9話 ため息とともに
「──ふぇぇぇ」
ヒナギクが妙な声を上げながら、頭上を見上げていた。
そんなヒナギクの姿を後ろから眺めつつ、アッシリアは口元に手を当てて笑った。
「そんなに見上げていると首が痛くなるよ?」
「あ、ごめんなさい。でも、思った以上にすごかったんで」
「そうよね。初めて見る人はみんなそうなるもの」
アッシリアは表情を崩して穏やかに笑って、ヒナギクを見つめていた。その視線にヒナギクの頬はほんのりと紅く染まっている。
(……こうしていれば、かわいい子なんだけどねぇ)
ヒナギクの反応を見て、心底しみじみと思うアッシリア。どうしてこの一族は、黙っていれば美形なのに、なにかしらの言動を起こすととたんに残念になってしまうのだろうか。現にいまのヒナギクだって、見張り役のPKたちさえも頬を染めて見つめるほどにかわいらしいのだ。
中には「待て、落ち着け、俺。俺の守備範囲外だ。若干高齢すぎるぞ」とぶつぶつと困ったことを呟く輩もいる。ここにも「紳士」がいたのかと思うと、非常に頭が痛い。まぁ、趣味趣向は人それぞれであるからして、そのことを咎めるつもりはない。ただ一言言わせて貰えば、「あなたの守備範囲になる子なんだけど」と言うことくらいだろう。
ヒナギクの実年齢は12歳。早生まれの子であるため、当分は12歳のままである。「紳士」それぞれに守備範囲はあるだろうが、たいていの場合は守備範囲になる年齢だろう。
もっともそのことを伝えるつもりなんてアッシリアにはさらさらないわけなのだが。誰が好き好んで、慕ってくれているかわいい妹分を毒牙に晒させるものか。
リアルでは一度も会ったことはないが、それでもアッシリアにとってヒナギクはかわいい妹分なのだ。それはいままでもこれからも変わることはない。
そんなヒナギクのパーソナルデータなど「紳士」に伝えられるわけもない。いや、ヒナギクだけではなく、アッシリア自身が知っている他人のパーソナルデータは誰にも伝える気はない。それが当たり前である。
「それじゃ、そろそろ行きましょうか」
「はい、アッシリアさん」
アッシリアは見張り役のPKたちの垣根を越えようとした。が、我に返ったPKたちのひとりが「お、お待ちください」と慌てて引き留めてきた。
「なに?」
「明空様。そちらのプレイヤーは?」
「姫と私の知り合いよ。正確に言えば、「フィオーレ」のヒナギクさんね」
「存じております。姫が大変夢中になられておいででしたので」
「そう。ならなにか問題が?」
「問題はあるかと。ヒナギク殿はPKではなく、正規のプレイヤーなのでは?」
「そうね。彼女はPKではない。闇堕ちする予定もさせるつもりもない」
はっきりとアッシリアは言い切った。ヒナギクがPKになるわけもないし、そもそもPKにさせるつもりさえもない。ヒナギクにはヒナギクらしいプレイをしてほしい。決して闇堕ちなどさせる気もない。
「……え、えっと、明空様? ヒナギク殿とご親交が?」
「それをあなたに言う理由はあって?」
「も、申し訳ありません! すぎたことを」
「いえ、気にしないで。少し過保護だったし」
「い、いえ。決してそのようことはないかと。私も弟妹がいますので、その子らにはPKなどさせずに、まっとうなプレイをしてほしいと思いますゆえ。お気持ちはわかります」
見張り役のPKは若干怯えつつも、アッシリアの気持ちは理解できると言った。弟妹想いであるようだが、ならなんでPKなんてやっているんだと思わなくもないが、プレイヤーひとりひとりに事情があるのだから、余計な詮索などするつもりはない。
それに気持ちはわかると言われても、ヒナギクはアッシリアの実妹というわけではない。そもそもアッシリアには実弟はいるが、実妹はいないのだ。ただ、実弟と同じくらいにはかわいいとは思っている。……もっとも実弟はかわいい反面小憎たらしいところもあるわけなのだが、そのことはどうでもいい。
「それよりもそろそろいいかしら?」
「入城を、ですか?」
「ええ。入り浸られるのは困るけれど、私が付き添いであれば構わないでしょう?」
「それは」
