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47話 家族

 それはアンリが30歳頃、ヒューマン種で言えば、5、6歳くらいの頃のこと。


 当時アンリにはまだ両親がいた。


 兄のアントンも成人しておらず、少年と言っても差し支えない頃のこと。やはりヒューマン種で言えば、15、6歳頃。ちょうどいまのアンリよりも、いくらか年長だった。


 当時アンリの両親は健在で、アントンに畑の一部を任せ、自由に作物を育てさせていた。なにからなにまで親の指示を受けるのではなく、全体から見れば一部であっても、自身の考えで種付けから収穫まで任せることで、自身で考えてその結果がどうなるのかを経験させていたようだ。


 すべてを任せるにはまだ早すぎても、つきっきりで指導する時期はすぎている。


 かといって、いままで通りに畑仕事を手伝わせるというのは憚れる。


 そんななんとも微妙な時期であった。


 アントンを、そのままずっと畑仕事の手伝いとするのであれば、それでも構わない。しかし、アントンは跡取り息子である。跡取り息子が畑仕事の手伝いしかできないというのは問題である。


 だからこそ、アンリの両親は畑の一部をアントンのものとして、そこで自由に作物を育てさせたのだ。


 すべてを任せられなくても、一部であれば任せられる程度にはアントンは仕事ができた。


 ゆえに、その一部を完全にアントンの畑として、アントン自身の考えで種付けから収穫までを任せるという手段に出ることにしたのだ。


 指導という形では、ある程度までは成長できても、それ以上はなかなかに難しい。


 成長を促すのであれば、みずから実践させること。それがアンリの両親の選択だった。


 そうしてアンリの家の畑を、一部とはいえ完全に任せられたアントンは日々試行錯誤を繰り返していた。


 時には両親に相談し、時にはみずから研究してきたことを試す。それを繰り返しアントンは、日に日に成長していった。そんな兄の姿を幼いアンリはそばで見つめていた。


 当時のアンリは、まだ両親から畑仕事の手伝いをさせて貰えていなかった。


 まだ幼いアンリに畑仕事は早すぎた。


 ゆえに両親と兄が畑仕事に勤しんでいるときは、基本的にアンリは里長の家に預けられていた。というのも里長の一族の末子にあたるリィンの遊び相手としてアンリは選ばれたのだ。


 リィンの方がいくらか年長ではあったが、それでもだいたい同年代だったということもあるが、一番の理由はアンリの母親が里長である大ババ様に手ほどきを受けたということが大きい。


 でなければ、他にも同年代の妖狐の女の子はいるのに、アンリが遊び相手に選ばれるわけもない。


 当時のアンリもそのことを理解していた。


 母親の交友関係があったからこそ、ひとり家に留守番しているということにならず、リィンという姉のような存在ができたのだと。


 当時のアンリは里長の家で、リィンと遊ぶことが大半だったが、日によってはリィンと一緒に読み書きや計算などの勉強もさせて貰っていた。


 アンリは遊ぶのは好きだった。が、勉強は少しだけ苦手ではあった。しかし、ちゃんと問題が解けるとリィンが褒めてくれるのが楽しみであった。それに他の同年代の子とは違い、ちゃんとした教育を施してもらえていたのだ。それがどれほどまでに貴重なことであったのかも幼かったアンリは理解していた。


 だから苦手な勉強もリィンとともであれば、頑張ることはできたのだ。


 そうして里長の家で日中を過ごし、日が暮れる頃に兄が迎えに来て、手を繋いで家に帰る。そんな日々をアンリはいつも過ごしていた。家に帰れば、夕食の準備をする母と明日の仕事の準備をする父が笑顔で迎えてくれる。


 家はそんなに裕福ではなかったが、貧しいというわけでもなかった。里長の家でおやつとして出される甘味が、アンリの家で手を出すにはやや躊躇するというくらいの贅沢品になるが、その日食べるものにも困らされてしまうということはなかった。


 一般的な家庭よりかは若干貧しいが、生活に困るほどではない。それが両親の生きていた頃のアンリの家の状況だった。


「アンリにはすくすく育って貰わんとな。それこそ里で一番の別嬪さんになって、いいところの家に嫁入りしてうちの家計を助けてほしいものだ」


「そうですねぇ。アンリはとっても美人さんになれるでしょうし。ふふふ、将来有望ですもの」


 両親は幼いアンリを見てほっこりと表情を綻ばせていた。当時からアンリの見目は人目を惹くものであり、成長したらどれほどの良縁が舞い込んでくるのかわからないほどだった。家計がそこまで苦しくはないとはいえ、余裕があるわけではかったこともあり、両親はアンリの成長を日々喜んでくれていた。ただ、兄のアントンはというと──。


「なにを言っているのですか、父上も母上も! アンリはまだ30歳にもなっていない子供なのですよ!? その子に早く嫁に行けというのはあまりにも非情でしょう!? それにアンリはそんじょそこらの青びょうたんに嫁入りなどさせられません! 少なくとも自分を倒せるくらいに強い者でなければ、嫁入りなど認めません!」


 ──目を血走らせながら、両親に噛みついていた。そんなアントンに「おまえは早目に妹離れをしろ」とか「妹を大切にするのはいいんだけど、あまりに度が過ぎるとかえって嫌われますよ?」と両親に揃って釘を刺されていた。


 そんな兄にアンリはいつも笑顔でこう答えた。


「おにいさま、だいじょうぶです。アンリはおにいさまみたいな人のおよめさんになるのです! だからあおびょうたんさんのおよめさんにはなりません!」


 鼻息を荒くしてアンリは笑顔で言った。その言葉にアントンはいつも涙を流しながら、「アンリぃぃぃ」と叫んでアンリを抱きしめてくれた。そんな兄とアンリの姿に両親はため息を吐きつつも、穏やかな目を向けてくれていた。


 裕福ではない家だが、いつも笑顔に溢れた温かい家。それがアンリの家だった。


 優しい両親と少し過保護な兄。そんな家族に囲まれながら、アンリはそんな毎日がこれからもずっと続いていくのだと思っていた。


 しかしそんな毎日はある日、急に壊れることになったのだ。


 それはアンリの30歳の誕生日を迎える少し前のことであった。

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