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61話 挨拶

「風の妖狐の里」に戻って来られたのは、日付が変わる少し前だった。


 話し込みすぎたのだろうと思ったが、その分の成果は得られた。


「……こんな夜分遅くによその里に来るのは初めてです」


 エリセは感慨深そうな顔で「風の妖狐の里」を眺めていた。


 構造自体は「水の妖狐の里」とさほど変わらないはずだが、戻ってくる最中で聞いた話だと、エリセは「水の妖狐の里」からほとんど出たことがなかったそうだ。


 人生の大半をあの小さな里の中で、それもあの廃屋同然の物置のような家の中で過ごしてきたそうだ。


 自由という言葉は、エリセの人生の中で存在していなかった。


 常に束縛され続けてきた。


 だが、それももう終わりだ。


 エリセの身柄は「金毛の妖狐」であるタマモが預かることになった、と大ババ様の口から本宅にいる先代里長の妻に伝えたそうだ。その妻は二つ返事で了承したそうだ。その際に里長の妻は「せいせいした」と言っていたらしい。らしいというのは、その際のやりとりをタマモはおろかエリセさえも聞いていないからだ。


 タマモは大ババ様に止められていた。曰く、「眷属サマがおられると、成立しなくなってしまう」と言うことだった。エリセは「あの人を前にすると、なにを言えばいいかわからなくなってしまうので」と言っていた。


 エリセの理由は、詳しく聞かなくても事情はだいたい理解できた。なにせエリセの現状を踏まえれば、エリセがそう言った理由など考えるまでもないことだ。


 たしかに大ババ様の言う通り、先代の妻を前にしたら、タマモは自分を抑えられる自信はなかったし、成立するはずの話も成立しなくなると言われてしまうのも無理からぬ話だった。


 それでも大ババ様が言ったところで、話が成立するとは思わなかった。


 だが、大ババ様が言うにはあまりにもあっさりと話は済んだそうだ。その理由は大ババ様が言ったとおり「せいせいする」ということだった。


 血の繋がりはなくても、戸籍上では母親であれば、もう少し言いようがあるだろうにとは思ったが、「それぞれの家庭の事情もありますからな」と大ババ様に言われてしまったし、当のエリセ自身からも「仕方がありません。うちは嫌われ者ですから」と言われてしまっていた。


 その際のエリセの顔はどうしようもない現実を受け入れた者の、諦め受け入れた者の顔をしていたのだ。


 その顔を見てタマモは我慢できなくなった。大ババ様の話を聞いたのは、ちょうど里長の本宅前だった。その本宅をきつく睨み付けながらタマモは大きく息を吸い込んで叫んだのだ。

「エリセさんはボクが幸せにするのです! こんな家には二度と戻しませんからね! エリセさんの居場所はもうこんな家じゃない! ボクの隣なんですから! ばーかばーか!」


 本宅、いや、先代の妻に向かってそう言ってやったのだ。その言葉にエリセは慌てていたし、大ババ様に至っては爆笑していた。その後、エリセからはいきなりとんでもないことを言わないで欲しいと言われてしまった。


「……でも、うちとしては嬉しかったですよ。ちゃんとお言葉を守ってくださいね?」


 だが、注意された後、エリセは頬をほんのりと染めながらタマモの手を握ると、まぶたをうっすらと開けて期待のまなざしをタマモにと向けてくれた。そんなエリセに言うべきことはひとつだけだった。タマモは「もちろん」と言って頷いたのだ。


 とはいえ、そんな大声で叫んだら、本宅どころか他の住人たちにも聞こえるのは当然の話であった。そうなればいくら夜中とはいえ、里の住人たちが起き出すのも無理からぬことであり、つまるところ、里の住人たちが一斉に家の中から出てきてしまったのだ。


 里の住人たちの視線が集まる中、にやりと大ババ様が口元を歪めたのが運の尽きであった。

「聞け、皆の者よ。これより貴様らの里長であるエリセは「金毛の妖狐」であるタマモ様の世話役となった! 眷属様方の世話役になるという意味を理解できぬ者はおらぬだろうが、あえて言おう! エリセはタマモ様に口説き落とされたのだ! つまりタマモ様がみずからのお子を宿らせるに足る女として、妻として見初められたのだ!」


