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33話 孤高のあり方

「──よくまぁ続くのぅ」


 しみじみとした声でアオイが言った。


 その一言にレンは「ほえ?」とややのんきな声で返事をしていた。


「……いや、ほぇではなくてだな」


「あ、すいません。ちょっと集中していたので」


 申し訳なさそうに頭を下げるレン。


 対してアオイは「ああ、別に気にせんでもいい」と苦笑いしていた。それでもレンは恐縮しているように頭を下げた。


「蒼天城」の一室にレンは詰めていた。


 ヒナギクのように連泊しているわけではないが、ここ最近はレンもほとんどこの部屋に缶詰になっていた。


 部屋の中には大量の書類が置かれている。


 大量と言っても埋もれるレベルではなく、机の上に所狭しと置かれている程度であるが、学生の身分であるレンにとってみればげんなりとする光景であることには変わりない。それでもレンは、(レンから見て)書類の山と悪戦苦闘していた。


 書類の内容は主に、生産職の、主に流通関係の重鎮たちからの要望ないしアオイたち側からの要望の返答である。色好い返事もあれば、芳しくないものもある。すべてがすべて色好いものなのは、レン自身ありえないと理解していたが、それでももう少し譲歩してくれるとは思っていた。


 だが、思ったよりも重鎮たちは譲歩をしてくれることはなかった。むしろ、どれだけこちらに譲歩させられるかを競い合っているようにも感じられた。遠慮という言葉をどこかに置き忘れたかのようだともレンには思えてはならない。


 そんな重鎮たちとのやや一方的なやりとりを行う一室に、アオイはふらりと現れたのだ。それも供回りを伴わずにである。


 いくらアオイたちの本拠地内であっても、単独行動はどうかと思う。……「フィオーレ」のマスターであるタマモも単独行動というか、独断でとんでもないところに向かっているので、それを制していないレン自身、あまり他人のことをとやかくは言えないというのはわかっているのだが。


「ふむ、その表情を見る限り、芳しくはないのかの?」


「……それなりには」


「そうか」


 ふぅとため息をひとつ吐いてから、おもむろにアオイは書類のひとつを手に取った。それはレンがすでに閲覧し終えたもの。目を通してみたが、問題はなさそうなものであった。その書類をアオイはぱらぱらと捲ると、いきなり投げ捨てたのだ。


「え?」


 思いもよらない蛮行にレンは唖然としてしまった。そんなレンに向かってアオイはふたたびため息を吐いた。


「つまらぬ小細工じゃ」


「小細工って」


「この書類はいらぬ。いや、この要望を送ってきた重鎮は外す」


「外すって」


「そなた、この書類をちゃんと読んではおらぬな?」


「そんなことは」


「いや、別に責めているわけではない。単純に、そうじゃのう、口の巧い愚者相手との関わり合いをあまり持ったことがないのじゃろう?」


 投げ捨てた書類をアオイは拾い上げ、レンのそばで広げた。その際、ふわりとした香りが鼻孔をくすぐった。


「よいかの。この手の愚者どもは大抵最初に美辞麗句でこちらを持ち上げてくる。この書類にも「貴公のお考え、まったくと言っていいほどに慧眼である」と書かれておる」


「はい」


 妙に胸がどきどきとしながらも、レンはアオイの言葉に集中しようとするが、少し視線を向けると糸のような銀色の髪を掻き上げるアオイの横顔が見えてしまい、かえって集中を妨げられそうになる。


「美辞麗句に関しては、ほぼ読まずともよい。中には美辞麗句を書きつつも、自身の思惑を述べる者もおるが、この書類に関してはスタンダートなタイプのようだから、読み飛ばしてもよい」


 艶やかな唇が動いていく。その唇の動きを見ていると、なんとも言えない気分になってしまうが、どうにか思考を書類の方にと向けていくレン。


「で、でも」


「でももかかしもあるまい。必要な部分と不必要な部分は得てしてあるものじゃ。その必要な部分だけを取捨選択すればよい。よって、ここの部分はこうしてやればいい」


 そう言ってアオイは机の上に置いてあったペンを取ると、不必要な部分に斜線を引いていく。その斜線は書類のほぼ大半に占められていた。


「そ、そんなことしたら」


「よい。いま引いた部分はほぼいらぬ。はっきりと言えば、のらりくらりと否定も肯定もせぬ言葉で占められておる。たとえば「貴公の慧眼に対して当方もできる限りの力を沿いたく思うものの、当方の事情もある。とはいえ、当方側の事情を情状酌量していただくというのも申し訳なく思うわけであり~」とあるの。まさにのらりくらりとしつつ、肯定も否定せずに美辞麗句を並べているだけじゃ。そんなものを読む必要はあるまい」


