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35話 大っ嫌い

(なぁにしているんだろう、バッカみたい)


 ヒナギクは黙々と書類仕事をしていた。


 あくまでもヒナギクにとっては黙々としているつもりだった。……端から見れば、レンをこれでもかと睨み付けているのだが、ヒナギクにとっては睨み付けているつもりはなかった。レンは視界の中に入っているだけだったのだ。


 その視界の中に入っているだけのレンを見ていると、やけにむかつくのだ。腹が立って仕方がない。


 どうしてこんなにも腹が立つのかがヒナギクには理解できない。


 どうしてこんなにも胸が締め付けられるように苦しいのか。その理由がわからない。


(本当にバッカみたい。あいつが美人さんにデレデレするのはいつものことなのに。それも胸が大きい人には特にデレデレするなんてことは、昔からわかっていることだったのに)


 レンは否定するが、ヒナギクにとってレンはタマモの同族としか思えない。どちらもすぐに胸胸胸である。ヒナギクにとってみれば、そんなものなんの意味もない。ただ肩が凝るだけの代物であり、その代物のせいで異性からはいやらしい目で見られてしまう。厄介ものでしかない。


 そんな厄介ものにご執心なタマモとレンはヒナギクにとっては同族以外のなにものでもない。方向性は真逆ではあるが、ご執心であることには変わらない。


 そんなレンがアオイのような美人でスタイルのいい相手にデレデレするのは、どうしようもないことだ。もはや必然のようなものだ。必然であればなにを言っても意味がない。そうわかっている。わかっているのだ。わかっているのに──。


(なんでこんなにむかつくんだろう? わけわかんない)


 ──なぜか腹立たしい。その理由がヒナギクにはまるで理解できない。


(……人のことを好き勝手にしているくせに、嫁だのなんだのとバカなことを言っているくせに、守ってくれなくてもいいのに勝手に守ろうとするくせに)


 レンのことを考えるといつも苛立ちが募る。


 ヒナギクへの態度を思うと特にそうだ。


 嫁だのなんだのとレンは言う。


 スキンシップと称してセクハラをいつもしてくる。


 そして守らなくてもいいのに、勝手に守ろうとする。それこそ命懸けなんじゃないかと思うくらいに守ってくれようとする。


 ヒナギクにはわからない。


 なんでレンはいつも優しいのか。


 なんでレンはそこまでしてくれるのか。


 なんでレンはそんなにもヒナギクのことを大切にしてくれるのか。


 ヒナギクにはわからない。


(……私はレンになにもしてあげていないのに)


 ずっとそうだ。


 昔からそうだ。


 なにも変わらない。


 ヒナギクはなにもレンにしてあげられていない。


 レンに守って貰ってばかりだった。


 レンに守って貰うことしかヒナギクにはできなかった。


 そんな自分がヒナギクは嫌で嫌で仕方がなかった。


 変わろうとした。


 もう守って貰う必要なんかない。


 私はもうお姫様なんかじゃない。


 守って貰うだけのお姫様になんてなりたくない。


 だから頑張った。


 武道も嗜んだ。体力はないけれど、わずかな時間であればレンと組み手ができるようになった。


 家事もできるようになった。特に調理に関しては同年代には絶対に負けないという自負を持てるくらいに頑張った。


 それでもレンはヒナギクをまるで大切なもののように扱う。


 しょっちゅう喧嘩はするし、口汚く言われることもある。


 でも、レンは口汚い言葉を投げかけてもヒナギクが言われたくないと思うことは絶対に言わない。


 喧嘩をしても絶対にヒナギクの顔を殴ることはしない。顔だけじゃない。お腹や昔怪我をした肩も殴らない。


 ヒナギクは遠慮なんてしない。


 でもレンは遠慮を越えて、過保護になる。


 まるで「ヒナギクを傷つけたくない」と。「もうヒナギクが傷つき倒れるところなんて見たくない」と言うかのように。レンはヒナギクを守ろうとする。それが嫌だった。嫌で嫌で堪らない。なによりも嫌なのは──。


(……レンに守って貰うのが当たり前って考えそうになる自分がなによりも嫌なのに)


 ──レンの過保護を当然の物として受け止めてしまいそうになるヒナギク自身が、ヒナギクには嫌で堪らなかった。


(……言いたいことがあるなら言えばいいのに。してほしくないことがあれば言えばいいのに。私はなにも言えない。それが嫌)


 レンを見ていると、いつも胸がざわめく。


 そのざわめく理由がヒナギクにはわからない。なにもわからない。


(……もう本当に大っ嫌い。レンになにも言えない自分が、本当に言いたいことがなにも言えない自分が本当に、本当に大っ嫌い!)


 苛立ちが募る。


 レンへの苛立ち以上に、自らへの苛立ちがずっと募り続けている。


 その苛立ちが、自然と表情に出てしまっていた。そのことにヒナギクは気づいているが、どうしてもやめられない。やめることができない。


(……本当に大っ嫌い)


 子供っぽい自分が嫌いだと心の底からヒナギクは思った。


 泣きたくなるほどに嫌いだった。


 嫌いで嫌いで堪らなかった。


 大っ嫌いな自分への怒りを抱きながら、ヒナギクは書類にと集中しようとして──。


「ひ、ヒナギク!」


 ──不意にレンに声を掛けられた。いきなりのことで「なに?」と無愛想な返事をすると、いきなりレンは「申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁ」と土下座をした。


「……はぇ?」


 いきなりの全力の謝罪にヒナギクは目を何度も瞬かせながら、唖然としてしまうのだった。

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