23話 母親の味
大ババ様の宿屋に招かれたヒナギクとレン。
大ババ様の宿屋は、相変わらずこぢんまりとしているが、清潔感がある。窓際にも埃は一切積もっておらず、丁寧に掃除されているのがわかる。
「相変わらず、きれいにしているんですね」
ヒナギクはロビーを見渡しながら言った。大ババ様は「当たり前さ」と笑っていた。
「金づ、お客様をお招きするんだ。清潔にしておかないとねぇ」
にこにこと笑いながら、反応に困る一言を口にする大ババ様。極端な言い方ではあるが、間違ってはいない。間違ってはいないのだが、それを実際に口にするのはいかがなものだろうか。
ヒナギクとレンはお互いを見合ってから、「いま、この人、金づるって言いかけなかった?」と口にしたが、当の大ババ様はにこにこと笑うだけである。
「そんなことよりも、アンリのことだったんじゃないのかい? 話をするのであれば、私の部屋で聞くから、おいで」
「お願いします」
「かわいいアンリのためさね。気にしないでいいよ」
そう言って大ババ様は、ロビー裏の扉をくぐった。ヒナギクとレンが続けて入ったそこは大ババ様の自室である。宿屋同様にこぢんまりとした部屋だが、人一人が寝るには十分な広さはある。もっとも家具を置くと一気に狭くなってしまうのだが、大ババ様の自室にある家具は、ベッドのほかにはせいぜい椅子とテーブルくらいだった。他の家具は一切ない。
大ババ様の本来の姿を知らない者からしてみれば、他の家具がないことに疑問を浮かべることだろうが、ヒナギクとレンにしてみれば、自室に他の家具がないということは当たり前だとしか思えなかった。なにせ、これから向かう自室はあくまでも仮眠室みたいなものなのだ。本来の自室は別の場所にあるのだから、ほとんど家具がないのも当たり前なのだ。
「さぁて、話を聞くとしようか」
「いつもの姿にならないので?」
「まぁ、アルトの中ではねぇ。不意な来客が訪れても困るからねぇ」
大ババ様はふたりに椅子に座るように促した。ふたりは「失礼します」と頭を下げてから、椅子に腰掛けた。その対面側に大ババ様は腰掛けようとしたが、「あぁ、お茶を忘れていた」とお茶の用意を始めた。「お構いなく」とレンは言ったが、「茶のひとつも出さないのは失礼だろう?」と大ババ様は笑って、用意してくれたお茶とお茶請けを出してくれた。お茶請けは豆大福だった。お茶は底が薄らと赤くなっており、梅昆布茶であることがうかがえた。
「さぁ、召し上がれ」
「いただきます」
ヒナギクとレンはそれぞれに頭を下げた。ヒナギクは菓子楊枝を使ってきれいに豆大福を食べるが、レンの場合は手づかみで食べていた。そんなレンの様子にヒナギクが「レン!」と声を荒げるが、大ババ様は笑っていた。
「構わんさ。お偉いさんの前や茶道をしているわけじゃないんだ。食べやすいように食べておくれ」
「ですが」
「いいさ、いいさ。その坊やが嬢ちゃんみたいに畏まって食べるのは、なんというか似合わないしねぇ」
喉の奥を鳴らして笑う大ババ様に、ヒナギクは恐縮し、当のレンは若干頬を染めていた。そんなふたりの反応に大ババ様は穏やかに笑っていた。
「さぁて、本題と行こうか。アンリの誕生日についてだったね?」
「はい。アンリちゃんの誕生日とクリスマスパーティーを一緒に行おうと思うんですが」
「まぁ、そうだね。どちらかをずらしても準備が大変だからねぇ。同時に行うっていうのは悪くないんじゃないかい? 一応本人に確認は取っておくべきだろうが、あの子の場合は気にしないだろうねぇ。むしろ、恐縮するだけだから、確認しても意味はなさそうだが」
