52話 人質
改めて見たら長文が多かったので、少し改行しました。急いでいたもので申し訳ないです←汗
「──ここは?」
まぶたを開くと、そこはいつもの自室ではなかった。
あの後、アンリと想いを告げ合った後、これといったことはなかった。
現実であれば、行き着くところまで行き着いた可能性もある。が、こういうことはもっと順序を踏むものであるという持論がタマモ、いや、まりもにはあった。
なので、仮に現実だったとしても、徐々にステップアップという形を取ったはずなので、結局の所、行き着くところまで行き着くことはしなかっただろう。
……決して、ボク自身がヘタレだからというわけではない。むしろヘタレであったら、アンリにあそこまで大胆なまねはできない。ゆえにボクはヘタレではない。そうまりもは自分自身に言い聞かせていた。
……端から見れば言い訳乙と言われかねないかもしれないが、まりも自身は「ヘタレではないのです」と自信を持って言うことができた。
とにかく、あの後、まだ積もる話もなくはなかったし、もっとアンリと一緒にいたいところではあったのだが、さすがにイベントをこなした後だったこともあり、それなりに疲れもあった。加えて言えば、あのまま一緒にいると、もっともっとと際限なく一緒にいたくなってしまいそうになる。
だからこそ、こうして早めにログアウトを選んだのだ。まりもとしては断腸の思いではあったが、アンリと一緒にベッドで寝転び、いくらか満足はできた。ただ、ログアウト前にアンリが思わぬ一言をくれたのだが。
「……あの、旦那様が起きられるまでこうして一緒に寝ててもいいでしょうか?」
アンリはじっとまりもを見つめていた。
その姿にきゅんと胸が鳴るのをまりもは感じつつも、どうにか自制心を働かせながら、「構わないですよ」とだけ言った。アンリは「ありがとうございます」ととても嬉しそうに笑ってくれた。
その笑顔にアンリにますます夢中になってしまいそうだと思ったのは言うまでもない。同時に、エリセとの関係をどうするべきかとも思ってしまった。エリセを半ば強引に世話役にした手前、「アンリとの関係があるから」と言って放り出すことはできない。そもそも、そんなつもりもまりもにはかけらもない。
しかし、いざアンリと関係が深くなったというのに、エリセともいまの関係のままというのはなかなかに問題があるような気もしてならない。
アンリとエリセ。どちらとも等距離の関係であったのであれば、いまのままということもありかもしれないが、アンリとより近くなったいま、いままで通りの関係をエリセと続けるというのは不義理にもほどがあった。
ためしにとアンリにも尋ねてみたが、アンリ自身は一瞬考えた後に、「アンリとしてはアンリだけにという風にしていただけると嬉しいですけど、でも、アンリはエリセ様がいなくなってしまうのは嫌です」とわがままと取れなくもないことを告げてくれた。
「アンリには姉がいませんでした。リィン姉様はいらっしゃいますけど、リィン姉様はあくまでも大ババ様の血筋の方ですから、深いところでは家族とは言えません。でも、エリセ様は旦那様がいらっしゃったからこその関係ではありますけど、本当の家族みたいで、だからアンリとしてはいきなり姉がいなくなるのはちょっと困るというか」
アンリはためらいつつも、はっきりと自分の意見を伝えてくれた。つまり、アンリとしてはアンリだけを見て貰いたいが、エリセとも一緒にこのまま暮らしていたいのだ。たとえ、まりもがエリセとも深い関係になったとしても、一緒にいられるのであればそれでいいということである。
そのアンリの考えを、エリセがどう思うのかはわからない。今回のことでアンリはエリセより大幅にリードしたのだが、そのアドバンテージを投げ捨てて、エリセが追いつくのを待つと決めたということだ。
見ようによっては、アンリのそれはエリセに対する侮辱ということになりかねない。もっと言えば、舐めているとしか言いようがない。たとえ、アンリ自身にそのつもりはなかったとしても、エリセから見ればそうとしか取れないことであった。
もっともエリセも短いとはいえ、アンリと寝食をともにしていることもあり、アンリがどういう子であるのかはわかっている。そしてアンリがエリセを実の姉同様に慕っているように、エリセもまたアンリを実の妹のようにかわいがっているのだ。
