26話 ローズの意地
そんなのありか、とローズは思った。
「第3ランナー、第7ランナーを猛追ぃ~! 追いつけるかぁぁぁぁぁーっ!?」
実況の興奮した声が聞こえてくる。
その内容にローズは思う。それは反則じゃないの、と。
リップとヒガンが状況を説明してくれているが、どうやら第3ランナーことテンゼンは、自身のコースの地面を凍結させてその上を高速で移動しているようだ。さながらスピードスケートのようだとリップは言っていた。
『地面を凍結させるのは運営的にありみたいだね。調べてみたけれど、ルール違反というわけじゃない。だって「地面を凍結させるのは反則です」とは公式のHPにも書いていないし』
「「トリニティ」の方は?」
『そっちも問題ないみたい。考えてみれば、地面が凍結しているんだから、トラップも作動しなくなるよね。あと他のコースにまで影響は及ぼしていないみたいだから、「パーフェクト」も「クリーン」もどちらもいまのところ問題はなし。まぁ、それはそれでありなのか、と言いたくはなるけれど、運営がレースを中断させていないことを踏まえると』
「なんの問題もなし、ってこと?」
『そうみたいだねぇ。優遇とか言われそう』
やれやれとリップが若干呆れを含ませたように言う。実際にリップは呆れて、肩を竦ませていることだろう。ローズの立場がリップと同じであれば、間違いなく同じ反応をしていただろうが、事今回に限って言えば、ローズは当事者のひとりである。当事者のひとりとして言わせて貰えば、「ふざけんな」としか言いようがないことだ。
だが、その一方で「たしかにルール違反というわけではないか」とも思っていた。他人のコースまで凍結させたら、誰がどう見ても妨害としか取られないだろうが、テンゼンは自身のコースの一部を凍結させているだけ。他者のコースにまで影響を及ぼしていないのだから妨害にはなりえないし、トラップが作動していなければトラップに掛かりようがないのだから『パーフェクトボーナス」に引っかかるわけでもない。
つまりリップの言うとおり、いまのところテンゼンは「トリニティボーナス」を得られなくなることをしていないということである。テンゼン以下のプレイヤーたちまではどうかはわからないが、いまのところレン、ローズ、テンゼンのトップ3は誰もが「トリニティボーナス」を問題なく得られるということ。
それぞれの持ち時間は別々であるようだが、いまのところ問題はない。どのプレイヤーも持ち時間は一度もトラップに掛からなければゴール自体は問題ないとされる5分ほどはある。総合トップの「フィオーレ」のレンの持ち時間は、その分だけ多い。具体的な時間はわからないが、おそらく10分以上はあるはず。
ゲスト参加のテンゼンは前2レースの結果は関係ないので、平均的な5分ほどというところであろう。
当のローズは平均より上の6分30秒ほどなため、ゴール自体は問題ない。「スプリンターボーナス」も平均の5分よりも早くゴールできれば獲得可能なため、やはり問題はない。それは圧倒的な持ち時間を持つレンも問題はないだろう。テンゼンは一切の余裕はないだろうが、いまのところのレースの運び方を考えると、おそらくテンゼンも問題はないのだろう。
(さすがに5分以内で「トリニティ」を取るのは難しいと思うんだけどね。私もやってみないとわからないけれど、少なくともやりたいとは思わないなぁ)
そう、テンゼンの条件は難しい。仮にローズが同じ条件下でレースを行うとしても、「トリニティ」を狙えるかどうかは運次第というところだろうか。
いまのところ、妨害は一切受けていない。テンゼン以下のプレイヤーたちは各々潰し合いのごとく妨害の繰り返しをしているようだ。どうやら「トリニティ」を取ることは早々に諦めたようである。中には「トリニティ」狙いのクランもいるだろうが、潰し合いの余波を受けてしまって「パーフェクト」を逃しているクランもそれなりにいる。それどころか、早々に危険を申し入れたクランも中にはあるようである。
前2レースの結果がどんなに低くても持ち時間にマイナスの査定が入ることはないが、疑似レースで練習をしてもどうしてもトラップに引っかかってしまうプレイヤーも中にはいただろうから、早々に危険を申し入れるというのもわかる。中にはどうやっても総合優勝どころか入賞さえも狙えそうにないと考えて、作戦タイム中に棄権を申し入れたクランも少なからずいるようだ。
(もうじき私も第2ゾーンに入る。そろそろ妨害が来そうだなぁとは思うんだけど)
不思議なことにいまのところ妨害は一切ない。
