50話 君への罰
やりすぎた←
「──それでなにがあったの?」
アンリの話が止まった。
それで終わりというわけではない。
むしろ、そこからが本番であろうはず。なのに話が止まった。
いや、口を閉ざしたのだ。
状況を踏まえる限り、それ以降なにがあったのかなんて考えるまでもない。
(火の適性がないからこそ、起きてしまった悲劇、か)
いまのアンリは力むことはないが、指を鳴らして狐火を熾すというやり方を、タマモが大ババ様から教えて貰ったやり方を実践しているのを見たことがないのだ。
あの簡易的な方法をしないということは、それだけアンリにとって狐火を熾すのは集中力がいること。なにせ狐火が使えるようになって間もない頃のタマモと同じやり方を、100年近い年月を生きているであろうアンリがいまだに行っているのだから。
それだけでアンリに火の適性がないという確たる証拠とまでは言い切れないかもしれないが、少なくとも狐火が不得手であることだけは間違いないだろう。
加えて言えば、アンリの尻尾の数も少しだけ気になってはいたのだ。
「風の妖狐の里」の妖狐たちは子供の妖狐以外では、尻尾は大抵3本あった。もっとも3本あるのはある程度年長の妖狐であり、一定の年齢以下の妖狐は2本だった。ちなみに大ババ様はいまのところいままで会った妖狐の中で一番多い5本で、その次がエリセの4本と続く。
尻尾が2本だけなのは、タマモが知る限りある一定の年齢層、幼い子供の妖狐が、人間で言えば小学校の低学年くらいの年齢の子が多かった。中には中学生くらいの見た目の子もいるにはいたが、かなり少数ではあった。その少数の中にアンリはいる。
(妖狐の尻尾の数は、そのままその妖狐の力の強さに比類するって話をどこかで聞いた覚えがあるけれど)
どこで聞いたのかはよく憶えていないし、もしかしたらなにかの作品だけの設定なのかもしれないが、妖狐によって尻尾の数が違うのは、個人個人の力によるものが大きいのだろう。現に風の里の長である大ババ様は妖狐族全体にとっても長老と言える立場のようだし、エリセは水の里長の一族において歴代屈指の力の持ち主だが、大ババ様には及ばないようだった。その関係からから大ババ様の尻尾は5本で、エリセは4本という大ババ様に比べると数の上で少し劣っていた。
しかしエリセは200年前後生きているそうだが、人間で言うとまだ20代半ばであり、大ババ様のように1000年もの月日を生きているわけではないそうだ。大ババ様の5分の1の月日しか生きていないにも関わらず、大ババ様と遜色ない実力をエリセは持っている。つまりエリセは天才ということになるが、それはいまは割愛する。
(エリセさんがすごい人なのは何度か聞いたことがありますし、水の里でいじわるなおばあさんが「化け物」とか抜かしていましたから、エリセさんがすごい妖狐であることは街がないはずです。でも、アンリは──)
そう、エリセの実力が抜きん出ていることは何度か耳にしたことはある。しかし、アンリに関してはそんな話を聞いたことは一度もなかった。せいぜいが、里内でも美人と称されるほどの容姿を褒めたものだったり、その甲斐甲斐しく尽くす性格に「いい子」という評判だったりと、決してアンリの妖狐としての能力を讃えるものではなかった。アンリの才能を讃える話はタマモは一度も聞いたことがなかった。
(──アンリには一度もそういう話を聞いたことがないのです。あれはつまりアンリは妖狐としてはあまり褒められないということ。つまりは──)
浮かび上がった言葉をタマモはあえて飲み込んだ。
たとえ、アンリが妖狐としては劣った存在だったとしても、タマモにとってのアンリはなくてはならない人なのだ。たとえその能力がほかの妖狐よりも低かろうが、そんなものはタマモにとってはどうでもいいことだった。
「……その後起こったのは、暴動に近いものでした」
「暴動?」
「はい。広場にいたほとんどの人たちが、怖い顔をして襲いかかってきたのです」
そのときのことを思い出しているのか、アンリはぶるりとその身を震わせた。むき出しになった肩の辺りを押さえながら、その身を震わせていく。が、その状況がいまひとつタマモには想像できなかった。
アンリが嘘を吐いているとはタマモには思えない。思えないが、「アルト」のNPCの住人たちがそんな暴挙に出るという想像もできなかった。
なにせタマモはいまのところ、アルトの住人たちから迫害を受けたこともなければ、突然襲いかかられることもなかった。タマモは「金毛の妖狐」という特別な妖狐ではあるが、妖狐という括りの中には含まれる。
だというのに、タマモは襲われず、アンリたちは襲われた。その違いがなんであるのかがよくわからなかった。
「……話の腰を折って悪いんだけど、ボクはそういうことをされたことないんだけど」
「……それはいまの「アルト」だから、です」