 大ババ様は手を握りしめながら叫んだ。その内容は演説と言ってもいい内容なのだが、言っていることがやや問題がある。「この人、ボクの性別理解していますか?」とタマモがぼやくも大ババ様はどこ吹く風であった。


「これは大変な栄誉であることは貴様らとて理解できるであろう! 同時にこれより貴様らはエリセに対する態度を改めて貰うことになる。なぜならいままで通りにエリセに対するということは、良人たるタマモ様のお顔に泥を塗る行為となる! それがどういうことなのかを理解できぬ者はおらぬな? これからなにをするべきなのかは貴様らに任せるが、タマモ様のご機嫌を損なうことはしないようにと忠告しておこうかの?」


 演説を行う前のようににやりと口元を歪めて大ババ様が笑った。その笑みに住人たちが背筋をぶるりと震わせるのがタマモにははっきりと理解できた。誇大妄想にもほどがあるが、言ったところで聞いてもらえそうになかった。


 その後、里の住人たちはみな平服してタマモとエリセを見送っていた。その中にはエリセに人形を渡した女の子とその祖母もいた。祖母は見るのもかわいそうなほどに震えていたが、女の子の方は眠たそうな目をしつつも、「長様、おめでとう」とお祝いを口にしてくれた。それまで押し黙っていたエリセはそのこの前で立ち止まり、「ありがとうな」と言ってその子の頭を撫でていた。その姿はとても様になっていて、タマモ自身目を奪われるほどだった。もっと言えば、少し見とれてしまった。そして思ったのだ。


(……エリセさんが子供を産んだとしたら、こういう光景が見られるんでしょうかね)


 その子はエリセの子供というには大きすぎるが、もし将来的にエリセが子を産んだとしたら、似たような光景を見ることになるのだろうと思ってしまうほどに、エリセに懐いているように見えた。


 それからすぐに自分がなにを考えてしまったのかに気づき、しばらく煩悶としてしまったタマモだった。

 

 そんな煩悶とした時間を乗り越え、こうして「風の妖狐の里」に戻ってきたのはいいが、すでに日付が変わるまでもう間もない時間になってしまっていた。


 すでに誕生日会は終わっている頃だろうし、下手をすればレンとヒナギクもすでにログアウトしていてもおかしくない時間だ。


 その証拠にタマモはログイン限界を示す眠気に襲われていた。


 仮にログインしていたとしてもレンとヒナギクも眠気に襲われていることだろう。


 そうなる前にログアウトしていてもおかしくはない。


 だが、アンリはまだ起きていることだろう。


 アンリの家までは若干距離があった。

 

 というか、大ババ様にはアンリの家の前にとお願いしたはずだったのだが、なぜか転移してたどり着いたのは、墓地の前であった。昼間ではなく夜中の墓地というのはなかなかに雰囲気がある。


「なんで墓地の前に?」


 タマモは重たいまぶたを無理矢理開けながら、大ババ様に尋ねた。


「手違い、と言ったところで納得してはくれぬでしょうなぁ。まぁ、手違いではなく意図的なので納得してもらえぬのは当然ですが」


「意図的と言われますと?」


 エリセが大ババ様に尋ねると、大ババ様は頷きながら言った。


「アンリといううちの里の者が世話役として眷属サマのおそばにいさせて貰っているのだが、その者の両親の墓がこの墓地にあっての。どうせアンリのことだ。両親にはまだ報告しておらぬだろうし、どうせならと思っての。眷属サマもアンリの両親にそろそろ挨拶をしてもいい頃でしょう?」