リップが言うにはテンゼンにも妨害はないようだ。それ以下の選手にはそれなりに妨害がされているようだが、トップ3には一切の妨害がない。普通であれば、トップ集団にこそ妨害がありそうなものだが、不思議なことにトップ集団への妨害がないという妙な状況に陥っていた。
(……これはなんかあるなぁ。序盤で他の邪魔なライバルは潰して、中盤あたりでトップを蹴散らすとか、そういう作戦でも立てているのかも)
考えられるとすれば、中盤までトップを泳がせるだけ泳がせておいて、集中力が切れ始めるころを狙って、妨害を行うというところだろうか。それまでは他の邪魔なライバルたちを潰しておき、逆転可能な位置をキープし続けるという作戦でも立てているのだろう。
序盤からトップに立ち続けるという作戦をしないのであれば、中盤以降に盛り返すと考えるのであれば、中盤まではトップには手を出さず、逆にトップ以外のプレイヤーを潰すというのもありだろう。
自身以外に逆転可能なプレイヤーがいない状態で、中盤以降でトップ集団を潰せれば、そのままトップを取るというのは有用な策ではある。もっとも序盤で自身以外のプレイヤーを、中盤でトップ集団をそれぞれ潰せれば、という前提ではあるのだが。
ただ、序盤までにトップ集団以外を潰せれば、それ以降はトップ集団にプレッシャーを掛けられることにはなる。いつ妨害が来るかどうかもわからないという状況に追いやれれば、精神的な疲労をさせられる。そのうえ中盤以降は引っかかればそれだけでアウトというトラップが待ち受けているのだ。精神的な疲弊をさせられれば、あとは自滅を待つという戦法は実に効率的である。
ほとんどのクランがそれを考えているのか、もしくは大規模なクランに所属するチームがなのかはわからないが、いまのところトップ集団が無風状態なのは中盤以降からの妨害の嵐の前触れなのだろうとローズは思った。
(レンくんやテンゼンさんも同じ事を考えているだろうな。ふたりとも加速しているのはそれを踏まえたうえか。つまりどんなに妨害をされたところで、逆転されないところまで逃げ切るっていうところかな? もしくは単純に負けたくないってどちらも思ったうえでのことなのかな?)
レンとテンゼンの確執は知っている。ガルドはどうにもテンゼンとは「武闘大会」以降で知己となったようで、ふたりの事情を詳しく知ってはいるようだが、ローズは「武闘大会」以降テンゼンを見たことがなかったため、いまだにふたりの事情はわからない。わからないが、いまふたりはふたりだけの世界になりつつあるようだということはわかる。
つまりローズのことを無視するということ。事実上の蚊帳の外に追いやられているということである。
これがテンゼンが2位でローズが3位であれば、まだわかる。しかし現実的にはローズが2位でテンゼンは3位にあたる。2位である自分を無視して、1位と3位がやり合っているという現状は正直なことを言うと「ふざけんな」としか言いようがないことだ。
「なに一対一の雰囲気になってんのさ。これは三つ巴だっつーの!」
ローズは右手を上げた。指は3本、つまり3つ目のバフを掛けて欲しいという要求を出した。もうじき第2コーナーに差し掛かる。コーナーを曲がりきったところで一気に加速するために、3つ目のバフを要求したのだ。
「第7ランナー、第3ランナーに迫られつつも2番手で第2コーナーを曲がったぁ! だが、第3ランナーとの距離は詰まっている! 万事休すかぁっ!?」
実況はいかにもローズが抜かされるという体をなしている。たしかにいまの状況では抜かされるかもしれない。だが、まだ勝負は決まっていないのだ。第2コーナーを曲がりきったところでリップからのバフ──3つ目のバフであるSTRとAGI上昇の「イグニッション」が掛かった。
「私を甘く見るなぁ!」
ローズは吼えた。それまで以上に力強く地面を蹴り出すと、第2ゾーンの半ばに至ろうとしているレンへと向かって駆け出していく。
「おおーっと、第7ランナー、第3ランナーの猛追を振り切って加速したぁぁぁ! 第3ランナーとの差がみるみるうちに開いていくぅ! しかし第11ランナーの背中はまだ遠いぞぉ!」
テンゼンとの距離は開いていく。だが、まだレンの背中は遠い。レンもまた「アクセラレーション」で加速しているのだから無理もないだろう。
(こっちも3つ目の札は切っているけれど、まだ2つある。そのうちのひとつは奥の手。まだ勝負は決まっていない!)
レンとの距離はざっと見て100メートル以上はあるだろう。だが、決して追い抜けない距離ではない。ゆえにまだ勝負はわからない。
「差し切ってあげるよ、レンくん」
いつかは負けるであろう相手だからと言って、いますぐに負けるつもりはない。ローズは自分に言い聞かせながら、再び遠く離れたレンの背中を再び追い始めた。




