Ex-19 公認
のそのそと緑色の物体が地面を這っていく。
その速度はとてもゆっくりだ。だが、その這いずる姿を見て、感動しそうになっている自分にアンリは気づいた。
相手は見た目だけで言えば、ただのクロウラー。益虫や害虫とも呼ばれる芋虫のモンスターにしかすぎない。
だというのに、感動というのは我ながらおかしなものだとは思う。
その一方で感動するのも当然だとも思う。
自分のことながら、矛盾しているなぁと思うが、こればかりは致し方がない。なにせ相手は伝説とも幻とも呼ばれるモンスターであるエンシェントクロウラーだった。そのエンシェントクロウラーが目の前にいる。
しかも、そのエンシェントクロウラーはアンリが恋慕しているタマモの知り合いという、とんでもない偶然の果てに出会ったのだ。
(……偶然にしてはできすぎですから、もはや必然と言ってもいいのでは?)
エンシェントクロウラーことクーの後を追いかけながら、アンリはそう思った。伝説の存在が、アンリの恋慕している相手の知人というのは偶然にしてはできすぎていた。もはや奇跡、いや、必然だったと言ってもいいのではないかとアンリは思っていた。
『なにを考えているのかは知らぬが、一応偶然の産物だと私は思うよ』
クーが突如として立ち止まると、そんなことをいきなり言い出した。相変わらず、アンリの耳には「きゅ」という鳴き声にしか聞こえないが、頭の中に直接クーの言葉が翻訳されて聞こえてくる。「念話」という特殊な技能によってのものであるのは明らかだが、見た目はただのクロウラーが「念話」で話しかけてくるというのは驚くことしかないことである。もっとも相手はただのクロウラーではないのだから、「念話」を使われてもおかしくはないのだ。
問題なのは、「念話」ではなく、アンリの考えていることが筒抜けだということである。が、それは特殊な技能ではない、らしい。
『あなたはわかりやすい。開いた本とまでは言わないがね』
「きゅきゅきゅ」と鳴き声を上げつつ、クーは笑っていた。開いた本とは言われていないが、逆に言えば、開いた本に近いレベルでわかりやすいということなのだろう。実際、周囲の知人や友人からは「アンリってわかりやすいよね」というありがたくないお言葉をいただいているのだ。
友人や知人は年齢の差はあれど、だいたい100歳くらい。100歳でもわかりやすいと言われるほどなのだ。その10倍もの年月を生きたクーにしてみれば、わかりやすいどころか、簡単に読めてしまうほどだろう。
なにせ、タマモに恋慕していることを話しかけられたときには気づかれていたのだ。アンリとしては隠しているはずなのだが、その隠していることを簡単に見破られてしまったのだ。クーの観察眼の鋭さがどれほどのものなのかをアンリは身を以て知っているわけであり──。
『ちなみにだが、あなたの場合は誰でも見破れるぞ? あんなに尻尾をぶんぶんと振り回しながら、金毛の妖狐を見つめて熱っぽいため息を吐いていたら、誰だって恋慕しているというのはわかる』
「……あぅぅ」
──観察眼の鋭さ以前の問題であるようだった。
アンリとしてはそんなわかりやすい態度を示していたつもりはなかった。だが、クーが言うにはあからさまな態度を取っているようである。少し自重しようかな、とアンリは顔を自分でもわかるくらいに紅く染めながら思った。
『さて、ここいらでいいかな』
ふいにクーが立ち止まった。
タマモが開墾している畑から離れ、雑木林のだいぶ奥にまで来ていた。
背の高い木々に囲まれ、うっそうとしており、若干薄暗い。木漏れ日はあるため、真っ暗ではないが、木々や草花の色は黒く見えていた。ちょうどアンリの毛並みと同じ色である。そんな場所にクーが連れられてきた。いったいなんの目的があるのだろうと、アンリはごくりと喉を鳴らしていた。
『あぁ、取って喰おうというわけではないから、緊張する必要はない』
クーは淡々と告げている。笑っているようにも見えるが、どこか雰囲気が固かった。
「これ以上タマモの周りをちょこまかするな」と釘を刺されてしまうのだろうか。
それとも「タマモを頼む」と公認されてしまうのだろうか。
公認はさすがにないとしても、釘を刺されてしまうというのもないだろう。
釘を刺されるのであれば、最初にすればいい。そもそもここまで連れてくる必要はない。あるとすれば、釘を刺すのが面倒だからこの場でアンリを亡き者にしようとしていることくらい。
だが、クーは取って喰おうというわけではないと言った。つまりアンリに危害を加えるつもりはないということである。
