31話 共闘
速い。
遊んでいるつもりは一切ない。
これでも本気で走っている。
本気どころか、すでに全力で走っているのだが、速度に差がありすぎている。
どれだけ力強く地面を蹴ろうとも、差は埋まらない。
むしろ、どんどんと差が生じていくようであった。
(おまえは、こんなにも速かったんだな)
テンゼンは汗を搔きながら思った。
はるか遠くにいるレン。
背中さえも見えなくなっていく最愛の家族の姿に、またひとつ成長してしまったレンを見ていると、誇らしさとともにわずかな悲しみが芽生えていく。
(……まだ期限までには時間がある、というのにな。おまえは少しずつ、僕の手から遠ざかっていくんだな)
記憶の中のレンは、テンゼンの中でのレンはまだ幼かった。
「兄ちゃん、兄ちゃん」と言っていつも背中に引っ付いていたレン。
テンゼンの他にも兄はふたりいるというのに、レンはどうしてかいつもテンゼンのそばにばかりいたがっていた。
そのせいで、長兄と次兄には「おまえばっかり」と責められることもあった。
「僕のせいじゃないよ?」と言っても、ふたりは聞いてくれなかった。それだけ末っ子であるレンを兄ふたりもかわいがっていたのだ。
もっともふたりのかわいがりはいくらか度を越していたというのもあるだろう。ふたりの兄はレンよりも10歳以上年長であることもあって、かわいがりぶりがひどかったのだ。ふたりよりかは歳が近いけれど、テンゼンであっても5つも歳は離れていた。
それでも10歳以上歳の離れた兄たちよりかは、レンの気持ちはなんとなく察することはできた。
それが原因だったのか。
レンは一応上の兄ふたりを慕ってはいるが、若干敬遠もしている。そのことを兄ふたりは理解している。が納得していないため、時折テンゼンに「おまえ、マジふざけんなよ?」や「おまえのそれは自慢にしか聞こえないんだが?」とお小言とともに威圧を受けるのが、家を出るまでのテンゼンの日課だった。
ただ、そのことをレンはまるで気づいていなかったため、兄たちだけで遊んでいるように見えたのだろうか、「俺も仲間に入れて」と無邪気に言ってくれたものだ。レンが近寄ってくると兄ふたりの態度は一気に軟化する。ただしレンには気づかない形でだが。
兄ふたりはレンに「頼りがいのある、カッコいい兄」という体を保ちたがっていた。その内心がデレデレであることは間に挟まれたテンゼンにははっきりとわかっていたが、そのことを指摘しようものならば、絶対零度を思わせるような冷たい目を、いや、殺気に満ちあふれた目を向けてくれるので、テンゼンはあえてなにも言わなかった。
この世でもっとも恐ろしいものは、末っ子を溺愛しすぎる兄だとテンゼンは20年足らずの人生で骨の髄まで理解していた。
そのテンゼンもまたレンには甘く弱い。それはテンゼン自身も理解している。理解しているからこそ、このゲームをわざわざプレイしているのだ。すべてはレンのために。愛すべき家族のために。あえて高い壁になるためなのだ。
その壁がただの駆けっことはいえ、こんなにもたやすく越えられるのはいろいろと問題がある。
問題はあるのだが、レンがこと速度においてはテンゼンを凌駕してしまっているというのは事実である。
だからといって、このまま指を咥えているわけにはいかない。
このまま座して負けるつもりはない。
(しかし、どうしたものか。あいつの速さは正直手がつけられないな)
テンゼンの速度を大幅に上回るレン。攻撃の速度であれば負けるつもりはないが、こちらの速さに関しては何歩も譲るしかなかった。
(というか、なんだよ、マグマを飛び越えるって。飛び石するのは知っていたけれど、あんな形で攻略するってありなのか?)