「いまの「アルト」だから?」
「……正確に言えば、いまの「ヴェント」だから、旦那様は問題なく過ごせるのです」
「どういうこと?」
「……いまから50年ほど前に、主神様が妖狐族の贖罪が終わったとお告げをされたのです。それまでは妖狐族はすべての種族から迫害を受ける民でした」
「贖罪?」
「はい。妖狐族は神獣様に連なる一族ですから。その神獣様が犯した罪を、妖狐族長年贖ってきたのです。その贖いが終わったと主神様がお告げをされたのです。だから、いまの「ヴェント」であれば、妖狐族は地上で暮らすことができるのです。でも、長年の贖いゆえに多くの妖狐はいまだに地下深くで暮らしています。旦那様のような特別な方は例外ですが、アンリとエリセ様のように地上で暮らす妖狐はごく一部しかいないのです」
「そう、だったんだ」
なぜ妖狐たちは隠れ里を作ってひっそりと暮らしているのかと思っていたが、長い贖罪の日々を過ごしていたからこその弊害だったとは考えてもいなかった。
50年という月日は妖狐にとって、いや、長命種にとってはついこの間のような感覚だろうが、人間にとってみれば半世紀前のことだ。
このゲーム内世界に限って話ではないが、たいていのファンタジーものでは、世界で最も人口が多いのは大抵ヒューマンと呼ばれる通常の人間だ。
エルフやドワーフという長命種は、その寿命の長さから人口が増えにくいという特性があるが、その分だけ能力が高くなりやすい。短命種はその逆で能力は低いものの、一度の出産で5、6人と増えるが能力の低さゆえに死にやすくもある。ヒューマンは長命種と短命種の中間であり、能力はそこそこで寿命もそこそこあるという、ある意味いいとこ取りの存在である。ゆえに人口と能力のバランスの良さから、大抵のファンタジーでは世界の覇権を握っている事が多く、それはこのゲーム内世界でも変わらない。
そして半世紀もあれば、ヒューマンの世代は5つは変わる。5つも世代が変われば、当然人も変わっていく。世代交代の波により、当時は迫害を受けていた妖狐族も、いまは問題なく過ごせるというのは決しておかしなことではなかった。おかしなことではないが、どうにも信じられないという想いは強い。
だが、アンリがこんなことで嘘を吐くような人物ではないことは、タマモが一番よく知っている。ゆえにアンリの話が真実であることは間違いないのだ。たとえどれほどに信じられないことであったとしてもだ。
「……襲ってくる人たちからお父様とお母様は身を以てアンリたちを守ってくださいました。魔法を浴び、剣や槍で体を斬られ、貫かれてもおふたりは必死にアンリたちを守りながら、御山まで逃げられたのです」
「御山ということは、氷結王様の?」
「はい。氷結王様の御山は聖域となっていますから。ヒューマンの方々は許しがなくては入ることができませんし、許可なく入れば厳しい処罰を受けます。逆に言えば、聖域に逃げ込めればヒューマンの方々の迫害から逃げ延びることができるということでもあるのです」
「聖域か。もしかしていまもそれは変わらないの?」
「はい。少なくともアンリは御山が聖域ではなくなったという話を聞いたことはありません」
「なるほど」
氷結王が座す山が「死の山」とプレイヤー間で畏れられている原因が、アンリの話で理解できた。
称号という名の通行証がない者は、闖入者として処理されるということだ。そのことを知らないプレイヤーが御山へと赴いた結果が「死の山」という恐怖のエリアとして語られることになった原因だったということだ。
(……NPCからの好感度を上げていけば、御山が聖域であることを教えて貰えたのでしょうね。でも、そのことを知らずに突撃した結果が、プレイヤーの死に戻り多発地帯にとなってしまった、と)
スタートダッシュをして攻略最前線に出るというのは、MMORPGではわりとよくあるプレイスタイルではあるが、このゲームでは従来のプレイスタイルは通用しない。主に生産関係だけだとは思っていたが、キャッチコピーである「ならうな」というのはこういうところにも大きく影響しているようだった。
リリースしてまだ半年足らずではあるが、掲示板ではすでに攻略が行き詰まっているようなので、「ならうな」というキャッチコピーにある通り、随所に従来のプレイスタイルでは通用しない難所がいくつも存在しているのは間違いない。
とはいえ、タマモにとって攻略なんて二の次である。いや、二の次以下だ。いま一番大事なことはアンリを慰めるということなのだから。
「御山に逃げ込んだときには、もうお父様もお母様もぼろぼろでした。無事な部分を探す方が早いくらいに。アンリとお兄様はおふたりに守って貰えて無事ではありました。でも、御山の入り口の洞窟の半ばで疲労で一歩も動けなくなってしまいました。幸い、洞窟に住まう魔物たちからは攻撃を受けることはありませんでしたし、むしろ倒れ込んだアンリたちを心配して介抱してくれたのですが、そのあとのことはよく憶えていないのです。気づいたときには里長の家で家族全員が寝かされていましたから」
