表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

553/1007

58話 あの夕空の下で

こちらも10日ぶりになりました←汗

 目を覚ますと、母がいた。


 母は穏やかな寝息を立てて眠っている。


 まりもはそんな母の腕の中にいた。母に抱きしめられながら眠っていたようだ。


(……もうそんな歳でもないっていうのに)


 成人前だというのに、まさかの光景である。


 気恥ずかしさを感じながら、まりもはどうにか母を起こさないようにして、腕の中から抜け出した。


 母はまだ眠っていた。


 普段の疲れもあるのだろう。


 母もまた父同様に会社の社長をしている。


 そのため、非常に多忙ではある。


 おかげで、まりもは子供の頃からあまり父とも母とも触れ合えなかった。当時はもっぱら藍那とばかり過ごしていた。最初は藍那がまりものお付きだったということもあるが、当時は藍那を姉として見ていて、「あいなおねえちゃん」と呼んでいたのだ。


(……そのせいで藍那さんからはセクハラを受けることになりましたけども)


 思えば、藍那を「おねえちゃん」と呼んでいたせいで、いまの受難の日々が始まったのだろう。


 しかし逆を言えば、だ。


 あの日々がなければ、まりものいまはなかっただろう。


(……藍那さんがいなかったら、ボクはどうなっていたんでしょうね)


 そう、藍那がいなければ、藍那という支えがなかったら、いまの自分はいなかった。それだけははっきりと言い切れる。


 不自由のない日々。欲しいと思うものの大半は、願えばすぐに手に入る日々。それはたしかに満ち足りた日々と言えなくもないだろう。


 だが、それはあくまでも物的な意味だ。


 欲しいものは手に入れられても、欲しいものは手に入らない。


 手に入るものにぬくもりはなく、ぬくもりのあるものはどうしたって手に入らない。


 そんな日々を幼少の頃から過ごしていたら、と思うとぞっとしてしまう。


 端から見れば、なんでも手に入るというのは羨ましがられるだろう。


 だが、本当に欲しいものは手に入れられない。それがどれほどまでに精神を蝕むものなのかはわからない。ただ、まりももひとつ違えば、そんな境遇に陥っていたかもしれないのだ。

 だから藍那の存在は、まりもにとっては救いだった。そのうえ藍那のほかに早苗と莉亜が加わった。藍那だけでも救いではあったのだが、そこにふたりも加わってくれた。それでよりまりもは救われたのだ。3人がいてくれたから、いまのまりもはあるのだ。藍那が基礎を築き、早苗が育て、莉亜がともに歩んでくれた。


 3人がいてくれたから、まりもは自分なりにまっすぐに進むことができた。


 もし、3人がいなかったら、まっすぐに進むことはできただろうか?


 どこかで躓いたかもしれない。


 いや、躓くということにも気づかず、どこかで道を違えていたかもしれない。


 たとえば、「勝利」という言葉に執着するようになったかもしれない。


 なにがなんでも勝つ。勝つためならなんでもする。そんな人物になっていたかもしれない。

 それが悪いというわけではない。


 なにをしてでも勝つということは正しい。


 社会というものは基本的には、勝利を求められる。


 だから勝ち続けるということは悪いことではない。執着するのは決しておかしなことではない。


 だが、それだけを頼りにするというのは危うすぎた。


 勝利に執着し続ければ、それが根底となってしまう。一度も敗北することもなく、勝ち続けられればいい。


 しかし、もし途中で躓いたら、取り返しはつかなくなるだろう。


 みずからの根底となったものが覆されることになる。


 一度覆ってしまったら、もう取り返しはつかなくなる。


 誰かひとりでも支えになる者がいればいいだろうが、もし誰もいなかったら、その先に待つのは破滅だけである。


(……藍那さんに出会えたことは救いだったのでしょうね)