レン自身の能力ではなく、レンの持つEKの能力だろうが、その能力をいまのところレンは扱いこなしている。まだ十全とまでは言わないだろうが、扱えるところまでであれば、自由自在に使っているはずだ。
いまだ「ムラクモ」の能力を使いこなしているとは言い切れないテンゼンからしてみれば、羨ましいとしか言いようがないことだ。
(……まぁ、「ムラクモ」がそれだけありえない能力をしているってことかもしれないがね)
「ムラクモ」の能力は正直言って馬鹿げたものだ。その馬鹿げた能力にテンゼンはまだ振り回されている。が、テンゼンだからこそ振り回されているで済んでいるとも言える。
「……おまえは使いやすそうな得物でよかったな、レン」
いまのところ、レンのEKは使いやすそうだ。場合によっては「ムラクモ」以上にじゃじゃ馬になりそうなEKではあるが、少なくとも今回のレースのように単純明快なルールには、特に向いているであろう。
そこにレンの適正も加わっているからなのか、このレースでは手が付けられないレベルに達していた。
奥の手であった「氷雪魔法」を使ってはいるが、前衛職であるテンゼンでは、「氷雪魔法」を使いこなせない。それは氷結王にも散々言われたことではあったが、それでもこのレースでは有用に使えるはずだった。
それさえもレンはあっさりと上回っていった。
(本当に「天才」の兄という立場はきっついなぁ)
レンははっきりと言えば、「天才」だ。レンから言わせてみればテンゼンこそがというかもしれないが、テンゼンにしてみれば、レンこそが「天才」なのである。
(……少なくともあいつの歳の頃の僕よりも、すでにあいつは強くなっている。僕の優位性は年齢によるプラスがあるというだけ。もし同い年であったら、逆立ちをしても勝てる存在じゃない)
いまはまだレンに勝つのは難しいことじゃない。だが、今回のように場合によってはテンゼンはレンに負ける。
今回のレースもそうだ。このままだとあっさりと負けてしまう。
兄の威厳とかそういうのはどうでもいいが、壁としてあるのであれば、簡単に負けてしまうのはいかがなものだろうか。
(とはいえ、打つ手なしなんだよな)
すでにレンは第3ゾーンの中央を越えている。元々あった差よりも大きな差が生じてしまっている。
ここから巻き返すことができればいいのだが、そんな魔法みたいなことができるとはテンゼンには思えない。
(剣と魔法の世界とはいえ、そんな都合のいい魔法なんてあるわけもないし。万事休すか?)
まだ負けるわけにはいかない。それも完敗はできれば避けたいが、その完敗はもうすぐそばにまで近寄ってきている。
どうするべきか。
どうしたらいいのか。
そのふたつの言葉がテンゼンの脳裏を何度もよぎっては消えていく。
打つ手なし。
歯ぎしりしたくなるような答えが、脳裏をよぎった、そのとき。
「……ねぇ、テンゼンさん、だよね?」
不意にすぐそばから声が聞こえた。
少し前を走っていたプレイヤー。「武闘大会」で共闘することになったローズがこちらを見やっていた。
「そういうあなたはローズさんだね? ガルドさんとも仲のいい」
「仲がいいというよりかは、腐れ縁かな? まぁ、それはいいよ。それよりもさ。協力してくんない?」
ローズは余裕がないのか、とても真剣な表情でテンゼンを見つめていた。そういうテンゼンとてすでに余裕はない。お互い様というべき状況であった。
「協力っていうのは、この状況の打破についてだよね?」
「うん。正直レンくんの力を甘く見積もっていた。最大限の警戒はしていたつもりだったんだけど、それでも甘かったね。あの子の成長速度が想定以上だった」
「……それは同感だね。「武闘大会」時よりも成長している。現状では手に負えなさすぎるね」
「あははは、私も同じ意見。だからさ、協力しようよ。いつかは追い抜かれてもやむなしって思っていたけれど、こんなに早く追い抜かれるのは問題っしょ?」
「そうだね。僕もここで完敗を喫するわけにはいかない」
「それが答えでいい?」
「どうとでも。それよりもどうするべきか、当てはあるのかい?」
短いやりとりだったが、ローズなりにレンを評価し、ローズなりにレンの壁としてあろうとしてくれていることがわかった。
人誑しだなと思いつつも、テンゼンは状況の打破についてローズに尋ねた。ローズは親指をコースの外へと向けた。
「……バフを僕にも掛けてくれるってことかな?」
「うん。うちのメンバーが問い合わせたけれど、別の参加者にバフを掛けても「妨害行為」にはならないみたいだからね。ここで全部のバフを掛けるつもりだけど、それだけじゃレン君には追いつけそうにないからさ。あなたの力も貸して貰えたらなと思っている」
「……なるほど。僕のこれを利用しようというところか」
「うん。その魔法は「氷魔法」の上位でしょう? うちのメンバーも「氷魔法」を使えるけれど、あなたの使っている魔法は見たことがないって言っていたからね」
「凍える視線」は「氷雪魔法」の初歩ではあるが、下位である「氷魔法」では使えない魔法だった。メンバーに「氷魔法」の使い手がいるのであれば、「凍える視線」が「氷魔法」の上位の魔法であることには気づいて当然だろう。
「とはいっても、別にその魔法の取得方法を教えろとは言わない。そのうち取得できると思うし。でも、いまはその魔法の力がほしい」
「……承知したよ。僕もバフが貰えればいいとい思っていたし」
「それ本当?」
「さぁね? でも、お互いに欲しいものがあるのであれば、分け合うのもありでしょう?」
「うん。それじゃ」
「あぁ、やろう」
同意は取れた。
テンゼンは「凍える視線」をローズの足下に使った。ついでに「氷雪魔法」から「スケート」も事前に使った。これでテンゼンと同じことがローズにもできるようになった。同時にテンゼンにも複数のバフが掛かっていく。
お互いの支援は済んだ。
あとはお互いに駆け抜けるのみである。
「行こうか、ローズさん」
「うん。追いつこうか」
ローズとうなずき合いながらテンゼンは駆け出した。レンとの距離はまだ開いている。しかし、届かせてみせる。それだけを考えながら、遠く離れた背中へと突き進んでいった。