PKは若干困っているようだった。城外の警備に関してはアッシリアの管轄外であるため、目の前にいるPKたちはアッシリアの直接の部下というわけではない。城外の警備は同じ「三空」の宵空のデューカスが担当している。部外者の入城を許可する権利はデューカスにあるわけだが、そのデューカスの許可なく入城させられないのだろう。
だが、アッシリアはそのデューカスと同じ「三空」であり、「蒼天」のマスターであるアオイの片腕である。そのアッシリアが入城させると言っていることをむげに突っぱねることができないのだろう。かといってデューカスの許可なく、入城させることもできない。非常に難しい案件であった。
(無茶ぶりだったかしらね)
詳しい話をするために本拠地に連れてきたわけなのだが、やはり無茶だったようだ。面倒だが、実地で説明は諦めて、口頭でどうにか説明することに切り替えようとアッシリアが諦め掛けたそのとき。
「構いませんぞ。入城の許可を出しましょう」
不意に門が内側から開いた。そこにはフードで顔を隠していない、猫背だが背の高いプレイヤーが、宵空のデューカスが疲れた顔で立っていた。その疲れた顔を見る限り、どうやら問題が加速しているようである。
「……まだ?」
「……ええ、まだ、です」
主語がない、というよりも関係者以外にはまったく理解できない会話だろうが、それでもデューカスの言う意味がはっきりと理解できてしまう。アッシリアがいない時間ひとりで相手をしていたのだと思うと、涙が出そうになる。デューカスとはそこまで仲がいいわけではない。険悪とまでは言わないが、お互いに無視し合う程度の仲ではある。
だが、そのデューカスとたしかな繋がりを感じてはいる。期間限定ではあるが。その期間限定で繋がりを感じる要因はまだ暴走しているようだった。
「……「紙くず」はどれくらいに?」
「……100から先は数えておりませんなぁ。普通あれを「紙くず」と言おうとは思わぬわけですが」
「……ですよね」
「……ええ。本当に我らが姫は」
頭が痛そうに指の腹でぐりぐりと額をこするデューカスは、非常に疲れているようである。だが、気持ちはわかる。わかりすぎるほどにわかってしまう。それはデューカスだけではなく、見張り役のPKたちも同じなのだ。深いため息を吐かさずにはいられないのだ。
「えっと?」
だが、ヒナギクだけは話の内容を理解できていない。なにせ具体的な話は一切していないのだ。無理もないことだった。
「……あぁ、こちらの話ですぞ、ヒナギク殿。申し遅れましたが、私は宵空のデューカスと申します。このたびは我らが本拠地「蒼天城」へとよくぞお越しになられました。歓迎いたいます。切に、切に歓迎いたします!」
「え、あ、はい」
デューカスはいまにも泣き出しそうな表情である。
いきなり泣き出されそうになったヒナギクにとっては意味不明すぎるだろうが、デューカスの気持ちは痛いほどに理解できるため、アッシリアはなにも言うことができなかった。
「……とりあえず、中に入って貰いましょう、宵空殿」
「そう、ですな。事情は中でゆっくりとお話いたしますゆえ」
「え、えっと、お邪魔します?」
ヒナギクは頭の上にでかでかと「?」マークを浮かべているように、非常に困惑しているようだが、無理もないことである。
「……例の件についてもおって話すから、とりあえず着いて来てちょうだい」
「……はい」
「例の件?」
「ああ、こちらの話です」
「左様ですか。まぁ、よろしいでしょう。とりあえず、こちらへ。ご案内いたしますぞ」
デューカスは一瞬訝しむが、問題が問題なため、疑問は後回しにするつもりのようだ。いろいろと後回しにすると面倒なことになるとは思うが、こればかりは非常にややこしい問題であるのだ。「蒼天」内の問題も含めてだが。
(どうなることかしらねぇ)
先導するデューカスの後を追う形で、ヒナギクと隣り合ってアッシリアは「蒼天」の本拠地である「蒼天城」の中を進みながら、深いため息を吐いた。そのため息はアッシリアだけではなく、「蒼天城」の中にいるプレイヤー全員の総意でもあるわけなのだが、そのことを知るよしもないヒナギクは困惑しながらも隣を歩いている。そんなヒナギクに「ごめんね」と心の底からアッシリアは謝るのだった。




