27話 決断のとき
「──第11ランナーの背中はまだ遠いぞぉ!」
実況がやけに興奮していた。
もっともそうなるのもわからないでもない。
レースを観戦している観客たちも興奮しているようで、いままで以上に歓声を上げていた。
それまではレンとローズの一騎打ちだったのが、突然そこに分け入ってきたテンゼンにより、三つ巴の戦いにと発展したのだから、ボルテージが上がるのも無理からぬ話である。
そのボルテージを上げるために、煽り実況をするというのもわかるのだ。ただ、タマモにはどういうわけか「私情」が絡んで来ているような気がしてならないのだ。
(でも、私情って、どういうことなんですかね?)
あくまでもタマモが感じ取っただけのことではあるが、声を聞く限りでは、今回も実況はタマモ曰く「メス豚」であるGMのソラであろう。
ソラはタマモさえもドン引きするほどの変態である。
なにせタマモが顔を叩くだけで興奮するほどだったのだ。そしてそうなる対象はほぼ間違いなくタマモであろう。
でなければ、普通顔をあれだけ叩かれて「ご褒美」と称することはできない。
そんなソラがタマモが現在出場していないレースで私情を露わにするというのはどういうことなのか。
(テンゼンさんとなにかしらの関係でもあるんですかね?)
考えられるとすればそれくらいだろうが、その関係がなんなのかはさっぱりとわからない。
ネカマであるテンゼンを推しているというわけではないだろう。
テンゼンは見た目では美少女のアバターを使用しているものの、中身はれっきとした男性である。それは運営の一員であるソラとてわかっているはず。
それともわかったうえで、興奮しているのかもしれないが。
どちらにせよ、タマモにとっては「やっぱりあいつヤベー奴なのですよ」と思わずにはいられない展開である。
(まぁ、あいつがヤベー奴なのはすでにわかっていることですし、ボクとしてはあいつがどんなにヤベー奴でも今回はボクには一切関わり合いがないから、どうでもいいことですけども)
そう、今回タマモは最終レースには出場していないため、ソラの毒牙に掛かることはない。むしろ毒牙に掛けてこようものならば、今度はお腹にパンチでも入れてやるつもりである。女性のお腹にパンチなどと本来であれば、禁じ手のようなものだが、タマモとしてはアレを女性と思いたくないので、躊躇なく禁じ手さえも放つことができる。……第三者が見たら、目を疑う光景に見えるだろうが、タマモとしては当たり前のことであるので、特に思うことはない。
まぁ、ともかく。今回はソラからの被害をタマモが受けることはないので、ソラがどんなに特殊な性癖を露わにしようともタマモとしてはどこ吹く風として受け止められるので問題はない。
ゆえにソラのことは正直どうでもいいのだ。
大事なのはレースの展開である。
上述したとおり、現在レースはレンを先頭に、ローズ、テンゼンの順に三つ巴の様を呈していた。
少し前まではテンゼンがローズに迫っていたものの、ローズが再度加速したことで再び各々の距離の差は元通りの等距離になっていた。それぞれに100メートルほどの差はできているだろうか。テンゼンもローズも札を切ってきているが、それを差し引いてもレンが頭ひとつ分抜け出しているというところ。
純粋な駆けっこであれば、このままレンが独走という形で最初にゴールテープを切ることになるだろう。そう、純粋な駆けっこであれば、だ。
しかし今回のこれは純粋な駆けっこではない。
虚実入り混じりの実戦という名のレースだ。
そのレースがこのまますんなりと終わるとは、タマモには到底思えないのだ。
(……あまりにも順調すぎるのです。いまのところ、なんの妨害もないのが特に気がかりですし)
そう、特に気がかりなのは、このレースの醍醐味とも言える妨害を、いまのところなにも受けていないということである。
タマモの予想では、最初から妨害を受けるものだと思っていた。それも1回や2回どころではなく、大盤振る舞いと言えるほどの量を受けるものだと思っていたのだ。それが蓋を開けてみれば、妨害が一切ないのだ。
ほぼ無風とも言える状態がずっと続いている。
嵐の前というのはこういうことを言うのだろうかと若干の焦りをタマモは感じていた。
まだ実際に妨害を受けてはいない。
しかしいずれは妨害を受けることになる。
それがいつなのかは予想できている。予想できているが、確定ではない。もしかしたら数秒後に妨害が始まる可能性は決して否定できない。
現在レースでも総合的にもトップを独走しているが、安心感なんてものは一切ないのだ。それどころか不安さえ覚えている。その不安が妙な緊張感を孕んでタマモを蝕んでいた。
(……むぅ。この状況を作ることさえも策のうちということですかね?)