「それはたしかに」


「で、その美辞麗句はいま斜線を引いた部分まで延々と続いておる。加えて同じ言葉を何度も繰り返している。特に「慧眼」と「情状酌量」を斜線の部分だけで10回はあるの」


「え、そんなにありました?」


 たしかに書類に目を通したときは、やけに持ち上げてくるとは思っていた。だが、そんなに何度も同じ言葉を繰り返し使っているとは思っていなかった。


「うむ。例であげた部分にも使われている通り、ところどころでも使われている。まるで「そちらの考えに賛同している」と言わんばかりにの。だが、例であげた部分はもちろんのこと、他の部分にも一切具体的なことは書かれておらん。のらりくらりと躱しているだけよ」


 レンは斜線部分をもう一度目を通した。アオイの言う通り、美辞麗句が延々と並べてあるだけで、具体的なことはなにひとつ書かれていないし、たしかに同じ言葉を何度も執拗なほどに繰り返して書かれていた。


「……さっきまでとは全然印象が」


「そなたにとってはこの書類は、好意的に捉えているというものじゃろう? が、実際にはこの書類は好意的なことはなにひとつ書かれておらぬ。延々と同じことを繰り返したあげくの締めは「できる限りの助力を検討いたす」とある。この種類の必要な部分ははっきりと言えば、これだけであるの。もっと言えば、「気が向けば協力してやる」と言うことよ。その一言を言うためだけにこんな長ったらしい内容が書かれている。それを隠すための小細工しか書かれておらぬ書類よ。よってこんなものはの」


 アオイは書類を掴むと上下に裂いて破り捨ててしまう。


「ただのゴミとして処分せよ。そしてこんなものを送ってくる連中には、参加させる余裕はないとして返事を出しておけ」


 にやりと口元を妖しく歪めてアオイは笑った。その笑みに少しだけ動揺しそうになってしまうが、「この人は中身が残念、この人は中身が残念」と繰り返して心の中で呟くことで平静を保つことにした。


「でも、そんなことしたら敵を」


「敵? そんなものが我にいるとでも思うてか? 我には敵などおらぬ。我にいるのは我に帯同するものか、我の道を阻む愚者のみ。敵などおらぬさ。むしろ敵になろうものならば、すべて滅してやろう」


 アオイははっきりと言い切った。


 アオイの有り様は、覇者と言っていいのだろう。覇王、いや、その異名通りに「魔王」というのはこういうことなのだろうとレンは思った。


(このカリスマを見たら、従う人は従うんだろうな。いや、従わせてしまうのか。それがこの人なんだろう)


 アオイの姿を見て、上に立つ者のあるべき姿をレンは見た気がした。ただ、アオイのやり方は孤高でありすぎる気もしたが、それを口にするつもりはレンにはなかった。アオイなりのあり方があるということだろうと処理することにした。


「さすがに今回ほど露骨なものはそう多くはなかろうが、それに関してはふたりで行えばどうにかなろうよ。のう、ヒナギクや」


 不意にアオイの口元が歪んだ。「ニタァ」という擬音がぴったりなほどの笑みをアオイが浮かべていく。


 恐る恐ると振り返ると、そこには非常ににこやかな笑みを浮かべたヒナギクがいた。


「あ、まずい」とレンは思った。思ったが、もうどうしようもなかった。


 その後、レンがどういう目に遭ったのかは言うまでもない。


 あえて言うとすれば、その間アオイは腹を抱えて笑っていたということ。その姿を見て、レンは「少しでも助けてくれよ」と思ったが、アオイは手を貸してくれることはなかった。


 そんなアオイにレンはなんとも言えないしこりを抱えることになったが、それはまた別の話となる。

数年後にレンへに大きな影響を与えるアオイでした。

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