 最初に藍那と出会えた。


 藍那との出会いがなければ、まりもは当たり前のようにある「勝利」という言葉を支えにしていただろう。


 そんな自分を想像するのは難しいが、そうなっていただろうなというのはわかる。


 別にそんな自分が嫌というわけではない。


 嫌ではないのだが、その人生はきっと面白くはなかっただろうな、と。


 いまの自分のあり方にまりもは満足している。


 優しい両親と、性癖は問題だが頼りになる姉、完璧な姉、そしてお互いのことを知り尽くした親友がいる。


 まりもはひとりではなかった。


 だから、今回のようなことがあっても立ち上がれるのだ。


 もしいなかったら、きっと立ち上がることはできなかっただろう。


(……すべての出会いに感謝を)


 恥ずかしくて口にはできないが、まりもはいままでの出会いに感謝をしている。


 いままでのすべての出会いがあったからこそ、まりもはいまのまりもになれていた。


 だからこそ、立ち上がれるのだ。


「……まだ、ログインには早いですかね?」


 一眠りをして、いまは夕方になっているが、まだログインはできない。あと数時間ほどしないとログインはできない。


「……早くみんなに会いたいな」


 屈したわけではないが、事実上負けたのだ。


 だが、心まで折れたわけじゃない。


 折れかかりはした。が、完全に折れたわけじゃない。


 であれば、まだ戦える。


 折れない限り、いや、折れてもなお立ち上がれる。


 支えてくれる人たちがいる。


 背中にはその人たちのぬくもりをたしかに感じられている。


 だから立ち上がれる。


 立ち上がり続けられる。


 どんなに傷つき、倒れても、最後の最後まで諦めずにいられる。


 だからこそ、早くみんなに会いたいと思った。


 レンに、ヒナギクに、クーに。そしてアンリとエリセに会いたいと思った。特にエリセには早く会いたい。守れなかったことを謝りたかった。当のエリセにしてみれば、なんのことなのかはさっぱりとわからないだろうが、それでも謝りたかった。そして言いたかった。


(次は必ず守るって言いたいな)


 そう、次こそは必ず守る、と。守り切ってみせると約束したかった。


 エリセにはまったく意味のわからないことだろう。まりもも同じ立場であったら、きっと首を傾げるだろうが、それでも言いたかった。誓いを立てたかった。


「……不公平ですもんね」


 エルとのやり取りがあるまでは、踏ん切りがつかなかったし、どう接すればいいのかもわからなかった。


 だが、もう踏ん切りはついた。覚悟はできた。


「次に会えたら、ちゃんと言おう」


 アンリをアンリと呼び捨てにするのであれば、エリセもまた同じように呼ばないといけないだろう。


 ふたりとも設定上はまりもよりも年長ではあるから、呼び捨てにするのはどうかと思うが、アンリは少なくとも呼び捨てにしてほしい、と散々言っていた。であれば、おそらくエリセも同じだろう。


 だから次に会ったら、「エリセ」と呼び捨てにしようと決めた。


 エルとのやりとりでわかった。


 まりもにとって、アンリとエリセはなくてはならない人たちなのだということが。


 守るべき存在なのだ、と。


 アンリと関係が深まるのであれば、エリセもまた関係を深めなければならない。


 いや、そうしたいとまりも自身思えた。


 ゲームだの、データだのとそんなものどうでもいいのだ。


 大切なのであれば、いや、大切だからこそ求めたいのだ。


 躊躇っていたら、気づいたときにはこぼれ落ちてしまうかもしれない。


 今回はその啓示だ。


 教訓としてまりもの中に刻み込まれた。


 だから、もう迷わない。


 倫理感的には問題かもしれないけれど、大切な人を手放すつもりはない。


 アンリもエリセもまりもにとって大切な人なのだ。


 だから、もう迷わない。


「揃って幸せにするんだ」


 ふたりを幸せにできるのは自分だけ。


 なら迷うことはない。


 いや、そもそも迷う必要なんてなかった。


 だから、もう迷わない。


「早く会いたいな」


 何度目かになる呟き。その呟きを口にしながら、まりもは窓の外を眺める。ゆっくりと紅に染まっていく空。変化するグラデーションを目にしながら、早くあの空の下でふたりと再会したいとまりもは願った。……夕空でわずかに掛かった黒い雲に気づくことなく、ただただ愛おしいふたりとの再会を願っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