エリセは妹たるアンリの気持ちを理解してくれるだろうが、同時に決定的な敗北を突きつけられるのに、あえてしないというその姿勢に思うことはどうしても生じてしまうだろう。下手をすれば、いまの関係が壊れかねないことではあるが、それでもアンリはエリセともっと一緒にいたいのだろう。
そうなると、まりもとしてはどうすればいいのかがわからなくなってしまう。エリセともっと深い関係になるべきなのか、それともエリセを蔑ろにしないようにしつつ、アンリとより深い関係を築くべきなのか。
ログアウトするまでのわずかな間だけでは、まりもは自身の身の振り方を決めきることができなかった。
中途半端な形のまま、まりもはログアウトをした──はずだった。
ログアウトすれば、見えるのは見慣れた自室の天井であるはずなのに、まりもの目の前に広がるのは、見覚えのない白い天井だった。いや、天井だけではない。目に映るすべてが見覚えのない白に覆われていた。まるで大ババ様の試練を突破したときのあの真っ白な空間のような、どこまでも広がっているかのおうなだだっ広い空間にまりもはいた。
ご丁寧なことに、まりもの体はアバターの「タマモ」ではなく、現実での「まりも」の姿をしている。初めてログインしたときと、アバターを作製したときと同じで、あれ以降は決してなるはずのない姿で、見慣れない空間に立っていた。
「ここは」
同じ事を呟きながら、まりもは周囲を見渡した。なにもかもが白すぎて、正確に空間の大きさを把握しきれないが、母校の体育館くらいの大きさはあるだろうとだいたいの予想はできた。が、できたのはそこまで。そもそもここがどこなのかもさっぱりわからない。
どこなのかはわからないが、どうしてこうなったのかという答えくらいは導けていた。むしろ、導けないはずもない。まりも自身、問題行為であることを自覚していたのだ。だから、ここにいる理由はわかっていた。
「──突然お越しいただき申し訳ありません」
不意に声が聞こえた。聞き覚えのない、とは言えない声。というよりも以前聞いた声だった。この聞こえた方に振り返ると、そこには燕尾服を身につけた背の高い女性が立っていた。
「……お久しぶりですね。プロデューサーさんですよね?」
「ええ。プロデューサーのエルと申します。クリスマスイベント前以来ですね」
背の高い女性ことプロデューサーのエルは、にこりと笑っていた。笑っているが、どこか様子が異なる。その理由もまりもにははっきりと理解していた。
「……アカウント凍結というところですか?」
「……なぜ、そう思われるので?」
エルは笑顔を崩すことなく聞き返してきた。笑顔を浮かべているのに、雰囲気は以前と違っていた。
「……ボクはそれだけのことをしました。だから、ここに呼び出したんですよね?」
「……なるほど、自覚はあるようですね? 自覚したうえで、というのは質が悪いですね」
笑顔を消してエルはタマモを見つめる。が、その視線にも表情にも侮蔑の色は見えない。むしろ、興味深そうにタマモを見つめていた。
「なぜ、あのようなことを?」
「……アンリに自分を責めさせたくなかった」
「それだけですか?」
「それだけです」
「NPCに欲情し、襲いたかったということではなく?」
「……そんなことをして、あの子に嫌われたくないですし、あの子を傷つけたくない」
「……あれがNPCであることを、あれが実在しないデータだけの存在であることを理解しています?」
「しています」
「それでも、嫌われたくないと。傷つけたくないと? あははは、お笑いぐさですねぇ。あんなデータなどにご執心とは」
エルは笑った。言葉だけを捉えれば、いや、言葉だけを聞けば侮蔑しか感じられない。だが、言葉とは裏腹にエルはどこか嬉しそうだったし、楽しそうだった。なんでそんな表情を浮かべているのかがまりもにはよくわからなかった。
「あー、笑わせていただきました。ただ、あの子に欲情し、データだけの存在だからなにをしても罪に問われることはないというつもりであったら、アカウント凍結も辞さないつもりではありましたが──ふむ、気が変わりました」
エルが指を鳴らす。すると、まりもの背後にまりもが座るのにちょうどいいサイズの椅子が現れた。実家で使っている椅子と比べても遜色しないほどに立派なものだった。
「お座りください、タマモ様。立ち話で済ませるには惜しすぎる面白い話ですし」
「……ボクとしてはあまり面白くありませんね」
「そうですか? ではこうすればいかがでしょうか?」
