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36話 ラッキー、?

 いきなりのレンからの土下座に、ヒナギクは唖然となった。


 ヒナギクからしてみれば、なんで土下座をされるのかが理解できないのだ。


(なんで、こいつ土下座しているの?)


 ヒナギクはレンの節操のなさに怒ってはいた。


 だが、レンへの怒りよりも自身のよくわからない感情への苛立ちの方が大きかったため、レンに謝らさせるという発想には至っていなかった。レンに謝らせるというのは完全に思慮の外にあった。


 そこにレンからの土下座での謝罪であった。


 あまりにも唐突な行動にヒナギクは思考停止しかけていた。


「……なんで謝っているの、あんた?」


 ヒナギクは純粋な疑問としてそうレンに問いかける。


 ヒナギクにとっては、言葉通りになんで謝られたのかが理解できないためであった。しかしレンにとってはそうではない。レンからしてみれば、いまのヒナギクの発言は「どういう意味で謝っているのか、わかっているのか?」という威圧感たっぷりな一言にしか聞こえなかった。さながらDV嫁に浮気していたのがバレた夫のようであった、と後にアオイは語るほどに、レンの体は小刻みに震えていた。


「わ、わかっています」


「……は?」


 ごくりと喉を鳴らしながらレンはどうにか一言を告げていた。だらだらと冷や汗を流しながら、頭を下げ続ける様はまるで死刑宣告をどうにか撤回して貰おうと躍起になっているようにしか見えない。


 対してヒナギクは、「なんで謝っているの?」と問いかけたら、「わかっています」という明らかに返答になっていない言葉を投げられたための疑問の声をあげただけである。が、端から見れば「わかっていて、やったのか、おまえ」という風に聞こえてしまっていた。


 ふたりの認識には致命的なほどのズレが早くも生じているのだが、そのことにお互い気づいていなかった。唯一気づいているのは傍観者たるアオイだけである。そのアオイは認識のズレに気づいていながらもそのことを指摘するつもりはないようで、どこから取り出した扇子を優雅に扇ぎながら、高みの見物としゃれ込んでいる。他人の不幸は蜜の味ということだ。

 なお、この場合不幸となるのは、どう考えてもレンだけになるわけだが、それでもアオイにとっては極上の美酒を満喫できる展開であることには変わらない。つくづぐ魔王気質である。


「ヒナギク、さんのお怒りは重々承知しておりまして」


「私の怒り?」


「は、はい。私めの粗相により、ヒナギクさんのお怒りを爆発させてしまったことに関しては、大変申し訳なく」


「……その言い方やめてくれない? なんか嫌」


 妙に低姿勢なレンの言動になんともむずがゆくなったヒナギクは、そんな言い方をしなくてもいいという意味で言った。あくまでも、むずがゆいという意味合いで言ったわけである。

 だが、レンの耳にはそうは聞こえなかった。「てめえの謝罪は白々しいんだよ」というやや曲解した返事に聞こえてしまったのである。やはり威圧感たっぷりに聞こえたのも言うまでもない。アオイがふたりのやりとりを聞いて、扇子で顔を隠しながら笑っていることもまた言うまでもない。


 事実上の堂々巡りな展開が繰り広げられているのだが、そのことに当事者ふたりはまるで気づいていないという、ある意味奇跡的な展開である。


「えっと、その、とにかく、ごめん。ヒナギクを蔑ろにしたつもりはないから! 本当の本当にそうだから!」


 レンはがばっと顔を上げて叫んだ。目を血走らせながら叫んだ。その様はまさに魂の叫びであった。


 そんなレンの姿にヒナギクは「あ、うん」と生返事をした。あまりにも早すぎる展開にヒナギクの思考は着いていくことができていなかったためである。


 展開自体には着いていけないが、レンからの気持ちはなんとなく伝わっていた。……本当になんでこんなことになったのかはさっぱりとヒナギクには理解できないわけだが。


「……なんじゃ、もうおしまいか」


 傍観者であったアオイは、つまらなさそうに頬を膨らませていた。ヒナギクは「もう?」と首を傾げ、レンは「他人事だと思って、悪魔め」と唸っていたが、アオイはどこ吹く風である。「なにせ魔王なのでな」とふふんと胸を張って言い切るほどだ。


 そんなアオイにレンは突っかかろうと立ち上がろうとした。そう、あくまでも突っかかるために立ち上がろうとしたのだ。それ以上の意図はなかったのだが、運命というものはかくも残酷である。


「魔王だからって──」


 レンはアオイに向かって牙を剥こうとしていたが、レンは自身が土下座をそれなりにしていたことを忘れていた。それも極度の緊張感の中でである。そうなれば、自然と疲労もそれなりのものになってしまう。たとえ短時間であってもだ。


 となれば、脚に来てしまうのも無理からぬことであった。具体的に言えば、レンの脚がもつれてしまい、一気にバランスが崩れた。


 レンはとっさに腕を前方に伸ばして机を掴もうとした。少なくとも机を掴めれば顔面から地面に倒れ込むということはなくなるはずだった。


 しかし、そこでレンにとっての不運が訪れた。


「おっと」


 倒れ込むレンをアオイが介抱しようとしたのか、アオイは座っていた椅子から立ち上がり、レンにと詰め寄ったのだ。


 アオイとしてはレンの手を掴もうとしたのだが、思っていた以上にレンが倒れ込む速度がいささか速かったため、レンの手を掴むことはできなかった。レンの手は空を切り、そのままアオイの方へと伸びていき──。


 ──むにっ


 ──やけに柔らかそうな擬音が響いた。響くほどの音が出たわけではない。そもそも音が出るようなことではなかったが、レンの脳内ではそんな音が聞こえたのだ。


「……むぅ、襲われたのぅ」


 アオイはなんとも困ったような顔で苦笑いしていた。


 レンの右手はアオイの胸を掴んでいたのだ。レンは涙目である。涙目であるが、時間は止まってくれることも、巻き戻ってくれることもない。


「……本当にさぁ。あんたって奴はさぁ」


 レンの耳に底冷えするような声が、地響きにも似た低い声が耳朶を打った。恐る恐ると振り返るとそこにはとてもきれいに笑うヒナギクがいた。その笑顔にレンは「これは違うんです。これは事故なんです」と言ったが、ヒナギクが止まることはない。


「散れ、セクハラ野郎」


 ヒナギクは笑いながら、右腕を振り抜いた。


 その後、レンがどうなったのかは言うまでもない。


「人というのはああも簡単に宙を舞うものなのじゃなぁ」


 被害者となったアオイが後にしみじみと語ったそうな。


 この件でレンは「幸運助平」というネタ称号を得ることになったのだが、それは余談となる。

 

 とにかく、ヒナギクとレンはいつも通りのやりとりを経て、元通りに戻るのだった。

幸運助平……意図していないのに、なんとも羨ましい目に合うあなたに贈られる称号。「そんなつもりはない」と言っても羨ましがられることは間違いありません。特殊効果として常時VitとMenに補正(小)あり。取得方法はラッキースケベをしても対象から怒られないこと。

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