32話 試作品完成
「ふぅ、こんなものかな?」
ヒナギクは額に浮かんだ汗を拭った。
アンリの誕生日までもう間もない。
準備時間は限られてきているが、まったくないというわけではない。
アンリの誕生日のメイン料理である玉子焼き。
それもただの玉子焼きではなく、アンリの母親の味を再現してというもの。
その試行錯誤にヒナギクは追われていた。
そのせいか、クリスマス実行委員としての仕事は、もっぱらレンに任せてしまっていた。ヒナギク自身が請け負った仕事ではあるのだが、それをレンに任せるというのは忸怩たるものはあるし、玉子焼きの試作と並行しようと思えばできるとは思う。
だが、その並行をレンからは止められていた。
「俺は調理なんてできないから。手伝おうとしても、どうせ邪魔になるだけだよ。ならヒナギクには調理を担当して貰って、俺が実行委員としての仕事を頑張ればいいだけだ」
レンは自分には調理はできないとはっきりと言い切った。調理ができない分、ヒナギクが請け負った仕事を肩代わりすると言ったのだ。
悪いとは思ったのだが、レンは頑なだったし、レンが調理ができないこともまた事実である。
さすがに目玉焼きを作るくらいのことは、レンにもできる。あとは肉を焼くこともまた。それ以外のことはまったくできないが、焼くという行程はできるのだ。……そんなこと誰にでもできると言われれば、それまでのことではあるのだが。
その焼くという行程も、唯一できる調理でも、今回の玉子焼きに関しては参加させることはできない。
ただ焼くだけのことではない。ただ焼いて終わりというわけではない。なかなかにシビアな焼き方を要求されていた。
「……焦げの部分よりも黄色の部分が多め、しっかりと焼きつつもふんわりとして、甘さは控えめ、と」
大ババ様から教えられた要素を思い出しつつ、目の前の玉子焼きを観察していくヒナギク。
焦げ少なめで、火をちゃんと通し、それでいてふんわりとした甘さ控えめの玉子焼き。
玉子焼きは玉子焼きでも、老舗の惣菜店で出すようなレベルと言ってもいいほどのこだわりようである。
そのこだわった玉子焼きこそが、アンリの母親の味ということらしい。
「……最初聞いたときは耳を疑ったけれど」
大ババ様から教えられた玉子焼きの概要に、ヒナギクは最初耳を疑った。なにせ老舗レベルの玉子焼きを作れと言われたのだ。耳を疑わない方がおかしいだろう。
「調理には自信があるのじゃろう? なら問題あるまいて」
半ば呆然としていたヒナギクに対して、大ババ様は邪悪極まりなく「ニタァァァァ」と口元を歪めて笑っていた。その手元には大ババ様自らが作ったアンリの母親の味を再現した玉子焼きが鎮座していた。
大ババ様が玉子焼きを作るのを間近で見ていただけに、「やれるわけがないでしょう」と言うことはできなかったし、大ババ様にマウントを取られるのが嫌だったこともあり、ヒナギクは「当たり前じゃないですか」と見栄を切ってしまったのだ。
その結果が、試行錯誤を繰り返す日々となった。
かれこれこの試作品で記念すべき100品目である。
「……いままで一番できがいいかな?」
試作100号は大ババ様が作った玉子焼きと遜色ない出来になっていた。それまでの試作品は焦げを意識すると中が半生になり、火を通すことを意識すると焦げ目が多くなってしまい、どちらも意識すると今度はふんわりとした食感がなくなってしまったりとなかなかうまく行かなかったのだ。
試作100号には焦げはほぼなく、中までしっかりと火が通り、それでいてふんわりとしていた。
「あとは味か」
そう外見や食感の問題はクリアしたが、最後の壁である味はどうなのか。
一口大に切り分けた玉子焼きを口に入れて咀嚼した。
「……味も問題ないかな?」
口の中に卵の味と上品な甘みが広がっていく。大ババ様が作ってくれた玉子焼きと同じ味である。
「……ようやくできたぁぁぁぁ」
へなぁ~と調理場に抱きつくようにして倒れ込みながら、ヒナギクは一息吐いた。同時に試作品にすっと腕がひとつ伸びた。「あ」と言ったときにはそれは腕の持ち主の口の中に収まった。
「……うん。ちょうどいい塩梅ね。美味しい」
「……つまみ食いはどうかと思いますけど、アッシリアさん」
「ふふふ、ごめんなさいね。和食には目がないの」
口元をナプキンで拭いながら、アッシリアは笑っていた。
アッシリアがなぜいるのかと言うと、現在ヒナギクがいるのは「フィオーレ」の本拠地ではなく、アッシリアが所属するPKクランである「蒼天」の本拠地「蒼天城」内の調理場であるからだ。
さすがに「フィオーレ」の本拠地でアンリの母親の味に挑戦するのはサプライズではなくなってしまうため、アッシリアにお願いして調理場を貸して貰ったのだ。最初は「蒼天」のマスターであるアオイに頼んだのが、「アッシリアがいいのであればいい」と言われてしまったのだ。
なぜアッシリアなのかと言うと、アッシリアの担当区分には調理場の管理も含まれていた。アッシリア自身、リアルではそれなりに調理は行うものの、あくまでもそれなりにである。その腕もやはりそれなりであって、料理長を就任するほどではない。というか、別に料理長はいるのだが、そっちは作業責任者として登録はされている。
だが、調理場全体の責任者はアッシリアということになっており、若干ややっこしいことになっている。
それでも調理場もまたアッシリアの担当区分であることには変わりなく、「蒼天城」の調理場を使用するにはアッシリアの許可がいることは事実だった。
そのため、アオイは「アッシリアがいいのであれば」と言ったのだ。そのアッシリアの許可を得て、ヒナギクはここ最近「蒼天城」に詰めている。本来であれば、PKではないヒナギクが詰めるのは問題なのだが、マスターであるアオイが認めている以上、誰も文句は言わない。
それどころか、ヒナギクは調理場を貸して貰っているお礼にと、「蒼天城」の調理チームに一時的に籍を置き、その腕を振るい、かなりの支持を受けているのだ。
曰く、以前よりもレベルが上がっている、と「蒼天」所属のプレイヤーたちは喜んでいる。あくまでもヒナギクは一時的に籍を置いているしかないのだが、それでも料理の質が上がったことには変わりない。
だが、その日々も試作品が完成のめどが付いたことで終わりが訪れた。
「これなら問題ないじゃないかしら?」
「ええ。たぶんですけど。あとは当日まで研鑽を積めば問題ないでしょう」
「……そういうところは似ているわねぇ」
「誰にです?」
「さぁて」
くすくすと笑うアッシリアにヒナギクは首を傾げた。思い当たる人物が誰もいなかったためである。
普通に考えれば、アッシリアがまりものことを言っているのだろうと思うだろうが、ヒナギクにとって「まりも姉様」は努力をする必要がない存在だと捉えているため、いまのヒナギクのように研鑽を積むという風に繋がらないのだ。
「まぁ、とにかく。これなら満足してらえるんじゃないかしら?」
「そうですね」
「なら後は、彼と一緒に実行委員の仕事も頑張ってちょうだい」
「もちろんです。一宿一飯の恩は返させて貰います」
「そう、期待している」
アッシリアは踵を返して、調理場を後にする。ヒナギクは目の前にある玉子焼きを見下ろして満足げに頷いた。
「うん、あとはクリスマスかな」
メインはどうにか形になった。
となれば、次は請け負った仕事を終わらせるべきだろう。
ヒナギクは玉子焼きをインベントリにしまい、アッシリアの後を追う形で調理場を後にした。