だが、危害を加えるつもりがないというのであれば、なぜこんなところに連れてきたのか。その理由がアンリにはいまひとつ理解できなかった。理解できないまま、アンリはクーをじっと見つめた。クーはアンリを見ているようで、どこか遠くを見つめているようでもあった。その目は茫洋としていて、なにを考えているのかはわからなかった。
『……妖狐よ』
「はい」
『金毛の妖狐。タマモはおそらく大変な道のりを歩むことになるだろう。彼女の道のりは艱難辛苦に彩られたものとなる。その際に支えとなる者が彼女には必要となる』
「……えっと」
『……すぐには理解できぬだろうな。だが、彼女には支えが必要なのだ。本来の彼女とここでの彼女を支える者がね』
「え?」
クーの言う意味がよくわからなかった。
タマモはひとりだけのはずなのに、クーはまるでタマモがふたりいるかのような言い方をしている。どういうことなのかがわからなかった。
『その両方の支えをあなたにしてほしい』
「私に?」
『……うむ。私にはしてやれぬ。そもそも私はそこまで長く彼女とともにはいられないからね』
「もしかして、羽化の時期が?」
『……それもある。だが、別の理由もあるのさ。本当にそうなるのかはわからないが、高い可能性でそうなる』
「は、はぁ?」
また意味のわからないことをクーが言っていた。長くは一緒にいられないということは、エンシェントクロウラーからエンシェントバタフライに羽化するためだと思った。だが、決してそれだけが理由ではないようだ。いったいどういうことなのか、アンリにはまるでわからない。
『そのとき、タマモはきっと傷つくはずだ。本来の彼女もまた』
「本来のタマモ様というのは?」
『そのままの意味だ。我々が目にしている彼女は、本来の彼女ではない。だが、どちらも彼女であることには変わりない。私としてすべてがわかるわけではないのだが、少なくともタマモにはふたつの姿があるということだ。その支えになる者は私が見る限り、あなたが一番適任だった。ただ、そのときには私は彼女の近くにはいない。何度見てもそうなったから、まず間違いない』
「なにを仰っておられるのかがよくわからないのですが」
『わからなくてもいいさ。とにかく、私はあなたに彼女を支えて貰いたい。彼女を支えて貰えるのであれば、ここに訪れることも公認しよう。彼らにもあなたには手を出さないように言っておく』
「彼ら?」
聞き返してすぐにアンリは気づいた。音はないが、無数の気配に囲まれていることに。木漏れ日の中にもいくつもの影があった。恐る恐ると顔をあげると、木々の枝葉に虫系のモンスターが集っていた。その視線はまっすぐにアンリにへと向いている。剣呑な雰囲気のモンスターはいない。
しかし目の前にいるクーがなにかしら合図を出せば、アンリの身がどうなるのかは考えるまでもない。その証拠に虫系モンスターたちの目はぎらついている。肉食系、草食系問わずにだ。その視線にアンリは喉を鳴らした。知らず知らずのうちに死地にへと追いやられてしまっているのだから、無理もないことではあるのだが。
『……少々手荒だが、あなたにはできるだけ頷いてほしいな。私も彼らもあなたに危害を加えたくないのでね』
クーは淡々と告げている。
ここまで連れて来たのはこのためだったと言わんばかりの口調である。
「……アンリとしては、クー様の仰っていることはよくわかりません。ですが、このようなことをされなくても、アンリはタマモ様をお慕いしております。いま言えるのはそれだけです」
『……そうか、ならいい。彼女をよろしく頼む』
クーはそう言って触覚を振るった。すると虫系のモンスターたちが一斉に姿を消していく。アンリはふぅと息をひとつ吐いた。胸がやけに高鳴っているが、クーはただ笑うだけである。
『よろしく頼むよ、アンリ。私もできるだけ彼女とともにあろう。ただ、早めに彼女と知り合ってくれると助かるな』
「……頑張ります」
『ああ、応援しているよ』
クーが笑いながら、触覚を伸ばしてきた。その笑顔になんとも言えない気分になりつつも、伸ばされた触覚を手にして握手という形を取ったアンリ。よくわからないことになったが、とにかく公認はされたんだろうなと思うことにした。もっともその意味がよくわからないことには変わりないのが、クーからの許しをえることはできたのだ。それでよしとしようとアンリは思った。
こうしてアンリはクーからタマモの嫁という立場を公認して貰うことになったのだった。