「……そっか」
そう返すことしかできなかった。
ただ一言告げるこしかタマモにはできなかった。そんな自分がひどく情けなかったが、それ以上になにを言えばいいのかがタマモにはわからなかった。どれだけ悔しかろうが、口にできる言葉は悲しいほどになにもなかった。どれほど学業の成績がよくても、どれほどの語彙を誇ろうとも、いざ口にしようとする言葉は、どれもひどく頼りない言葉のように思えてならなかったのだ。
そんなタマモの内心を感じ取ったのか、それとも単に余裕がないのかはわからないが、アンリは淡々と続けた。
「結局、そのときの怪我が原因でお父様とお母様は流行病に罹りました。そして、そのまま帰らぬ人になってしまったのです。おふたりが負った傷はとても深くて、後遺症を抱えてしまうほどでしたから」
「……アンリとアントンさんは大丈夫だったんだよね」
「はい。アンリとお兄様はただ疲労していただけでしたから、数日寝込んだだけで済んだのです。でも、お父様とお母様はそうじゃなかった。アンリたちを、いいえ、アンリなんかを守ったから、おふたりは亡くなられてしまったのです」
アンリの目尻から涙がこぼれた。もともと目尻に堪っていた涙は決壊して、次々にこぼれ落ちていく。その涙はアンリの膝を枕にしているタマモの頬を濡らしていく。頬を伝うアンリの涙にタマモは居たたまれのなさを感じるも、どうすればいいのかがわからなかった。できるのはただアンリの涙を受け止めることだけだった。
「お父様とお母様が亡くなったのは、ぜんぶ、ぜんぶアンリのせいです。アンリが不用意に狐火を使わなければよかったのです。いいえ、アンリが誕生日に上界に行きたいなんて言わなければ。ううん、そもそもアンリなんて生まれてこなければよかったのです。そうすれば、お父様とお母様はいまもきっと、きっと──」
アンリは涙を流しながら自身の存在の否定を始めてしまった。それまで掛ける言葉が見つからなかったタマモだったが、さすがにそれを聞き流すことはできなかった。いや、聞き流すわけにはいかなかった。
「アンリ」
「……アンリはいてはいけない存在なのです。こうして旦那様のおそばにいることさえ許されない罪人です。人殺しなんです」
「違うよ、アンリは」
「違わないのです。アンリは、生きていてはいけないのです。生きていたらおかしいのです。だってアンリはお父様たちを殺したのです。そんな人殺しが旦那様の、いいえ、眷属様のおそばにいていいわけが──」
「アンリ!」
「っ!」
旦那様ではなく、眷属様と余所余所しい呼び方をされたことで、タマモは耐えることができなくなった。体を起こし、そのままアンリを組み伏した。ぎしりと長椅子が軋む音を聞きながら、タマモはアンリを見下ろした。アンリは涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、タマモを見上げている。その瞳には光はなく、がらんどうとしていた。そんなアンリをこれ以上タマモは見ていたくなかった。
「……眷属様、どいてくださいませ」
「違うよ、アンリ」
「なにが」
「ボクは君の旦那様だ。だから、眷属様なんて呼び方をするな。ボクは君に眷属様なんて他人行儀な呼び方をしてほしくない」
「……でも、アンリは」
「でもじゃない。そもそもアンリは誰の許しを得て、ボクの女の悪口を言っているんだ?」
「……アンリのような罪人に同情してくださるのですね。眷属様は本当に」
「違うと言ったよ、アンリ。なのにまた勝手にボクの女を悪く言った。だからアンリには罰を与える」
「罰って──んっ」
なんとも自分勝手な言い方だと思いながらも、タマモはアンリの首筋に顔を埋めた。くすぐったそうにするアンリを腕の力と三尾を用いて抑え込み、その首筋に吸い付いた。アンリの口からくぐもった声が聞こえるが、無視して首筋に吸い付き、痕を刻んだ。誰から見てもわかるほどにはっきりとした痕を。
「……これで誰が見てもわかる。君が誰のものなのか。この痕は決して隠さないで。隠すようだったら、次は違うところに刻むから。もっと見える場所に刻む。それが嫌なら隠さないで。それが君への罰だよ、アンリ。ボクの女を悪く言った君への罰だ」
やりすぎかもしれないとは思うし、かなりギリギリの線を踏み抜いているという自覚はあった。それでもこうするしかなかった。こうする以外にアンリを止める方法が思いつかなかった。タマモはじっとアンリを見つめる。アンリは光のない瞳でタマモを見上げるだけでなにも言わない。タマモもまたなにも言わず、ただアンリを見下ろしていた。視線が絡み合うのになにも言葉を交わさない。言葉のないやりとりをふたりはしばらくの間交わし続けた。




