39話 独白~アイナ~
金曜日は急にお休みになってしまい、申し訳ありませんでした。
見た目は変わっていなかった。
現実でも、このゲームの中でも見た目はまるで変わっていない。
いや、現実でもある一定の年齢から見た目が変わらなくなった。成長が遅いというにはいくらか無理があるほどに、その見た目は変わらなくなっていた。
遺伝ということもあるのだろうが、それでも時間から切り離されてしまったかのようだと何度も思った。
だが、変わっていないのは見た目だけ。中身はずいぶんと大人になったものだ。その分、かわいらしくもあるが、時折憎たらしさも感じなくもない。まぁ、その憎たらしさよりもかわいらしさがはるかに勝っているため、特に思うことはない。せいぜい食べてしまいたいくらいにかわいいということくらいか。
とはいえ、本当に手を出すつもりなどない。
実際の関係は主従である。主従であるが、姉妹のようなものなのだ。供に成長してきた、家族のような存在だった。
だから手を出そうなんて思えるわけもない。……ごく稀に「もう本当に食べちゃおうよ」という悪魔のささやきが聞こえなくもないのだが、本当に手を出そうとしたことは一度もない。あるわけがない。それだけ自分にとって、この子は大切な存在なのだから。
「むぅ~」
小さく唸りながら、宝石を研磨するタマモ。その姿を後ろからアイナは眺めていた。
(……そういうところは変わらないね、この子は)
行き詰まったり、困ったりしていると唸り始める。大抵の人もそういうときはわりと唸るものだが、タマモの場合はそれがより顕著となる。それは昔からなにも変わらない、タマモの癖である。正確には玉森まりもの癖だった。
(人前ではめったに見せないのに、私の前ではよく見せてくれるもんねぇ)
玉森まりも。玉森家の次期当主であり、いずれ主となる存在。いまも主従関係は成り立っているものの、現在の関係は本来のそれよりもいくらか気安いものだ。アイナにとっての主である現当主の娘。いまはまだ当主ではない。だからこそいくらかの気安さはある。それに子供の頃から知っているのだ。供に成長してきたと言っていい間柄だ。より気安さを感じるのも無理からぬことだ。
そんなまりもが普段は決して見せない癖を見せている。玉森家のメイドたちはまりもの悪癖はいくらでも見ているし、被害者となることもある。
しかしいまの癖は、他のメイドたちもあまり知らないことだ。まりもが唸るのは本当に心を許した相手の前だけだった。
他のメイドたちとてまりもは親しくしている。だが、家族のように親しくしているわけではない。家族のように接しているのはメイドたちの中では自分くらいだろうとアイナは思う。メイドの長であり、自分の直接の上司にあたる早苗の前でも、こんな姿は見せない。むしろまりもは早苗の前では、できるだけだらしなくないようにしているのだ。……端から見れば、「どこが?」と言われるだろうが、アイナの目ではいつもある程度の気を張っている風に見える。
まりもが早苗のことを嫌っているわけではない。単純に早苗にはだらしないところをあまり見せたくないというだけのこと。もっと言えば、早苗の前ではかっこつけたいのだ。まりも本人はそのことに気づいてはいないのだろうが。
(……お姉様の前ではかっこつけたがるくせに、私の前では素を出すんだから。本当に困った子だよ)
どう反応したらいいのか、アイナには時折わからなくなることがある。そういうときはたいてい変態ムーヴをかますことにしていた。そうすれば、まりもも基本的にやり返してくるので、気まずいことにはならない。もっともたいていの場合は、単純に素でやっているだけであり、気まずくなることはほぼほぼない。
そのほぼほぼないはずの気まずさを現在アイナは感じている。理由はただひとつ。まりも、いや、いまはタマモが作ろうとしているアクセサリーに関してである。もっと言えば、タマモが贈ろうとしている相手のことだ。
(……アンリちゃんだっけ? ずいぶんとかわいい子みたいだけど、NPCなんだよねぇ)
そう、タマモが制作途中である髪飾りは、アンリというNPCへと贈られるものだ。スクリーンショットを見せてもらったことがあるが、とてもかわいい子だった。見た目から言えば、タマモよりもお姉さんのように見える。設定上では100歳近い年齢のようなので、実際にはお姉さんというよりかは曾祖母にあたるくらいの年齢差があるのだが。
そのアンリにタマモは髪飾りを贈ろうとしている。髪飾りにはこれと言った特殊効果はない。せいぜい防御力が多少上がる程度でしかないが、タマモ曰くアンリにはぴったりのものだということらしい。
(NPCとの関係が深ければ深いほど、特殊なクエストを受けられるかもしれないって検証班がレポートをあげていたけど、これは特殊なクエストになるのかな?)
