第59話 揺籃歌
遅くなりました←汗
暖かかった。
頭の下から感じるぬくもりが暖かかった。
(あったかい)
頭の下のぬくもりは、とても心地よかった。その心地よさに身を委ねながらレンは、現状を理解できずにいた。
(なにがあったんだっけ?)
一時的な記憶の混濁により、自身になにがあったのかをうまく思い出せずにいるレン。
だが、記憶が混濁しているという自覚がレンにはなかった。
自覚しないまま、ぼんやりと微睡みの中にあった。微睡みの中にありながらレンは、まぶたをうっすらと開いた。
(……誰かいる?)
まぶたを開くとそこには誰かがいた。
誰かがいることはわかるのだが、それが誰なのかがわからなかった。
わからないが、目の前にいる誰かはレンの頭に手を置き、優しく撫でてくれているようだった。
その手つきには覚えがあった。けれど誰なのかがよく思い出せない。思い出せないが、とても心地がいい。それこそこのまままぶたを閉じて眠ってしまいたいほどに。
(……疲れているからこのまま寝ちゃってもいいかな)
うっすらと開いていたまぶたを閉じようとした、そのとき。
「……ふむ。そろそろ起きてくれると助かるのだがのぅ」
困ったように呟く声が聞こえた。その声に薄ぼんやりとしていた意識が一瞬で覚醒した。閉じかけていたまぶたを慌てて開くと、そこには苦笑いする焦炎王がいた。
「す、すみません!」
起き上がろうと腹筋に力を込めるのと同時に、焦炎王の手がレンの額に添えられた。
「……起きてくれると助かるとは言ったが、無理をして起き上がれとまでは言っておらんよ」
焦炎王はあきれ顔になっていた。だが、その目はとても穏やかだった。いや、目だけじゃない。その顔も声も仕草さえもすべてが穏やかだった。まるで家族を、子供を見守る母親のような目をしてレンを見つめていた。
(……どうして、この人はいつもこの目で俺を見つめるんだろう?)
焦炎王の優しさ。いや、愛情を一身に受けられる理由がレンにはよくわからなかった。これと言ったことをした覚えがないのだ。なのに、焦炎王はどうしてここまで気を掛けてくれるのか。よくわからなかった。
「……すみません」
「謝れと言ったつもりもない。まぁ、それなりに頑張ったのだ。少しくらいは気を抜いても構わぬさ」
焦炎王はそう言ってレンの頭をまた撫で始めた。その手つきもまた穏やかで優しかった。思わず、会ったことのない母親と重ねてしまいそうになり、「母さん」と口にしまいそうになる。
だが、すんでのところで呼ばずにいられた。そんなレンを見て、焦炎王はまた笑っていた。笑いながらまたレンの頭を撫でていく。
(……なんか、子供扱いされている気がするよ)
焦炎王の設定された年齢から見れば、レンの実年齢は子供と言って差し支えがない。いや、焦炎王どころか、ガルドから見てもレンの実年齢は子供と言って差し支えがない。
だが、得てしてそれくらいの年齢になると、子供扱いされるのを嫌がるものだ。が、焦炎王ほど年上を相手になると、嫌がったところで子供扱いされてしまっても無理もない。事実子供の年齢であることは間違いないのだ。
レン自身、背伸びをするつもりはない。ないのだが、ここまで露骨にされるのは少々気恥ずかしいものがあった。
しかし、どんなに気恥ずかしくても、当の焦炎王はやめてくれそうになかった。むしろレンが恥ずかしがれば恥ずかしがるほど、かまい倒そうとしているように思えてならない。
「……あの、焦炎王様」
「……嫌でも大人にはなるものだ」
「え?」
「命あるものは誰しも成長し、大人になるものだ。たとえ本人はどれほどまでに望んでいなくても、時の流れは止めることはできぬ。いや、仮に時の流れが止まってもいつかは完成する。命終わる時というものは必ず訪れるものだ。ゆえにだ。あまり肩肘を張る必要はない。いまという日々を精一杯に生きればいい。背伸びをしたところで、大して意味はないし、そもそも背伸びをしたせいで、失われる時間の大きさに打ちのめされるだけさ。だから、できるときには思いっきり甘えればいい」
焦炎王は笑った。
しかしその笑顔はどこか悲しそうなものだった。どうしてそんな笑顔を浮かべているのか、レンにはわからない。わからないが、大切なことを教えてもらったように思えた。
「……俺は早く強くなりたいです。大事な人を守れる強さがほしいです」
「なれるさ。だが、いますぐにはではない。時間を掛けてゆっくりと大きくなる。それは竜も人も変わらない。いや、生きとし生けるものは皆そうだよ。だから焦るな。焦らず、歩くような速さであっても少しずつ強くなればいいよ」
「歩くような、速さ」
「ああ。そのくらいの速さでも構わないのだ。むしろ、そのくらいの速さの方が見失わずにすむ。あまりに速すぎると、見失ってしまうものだ。だからおまえは見失うな。見失いそうになるものの背を支えられるような存在になれ、我が弟子よ」
焦炎王がまた笑った。
今回はよく笑われるなと思うが、その笑顔はどこか心地よかった。その心地よい笑顔を見つめながら、レンは自然に「はい」とだけ答えていた。レンの返事に満足したのか、焦炎王は再び頭を撫で始める。気恥ずかしさはある。けれど、それまでのような気恥ずかしさだけではなくなっていた。
(いまだけは甘えてもいいのかもしれない)
そう、いまだけはいなくなってしまった母親を重ねるように、焦炎王に甘えてもいいのかもしれない。
ぬくもり。頭を撫でる穏やかな手。そしてどこからか聞こえてくる子守歌。どれも子供ではないと言って拒絶するのは簡単だ。だが、いまだけはそれらを受け入れよう。そうレンは思いながら、焦炎王との穏やかな時間に身を委ねた。




