53話 手助けという名の
「──そういえば、クリスマスイベントのお礼をまだしていませんでしたね? あのときは本当に助かりましたよ」
「……そうですか」
「ええ、それはもう! おかげでせっかくのクリスマスをイベントなしということにならずにすみました。皆さんには本当に感謝しかありません。誠にありがとうございました」
エルはニコニコと笑いながら頭を下げる。
普段のまりもであれば、額面通りに素直にその感謝を受け取っていたが、いまのまりもにとって、エルの感謝を素直に受け取ることはできなかった。
「……話は終わりですか?」
「いえいえ、全然、ちっとも終わっておりませんよ」
エルは笑いながら手を振る。その身振り手振りからして、言いたいことをほとんど言っていないというのは明らかだが、まりもにしてみれば、これ以上話すことはなかった。
「……であれば、早めに終わらしたいのですけど? エリセさんを早く元の場所に戻したいので」
まりもにとって、いま優先するべきはエリセだ。エリセはまりもの腕の中でまだ眠っていた。
昏睡状態にあるのか、それとも単純に眠っているだけなのかは見た目ではわからなかった。ただ少なくともエリセは生きていることはわかる。
いろいろと危うい状況にあったが、どうにか守ることはできる状況にはなった。まだ完全に安心できるわけではないが、少なくともほっと一息を吐くことはできる。一息を吐きながら、まりもは周囲に視線を巡らした。
まりもたちの周囲には黒づくめの男性たちが立っていた。護衛をしているように見えなくもないが、実際のところは監視兼逃亡阻止の壁というところだろうか。いまのところ、まりもはもちろんエリセにも手を出す素振りはない。
しかし、少し前までこの連中はエリセに手を出そうとしていた。気を抜くことはできない。いまは大人しくしているが、エルがその気になれば、まりもを押さえ込み、エリセに手を出すことは十分に可能だ。
黒づくめのアバターであるため、ひとりひとりの顔は一切わからないが、服の上からでもわかるほどに、その体格は非情に逞しい。小柄なまりもを押さえこむことなど、ひとりで容易く行える。まりもを押さえこんでいる間にほかの連中がなにをするのかなんて考えるまでもない。
(……そういう薄い本のような展開なんて、そうそうありえないと思っていましたけど)
事実は小説より奇なりとはよく言うものだとまりもは痛感させられていた。まさか現実でそんな薄い本展開になるなんて考えてもいなかった。
だが、あくまでもいまは展開になっているだけであり、陥ったわけではない。現にエリセは眠っているが、いまのところなんの危害も加えられていない。いつも通りの、とびっきり美人なエリセが腕の中にいる。
「ふふふ、相当に気に入ってくださったようですね、その子を」
くすくすとエルは楽しげに笑っている。なんて返事をすればいいのか、一瞬まりもは言葉に迷ったが、「おかげさまでね」と素直に返事をした。エルは「そうですか」と今度は嬉しそうに笑っている。笑っているが、その目はひどく鋭く、油断をすれば一気に攻め込まれることは明らかだった。
「……なんでエリセさんを人質にしたんです?」
「おや? もうその話をしますか? 私としてはもう少し──」
「これ以上ごちゃごちゃと話をする気はない。さっさと話を進めなさい」
「──やれやれ、せっかちですねぇ。玉森家のお嬢様は」
エルは肩を竦めていた。竦めながらもまりもの素性をわかっていた。もっとも当然の話ではある。まりもの個人情報は登録されたものから見ればいい。そしてその情報からまりもの素性を調べることなど簡単にできるだろう。
加えて言えば、「玉森」という名字はそれなりには珍しいうえに、「タマモ」はまりも本人のパーソナルデータから作製された特別なアバターである。そのパーソナルデータを踏まえれば、より特定はしやすくなる。そのうえ、まりもは両親ほどではないが、そこそこ有名であるため、より特定はしやすかったことだろう。
「……私が玉森まりもであることを理解していて、この仕打ちですか?」
「はて? 仕打ちとは?」
「とぼけないで。あなたは彼女を」
「彼女? あぁ、そのデータのことです? 別に実在しないんですから、どうなったってどうでもいいでしょう? それとも実在しない人物にも人権があるなんて仰るつもりで? 何代も前の知事がそんなことを言い出して、失笑を買っていましたがまさかあなたもその口で?」
「……別にそういうつもりはありません。あなたの言うとおり、彼女がデータであることは紛れもない事実ですから」
悔しいことではあるが、認めるのは非常に癪ではあるが、エルの言うとおり、エリセはデータだけの存在だ。いや、エリセだけじゃない。クー、氷結王、シュトローム、焦炎王、そしてアンリもまたゲーム内世界の住人。データ上でしか存在しない人々だ。そんな彼らに現実世界の人間同様に人権を求めるというのは、失笑ものでしかない。
彼ら彼女らがどんなに実際の人間のような言動をしていても、それは所詮登録されたデータ上のものでしかない。どんなに恋しくても、サービスが終了すればもう二度と会うことも叶わない儚い存在でしかなかった。そんな相手に人権がどうだのという気はまりもとてない。