NPCのために特定のアイテムを用意する。それはMMOだけではなく、古今東西のゲームでのクエスト内容そのものだった。
だが、タマモは「クエストで必要だ」とは言わなかった。ただ「アンリの誕生日プレゼントとして贈りたい」と言っていた。
アイナ自身、いままでいろんなゲームをプレイしてきたが、「誕生日プレゼントを用意する」というクエストはあまり見かけたことはなかった。むろん、中にはそういうクエストもあるにはあったが、かなり稀である。その稀なクエストであっても、一応クエストという体はあったのだ。が、今回のようにクエストという体を成していないものは初めて見た。
いったいこのゲームの運営はなにを考えているのかと、いままで散々思ったことではあるが、今回ほど顕著なこともない。
(……かなりリアル、いやほぼリアル同然と言ってもいいNPCとか、いままでのゲームでは聞いたことがない。だからこそ話題性があるんだろうけれど、今回のプレゼントはいったいどういう用途があるのか、まるでわからないなぁ。なにかしらの大きなクエストの伏線だろうとは思うけれど、そのなにかしらがいまのところ見えてこない。方向性としては、妖狐の里がトリガーになるようなものなのだろうけれど、それがなんなのかはわからないな)
予想はできる。あくまでも予想までは。それ以上はなにもわからない。
(……この子が傷つかないものであればいいのだけど)
最低でもタマモが傷つかないものであればいい。傷つかないのであれば、それこそよりマゾい内容に下方修正されてもいい。……タマモとしては勘弁してくださいと言うだろうが、それでもタマモが傷つくよりもましなのだ。
(……この子が傷つかないためであれば、私は)
タマモが傷つかないのであれば、そのためならばなんだってできるし、なんだってやってみせる。たとえタマモに恨まれることになったとしても、だ。
(私はあなたが傷つかなければそれでいい。あなたを傷つける者はなんだって私の敵だ。たとえその相手があなたの好ましい存在だろうとも。あなたを傷つけた時点で私の敵になる。……あなたに言う気はないけどね、まりも)
普段はお嬢様とつける。だが、心の中ではいつも「まりも」と呼び捨てにしていた。それはまだまりもが藍那を「おねえちゃん」と呼んでいた頃に、ふたりっきりのときだけにしていた呼び名だ。主従でもあり、姉妹でもあった頃の呼び名だった。もう戻ることのない昔のこと。
しかし、どれだけ時間が経とうとも藍那にとってまりもはまりもなのだ。それはまりもではなくタマモであっても変わることはない。藍那にとって守らなければならない妹であることに変わりないのだ。
「よし、できましたよ!」
不意にタマモが叫んだ。練習用のマラカイトを研磨し終えたようである。アイナに確認して欲しいのか、若干目がキラキラとしていた。アイナは苦笑いしながら「こういうところは昔のままだなぁ」と思い、研磨し終わったマラカイトを見やる。
(……やや粗いところはあるけれど、今日始めたばかりであることを踏まえたら上出来だな)
本職のアイナからしてみれば、「やり直し」と斬り捨てるべきところだが、タマモは本職ではないうえに、今日始めたばかりである。その点を踏まえたら上出来な部類と言えた。これが本職であれば、「一から修行し直せ」と切り捨てるところだが、本職ではない相手に言うべきことではない。
「粗い部分はあるけれど、問題はないね。でも本番に挑むにはもう少し研磨してからがいいかな? 少なくともマラカイトで粗い部分がなくなるまではやってね」
「……それってどれくらい時間掛かるんですか?」
「ん~? 100個も研磨すればできるんじゃない?」
「……数がおかしいです」
「まぁ、そんなものだよ。あ、ちなみに100個の前に「最低でも」が付くからね?」
「……それ以上掛かる場合もあると?」
「うん、そうだよ。というか、生産職なんてそんなもんだよ」
「……たしかに、そうでしたねぇ」
しみじみとタマモが頷く。その目は遠くを眺めていた。それだけ大変な目に遭っていたというなによりもの証拠だったが、傷ついていたというわけではない。だから問題はない。タマモを鍛えていた相手を敵に回す気はない。これがもしタマモを傷つけていようものであれば、たとえ相手がまりもの従妹だったとしても容赦する気はなかった。
「とにかく、これからも頑張ってね、狐ちゃん?」
「……精進するのです」
「うん。頑張ってね?」
ニコニコと表面上で笑みを浮かべながらアイナは、タマモのこれから傷つくことなく過ごせることを祈り続けた。