実際のところはわからない。
だが、現にタマモは精神的なデバフを受けたような状況になっていた。タマモのこのレースでの役割は司令塔。アドバイスと指示をそれぞれに的確に行うというチームの頭脳役である。
その頭脳がほんのわずかに翳りが生じている。
いまのところは、本当にごくわずかなのだ。ごくわずかであっても影響は出ていた。それがどのクランなのかはわからないが、対戦相手の策であったとしたら、これ以上とない成果を上げていると言ってもいいだろう。
(しかも、これは決してボクたちに対する妨害行為には当たらないのです。目に見えた形でのものではないから、妨害のカウントには入らない。であるのに、通常の妨害よりもよっぽど成果をあげている。……偶然かもしれませんが、これを狙っていたとしたら相当のやり手なのですよ)
どのクランがとは決まっていないし、ただの偶然の可能性も否定しきれないが、もし仮にこれが必然だとしたら、やはり相当の苦戦を強いられることになりそうだった。
そのことはおそらくローズ率いる「紅華」や単独参戦であるテンゼンも痛感していることだろう。
そして妨害が始まるであろうタイミングも全員が理解しているはずだ。そのタイミングは、レース中盤以降。第3ゾーンであるマグマ地帯からだ。
マグマ地帯には、マグマ内に潜むナニカに捕食されてしまった時点で失格となるという鬼畜ルールが存在している、仮にどうにか抜けられたとしても、最終ゾーンに待ち受けるのは「ふりだしに戻る」という極悪トラップだ。
中盤以降のトラップは掛かった時点で事実上の失格が決定となる恐ろしいものだ。そのトラップに掛からせるように妨害が始まるというのは想像に難くない。
(いくらレンさんでも、失格にならないように集中しつつ、妨害を抜けるというのは至難のはず。となれば、すべきことはひとつです。妨害される前にゴールすることだけなのです)
いまはまだ4位以下のクランは潰し合いの真っ最中だろう。その潰し合いが終わる前にゴールできれば、妨害をされることはない。この状況を作り出した策士もまさか妨害する前にゴールされるとは考えていないだろう。というか、できるわけがないと考えているはずだ。
だが、タマモはレンならそれができると思っている。無論、レンの力だけでは無理だろう。しかしこれはチーム競技だ。チームの力をひとつにすれば、できないことはないとタマモは自身を持って言えた。
「ヒナギクさん」
「なに?」
「切り札を切ります」
「え? もう? まだ中盤くらいなのに」
切り札は終盤に使用するということは、作戦タイム中に決めていた。が、場合によっては使用時期は早めるかもしれないとも言ってあった。妨害を受ける前にたたみ掛ける。もったいぶって時期を誤っては本末転倒であるのだ。
「妨害を受けていないいまのうちに、終わらせるべきでしょう。妨害が始まる前にゴールするべきだとボクは思います」
「それは考えすぎじゃない? みんなきっと「トリニティ」狙いだから」
「かもしれませんね。でも、ここはあえて攻めます」
「……タマちゃん、なにを焦っているの?」
ヒナギクは理解しきれないと顔に書いてある。
ヒナギクにとっていまのタマモは性急にすぎるのかもしれない。
タマモ自身、少し性急すぎるかもしれないと思わなくはない。急いては事をし損じると言うのだから、あまりにも焦りすぎるのは逆効果であろう。
とはいえ、のんきに構えていては機を逸することもありえるのだ。
(……こういうときは絶対的に正しいということはない。あるのはどちらがよりベターなのかということ)
機を逸するかもしれないがあえて待つか、急いてし損じるかもしれないがここで勝負に出るか。
どちらも正しいとも思うし、どちらも間違っていると思う。
なんとも微妙だ。微妙だが、それでも答えは出させねばならない。
その答えをどうするべきか
タマモは悩んだ。その間もレースは続いている。
当初100メートルほどあったローズとの差が徐々に縮まっていく。テンゼンも負けじと食らいつき、観客のボルテージは最高潮に達しつつあった。
(決断するべきですね)
どちらを選ぶか。タマモは悩みながらも答えを出した。その答えは──。