 にやにやと大ババ様が笑っていた。笑いつつも、その目はとても真剣なものになっている。

「となれば、うちがそのアンリちゃんを呼びに行った方がええですね」


「うむ。眷属サマにはもう時間がなさそうじゃしな。そうですな?」


「……残念ですけど」


「いやいや、気になさらずとも構いませぬ。眷属サマは「金毛の妖狐」であると同時に「旅人」でもあらせられるのです。制限時間があるのも当然でしょう」


「であれば、旦那様のお力が及ばぬところを支えるのは当然ですね」


 エリセはどことなく嬉しそうに言った。その表情にタマモの胸は自然と高鳴っていく。「アンリさんがいるのにな」と思いつつも、エリセに自然と惹かれていく自分をどうすることもできなかった。


「これより急いでアンリちゃんを連れてきます。旦那様はお待ちくださいね」


 エリセはタマモの手を握りながら言った。エリセの手の温かさに愛おしさを覚えつつ、タマモは「お願いします」と力なく言った。


「それではすぐに戻りますので」


 エリセはそう言って里の中に向かっていった。アンリの家の場所はわかっているようだ。手を握る際にうっすらとまぶたを開けていたので、それでアンリの家の場所を知ったのだろう。便利だなぁと思うも、人によっては気味悪がるのもわからないでもない。が、タマモにとってはエリセを気味悪がるつもりなど欠片もない。


「それでは眷属サマはアンリの両親の墓の前でお待ちくだされ。そこまではお連れ致しましょう」


 大ババ様はそういうとタマモを抱きかかえてくれた。なんとなく気恥ずかしくなるが、体格差があるので無理もないことだと思うことにした。


 アンリの両親の墓は墓地の入り口からそう離れていない場所にあった。大ババ様はその墓の前にタマモを降ろすと、「すぐにエリセが戻ると思いますので、それまではお待ちくだされ」と言った。


「我は少し用事がありますので、離れますね」


 そう言って大ババ様はそそくさと立ち去ってしまった。大ババ様が立ち去って間もなく、エリセがアンリを連れて戻ってきた。アンリはエリセの存在に驚いているようだったが、タマモを見つけると嬉しそうに、花が咲くように笑って駆け寄ってくれた。エリセもまたその隣にいてくれている。


「お帰りなさいませ、旦那様」


「ただいまです、アンリさん」


 アンリに笑いかけつつも、眠気が限界になりつつあった。限界になる前に、日付が変わる前に渡したいものがあった。


「アンリさん、これを」


 インベントリから取り出したのは葉っぱの形をした髪留めだった。その髪留めをどうにかアンリの黒みが掛かった緑色の髪につけてあげた。


「遅れましたが、お誕生日おめでとうです」


「……はい、ありがとうございます。嬉しいです、旦那様」


 アンリは笑っている。


 その笑顔を見ていると満ち足りた気分になった。同時に眠気が限界に訪れた。がくりと体が揺れるも、すぐにエリセがタマモの体を支えてくれた。


「お疲れ様でした、旦那様」


 エリセはくすりと笑っていた。


 エリセの言葉にアンリが「え?」と驚いた顔をしていたが、エリセが「うちもアンリちゃんと同じく世話役を仰せつかったんよ」と笑いかけた。


 アンリは「え? え?」と慌てていたが、「旦那様がお認めになられたのであれば、アンリから言うことはありません。でも」とエリセをじっと見つめると──。


「水の里長様にだってアンリは負けませんから!」


 そう宣戦布告をしたのだ。その言葉にエリセは「よろしゅうな」と言ってアンリの頭を撫でていた。思いっきり子供扱いされているのだが、アンリは「ふにゃぁ」と言って崩れ落ちた。……ある意味すでに勝負が着いているようなと思うタマモだったが、あえてなにも言わないことにした。


「ふたりともすみません。ボクはもうそろそろ」


「ええ、お休みくださいませ」


「また明日ですね、旦那様」


 二人揃って笑ってくれた。そんなふたりの世話役に挟まれながらタマモは視線をアンリの両親の墓へと移した。


「……タマモです。これからよろしくお願いします」


 とアンリの両親に短いながら挨拶をして、タマモはまぶたを下ろした。今日は頑張ったなぁと思いながらタマモは静かに眠りに落ちていった。

これで六章はおしまいです。次回から特別編となります。

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