそのまま振り下ろした。


「旦那様!」


 振り下ろされた刃はタマモのすぐ目の前を通過する。完全に直撃する軌道であったが、エリセがタマモを抱きかかえて後ろに下がったことで、どうにか回避することはできた。しかしエリセがそうしなければ、タマモは斬られていた。他ならぬ焦炎王の手によって、だ。


「……どうした? ここまでやってもまだやらぬのか?」


 焦炎王の目は冷たい。氷の瞳を向けたまま、その腕に炎の刃を纏わせたままである。その姿は絶対強者という言葉を体現しているようにしか思えなかった。だが、絶対強者だったとしても頷けないことはある。


「……なぜ、エリセを?」


「そなたがやらぬからだ。やれと言ったのにやらぬのだから、それなりの対応をせねばならぬであろう? エリセを選んだのは、たまたま近くにいたからだ」


「それだけの理由で」


「そうだ。それだけの理由で我は、エリセを斬ろうとした。どうする、タマモ? その程度の理由で我はそなたの愛する者を殺すぞ? そんな我をそなたはどうするのだ?」


 口元を歪ませて笑う焦炎王。その笑顔に背筋が凍り付きそうなほどの恐怖を抱くが、恐怖を抱いたままでは、エリセを守れない。守ると。絶対に守ると決めたばかりなのだ。そんなエリセを喪うことなんて、タマモには我慢ならなかった。


「許さない」


「ほう? まだまともに力も扱えぬ子狐がよくまぁほざくのぅ。だが、許さないだけではどうしようもないぞ? 許さないだけであれば、誰もが言える。そう、許さないだけでは守る者も守れぬ。では守るためにはどうすればいい? どうすれば守れるのだ?」


「それは」


「それはなんだ?」


 ゆっくりと焦炎王が左腕を上げていく。答えを出す時間はほとんど残されていない。いや答え自体はすでに出ている。ただ、それを口にする勇気がなかった。本当に口にしていいのかがわからなかった。


 だが、迷っている時間はない。行動に出るしか、焦炎王と同じように炎の刃を生み出すしかなかった。


 その刃で焦炎王の刃と打ち合えるのかはわからない。わからないが、やるしかなかった。


 だが、いざやろうとしても、どうすればいいのかがわからない。


「結氷拳」のときは、勢いで使えたし、あのときに感覚を掴めたので、いまではその気になればいつでも使える。


 しかし「炎焦剣」は取得したばかりだからなのか、その使い方がいまいちわからないのだ。たた発動させればいいだけなのか。それとも何かしらの手順を踏めばいいのかもわからない。なにもわからないのだ。


 だが、焦炎王の態度からして、いまの状況こそがその鍵となっているであろうことはなんとなく窺うことができた。


 でなければ、焦炎王がこんなことをするはずもない。そんな自信がタマモにはあった。だからといって、現状を打破できるというわけでもない。


 どうすればいい。


 どうしたらいい。


 そのふたつの言葉が延々と頭の中で交互に浮かんでは消えていく。


「……怒れ、タマモ」


「え?」


「怒りこそがその力の始まりである」


 ぽつりと焦炎王が呟いたのは、「怒れ」という言葉。「怒りこそが「炎焦剣」の始まりだ」というもの。


「炎を体現する感情は激情。すなわち怒りである。心に点った炎を怒りの刃と化せ。すべてを炎断する一振りの刃とせよ」


 焦炎王の腕が頭上に掲げられた。燃えさかる炎の刃は、まるで太陽のように燦々と輝きながら、その輝きでタマモたちを照らしている。しかし数瞬後にその輝きはタマモの身にと降り注がれることになる。いや、タマモどころか、エリセまでをも巻き込むことになるだろう。

「さぁ、守りたい者がいるのであれば、その背に守るべき愛する者がいるのであれば、その怒りを刃と化せ。怒りの刃を以て、守ってみせよ!」


 焦炎王の腕が振り下ろされた。迫り来る刃。視界をすべて埋め尽くす炎。それらすべては同じもの。すべてを炎断する破滅の力。対抗するには同じことをすればいい。怒りの炎を刃とすればいい。


 だが、焦炎王にそんなことはできなかった。


 だが、できなければ守れない。


 また守れない。


 もう守れないのは嫌だ。


 ただ指を咥えているだけなのはもうごめんだ。


 あんな想いはもう二度としたくない。


 あんな悔しい気持ちは、もう二度と味わいたくなかった。


 そう、悔しさはもう味わいたくない。


 苦々しさが心の中で蘇った。


 すると、ボゥという音がどこかで聞こえた。


 心中を埋め尽くす勢いで、紅蓮が広がっていく。


「怒りを刃に」


 迫り来る炎を見つめながら、タマモは両手を交差させながら前に出す。


 焦炎王の刃に対して、同じように一振りでは足りなかった。


 倍あってようやくどうにかなる。そう思ったときには、両手を交差させていた。交差させながら思い浮かんだのは、炎を纏わせたみずからの両腕。炎の双剣。タマモの口は自然とその言葉を紡いでいた。


「「焦双刃」」


 甲高い音が鳴り響く。焦炎王の瞳が、氷を想わせた瞳が見開かれていた。その視線はタマモの両腕に、タマモの両腕をそれぞれに覆う二振りの刃にと注がれていた。


「……できた?」


 みずからの両腕をそれぞれに覆う二振りの刃を見て、唖然とするタマモ。そんなタマモに焦炎王は目を見開きながら、「……見事だ」とだけ呟くのだった。

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