9話 戦場にて
戦場。
ここはまさに戦場だ。
戦々恐々という言葉がこれほどまでに似合う場所もない。
目の前には白を基調とし、ところどころに赤が入った長方形のはがき──年賀はがきが住所ごとに区切られて置かれる専用の棚があった。
その棚の前にタマモは立っていた。左手に年賀はがきを持ち、右手でその年賀はがきを棚に仕分けていく。三尾こと自慢のふさふさの3つの尻尾も左手から年賀はがきを取って仕分けていた。
(これ、両腕だけでは足りなくないですかね?)
両腕だけではとうてい足りないとタマモは痛感していた。もともと三尾も使えば、ある程度は楽だろうと思っていたが、その三尾を使っても決して楽とは言えない。
むしろ三尾を使ってどうにかこなせるレベルである。
ちらりと視線をずらすと、タマモのそばには大量の年賀はがきが入ったケースが置かれている。ケースは高さが30センチくらいの透明なもの。その透明なケースにはぎっしりと年賀はがきが詰まっていた。そのケースが数えただけでざっと50個くらいはあった。若干気が遠くなりそうだ。
「タマモちゃん、はい、これ、追加ねぇ」
そんなタマモの元にニコニコとした顔で上役となったNPCこと「課長さん」が大量の年賀はがきの入ったケースを追加で持ってきてくれた。
それまで追加された分を単純に上に積んでいくとタマモの身長を簡単に超えてしまうため、高くても4つまでしか積まないでくれているのが唯一の救いと言えるだろうか。
もっともその4つまで積まれたケースがどんどんと運ばれてくるのは遺憾ともしがたいことであるのだが。
ちなみに運ばれてきたケースのうち、片づけた分は別の場所に積んであるが、どう見ても運ばれてくるケースよりも数は少なかった。
「……あの、すみません、課長さん」
「うん?」
「まだ来るんですよね?」
「うん、まだまだ来るよ? 当たり前だよ」
あははは、と上役である課長は笑っていた。笑顔であるのに、どこか疲れ切った顔のようにも見える。タマモはそっと視線を逸らした。あまり直視するべきではないだろう。
「いやぁ、ごめんねぇ。いつもならここまでじゃないし、他のバイトの子もいるんだけど、今年はいつもとは違うみたいでねぇ。他の子はみんな小包みの方につきっきりでねぇ。こっちはタマモちゃんに任せるしかないの」
「……まぁ先に聞いていましたから別にいいですけど」
「いやぁ、助かるよ。社員は社員で別の仕事もあるし、定形外の郵便物を仕分けないといけないし、こっちには来られないんだよねぇ」
「……みたいですねぇ」
タマモはまた視線をずらした。目の前の棚は奥の方が若干透けており、その先には課長さんが定形外と言った、大きなサイズの封筒などの郵便物を死んだような顔で仕分ける社員さんたちがいた。
「なんで今年は小包みが多いんだよ」
「……知らないよ」
「あー、年賀もやらないといけないのに」
「……だよねぇ」
社員さんがふたりでため息を吐いていた。
その目は若干死んでいる。
「……まぁ、そういうわけだから、申し訳ないけど、頑張って?」
「……はい」
「私も下の仕事が終わったら手伝いに来るから、それまでお願い」
「あははは、了解なのです」
「もうこの際、短期ではなく、長期で来ない? タマモちゃん、結構筋がいいから育て甲斐があるし」
ニコニコと課長さんは笑っている。笑っているのだが、その声には切実な響きを感じられた。タマモはそっと視線を逸らした。逸らすことしかできなかった。
「……考えておくのですよ」
「うん、お願いねぇ。おっと、話しすぎか。じゃまた追加ができたら持ってくるから」
ひらひらと手を振って課長さんは去って行く。その足取りは若干重そうではあるが、こればかりは致し方なかろう。
「……なにせ深夜ですもんねぇ」
そう、現在タマモは深夜の郵便局にいた。深夜の郵便局を舞台に「年賀状仕分けレース」の真っ最中である。真っ最中であるが、ここまで絶望的に仕立てる必要はあったのだろうかと言いたくなる。
というか、これは労働的にアウトではなかろうかと言いたくなる。
むしろアウトだろう。
こんな絶望しかない状況はアウトしか言いようがない。
というか、なぜこんな絶望的な状況なのか。
もしかしたらこの絶望的な状況は運営の誰かが経験した内容なのではないかと勘ぐりたくなる。
「……やめましょう、考えていたら怖くなるのです」
そう、下手なことを考えると怖くなる。
課長さんはあくまでも今年はと言っている。言っているけど、それが本当なのかはわからない。だから、課長さんの誘いには乗るべきではないだろう。
それにこれはあくまでもイベントである。
誘いに乗ったところで、今回っきりである。
……だが、なぜだろうか。
誘いに乗ったら、定期的にこの郵便局に来なければならなくなる気がするのは、なぜなのだろうか。
「……とりあえず、ボクはボクのするべきことをしましょう」
余計なことは考えるべきではない。
タマモはそう自分に言い聞かせて、続きの仕事をこなすことにした。
ケースはいまだに50を切ることはない。
だが、いつかは切ることだろう。
いや、切ってください。
そう祈りながらタマモは年賀はがきをひとつずつ丁寧に仕分けていく。
そうしてタマモの夜は更けていった。
実際はこんなことはありませんが、まぁ、ある意味似たことにはなります←