エルが再び指を鳴らす。すると、まりもの目の前にウインドゥが現れた。なにかしらのデータが表示されるのかと思っていたが、そのウィンドウに表示されたのはデータではなく、なにかしらの動画だった。
見えたのは真っ白な布である。ただの布ではなく、布地の服のようだが、それだけではなんのことかさっぱりとわからない。
「これはいったい?」
「見ていればわかりますよ」
エルはニコニコと笑っている。いつのまにか出したのか、まりもの背後に現れた椅子と同じデザインだが、エルの体格に合わせた椅子に深々と腰掛けている。
「あ、ほら、見てください。これでわかりますよね」
エルの前にも同じウィンドウが開いていた。嬉々とした様子で動画を指差すエル。いったいなにがそんなに嬉しいのやらと動画を改めて見るとそこには──。
「……エリセさん?」
──動画に映っていたのは、少し前まで悩みの種であったエリセだった。エリセは気を失っているのか、それとも寝ているのかはわからないが意識がないようで、豊かな胸元を静かに上下させていた。そのエリセの周囲には黒づくめの男性が数人いた。……嫌な予感しかしなかった。
「……なにをするつもりですか?」
「撮影ですが?」
「撮影?」
「ええ。データだけの存在とは言え、彼女は美人でスタイルもいい。そんな女性のあられもない、複数の男たちに嬲られる姿というのはなかなかにお金になると思いませんか?」
にこやかにエルが言い放った。その言葉が事実であるかのように、男性たちは思い思いにエリセに手を伸ばし、身に付けている巫女服を脱がそうとしていた。
「やめろ!」
まりもは叫んだ。同時に男性たちの動きは止まる。エルは相変わらず笑っていた。
「ね、面白いでしょう? でも、まだこれは始まってもいないんです。これからとても面白くなります。あなたが座らず、ここから立ち去ると言われるのであれば、私はその面白いショーをここで見させていただきます。実在しない女性って、データだけの女って孕むのかなぁとか気になりません? 私は気になるなぁ。だからこうして──」
「ふざけるな!」
下卑たことを言うエルに向かってまりもは息を切らしながら叫ぶ。だが、そんなまりもに対してもエルはにこやかに笑うだけである。
「じゃあ、どうぞ座ってください。あなたが素直に座ってくださるのであれば、彼女には手出ししないようにしましょう。ちなみにですが、彼女がいるのは本来NPCが存在しない空間。要はここと同じ空間です。そしてこのことを知っているのは私とあなただけです」
エルは笑っている。つまるところ、エリセは人質にされているようなもの。それも助けようのない空間に閉じ込められ、エルがその気になればいつでも襲わせることができる状況下にある。まりもができることはひとつだけだった。
「……話ってなんですか?」
まりもは背後に現れた椅子に腰掛けた。下手に突っぱねたり、無視してログアウトを選べばエリセがどのような目に遭うのかは、エル自身が言ったとおり。まりもにできるのはエルの話を聞くということだけだった。
「話が早く助かります。では、これはご褒美です」
またエルが指を鳴らした。すると、ウィンドウは閉じられ、代わりに眠っていたはずのエリセが、動画で映し出されていたエリセがタマモの腕の中に現れた。
「エリセさん!」
現れたエリセを抱き止めるもエリセは相変わらず眠っているようで、健やかな寝息を立てたままである。ほっと一息を吐くまりもだったが、週に人の気配を感じた。
「……いつの間に」
周囲を見渡せば、いつの間にかエリセを襲おうとしていた黒づくめの男性たちがまりもたちを囲むようにして立っている。さっきまでよりかはマシかもしれないが、場合によってはさきほどよりも危機的状況に陥ったと言えなくもない。すべてはエルの思うままという状況であることには変わらない。
「……なにが目的ですか?」
「ふふふ、そうですね。でも、まずは少しお話をしましょう。大事な話はそれからということで」
にこやかに笑いながらエルは他愛もない話を始めた。その話に相づちを打ったり、返事をしたりしながらもまりもは腕の中にいるエリセを守るようにして抱きしめた。アンリへの不義理とかそいうことはどうでもいい。いまはエリセを守ることが重要だった。
そんなまりもの姿にエルは満足したかのように笑っている。笑いながら他愛もない話を続けていく。そんな一方的な会話をしばらく続けることになるのだった。




