55話 エリセ
連続でタマちゃんとなります。
来週辺りになんでもやが連続になると思います。
闇が広がっていた。
どこまでも深い闇が目の前に広がっている。
その闇をエリセはいつものようにぼんやりと眺めながら、みずから煎れた茶を啜った。
「……熱い」
普段通りに煎れたはずなのに、今日はいつもよりも熱く感じられた。
音を立てながら茶を啜る。茶菓子はない。それどころか、甘味の類い自体が家には存在しない。あるのは必要最低限のもの。食糧と寝具、着替えくらい。あとはなにもない。嗜好品はせいぜいお茶くらい。そのお茶にしても、庭に生えているドクダミなどの薬草類を自ら煎じて作ったお手製のもの。茶器もやはりみずから作ったものだ。店で買うようなものはこの家では高級品扱いとなる。あくまでもエリセが住む家の中ではだ。
「……これで「里長」なんて笑えるわぁ」
エリセが住まう家は、里長が住む屋敷の敷地内にある離れだった。離れと言えば聞こえはいいかもしれないが、実際は物置小屋同然のものである。
だが、その物置小屋に物心が付いてからずっと住んでいる。もはや慣れ親しんだ我が家である。かえって本宅の方に泊まる方がストレスがある。
本宅には次の里長である弟が、まだ幼い弟が住んでいる。弟は会うたびに「あねさま」と膝の上に座って甘え慕ってくれるかわいい子ではあるが、その弟の母であり、父の本妻とは顔を合わすたびに険悪な雰囲気になる。あくまでも本妻の方がだが。
「……あと40年。長いなぁ」
エリセが里長を務める期間はあらかじめ決められている。それはエリセの弟が成長するまでという期間。50年間と定められている。
そもそもエリセは本来里長を務める予定はなかった。だが、先代の里長である父が急死したことにより、エリセに矢面が立ったのだ。
エリセは先代の私生児だ。使用人のひとりとの間に産まれた子供だった。それも忌み子としてだ。
エリセが忌み子であるのは、エリセ自身の能力によるもの。エリセは目の前にいる人物の心が読める「心眼」という能力を持っていた。
心が読めると言っても、せいぜい思考をわずかに読み取れるという程度が本来の「心眼」だが、エリセの「心眼」は視界に映るすべての人物の思考とそれまでの記憶なども読み取ることができるというあまりにも強力すぎるものだった。
その力の強大さゆえにエリセは普段目を閉じて生活することにしていた。そうでもしないと見たくもないものを延々と見せられることになってしまうのだ。
そんなエリセを幼い弟以外は気味悪がった。エリセを産んだ使用人である母も、その使用人を孕ませた父もだ。
その結果、エリセは物心が付いてからこの家で生活することになった。
まるで腫れ物扱いではあるが、それでも里長の一族の者であることは一応認められていた。というのも父には子を作る力があまりなかったのだ。もっと言えば、子種が少なく、どれだけ女と交わろうと、交わった女を孕ませることがなかなかできなかった。
しかし父本人はそのことを認めず、子ができないのは相手側が悪いと言い放っていた。本妻も父の親族から散々そのことを言われ続け、心労を深めていたのだ。
だが、そんな折りにたまたま父が手をつけた使用人が身ごもったのだ。ようやくできた子供に父も親戚たちもみな一様に喜んだ。ただひとり本妻だけは、使用人が身ごもった子供を恨んでいたそうだが。
その恨み辛みがあったのか。それともなにかしらの宿命なのかはわからないが、ようやく産まれた子供は強大すぎる能力を持って生まれた。それがエリセである。
私生児として産まれつつも世継ぎとしてエリセは育てられた。だが、エリセが住まう家は離れの物置同然のぼろ屋。エリセを世継ぎとして認めつつも、一族の者であることは認めつつも、「家族」としては認められなかったのだ。
それどころか、エリセを廃嫡させようと父はより一層本妻を始めとした他の女と精力的に交わっていた。
エリセを世継ぎとして心の底では誰も認めていなかったということだ。家族としても嫡子としても認められない。それでも世継ぎとしての教育を受けるという歪んだ日々をエリセは笑いながら過ごした。……笑うことしかできなかった。笑う以外にどうすればいいのかがわからなかったのだ。そんなエリセを父を始めたとした一族はより気味悪がっていった。
その歪んだ日々も唐突に終わりを告げた。本妻が弟を身ごもったのである。
そのことにより、エリセは嫡子としての地位を剥奪された。唯一の他者との繋がりを奪われることになった。
それでもエリセは笑った。やはり笑うこと以外にどうすればいいのかがわからなかったからだ。
本妻が身ごもるまでは定期的にエリセは本宅の方へと脚を運んでいたが、本妻が身ごもったことで父からは「もう本宅の方には来るな」と厳命されてしまった。加えて今後は父と娘でもないとも言われてしまった。
それまでは嫌々ながら父と娘という関係であったのに、弟ができてからはそれさえもなくなった。
「おまえは見てくれだけはいいから、折りを見てそこそこの家の者との縁談をして貰う。それまでは世話を見てやる。ありがたく思えよ」
父ははっきりとそう言った。おまえは政略結婚の道具にすると宣言されてしまったのである。その言葉にエリセはただ頷いた。頷くことしかできなかった。
それからの日々は無為な物へと変わった。日長一日家の庭先でぼんやりと外を眺めることしかしなくなった。決まった時間に教わった里長としての教育を反復していたが、意味のないことだとしか思えなかったが、一度身についた習慣はなかなか抜けてくれなかった。
そんな無為の日々を過ごしていたエリセの人生は再び変わった。
里長である父が急死したのである。
弟という世継ぎはできたが、候補はいた方がいいとして、3人目となる子を作るべく励んでいた最中に胸を押さえて倒れたそうだ。そのまま父は息を引き取った。
父が急死したことで、一族は騒然となった。
というのも父の代わりができるものがいなかったのだ。
「水の妖狐」の一族は長子が嫡子となり、その長子に教育を施す。それ以後の子には一応の教育は施すものの、長としての教育を施すことはしない。その一族の長であり、里長が急死した。誰も里長としての仕事ができる者はいなかった。……エリセを除いては。
廃嫡されはしたが、エリセは一通りの教育を受けていた。エリセに代わる嫡子となった弟はまだ言葉を喋れるようになった程度で、当然教育など受けてもいなかった。誰がどう考えてもエリセに里長を任せることしか選択肢はなかったのだ。
だが、その里長はあくまでも臨時の措置として。嫡子となる弟が成長するまでの臨時の里長である。
その期間中にエリセは里長としてありつつも、里長としての教育を弟に施さなければならない。エリセに選択肢はなく、受けるしかなかった。里長としての任期は50年。それ以降はほかの親族が弟を支えていくという話だが、詳しいことはエリセにはわからなかった。わかっているのは、50年掛けて弟を教育しながら、里長としての仕事をこなしていくということだけである。
そうしてエリセは父が急死したことで臨時の里長として「水の妖狐の里」を治めてきた。それももう10年ほどが経った。
あと40年もいまの生活をする。そのことにため息を吐きたくなるが、それも宿命だと思い、エリセはのみ込んできた。そんなときに耳にしたのがあの金毛の妖狐であるタマモだったのだ。