だからといって、なんでもしても構わないわけじゃない。なにをされても気に留めずにいられるわけではない。ひどいことをされそうになっていたら止めたくなるし、気にせずにいられるわけではなかった。
「たとえ実在していなくても、彼女がいまここにいることはたしかなことです。彼女はいまたしかに私の腕の中にいる。私が身を以て守れる場所に彼女はいてくれている。なら守るのは当然のこと。それが彼女を強引に世話役にした私の責任です」
「なるほど? ちなみに話というのはまさにそのことなんですよ」
「……世話役のこと、ですか?」
「ええ。それもあなたのアバターである「タマモ」の世話役になりました。本来であれば、生粋の妖狐をそばに置くことは、こんな初期段階ではできないはずなんですよね。そもそも妖狐たちの隠れ里への通行証を手に入れること自体がまだ不可能のはずだったんですよ」
「不可能? でも」
「ええ、本来ならばといまも言いましたが、将来的には隠れ里に行くことは可能でした。そのためにはいくつものフラグを立てる必要がありました。たとえば、妖狐と対を為す一族と知り合うことだったり、各高難易度ダンジョンの先にいる各竜王たちと出会うことだったり、と。現時点では攻略不可能なフラグをいくつも立てたうえでようやく、というのが本来の道筋でしたね。具体的に言えば、CとUCランクのEKが最終段階になる程度にまでゲームが進んだ頃、そうですね、だいたい2周年を迎える前後くらいですかね? そのくらいに大々的に「新エリア」としてお披露目するつもりではありましたが、それがまさかリリースして半年程度で到達するプレイヤーが現れるとは、まったく以て予想外でした」
ため息交じりにエルは言うが、特に怒っている風ではない。単純に興味深そうにまりもを見つめている。その視線は非常にあけすけだったが、かえってなにが狙いなのかがわからなくなってしまった。
「裏話を聞かせて貰うのはありがたいけれど、プレイヤーである私がその情報をリークすると思わないので?」
「一部はあなたがすでにあなたたちのクランが、クリスマスイベントで広めていますから、隠す意味はないでしょう? まぁ、詳細までを大々的にリークするというのであれば、さすがに処置させていただくことにはなりますが」
「……安心してください。そのつもりはいまのところ毛頭ありません」
「そうですか。ならいい」
「ただ、副産物は広めても?」
「あぁ、手に入る食材などですね? でしたら別にお好きにどうぞ。この手のゲームで新エリアの素材などが流通するというのは当たり前のことですからね。むしろ、この手のゲームで足並みを揃えろなどと馬鹿げたことを言うつもりはありません」
「そうですか。では、脱線した話を戻しますが、エリセさんをどうするつもりですか?」
話はすっかりと脱線してしまったが、エルが言いたいことはエリセの世話役としてのあり方だった。口ぶりからしてNPCである妖狐たちをクランの本拠地になるホームに常駐させることは将来的に可能となるようだ。いや、おそらくは妖狐だけではなく、一定のNPCであればどんな種族であろうと可能になるのだろう。現に「フィオーレ」のホームにはクーを始めとした虫系モンスターズが常駐している。倒すべき相手であるはずのモンスターたちもホームに常駐させられていることを踏まえれば、理論上どんなNPCでも常駐させられるようになるのは間違いない。
ただ、それがエルたち運営の予想よりも大幅に早かった。だが、それで不利益を生み出しているわけではない。むしろ、一部のプレイヤーの中にはアンリやエリセのような妖狐のNPCを求めて奔走する者もいるようだった。
以前偶然見つけたスレッドのひとつに「きれいなおきつねさんは好きですか?」というなんとも言えないタイトルのものがあった。内容はNPCである妖狐たちの居場所を探すというものであり、スレッド数もそれなりになっていた。おそらくはファーマーが中心になっているようだが、アンリとエリセという可憐かつ見目麗しいケモ耳美少女ないし美女を見た一部のプレイヤーたちが熱を上げているようだった。
そのことを踏まえれば、むしろ「タマモ」のしていることは促販行為に繋がることであり、むしろ運営からすれば推奨どころか、頭を下げて感謝を述べたいことであろう。
だというのに、そのエリセのことで話があるというのはどういうことなのか。まりもはエルの言いたいことがよくわからなかった。
「エリセさんになにか問題でも?」
「いえ。問題はないんですよ。むしろ、彼女を問題視しているのはあなたですよね? もうひとりの彼女がいるから、いわばその子はお役御免の状態になっている。でも、あなた自身が引き抜いてきた存在を掌返しすることは難しい。ですから、私どもが少し手を貸そうかと思いましてね」
「……なにが言いたいので?」
「単刀直入に申しますと、それ、私どもに売ってくださいませんか、ということですね」
ニコニコと笑いながらエルはとても笑えないことをはっきりと告げるのだった。




