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29話 その手の意味を知っている

「──ふぅん、なるほどね」


 コテージの軒先に腰掛けながら、リィンは頷いていた。


 笑いながらリィンの手はアンリの頭の上に置かれていた。リィンの手はアンリの耳と耳の間に置かれ、髪を梳くようにして動かされていた。時折、耳に触れるのがなんともくすぐったいのだが、リィンはやめてくれそうにないので、アンリはなすがままにしていたが、やはりくすぐったさには敵わなかった。


「……リィン姉様、なんでアンリの頭を撫でるのですか?」


「うん? 撫でたいからよ。ちょうどいい位置にアンリの頭があるし」


「……本来のお姿だと、アンリの方が大きいのに」


 ついぼそりと事実を口にすると、リィンの笑みが変わった。「あ、しまった」と思ったときにはリィンの手がアンリの頭を掴み、頭をわしづかみにされてしまった。


「い、痛いです! リィン姉様ぁ!」


「黙りなさい。少しくらい発育がいいからって調子に乗って、もう」


「ちょ、調子に乗ってないです。た、ただアンリは事実を、あ」


「それが調子に乗っていると言っているの!」


 リィンが大きな声を上げる。若干目が血走っているのがなんとも言えないが、アンリにしてみれば頭をぎりぎりと握りしめられているため、リィンの変化には気づけていない。アンリの痛みを訴える声とリィンのヒステリックな声がしばらくの間聞こえていたのは言うまでもない。


 その後、しばらくしてようやくリィンの怒りが納まった。その頃にはアンリの額にはリィンの手の痕がくっきりと刻み込まれていた。アンリは両手で頭をさすりながら涙目になっていた。リィンは鼻息を荒くして「まったく、もう」と不満げである。


 頭を掴まれていたアンリにとってみれば、リィンが不満げな理由がわからない。逆にアンリの方が不満であるが、それを言うと余計に折檻されてしまいそうなので、アンリはあえてなにも言わないことにした。多少の不満よりも身の安全を選んだのだ。いわば生存本能に身を任せた結果であった。


 そんなアンリの選択を知ってか知らずか、リィンはいまだに不満そうであったが、少なくとも話ができる程度には精神状態が安定してきたのか、「本当に昔から変わらないんだから」とため息を吐いた。


「あんたはね、昔から引っ込み思案すぎるの。ご家庭の事情があるのはわかるけれど、もう少し押しが強くてもいいのよ。……まぁ、タマモさん関係では思いのほかに、というか、思っていた以上に押しが強かったけど」


 苦笑いしながらリィンは再びアンリの頭に手を置いた。また頭をわしづかみにされてしまうのかとアンリはつい身を固くするものの、返ってきた感触は思っていたのは違い、とても柔らかかった。


「なにかできるとかさ、考えなくてもいいんじゃない?」


「で、でも、アンリは」


「タマモさんたちは、あんたの誕生日を祝おうとしてくれているんでしょう? 決して強制されたわけじゃなく、自分たちの意思で祝おうとしてくれているんでしょう? なら身構えなくてもいいじゃない。ありのままで祝われればそれでいいじゃない。アンリがなにかしなきゃいけないなんて考えなくてもいいと思うよ?」


「……でも、それだと旦那様方に悪いのです」


「だーかーら。身構えなくていいのよ、あんたは。だって誕生日はあんたが主役の日よ? その主役が祝ってくれる側よりも身構えてどうすんのよ。祝われる側はどっしりとしていればいいの。ただ笑って「ありがとう」って言ってあげればいいの。それだけでいいのよ。ううん、それでいいの」


 まるで小さい子供相手の、聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調だったが、その声色はとても穏やかだった。リィンのまなざしも声色に沿ったかのようにとても暖かかった。おぼろげになった亡き母が脳裏に浮かぶ。


「いい、アンリ。何度も言うけれど、あんたはなにもしなくていいの。タマモさんたちのために、普段から身を粉にしているんだから。そのことをあの人たちは知っている。この手の意味をあの人たちは知っている。あの人たちはね、この手に報いるためにいま頑張ってくれている。普段のあんたの頑張りへのお返しをしようとしてくれている」


 リィンがアンリの手をそっと持ち上げた。かじかみ、水仕事で切れた手。アンリ自身汚いと思う手を、慈しむように触れていた。


「なのに、そのお返しのお返しなんてされたら、あの人たちも困るよ? だってお返しが何度も続いちゃうじゃない。だからお返しはここでおしまい。どうしてもしたいのであれば、今度は誰かの誕生日のときにまとめてすればいい。でも、今回はあんたの誕生日なの。なら主役はどっしりとしてればいい。それ以上のことはいらないの。それが誕生日。あんたが主役の日なの」


 ウィンクをしながらリィンは笑っていた。人間に擬態しているリィンは本来の姿とはまるで異なり、とてもお姉さんらしい姿である。それはいまも同じなのだが、アンリの目には本来のリィンの姿で笑ってくれているように見えた。見慣れた姿でアンリを諭してくれている。姉として慕い続けているリィンがいま目の前にいる。当たり前のことなのに、その当たり前がなぜかアンリには嬉しかった。


「……アンリはただ祝われるだけでいいのですか?」


「ええ。それでいいの。あんたには難しいかもだけど、みなさんの愛情をしっかりと受け取ればいいのよ」


「受け取る」


「ええ、受け取るの。それが当日のあんたの一番の仕事だよ、アンリ」


 リィンはアンリの前髪を掻き上げると、額に口づけを落としてくれた。それは子供の頃によくリィンがしてくれたもの。当時はそれがとても嬉しくて、よくねだったものだった。その記憶が色鮮やかに蘇った。


「……もう大丈夫ね、アンリ」


「……はい」


「じゃあ、私はこれからまだ仕事があるから。またね」


 リィンはよっと声を出して立ち上がり、コテージから離れていく。後ろ向きでひらひらと手を振り去って行くリィンの背中に向けて、アンリは「ありがとうございます」とお礼を言った。すると、リィンは振り返った。そして──。


「かわいい妹のためだもの。お姉ちゃんとしては当然だよ」


 ──本来の姿に戻って、アンリの大好きな笑顔を浮かべてくれた。アンリは「はい、姉様」と笑いかけるのだった。

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