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42話 優しい手

「──ここまでとしようか」


 焦炎王がまぶたを開いた。


 タマモは地面を転がりながら、その言葉を聞いていた。


 見上げる空は、どれだけ時間が変わっても真っ赤だ。いつも見ている空。現実の空となんら変わらない燃えるような赤い空。


(……炎みたいな空ですね)


 普段であれば、あまり思わない感想が頭をよぎった。


 焦炎王にズタボロにされたからというのは明らかだが、焦炎王にとって今回のやりとりは、あくまでも手ほどきにしかすぎない。氷結王が見せてくれた「深奥」を踏まえれば、今回のこれが幾重に手加減を重ねていることは明らかだ。特にまぶたを閉じたまま対峙するなんて、誰がどう考えても手加減されているとしか思えないだろう。


 戦闘系プレイヤーではないタマモであっても、いや、戦闘系とか生産系とか関係なく、どんな場面であってもまぶたを閉じれば、本来の力を発揮できないのは当然のことだ。その当たり前であってもタマモはズタボロにされて地面を何度も転がされることになった。


 別に戦闘系プレイヤーでもなければ、戦闘に自負を持ってもいないタマモだが、ここまで手加減されたうえに何度も地面を転がされてしまうと、なかなかにキツいものがある。


 しかも悲惨なことに転がされるたびに「大丈夫か?」と気遣われてしまうのだ。まるで「そこまで弱いとは思っていなかった」と言われているようで、少し惨めな気持ちにはなってしまった。


 それでも「俯いてたまるか」と負けん気を起こして、どうにか食らいついていたが、どうにもならない力量の差があることは事実であった。


 そんな事実の前にタマモは散々と打ちのめされてしまっていた。ゲームを始めた当初であったら、とっくに心が折れて、逃げていたところだっただろう。だが、いまやタマモには「逃げる」という選択肢は存在していなかった。


「旦那様、頑張ってください!」


「お気をしっかり!」


 アンリとエリセ。ダメダメだと自分でも思っているタマモを、「旦那様」と呼び支えてくれるふたり。その声援があったからこそ、タマモは踏ん張れた。逆に言えば、ふたりがいなければ踏ん張ることはできなかっただろう。


 タマモの中で、アンリとエリセの存在はそれほどまでに大きなウェイトを占めるようになっていた。そんな自分の有り様に驚きつつも、タマモはどうにか焦炎王の手ほどきを終えることができた。


 もう指一本動かすのも面倒なくらいに、体は疲労している。だというのに不思議と充実していることをタマモは感じていた。


「旦那様、お疲れ様どした」


 エリセの穏やかな顔が視界いっぱいに広がっていた。頭の下からはほどよい固さとぬくもりがある。膝枕をしてもらっていることはタマモ自身理解しているが、いつのまにエリセはここまで移動したのだろうと思うほどの早業である。


「むぅ、エリセ様ばっかりずるいのです」


 エリセの隣で不満げに頬を膨らますアンリがいる。その不満を露わにするように、ぺしぺしと片方の尻尾で地面をこれでもかと叩いている。もう片方の尻尾は「替わって、替わって」とねだっているかのように、エリセの腕を突っついているが、エリセはニコニコと笑うだけでアンリの要望に応える気はないようである。その代わりとばかりにエリセの尻尾のひとつがアンリの頭をなで回しているのだが、アンリがそれで満足するわけもない。


 ある意味、女の戦いとも言うべきものが、現在タマモを挟んで行われているのだが、当のタマモは疲労しているがゆえにその戦いには事実上ノータッチである。もっとも疲労していなくても、ノータッチでいたいところなのだが、現実はそんな容易い選択をタマモにさせてくれない。


 だが、そんなふたりのやりとりを眺めていると、不思議とタマモは嬉しかった。争いはあまり好まないタマモだが、不思議とふたりのやりとりは見ていて和まされる。


 そんなやりとりを眺めていたときだった。


「大丈夫、タマちゃん?」


「大変だったね」


 ヒナギクとレンが心配そうにタマモのそばに駆けて寄ってきた。その後から申し訳なさそうな顔で、焦炎王が近寄ってくる。申し訳なさそうな焦炎王の姿を見ていると、逆にこちらが申し訳なくなってしまう。


 とはいえ、それを言っても仕方がない。悪いのは弱い自分の方なのだ。強い焦炎王に、わざわざ手加減を重ねてくれた焦炎王に言うべきことではなかった。むしろ、謝るべきであればこちらの方だろうとさえタマモは思った。


「ははは、この通り、疲れ切っているだけですから、大丈夫なのです」


「……すまぬな、タマモ」


「いえ、焦炎王様が謝られることではないのです。悪いのは弱すぎるボクなのですから」


「……いや、もう少し加減を。あぁ、いや、それを言うのは悪いか。どうにも言葉で言うのは苦手だ」


 力なく焦炎王は笑っていた。そんな笑顔を浮かべさせたくはなかったのだけれど、致し方がないとしか思うしかなかった。


「ところで手ほどきはこれで終わりなのですか?」


「あぁ、とはいえ、炎焦剣の触り程度だが。本来の炎焦剣を使えば、この美しい光景もすべて灰燼と帰してしまうからな。「深奥」は見せられぬ」


 そう言って焦炎王は小川の先に広がる畑を見つめていた。様々な実りをつける作物。その作物を愛情もって育てるファーマーたち。その光景自体が焦炎王にとってはかけがえのないものという風に見えているのかもしれない。


(……炎って考えてみれば破壊に特化したような力ですよね)


 考えてみれば、炎というものはどちらかと言えば壊す力だ。


 その壊す力の象徴である焦炎王にしてみれば、命が育まれるのは貴いものであり、自身にはほど遠いものだという印象を持っているのかもしれない。それはとても悲しいことだと他タマモには思えてならなかった。


 とはいえ、なにを言えばいいのかはわからない。


 タマモはせいぜい20年しか生きていない。千年は生きているという設定の焦炎王にとってみれば赤子同然の存在。そんな存在にいまさら悟らされることなんてあるわけがないし、感じ入るようなことを言えるわけもない。


 タマモにできることがあるとすれば、それは──。


「焦炎王様」


「うん?」


「あの、頑張ったので頭を撫でて貰っても?」


 ──せいぜい甘えることくらい。タマモを甘やかすのが焦炎王は好きなようだから、せめてそのくらいはして、焦炎王の気持ちを少しでも上向きにしてあげたい。そう思った。その気持ちを感じ取ったのか、焦炎王は笑いながらタマモの頭を撫でてくれた。その手つきはとても優しいものだった。

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