「困った子だよ」とため息を吐く大ババ様。言葉だけを聞くと、言葉通り困っているようではあるが、その表情はとても優しい。言動が見事に一致にしていないが、そのことを指摘するほどヒナギクとレンは野暮ではなかった。
「アンリちゃんを大切にされているんですね」
「アンリだけじゃないよ。私にとって里で生まれ育った子は、みな私の子や孫のようなものだからねぇ。ただアンリは特にそういう気持ちが強い子だけどねぇ」
「それはもしかしてアンリちゃんのご両親のことで?」
「……あぁ。あの子の両親はあの子が産まれて間もない頃に死んでしまったからねぇ。まぁ、それだけなら珍しくはないんだが、あの子たち兄妹の場合は、親戚もいなく、頼る者がいなかったのさ。それで私が面倒を見ていた。それが影響しているね。リィン同様にひ孫みたいなものだと思っているよ」
ずずっと音を立ててお茶を啜る大ババ様。嘘を吐いているようには見えない。むしろ、こんなことで嘘を吐く理由がなかった。ということは本当に大ババ様はアンリたちを実のひ孫のように思っているということ。
であれば、なおさらアンリの誕生日について相談するにはうってつけの相手ということになる。
「……アンリちゃんの誕生日で作るのに相応しい料理をなにか知りませんか?」
「……あの子の誕生日に相応しいか。なら、そうだねぇ。玉子焼きかなぁ?」
「玉子焼き、ですか?」
「あぁ。あの子は子供の頃から、玉子焼きに目がなくてねぇ。家に来るときは、しょっちゅう頼まれたものさ。まぁ、あの子自身が言ったことはないよ? 私が「玉子焼きを作ろうか」と尋ねると、尻尾をぶんぶんと振って「はい」と頷いていたからねぇ」
「……なんとなく、想像できますね」
「右に同じく」
「だろうねぇ。あの子のあれは子供の頃からの癖だからねぇ」
アンリはよく尻尾を振る。それはどうやら子供の頃からのようである。いまのアンリしかヒナギクたちは知らない。だが、昔のアンリも同じように尻尾を振っていた光景がありありと浮かんだ。その姿を思い出しているのか、大ババ様の表情はより穏やかなものにと変化していく。
「ただ、そうだねぇ。どうせなら、あの子の母親の味を再現しようか?」
「アンリちゃんのお母さんの?」
「わかるんですか?」
「あぁ。なにせ、あの子の母親に料理を教えたのは私だからねぇ。当然知っているよ。ただ、あの子に食べさせるときは、できるだけ似せなかったけどね。でも、いまならいいだろうさ」
大ババ様はアンリの母親の味を再現すると言ったが、なぜいまならいいのかはよくわからなかった。当時幼いアンリに母親を思い浮かばさせるようなことを避けていたというのはわかる。だが、なぜいまならいいのだろうか。いまだって亡き母親のことを思い出させるべきではないはずなのに。なぜいまなのか。ヒナギクとレンにはよくわからなかった。
「……報告も兼ねてというところさ。あの子はいい良人を見つけた。なら両親に報告くらいはしてやるべきだろうさ。こうでもしないとあの子は眷属サマを連れて両親の墓には行かないからねぇ」
ふふふとおかしそうに笑う大ババ様。大ババ様なりのアシストをしてくれるということなのだろう。だが、そのアシストはある意味誕生日プレゼントに相応しいものだとふたりには思えた。となれば、答えはひとつだけである。
「「お願いします。アンリちゃんのお母さんの味を教えてください」」
「あぁ、任されよ」
大ババ様は力強く頷いてくれた。
こうしてアンリの誕生日の料理のメインは、アンリの母親の玉子焼きに決定した。誕生日らしくはないだろう。だが、これほど心のこもったものもない。そうふたりは確信しながら、大ババ様の手ほどきを受けることになったのだった。
余談ですが、「何でも屋」のシリウスが食べた玉子焼きは、アンリの母親の作った玉子焼きと同じ味だったりします。




